タイプ
論考
プロジェクト
日付
2012/6/20

アメリカNOW 第94号 ミクロの視点からみた米国の緊縮財政~経済統計の予算を通じた考察~(安井明彦)

2012年末に待ち受ける「財政の崖*1 」を筆頭に、米国では財政運営が引き続き中心的な論点になっている。なかでも注目が集中しているのは、財政運営の方向性の変化がマクロ経済に与える影響である。もっとも、実際の緊縮財政の影響としては、個別の政府プログラムが強いられるミクロなレベルの変化も軽視できない。ミクロの視点を通じて緊縮財政の現実を「厚み」をもって感じ取る材料とするために、本稿では経済統計に関する予算削減の動きを取り上げる。

緊縮財政の標的になる経済統計

2012年5月、ある経済統計を廃止する条項が米下院で可決された *2 。標的となったのは、米商務省センサス局が管轄しているACS(American Community Survey)と呼ばれる統計だ。この他にも、やはりセンサス局が今年の秋に実施予定の「経済センサス(Economic Census)」についても、このままでは中止に追い込まれかねない水準の予算しか認められなかった。

伝統的に経済統計は、緊縮財政の標的になりやすい。例えば、共和党のジョージ・W・ブッシュ政権の時代には、American Time Use SurveyやSurvey of Income and Program Participationといった統計の廃止が提案されてきた。米ブルームバーグ・ビジネスウィーク誌によれば、センサス局は1990年代前半から統計充実のための予算増を申請し続けてきたが、こうした要請が認められることは稀だったという*3

まして近年の米国では、軍事や医療・年金といった、これまでは聖域扱いされやすかった分野ですら、歳出削減の圧力が高まっている。歳出削減の「痛み」が見えやすい分野との比較では、経済統計は手軽な標的になりやすいのが現実である。

各方面に重用されているACS

今回標的となっているACSは、米国の家庭の暮らしぶりを対象とした統計である。その起源は、10年に一度行なわれる国勢調査(センサス)にある。2000年のセンサスまでは、全ての家庭から基本的な情報(人数、性別、人種など)を集める一方で、一部の家庭には追加的な情報を求める別の調査書(ロング・フォーム)を送っていた。2005年に開始されたACSは、後者の調査を独立させ、年次の統計を利用できる形態にしたものだ*4

ACSの導入には、二つの狙いがあった。

第一は、国民の負担感の軽減である。2000年の国勢調査では、家庭の15%にロング・フォームが送られていた。これに対して、ACSの対象は、家庭の2.5%に止まっている。ロング・フォームが廃止された2010年の国勢調査では、各家庭は10個程度の質問に答えれば良いだけとなった*5

第二は、統計の有用性を高めることだ。調査結果の発表頻度が10年に一度から毎年に上がり、タイムリーな情報が入手しやすくなった。

ACSが収集する情報は多岐にわたる。具体的には、それぞれの家庭の?居住環境(住居の広さ、間取り、築年数から、水洗式便所の有無まで)、?社会的性格(婚姻の有無、使用言語、学歴など)、?経済状況(収入、職種、通勤時間など)に関わる情報が調査の対象になる。調査対象に選ばれた家庭に送られる質問書の長さは、2010年の国勢調査が6頁だったのに対し、ACSは16頁となっている。

ACSの利用者は、研究者やエコノミストに限らない。

政府部門では、補助金の配布先を決めたり、教育や地域開発などに関するプログラムを運営する際の基本的な情報源として利用されている。一見すると必要性が疑われる「水洗式便所の有無」も、公衆衛生の観点では重要な情報だという。ブルッキングス研究所の調査によれば、ACSを参考に配布先が決められる補助金の金額は、連邦政府が管轄する補助金の29%に達する *6

民間部門でもACSは重宝されている。例えば、居住環境に関する情報は、不動産関係のビジネスに有用である。また、大手の小売チェーン店では、出店先を検討する際に、ACSで入手できる地域ごとの細かな情報を活用している。

こうした幅広い有用性から、ACSの廃止には各方面から反対の声があがっている。ビジネスの世界では、全米商工会議所が廃止反対の急先鋒である。「小さな政府」に親近感をもつ米ウォール・ストリート・ジャーナル紙の社説欄も、ACSの廃止には反対を表明している*7 。研究者の分野では、本来は「小さな政府」に好意的であるはずの保守的なシンクタンクからも、現状維持を支持する意見がある*8

任意調査への変更も?

各方面からの反対もあり、このままACSが廃止に追い込まれると見る向きは決して多くない。上院での審議などを通じて、ACS向けの予算が復活する可能性はあるだろう。

そもそも、費用面の観点だけであれば、経済統計の見直しが財政再建に果たせる役割には限界がある。今回のACS廃止によって削減される歳出の金額は、向こう10年間で24億ドルといわれる。これに対して、米国の財政赤字額は、2011年度だけで1兆3,000億ドル、歳出は3兆6,000億ドルに達している。

それどころか、ACSの廃止は、政府の効率化を妨げる可能性が指摘されている。政策を運営するための基本的な情報が手に入らなくなれば、かえって無駄な歳出が増えかねないからだ。前述の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙の社説では、「小さな政府」を理由にACSの廃止を主張するのは、「体重が増えたのを体重計のせいにするようなもの」と手厳しい。

もっとも、ACSが無傷で済むとは限らない。一部で議論されているのが、任意調査への変更である。

米国で経済統計が緊縮財政の標的になりやすいのは、費用だけが理由ではない。意外に根強いのが、「国民の生活に踏み込んだ統計を集めるという行為自体が、プライバシーの侵害である」という批判だ。とくにACSの場合には、調査対象となった家庭には回答が義務づけられており、拒否した場合には最大5,000ドルの罰金が課せられる可能性がある。筆者もACSの対象になった経験があるが、多くの細かな質問への回答が義務づけられていることには驚かされた。

こうしたACSの特徴が、「大きな政府」を嫌悪するティー・パーティー系の議員から攻撃を受ける一因となっている。このため、今後の議会審議の行方次第では、ACSの予算復活と任意調査への変更を抱き合わせ、妥協が図られる展開も想定されよう。

経済統計の自衛手段

ACSの支持者は、任意調査への変更に対しても警鐘を鳴らしている。回答率が低下するために、統計の有用性が損なわれないからだ。実際に、カナダが同様の調査を任意制に切り替えた際には、回答率が90%から69%に低下している。米センサス局によれば、任意調査で従来と同じだけのサンプル数を確保しようとすれば、6,000万ドル以上の追加費用が必要になるという*9

同様に、一部に提案のある「民間部門が主導した経済統計の収集」にも、現時点では限界がありそうだ。やはり、回答の回収能力に疑問が残るからである。やや分野は異なるが、最近の米国では、世論調査の回答率の低さが話題になっている。ピュー・リサーチ・センターによれば、同センターによる世論調査の回答率は、1997年の36%から、2012年には9%にまで低下している*10

それでも、緊縮財政の要請が続く限り、ACSのような経済統計が節約を求められやすい状況は変わりそうにない。統計の利用者である民間部門としても、何らかの「自衛手段」を考える必要はあるかもしれない。

現在バラク・オバマ政権でCEA(経済諮問委員会)委員長を務めるアラン・クルーガーは、財務次官補時代に民間が集める統計の精度向上を提案している*11 。例えば、統計の収集や分析方法について最低限のガイドラインを設けると同時に、それぞれの統計がこうしたガイドラインに合致しているかどうかを審査する仕組みを設けるなどの取り組みだ。

経済統計のような金額の小さな予算でも、緊縮財政が与える影響は決して小さくない。同時に、民間部門による統計収集への関心にみられるように、絶え間ない緊縮財政の圧力には、それぞれのプログラムを取り巻く環境を、少しずつ変えていく効果があるのかもしれない。



*1:ブッシュ減税の期限切れ等によって、現行法のままでは米国の財政赤字が急減すること。回避策が講じられなかった場合に、米国経済への悪影響が懸念されている。
*2:2013年商務・司法・科学関連歳出法案(H.R.5326)に対する修正条項(H.AMDT.1077)。
*3:Matthew Philips, Congressional Budget Office, The Ryan Budget May Cut Economic Data, Bloomberg Businessweek, May 3, 2012.
*4:毎月実施する調査の結果を、年単位で集計・発表している。
*5:家庭の構成人数によって求められる回答数は変わる。
*6:2008年度。Andrew D. Reamer, Surveying for Dollars: The Role of the American Community Survey in the Geographic Distribution of Federal Funds, Brookings Institution, July 26, 2010.
*7:The GOP's Census Takers, Wall Street Journal, May 11, 2012.
*8:Andrew Biggs, The Pros and Cons of Making the Census Bureau’s American Community Survey Voluntary, American Enterprise Institute, March 6, 2012.
*9:Robert Groves, The Pros and Cons of Making the Census Bureau’s American Community Survey Voluntary, U.S. Census Bureau, March 6, 2012.
*10:Andrew Kohut, Scott Keeter, Carroll Doherty, Michael Dimock and Leah Christian, Assessing the Representativeness of Public Opinion Surveys, Pew Research Center for the People & the Press, May 15, 2012.
*11:Alan B. Krueger, Stress Testing Economic Data, October 12, 2009.

■安井明彦:東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長