インタビューシリーズ「障害者の自立を考える」:宿野部武志さん <後編> | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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インタビューシリーズ「障害者の自立を考える」:宿野部武志さん <後編>

November 6, 2013

退職後、がんが発覚

14年間勤めたソニーを退職した後は専門学校に入り、社会福祉士の資格にチャレンジする。しかし、試験直前にがんが発覚。幸い初期だったため、試験後の手術で患部を摘出し、社会福祉法人で様々な相談業務に携わった。そのうち、腎臓病患者に対する支援について、自分のスキルや経験が生かせるのでは、という思いが強くなったという。

まず3月末に退職したのですが、専門学校は4月からスタートなので、手続き的に入学できませんでした。しかも退職後すぐに合併症による「副甲状腺機能亢進症」のオペを受けて、1年間空きました。でも、その間を無駄にしたくなかったので、オペを受けた後に九州大学の医学部で「医療決断サポーター」という講座を受けました。これは患者が医療を受ける時の様々な決断・自己決定を支援する人を育てようという講座で、「自分の考えていることと凄く似ているな」と思いました。それで講座を受けるため、東京から福岡まで何回か往復して修了し、自分なりの勉強をやった後、1年間経ってから臨床福祉専門学校に入りました。でも、1年間勉強して、翌年1月に社会福祉士の試験を受ける直前に腎細胞がんを告知されました。血尿というか、血そのものが出ました。腎臓が駄目なのでオシッコは出ていないのですが、それなのに血が出た。最初は痛い検査を受けることになりそうなので勇気がなくて言えませんでした。でも、毎回トイレに行く度に血が出るので怖くなって、通っている透析のクリニックに行くと、「大きな病院で検査してもらいなさい」と言われて大学病院でCT検査を受けたら、最初に「腎細胞がんです」と言われました。そのショックたるや物凄かったです。拳を握っていないと号泣しちゃう。病院で会計を済ませて、車に戻って号泣しました。「俺は死ぬの?」「親に何て言えばいいのかな」と思いました。その日、相当ショックだったのか、会社の先輩と食事する約束だったのですが、どう考えてもぶつける駐車場じゃない場所で自損事故を起こしてしまいました。その後、もう少し詳しい検査を受けることになり、MRIを受けたら、前に告知した医者が放射線科の医者と電話で、「やはりがんじゃないの?」と軽い感じで話している。それで電話を持ちながら僕に「すみません。がんじゃないみたいだよ」と言うんです。でも、全然嬉しくなくって、「お前は何を言っているのか。俺がどれだけショックを受けたと思っているのか」と怒りを感じました。その場で「セカンドオピニオン(=別の診断意見を聞くこと)をやらせて下さい」と申し出て、今まで撮った写真を全部貰って別の大学病院に行きました。すると、もう1回最初から検査をやり直し。それで最終的に「腎臓がんと思います」と言われて、左の腎臓を摘出することになりました。手術については、医者から「かなり早期だし、受験が終わった後でもいいですよ」と言われたので、社会福祉士の国家試験を受けて、資格取得に必要な知的障害者の授産施設で実習が終わった2月ぐらいに患部の摘出手術を受けました。手術の麻酔から覚めた後、自分が生まれ変わった印象でした。「生かされた!お世話になってきた医療に今度は恩返しする番だ」という思いでした。

社会福祉士試験の合格発表は3月で、卒業式の直前。でも、問題集を出している会社が速報を試験当日に出しているので、気になって試験当日に速報をチェックして、「名前を書き忘れていない限り、とりあえず大丈夫だな」と確認しました。正直、手術を控えての試験は精神的にきつかったです。社会福祉士試験の合格率は20%台。専門学校に入って最初の模擬試験で、約50人のクラスで下から2番目の成績でした。明らかに暗記力が衰えていることも感じましたが、「少し甘く見ていた。このままだと本当にまずい。もし1年後に受からなかったら、ソニーの人達に顔合わせできないし、失踪するしかない」というくらい思い詰めてしまいました。そんなプレッシャーの中、がんと言われたので、かなりキツイ精神状態でした。無事に資格を取れた後、最初は医療ソーシャルワーカーを目指しました。医療ソーシャルワーカーは大学病院の医療相談室などで患者の相談を受ける人。幾つも病院を受けたのですが、ことごとく駄目で。私も人事で働いた人間なので、39歳という年齢で透析患者であることがハンディになったのは感覚的に分かりました。でも色々と探した結果、自宅のあった東京都練馬区の社会福祉協議会で人を募集しており、練馬区関町の「ボランティア市民活動コーナー」という所で働くことになりました。希望していた病院じゃありませんでしたが、そこはソーシャルワーカーの仕事だけでなく、ボランティアコーディネートの仕事、地区で色んな相談業務も受け付ける「何でも屋」みたいな仕事でした。そこで1年半ぐらい勤務しました。社協では「ボランティアコーディネーター」という資格も取り、この仕事も面白かった。毎日色んな人が相談に来ますが、精神障害を持った人の拠り所になったり、地域の会議に出させて頂いたりして、凄くいい経験でした。

でも、色々な相談を受けるうち、「自分が一番役に立てるのは何なのかな…」と考え始めました。社会福祉士を目指した時は「病気の人」という幅広い観点だったし、幅広い方の相談を受けるのも勉強になって良かったのですが、自分の人生は腎臓病や透析と切っても切れない関係だし、「腎臓病や透析で何かやっていけたらな…」という気持ちが出て来ました。そこで、社協で働きながら、退職前に入院した病院の看護師と一緒に、腎臓病患者を支援する「メディカルクリエーションネットワーク」という民間の任意団体を作りました。一緒に事業を始めた看護師になったばかりで意欲的だったので「一緒にやりたいね」と意気投合したのです。しかも看護師が青森県出身で、私の父親も青森という縁もありました。そこでは患者・家族の相談を受け付けていたのですが、相談内容の大半は医療従事者とのコミュニケーション不足によるトラブル。医療従事者も過酷な勤務状況で疲労している実態があり、双方のコミュニケーションが上手くいけば、患者は納得した治療を受けられるし、病気に対しても前向きになるのではないかと思うようになりました。その頃、専門学校のクラスメートの友達である妻と知り合いました。「透析込みで付き合ってくれ」と話したのですが、奇特な人でオーケーしてくれました。彼女は僕のブログ「透析に関わるすべての人の幸せのために」をはじめから全部読んでくれて、「生き方がブレない人」と思ってくれたみたいです。もう当時から自分の色んな夢を話していたので、「ゆくゆくは一緒に会社をやろう」という話も付き合い始めた頃から言っていました。その後、社協で1年半ぐらい働いていた頃、ドクターストップがかかりました。血圧が高くなったので、「勤務を辞めた方がいい」と言われたのです。そこで療養することになり、「次は何やろうか」と考えている中で、「腎臓病・透析の闘病経験、ソニーの人事で培った問題解決のスキル、社会福祉など資格取得で出た視点や知識が役立つ場があるのではないか」「腎臓病や透析に関わる人に何かすることをしなきゃ」と思うようになりました。それで任意団体を発展させて会社としてやってみようと思ったのです。

会社を起業

その後、ペイシェントフッドを発足させた。同社は腎臓病や透析に関する患者・家族と医療職の支援を事業目的に掲げており、「じんラボ」というサイトで腎臓病や透析治療に関する情報や食事管理・運動・生活をサポートする情報、患者や医療従事者の体験談などを提供している。

ペイシェントフッドを作ったのは2010年9月。患者や家族と医療職の両方を支援することで、腎臓病・透析医療に貢献することを掲げています。患者や家族に対しては、情報提供や悩み相談、就職支援などの事業があります。透析患者は一人ひとり生活環境や心身の状態が違うので、「旅行に行きたい」「運動がやりたい」というニーズがあります。それぞれの状況に応じて患者に合った支援やサービスを提供したいと思っています。基幹事業として、今年4月から開始したのが「じんラボ」です。これは腎臓病に関する基礎知識や、食事・仕事、治療など日常生活の留意点をお知らせしたり、病気や透析に関する悩みや疑問を受け付けたりしています。理学療法士の運動講座、食卓を紹介しながらの栄養指導・食事療法などの情報も載せており、腎臓病の基礎知識や透析施設の選び方、悪化を防ぐ予防策などで交流するコーナーも設けています。就職支援についても、人材紹介の事業認可を取っているので、初期段階で「じんラボ」で前向きな気持ちになってもらい、透析患者の雇用に向けた人材紹介に繋げることを考えています。そのほか、医療職が会員になって下さっており、「患者の気持ちや思いを知る」というニーズがあるようです。会員登録は無料で、その中に「とうせきくん」というアプリケーションが入っています。これは来年3月まで無料で、定期日の血液検査値を入力すると、自身の健康データを一目で把握できるデータベースが作れますし、「透析が上手くいっているか?」「水分や塩分のコントロールができているか?」「栄養、筋肉量の状態はどうか?」「合併症の心配がないか?」などをグラフで表示できる仕組みになっており、来年4月からバージョンアップした上で有料化を考えています。「全国透析施設めぐりの旅」という企画も始めました。透析を実施できる施設を訪ねて、透析方針や特徴、開院時間などを掲載しています。透析患者は旅行中、国内も海外も透析を受ける必要があります。事前に依頼し、データなど条件を送れば透析を受けられるし、費用に関しても国内であれば旅行先で自己負担を1万円ぐらい払ったとしても、後から還付されます。でも、施設の内容が同じように見えても、実は違うのです。医療職への支援に関しては、透析施設へのコンサルティング、職員研修。それに透析施設のスタッフ、看護師、臨床工学技士、ドクターも含めた人材紹介です。医療職への研修という点では患者と接するコミュニケーションスキルやスタッフ間のコミュニケーションなどのニーズもあります。透析は最低週3回、患者が来るので、通常の病院外来と違って、患者と接する時間が長くなります。このため、コミュニケーションが大事になります。現時点のビジネスモデルのひとつとしてはサイトの広告収入。今のアクセス件数は月で2万4000件ぐらいです。ビジネスとして成り立つのは最低でも1日1000件以上、月3万件以上と聞いているので、もう少しがんばらなくてはいけません。1日1000件以上のアクセスがあれば本当に自信を持って広告を募集できるようになると思っています。それと常勤ではありませんが、10月から同年代の職員を採用しました。その人も透析を受けつつ、電機メーカーに勤めていたのですが、9月末で会社を辞めることになり、「一緒にやりたい」と言ってくれました。今は妻が取締役になってくれていますが、まだ人を雇って給料を払う段階になっていないので、最初は成果報酬的な契約になります。

それと、企業から最近声を掛けて頂いているので、一緒に何かを作り上げる形にしたいと思っています。「じんラボ」を見たパソコンメーカーから「お話したい」という依頼が来たのです。それは透析中の時間を有効に使うためのツールやソフト等を一緒に開発するという話です。透析中は基本的には片手が使えません。でも、透析は4~5時間かかるので、単にテレビを観るだけじゃ勿体無い。何か「生産性を上げる何かができるのでは」と思っていました。透析中はテレビや本を見るだけじゃなくて、何か選択肢を広げるための方策です。むしろ、透析中だから邪魔されない面もあります。看護師が血圧測定で来る以外、邪魔されない時間と捉えることもできるので、「発想の転換で何かできたらいいな」と考えていました。そこでインターネットをしたり、テレビが観られるタッチパネル式のノートパソコンをアームで固定し、テーブルに備え付けたら患者が何をやるか、どういう行動をするか調査を始めました。話を持って来てくれた人は元透析患者です。今は移植したので透析を受けていないのですが、自分が透析していた時に退屈だったので、「こういうのがあったらいいな」と連絡してくれました。今は試験的に無料でやっており、先方とは「クリニックを2~3カ所に増やして検証しなきゃ駄目だ」と言っています。これから多分「もっと使いやすい方法はこれですよ」「こういう風にした方がいい」と意見が出ると思っています。さらに、透析患者の平均年齢は66歳なのでネットをやらない人も結構多いので、イベントを開催したり、「じんラボマガジン」という形でトピックス版みたいな内容を発行したりして、ネットだけじゃないリアルなものも作っていきたいです。今年5月にはイベントを開催し、日常的な受診や治療では指導を受けにくい運動療法について話し合いました。一応、「ソニー時代の年収を超える」という目標を掲げていますが、まだまだです(笑)。

患者自身が社会貢献の意識を

ペイシェントフッドを会社組織にしたのは「患者の新しい生き方に挑戦したい」という思いが理由。「自分は社会の負担で生かされており、金額の大小じゃなく社会に貢献する意識を持つことが必要」と訴える宿野部さん。患者自身が社会に少しでも参加・貢献しようという意識が重要であり、患者本人にとっても体調面で好影響を与えると話す。

もう1つ、最近は「患者スピーカーバンク」というNPO法人で、事務局長をやっています。これは患者目線の医療を目指す団体で、二分脊椎という疾患とがん経験のある喫茶店オーナーの鈴木信行さん達と運営している団体です。ここでは医学部生や薬学部生、製薬企業から「患者の気持ちをもっと知りたい」という依頼が来ます。今まで自分の関わってきた範囲では、患者のことを思ってくれる素晴らしい医療従事者もいますが、コミュニケーション能力が低い医療従事者も少なくありません。例えば、回診の時は完全に流れ作業。透析の場合、20~30人がベッドに寝ていますが、医者は検査の数字を見ているだけで、患者を診てない。それは会話や視線から分かりますし、「ここが痛い」と言っているのに触らないとか、「変わりないですよね」と言って通り過ぎる人とか色んな医者を見て来ました。でも、次の世代を担う医学部の学生から講演を依頼され、「患者目線の医療」に関心を持ってくれることは凄く嬉しいですね。

ペイシェントフッドを会社組織にしたのは「患者の新しい生き方に挑戦したい」という思いが理由です。患者団体としては、NPO法人の患者団体が既にあります。例えば腎臓病だと、「東京腎臓病協議会」という一番大きい患者会があり、腎臓病以外にもNPO法人の患者団体がたくさんあります。もちろん、病気の人を支援するNPO法人を作るのは素晴らしいことだし、私自身東京腎臓病協議会の理事をやっています。でも、「患者の生活を自立させる」というイメージの下、株式会社を作って自分の経験や思いを社会に価値として与えて、それに対する対価としてお金を頂き、利益を生む仕組みを作ることも大事なのではないか、と思ったのです。透析患者の中には家と病院を往復するだけのような生活を送る人もいます。確かに高齢者とか、体調が悪い人で病院に通うのも精一杯という人は仕方がないと思いますが、「ある程度は働けるけど、正社員になるには体力的にも厳しいので通えない」という人もいるんです。実際、自分も透析患者ということで、少し甘えていた点があったと思います。でも、計算すると、毎年500万~600万円の医療費をほぼ自己負担なしで透析を受けています。透析患者が全国約30万人ですので、国レベルで言うと年間で1兆数千億円。自分も透析を始めて27年目ですけど、1億円以上掛かっている計算です。それだけ自分は社会の負担で生かされているわけですから、金額の大小じゃなく社会に貢献する意識を持つことが必要と思っています。例えば、30歳代から就職のことで悩む透析患者は少なくありません。「今まで隠して働いていたけど、どうすれば良いか?」という相談です。その時は人事で働いたスキルを生かせます。患者が「社会に参加している」と意識を持てば、どんな形でも社会に貢献することになるはずです。同時に、患者本人にとっても体調面で好影響を与えると思います。透析患者はパソコンを使った自営業者や漫画家など個人事業主が結構多いんですよね。何かに役立っている感覚があれば、「透析のための人生」ではなく、透析を「自己管理の手段」、いわば「自分の夢や生きがい、趣味、楽しみのための透析」と考えられるようになります。透析に対する社会の理解はまだまだ足りませんが、社会貢献していけば周囲の理解も深まると思います。無理せず、甘やかさないサジ加減で、患者が社会に貢献できるような社会になって欲しいし、そういうことをペイシェントフッドや「じんラボ」でできたらいいなと思っています。

    • 元東京財団研究員
    • 三原 岳
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