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【書評】遠藤乾著『欧州複合危機:苦悶するEU、揺れる世界』(中央公論新社、2016年)

April 17, 2017

評者:池本大輔(明治学院大学法学部教授)

1.はじめに

本書は、現在のEUが直面する様々な危機の実態や原因に迫ろうとする極めて野心的な著作である。著者の遠藤乾は、日本におけるEU研究の第一人者であり、これまでも『ヨーロッパ統合史』(名古屋大学出版会)や『統合の終焉』(岩波書店)などの研究書を執筆・編集している。本書の内容にも、それらの研究成果が反映されている。

著者の狙いは、現在のEUが直面するユーロ危機、ウクライナ危機、難民危機・テロ、イギリスのEU離脱を「複合危機」としてとらえた上で、歴史的文脈に照らして検討し、政治的な要因を分析し、内的な連環を探ることにある。「複合」には三つの意味があり、①複数の危機が同時多発的に発生し、②それらの危機が連動し、相乗効果をもつ。③危機は国際、EU、加盟国、地域といった多次元で起きており、縦の連環を問うことなしには本質に迫れない、ことだという。加えて、遠藤は日本におけるEUの語られ方、ジェットコースター型の言説を問題視し、EUは危機にあっても下げ止まる一定の論理やメカニズムを備えていると主張する。

2.内容紹介

それでは早速内容の紹介に入ろう。本書の目次は以下のとおりである。

第Ⅰ部 危機を生きるEU

  1. ユーロ
  2. 欧州難民危機
  3. 欧州安全保障危機
  4. イギリスのEU離脱

第Ⅱ部 複合危機の本質

  1. 統合史のなかの危機―今回の危機は何が異なるのか
  2. 問題としてEU
  3. なぜEUはしぶとく生き残るのか

第Ⅲ部 欧州と世界の行方

  1. イギリス離脱後の欧州と世界
  2. 危機の先にあるもの

第Ⅰ部では、ユーロ危機、欧州難民危機、ウクライナ危機やパリ同時テロ事件といった安全保障上の危機、イギリスのEU国民投票、という2010年代に起きた複数の危機を一つ一つ描写している。続いて、第Ⅱ部はEUの抱える問題を政治学的に分析し、最後の第Ⅲ部では今後の危機の展開を占い、広く世界への含意を考察している。紙幅の関係上、本書評では第Ⅱ部以降に絞って各章の内容を簡単に紹介したい。

第5章は、統合の長い政治史の中に現在の危機を位置づけなおし、その危機の大きさや特質を推し量っている。遠藤が強調するのは、ヨーロッパ統合史は危機の歴史だったということである。「(ヨーロッパ統合の理念への支持が強かった)昔は良かった」という見方は一面的であり、リアルポリティークを「欧州の平和」「独仏和解」というレトリックで括っていた面を見逃している、という。

それでは、過去の危機と今回の危機はどのような意味で異なっているのだろうか。遠藤によれば、それは第一にEUが直面する課題の変化であるという。もともと、冷戦という文脈の中で、ドイツ問題に対する解としてヨーロッパ統合という選択がなされてきた。遠藤が「EU=NATO体制」と名付けた仕組みのもとで、ヨーロッパ統合は機能的に軍事安全保障をNATO(とその中心であるアメリカ)に外部化し、主に経済分野に限定して進んできた。冷戦終結によってEUは地理的に大幅に拡大し、共通外交安全保障政策の創設によりNATOとの機能的な棲み分けも不明確になった。しかしそれでも、現在でも残存するドイツ問題と、対ロ政策に関してはEUは比較的構えができている。それに対して、最近のイスラム過激派によるテロ事件の背後にあるのは、ジハード主義という反自由民主主義的な考え方である。この新手かつ本格的なイデオロギー的挑戦に立ち向かううえで、EUのつくりはフィットしていない、と遠藤は指摘する。

過去の危機と現在の危機のもう一つの違いは、危機の性質が外交危機から社会・経済・政治危機へと変化したことである。1950年代や60年代の危機とは、基本的に外交の舞台で主に政府と政府が繰り広げるドラマだった。しかし1980年代以降のEUは、単一市場の創設や単一通貨ユーロの導入をつうじて市民生活に直接影響を与えるものとなり、その危機はより深刻で重大となった。とりわけ、ユーロ危機は、EUによる支配の正統性自体が問われるような事態を招いている。

第6章では、現状のEU自体がいかなる意味で問題の解決でなく問題の一部になってしまっているかが分析される。本章は個々の危機を別々に扱うのではなく、危機横断的にEUを取り巻く中心的な問題を洗いなおそうとするものである。具体的には、アイデンティティと連帯、デモクラシーと機能的統合、自由と寛容、国民国家の断片化と再強化という四つの問題が取り上げられている。

遠藤によれば、EUが問題の一部になってしまった一因は、その権限が増加するのに対し、それを支えるヨーロッパ・アイデンティティが脆弱なことにある。ユーロにしても、人の自由移動を保障するシェンゲン協定にしても、あるいはテロ対策にしても、機能的にEUを強化しないとうまく課題に対処できない。たとえば、ユーロ危機の抜本的解決のためには、ドイツ(のような豊かな地域)からギリシャ(のような貧しい地域)への再分配が必要であり、テロリストが人の自由移動を悪用するのを防ぐためには、各国政府間の機密情報の共有を進める必要がある、と遠藤は指摘する。しかし、それを支えるほどの民主的正統性がEUに備わっていないため、機能強化が進まない。それに対して、EUの自由と寛容という理念が昨今の難民危機で失われたという言説は、それが例外的状況で起きていること、リベラルであるためにはメンバーシップの制限が必要であることを見逃している、と遠藤は主張する。EUとリベラルな価値観の結びつきが失われていないことは、終章でも強調されている。危機に直面しているのはEUだけではなく、国民国家・地域を横断する形で発生している。市場・通貨統合の結果、豊かな都市や地域への集積効果が働き、一部の地域が発展から取り残されることや、スコットランドやスペインのカタロニア地方のように、比較的豊かな地域が当該国家からの独立を希求するケースもある。

第7章は、そうした問題にもかかわらず、EUが崩落せずにいる要因が何であるか説明しようと試みている。EUの存在事由としてよく取り上げられるのは、平和・繁栄・権力(国際的影響力)の三つである。平和が安全保障危機、繁栄がユーロ危機によってそれぞれ脅かされる中、権力こそEUを存続させている最大の要因かもしれないと遠藤は指摘する。ここには、著者と鈴木一人との共編著『EUの規制力』にみられる、EUの国際的影響力に対する関心が反映されている。EUが各国にとって必要なもう一つの理由は、デモクラシーが機能するためには、全ての決定が民主的に選出された政治家によってなされるのでなく、一定程度のテクノクラシー(専門家による支配)が必要なことだと、遠藤はいう。EUはまさにそうした機能をつかさどる組織だというわけである。もっとも、(遠藤自身が認めるように)EUの国際的影響力やテクノクラシーの必要性に立脚する擁護論が、エリートはともかく一般的な人々からみてどれだけ説得力を持つかは疑問の余地がある。

結局のところ、EUやヨーロッパの将来を左右するのは、中心国ドイツのデモクラシーである。仮にドイツで反EU的な姿勢をとる極右勢力が権力を掌握するような事態がおこれば、EUとヨーロッパ秩序の底が抜けてしまうが、そのようなことは少なくとも現時点では起きそうもない。

第8章は、イギリスの離脱が、EUにとって財政面、外交・軍事面で打撃になることを踏まえた上で、EUがこの危機を乗り越えるためには機能強化・集権化が必要であると説く。危機の解決策が模索される中で、ドイツがEU内でもつ影響力が強まりつつあるという見方は一面では正しいが、いまヨーロッパで必要とされるのは、ドイツによる責任ある権力の行使だという。一部の加盟国における反EU的な世論の高まりやポーランドやハンガリーのような一部の東欧諸国において反自由主義的な政治潮流が強まりつつあるという事情が変わらないとすると、集権化の意思を持つ一部の加盟国がEUの中核として結集し、いっそうの統合を推し進めることになるかもしれない、と遠藤は予測する。

遠藤によれば、イギリスのEU離脱は、先進国が抱えるグローバル化・国家主権・民主主義の間のトリレンマを、劇的な形で「見える化」してしまった。つまり、EUの問題は、先進国が大なり小なり抱える問題でもあるのである。ここでいうグローバル化・国家主権・民主主義の間のトリレンマとは、この三つのうち二つまでしか同時には実現できないというトルコ出身の政治経済学者ロドリクの議論である。ロドリクによれば、「グローバル化と国家主権」の例は19世紀の国際金本位制や最近の新自由主義的な路線であり、「グローバル化と民主主義」の組み合わせ(とその困難さを示す)のがEU、グローバルな経済統合を限定することで「国家主権と民主主義」を両立させたのが第二次世界大戦後のブレトンウッズ体制である。遠藤はブリグジットやトランプ現象の背後に「グローバル化と国家主権」の組み合わせの中で疎外された層の不満があり、それに対処する必要性があると指摘する一方、「国家主権と民主主義」の道もグローバル化をキャンセル出来るわけではないとして退ける。遠藤によれば、現在求められているのは、トリレンマを緩和(三つを可能な限り高いレベルで両立させるという趣旨だと考えられる)するような包括的構想である。具体的には、国際的な資本移動への規制や課税逃れへの対処、国内における中間層への支援が提案されている。

終章は、改めてEUの是非を論じ、リベラリズムの行方を問うことが目的とされているが、興味深いのは、EUが直面する危機の背景に、アメリカが提供していた国際的なインフラや、経済成長や労使協調といった国内インフラの動揺があるという指摘である。この点については、下記の論点の箇所で詳述しよう。

3.論点

既に述べたように、本書は現在のEUが直面する様々な危機について包括的な説明を与えようとした極めて野心的な著作である。EUのみならず、グローバル化の中で先進国の民主政治が抱える問題について関心のある者にとっても必読の文献と言えよう。と同時に、以下でみるように、幾つかの疑問点がないわけではない。

(1)「複合」危機か「構造」危機か?

遠藤は本書の冒頭で現在のEUが直面する様々な危機を複合危機として捉え、危機相互の関係に着目すると述べている。しかし本書の第Ⅱ部や第Ⅲ部の分析の大半は、危機相互の関係というより、様々な危機を引き起こしている共通の原因に着目したものだと思われる。とするば、複合危機よりも構造危機という表現の方がより適切ではないだろうか?

より本質的な問題点は、複合危機という定式化によって、どこまでがEUに起因し、どこからが外部に原因がある危機なのか、或いはどこまでがEUの危機であり、どこからがEUは主たる当事者でない危機なのか、曖昧になっていることである。例えば、ユーロ危機にしても原因の一端はグローバルな金融危機にある。難民危機の原因は中東のシリア・イラクでの紛争にあり、EUが受け入れた難民は難民全体のごく一部の割合に過ぎない。仮にEUが存在しなくても、難民がヨーロッパ諸国に押し寄せれば各国で危機が起きただろう。スコットランドの独立運動にしても、EUに起因する程度は論争の余地があり、EUの将来にどの程度の影響を与える問題なのかも明確でない。

(2) EUの危機を説明する上で、アメリカ要因を軽視しすぎではないか

上の問題とも関わるが、本書ではアメリカが国際社会で果たす役割の変化とEUの危機との関連について、最終章までほとんど言及されることがない。遠藤はドイツ問題やロシアの安全保障上の脅威に対して、EUは比較的構えが出来ていると主張する。しかし冷戦期にEUがこれらの問題に対処できたのは、(遠藤が別の箇所でいうように)アメリカとの間で分業関係が成立していたためであり、アメリカの果たす国際的な役割が縮小すれば、ウクライナ危機や難民危機が示したように、EUにとって大きな問題を引き起こしかねない。

歴史的にみて、アメリカの国際的影響力の低下は、短期的にはEUの危機を引き起こす一方、長期的には新たな統合の進展の触媒役ともなってきた。ヨーロッパがアメリカから自立を図った時点や、成功の度合いは問題領域により異なる。現在のEUが通貨問題や安全保障問題で抱える危機は、アメリカの後退が残した穴をEUが完全には埋めきれていないことに一因がある。

国際貿易では、アメリカの支援に依存した欧州決済同盟(EPU)が1958年に解散し、欧州経済共同体が設立された時点で、自立を達成した。通貨問題では、戦後創設された国際的な固定相場制(ブレトンウッズ体制)がアメリカの経済的な低迷を背景として1973年に崩壊し、欧州通貨の共同フロートがスタートした。これが通貨統合への第一歩である。通貨統合がEUのアメリカからの自立性を高める一方で、独仏間の力関係を前者に有利に変え、ドイツ問題を複雑化することは当初から認識されていた。ユーロ創設はそれを是正しようとする試みであったが、目的を達成したとは言い難い。これに対して、安全保障面では、冷戦終結後、EUは周辺地域の紛争に対処する役割(危機管理)を担うようになったが、領域に対する攻撃への対処(共同防衛)はNATOの役割であり、アメリカからの自立は限定的にしか試みられていない。

(3) 危機の解決策について

遠藤の前作である『統合の終焉』では、EU憲法条約の挫折によって「大文字の統合(欧州合衆国への道)」は挫折したが、「小文字の統合(権限のEUへの委譲)」は持続すると主張されていた。しかし本書がいうように、EUがユーロ危機を解決するために財政統合を行い、テロ対策のためにシェンゲン圏で国家機密の共有を推し進める必要があるなら、それは(参加を想定しているのが一部の国だけとはいえ)欧州合衆国を目指すこととどこが違うのだろうか?

(4) 危機と資本主義のバラエティ

本書ではほとんど触れられないが、グローバルな経済危機やEUの危機を説明する上で「資本主義のバラエティ」は欠かせない視点ではないか。「資本主義のバラエティ」とは、同じ資本主義国家でも金融―産業関係、労働運動の構造、福祉国家レジームといった様々な領域で多様性がみられることを指す。先進国を対象とした議論では「市場型」資本主義や「協調型」資本主義という類型が用いられることが多い。

グローバル経済が一体性を強める中で、各国の経済構造や経済政策の違いから生じる対立をどのようにマネージメントしていくかが大きな問題となっている。ラグラム・ラジャンは『大断層』の中で、アメリカ型資本主義と日独中・アジア型資本主義の齟齬に由来する、グローバル経済の不均衡(ドイツ・日本・中国・アジア新興国が経常黒字でアメリカが経常赤字)が金融危機の原因だと指摘している。ユーロ危機ではギリシャなど南欧諸国の財政危機に焦点があたりがちだが、実際には域内の経済的不均衡(ドイツなど北欧諸国が経常黒字でギリシャなど南欧諸国が経常赤字)が主たる問題であり、その背後には北欧型資本主義と南欧型資本主義の齟齬がある。本書は言及しないが、イギリスのEU離脱の背景には、EUが金融規制を導入(とりわけ銀行家のボーナスの上限を設定)したことへの反発があり、ここにも金融業に依存するアングロサクソン型資本主義と大陸型資本主義の対立を見ることができる。

4.おわりに

グローバル化は国境を越えた自由な経済活動を意味するが、それには人(移民)・モノ(貿易)・資本・サービスの4つの側面がある。遠藤はイギリスのEU離脱やトランプ現象はグローバル化に対する不満を反映したものだという。しかしイギリスのEU離脱派が標的としたのはもっぱら移民であり、トランプはそれに加えて自由貿易をも批判の対象としている。それと引き換え、グローバルな金融危機の直後にみられた、資本の自由移動に対する批判や金融規制の強化を求める声はかき消された感がある。これは金融危機がグローバル化に対する反発が高まるきっかけだったことを考えると皮肉な事態である。このように、イギリスのEU離脱派やトランプが、グローバル化批判の矛先を金融業から逸らすことに成功した点には留意が必要だろう。グローバル化をめぐるトリレンマの解消への道は嶮しい、と言わざるを得ない。

    • 明治学院大学法学部教授
    • 池本 大輔
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