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【書評】ポール・ケネディ著・伏見威蕃訳『第二次世界大戦 影の主役 勝利を実現した革新者たち』(日本経済新聞出版社、2013年)

April 1, 2014

評者:畑野 勇 (公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所研究員)



第2次世界大戦における戦局の転換は、1943年から44年の半ばにかけて生じている。43年1月のカサブランカ会談の時点において、枢軸側は広大な占領地を有し、戦争開始時に保有した戦力も大部分は残っており、あるいはかえって強大となっていた。それが翌年6月から7月ごろになると、イタリアはすでに降伏し、ドイツと日本はともにすべての戦線において退却を余儀なくされていた。独日両国とも兵器生産はピークを迎えていたが、実戦に投入されたそれらの兵器の戦力は連合軍のそれにはるかに及ばず、敗勢を覆すことは不可能となっていたのである。
この戦局転換はいかなる過程をたどったのか。著者は、物量や兵器の質(性能)の単純比較ではなく、連合軍がいかなる戦略や作戦・運用・戦術を生み出したか、その革新を生み出したのはどういう人物(あるいは組織)であるのかに着目して本書を執筆している。叙述の対象は、上記の時期における、


(1)大西洋でのドイツ軍潜水艦(Uボート)の活動を制圧して海上輸送路(シーレーン)を確保した英米輸送船団の戦い
(2)ドイツ空軍機の爆撃から英本土を防衛し、その後ドイツ本土への戦略爆撃を敢行したイギリス空軍の苦闘と勝利
(3)アフリカ戦線と東部戦線でそれぞれドイツ装甲軍団の電撃戦と猛攻に耐え、やがて反攻を成功させた英ソ両陸軍
(4)多国籍かつ陸海空の軍種からなる連合軍が1944年6月のノルマンディー上陸作戦を成功させるにいたった、水陸両用作戦の進展
(5)広大な太平洋を進撃して日本本土に進攻できるための道具(ツール)としての水陸両用戦部隊(海兵隊)・高速空母群・B29爆撃機・飛行場建設工兵隊(CB)の戦力化

の5つであり、これら(1)~(5)のストーリーが本書のそれぞれの章を構成している。本書には、高性能な航空機や潜水艦、あるいは装甲車両の名称が随所に登場する。たとえば第1章では、小型のセンチ波レーダーや対潜前投爆雷(ヘッジホッグ)の実用化や長距離爆撃機・護衛空母の投入が、また第2章ではドイツ本土への長距離爆撃行に随行して迎撃戦闘機の抵抗を排除しうる高性能戦闘機P51ムスタングの開発経緯が語られる。第3章で言及されるソ連製戦車のT34と同様に、これら新兵器の登場や実戦での活躍は、第2次大戦において使用された兵器にひとかどの知識を持っている読者に馴染み深い話であろう。ただこういった兵器は、連合軍の勝利に貢献した一つの要素にすぎず、勝敗を分けたのはそれらを生み出した集団や組織のあり方であったと著者は説いている。
では、それら集団や組織のあり方として、どういう点が重要であるのか。結章「歴史上の間題解決」において、著者は「奨励の文化」あるいは「新機軸を用いる文化」の重要性を掲げる。5つの章における分析を通じて、著者は「大戦争に勝つには優れた組織がつねに必要だし、その組織を動かす人間が必要になる。偏狭ではなく、とことん有能な組織運営で、勝利を目指して新鮮な発想を外部から取り入れるような流儀でなければならない」(425ページ)と結論し、これらの考察が他の多くの分野にも適用できると結んでいる。


本書は、第2次世界大戦での連合軍の勝因について、民間と軍の両方の中小規模な集団・組織に焦点を当てて分析を行ったものである。たんに指導者の資質や個々の兵器の性能、あるいは物量に限定することの不可を説き、直面した難題を解決した上記の人々(著者は「広義の『工学者』」と呼んでいる)の役割を重視し、ヨーロッパ・太平洋両地域での戦局の転回の原動力であったと指摘している。
著者は、連合軍の勝因としてしばしば挙げられる「イノベーション」「総合的国力の差」「物量で圧倒」「科学技術開発の勝利」などのような、多用されるが抽象的あるいは曖昧な表現を排し、1943年から44年にかけての局面転換を描き出した。本書の価値は、このような視角の斬新さと、壮大な叙述のスケールにあるといえよう。
一方で、本書を読み進めるにあたっては、学術書としても啓蒙書としてもいくつか難点が見られる。まず何より、組織のあり方を謳っていながら、叙述の重点が大戦期の兵器の登場や科学者、あるいは指揮官の言動に偏っており、兵器開発組織の生成や発展に関する分析が不足気味の印象がある。
たとえば著者は第2章で、第1次世界大戦で登場した新軍種である航空機の活用法(戦略爆撃の有効性)をめぐる議論が両大戦間期に発生し、第2次世界大戦でそれら議論の正確さがどのように立証されたかについて言及を行ってはいる。しかし軍事史研究の分野では、1920年代以降の米英ソ独仏日の各国で航空分野の学校が新設され、航空機の生産開発運用や作戦実施の研究が組織的に開始されていたことが従来から明らかとされている。さらに、(日本では開設されなかったものの)陸海(空)軍の統合作戦や国家総動員体制を研究するための高等軍事学校も1930年代に各国で新設あるいは増加が相次ぎ、これら学校で学んだパイロットや工兵ら基幹要員が大戦中にそれぞれの分野で要路を占めたことについても研究の蓄積が存在する。
このような学校教育制度の整備や、人材の活用(日本の軍事史研究者の間では、エンジニアをはじめ民間人の活用において日本軍が拙劣であったことは早くから注目され、敗戦の大きな原因と見なされていた)の様相をフォローして比較に基づいた分析結果を提示するなどすれば、学術上の価値が高く、あるいは一般の読者の知的関心に応えうる作品になったのではなかろうか。また組織の設置運営に関しては、財政面からの考察や軍需物資、あるいは人的資源の動員をはじめ、コストの観点からの考察も必要であったと思われる。
本書の扱う範囲は文字通り世界大であって、個々の時期における戦争の様相の明快な構図の提示や計数的な分析は、著者のような練達の歴史家にとっても手にあまるものであったと想像されるが、膨大な分量に対して図表がごくわずかでしかないこの書物を読み進めると、主題に則した対象(具体的な読者層)が不鮮明で、啓蒙にも学術的利用にも使用しにくいという印象を受ける。そして、太平洋戦線の様相を記した第5章については、著者が参照した書物がほとんど英語文献で占められていることから生じた限界と思われるが、戦史や兵器の専門家でなくとも日本の読者から幾多の誤りが指摘されることは確実と思われる。

では、いわゆる兵器マニアや軍事史研究者以外の読者(とくに日本における、安全保障や外交に関心を持つ読者)にとって、本書の価値はどこに見いだせるであろうか。評者の牽強付会という批判を受けることを承知の上で一つあげるとすれば、この本は、現代の軍組織のあり方や兵器の研究開発体制を形作る「兵器体系(Weapon System)」の視点の重要性を提示しているという点で、他に類を見ない書物といえる。
第2次世界大戦の以前と以後の国防(あるいは安全保障)における兵器開発や生産、そして運用面での大きな変化は、「個々の兵器ではなく、それを含む一つの完結したシステム全体を設計して運用する」という思想が支配的となったことである。その「システム」とは、開発から生産・補給・搬送・攻撃というような一連の動作に必要な施設や器材の系列であり、いつからか「兵器体系」と呼ばれて戦闘手段の一単位として重視されるようになった。
大戦以前や大戦の初期では、それぞれの兵器が戦闘の諸局面に応じて使用された。日本軍の大和型戦艦やゼロ戦など、枢軸側の兵器はそのような使用法において、大きな戦力となったことは確かである。しかし大戦中期以降では、航空機や艦艇・戦車などは単独では使用されずレーダーやソナー、あるいは通信機器と組み合わされて、かつ、それらを指揮誘導管制するシステムのもとで大きな威力を発揮するようになった。本書の5つの章は、連合軍がそれぞれの戦闘の過程でこのシステムの構築に(試行錯誤の末に)成功して1944年に枢軸側を圧倒しうるに至ったこと、そのノウハウがまた、陸海空の異なる軍種間での統合作戦にも役立ったことを物語っている。
第2次世界大戦は、交戦各国の平時の工業生産能力をすべて軍需生産に転換した総力戦であった。同時に、兵器の性能や生産技術の高度化によって、そのような戦争の長期間の遂行がもはや不可能であることも広く意識され、戦後の各国では「平時の工業生産能力と軍需生産能力との配分」という課題への対処が必要とされた。その背景のもと、高度な技術に支えられた総合的な「兵器体系」の構築という視点が大戦終結以降現代に至るまで、先進諸国の国防や安全保障のキー概念となっている。著者はそこまで叙述していないものの、本書を読むとその「兵器体系」概念の起源が、主として大戦中における連合軍の経験に基づいていることが読み取れるであろう。
ひるがえって戦後日本の安全保障政策史を鑑みると、兵器の開発や調達、あるいは米軍との共同作戦構想をめぐって、いかなる「兵器体系」あるいは「装備体系」が構築されるべきであるか(あるいは、財政面や文民統制上、そのような視点に問題はないのか)ということが、かつては広く国内で議論され、また学術的な研究の対象となっていた。しかるに冷戦の終結ごろを境として、そのような風潮は日に日に消えつつある。
こんにち我々国民が兵器を観察評価する場合には、個々の艦艇や航空機あるいは戦車などの性能や価格にとどまらず、それぞれの「兵器体系」を構成する要素として測定しなければならない。にもかかわらず、そのような体系のもとでの戦力的価値の詳細を、(原理はともかくとして)国民が知る機会はほとんどなくなっているのが現状である。本書は現代日本の防衛や外交を扱ったものではないにもかかわらず、そのような観点からの考察の機会を提供してくれるという点で、大いに価値があるものといえよう。
    • 公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所研究員
    • 畑野 勇
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