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TPPを契機に農産物間の差別を止めよ

November 4, 2011

原田 泰
東京財団上席研究員・大和総研顧問

伝統は異文化に鍛えられたもの

日本社会は黒船の来航によって大きな変化を遂げた。開国がすべて望ましい変化をもたらしたとは言えないかもしれないが、多くの人々がより豊かに、より自由に、より幸福になったのは事実である。異なる社会からの衝撃は、政治的、経済的、社会的に多くの混乱をもたらしうるが、それを乗り越えて、取り入れるべきものを取り入れ、取り入れるべきでないものを拒絶した結果として現代の日本がある。

文化は、他者との出会いの中で鍛えられ、また伝統となっていくものである。夫婦の姓が同一であることも明治以降に成立した文化である。銀閣寺を建立し、伝統的な日本家屋のスタイル、侘び寂びの美意識をもたらした室町将軍足利義政の妻は、日野富子であって足利富子ではない。エリートしか姓を持たなかった日本人が姓を持つようになったのは、すべての国民は平等の立場で近代国家の建設に邁進すべきであり、そのために平等に姓を持つべきだと維新のエリートが考えたからである。また、夫婦同姓が先進の欧米列強諸国の制度である以上、それを導入するのは当然と考えたからだろう。さらに、夫婦同姓の戸籍制度は、国民を管理するうえでも効率的と考えたからだろう。夫婦同姓自体も日本の伝統ではなく、優れた制度を導入しようとする意欲こそが日本の伝統というべきだ。

TPPとは何か

TPP(環太平洋経済連携協定)は、日本と世界の中で、あらゆる資源-財・サービス、資本、労働、経営、技術、文化をより自由に移動させようという試みである。TPPはニュージーランド、チリ、シンガポール、ブルネイの4か国が、自由化のレベルの高い経済連携協定を2006年に発効させたことから始まる。確かに、環太平洋の国々だが、国内の保護措置が少ない小国が結んだ小さな協定に過ぎないとされていたが、2008年にアメリカがTPPへの参加を表明したことから大きな注目を浴びることになった。現在、当初の4か国に加えて、アメリカ、オーストラリア、ペルー、マレーシア、ベトナムが加わって9か国でTPP交渉が行われている。これに日本も参加するかどうかが焦点になっているわけだが、大きな議論が巻き起こっている。

自由な貿易が、総体として国家に利益を与えるのは自明である。自由な貿易によってエネルギーが供給されなければ、日本の工場もコンピュータも交通機関もトラクターも動かず、夜は暗いままである。関税や割り当てをかいくぐって様々な食品が輸入されることによって、私たちは様々な味覚を楽しみ、また食料価格をそうでない場合よりも安価にすることができている。しかし、自由な貿易がすべての人に利益をもたらす訳でもないことは事実である。自由貿易の恩恵が、産業ごと、人間ごとに異なるのは事実である。また、国は人であり、国土である。特定の人や産業の既得権益を守らなくても、国を守るのは当然である。

黒船の来航によって、旧来のエリートたる武士はその特権を奪われ、多くの武士が困窮に陥ることになった。もちろん、少なからぬ武士は、軍事訓練(旧式のものであったが)と読み書き能力と儒教による抽象的思考能力の訓練を生かして、軍人、官吏、教育者、実業家への転身を果たしたのである。

国際交渉の原則は相互主義

TPPは財の移動のみならず、食品安全、医療、環境規制、労働、専門職、金融規制、知的財産権にかかわる広範な問題を扱うものである。したがって、貿易の自由化によって打撃を受けることが懸念されている農業のみならず、医療関係者、労働者、消費者も心配している訳である。この短い論考で、すべてを問題にすることはできないが、TPPの交渉での要求は、自国と同じようにせよというのが原則である。

農業については、アメリカは、オーストラリアやニュージーランドの酪農製品に対して競争力がないので自国製品の関税維持を要求することになるだろうが、それ以外では関税の撤廃を求めるだろう。日本は、アメリカが酪農製品について要求している程度の関税を求めることができるだろうが、日本が必要としている関税の程度は、アメリカより格段に大きいので、日本は農業製品についての大幅な関税引下げ、ないしは撤廃を求められるだろう。

しかし、食品安全、医療、環境規制、労働、専門職、金融規制、知的財産権は、アメリカも日本と大きく異なる立場を採る訳ではない。アメリカ国民も食品の安全や環境保護に関心を持ち、民主党政権に対して強力な政治力を持つ労働組合も労働保護に熱心である。TPPによって各国の食品安全、環境規制、労働保護の程度を大幅に緩和することなど考えられない。知的財産権については、日本もアメリカとともに強化を望んでいるわけであり、それが国際的取り決めの中で強化されることは日本の国益である。また、単純労働者の受け入れについては、アメリカも望まず、TPP参加国のオーストラリア、マレーシア、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイも望んでいない。いずれにしろ、広範で技術的な問題については具体的に考え、もし、日本の利益にならないことがあるというのであれば、それは現実に即して徹底的に議論するしかない。この一部については、この欄で不定期であるが発表して行きたいと思っている。

農業はどうなるのか

農業以外のことについて、これまでと大きく異なるとは考えにくいとしても、農業はどうするのかという反論があるだろう。TPPは、原則としてすべての産業-当然に農業の貿易自由化を求めている。ここで2つのことを指摘したい。第1は、自由化にも例外措置があり、かつ経過措置も認められているということである。すなわち、10年で少しずつ関税を引き下げていることは認められている。第2は、TPPは、関税や輸入割り当てなどの国境での保護措置の撤廃を求めているのであって、それ以外の保護の廃止を求めているわけではないということである。すなわち、農家戸別所得補償などの保護は可能である。その財源はどうするのかという議論があるだろうが、財源はある。国境保護を撤廃するということは農産物価格が安くなるということである。安い農産物で得られた消費者の利益を、所得補償によって農家に分配すればよい。

日本の農産物の国境保護で奇妙なことは、同じ農業でありながら、農産物によって保護の程度があまりにも異なることである。農業の総生産は2009年で5.7兆円であるが(内閣府「経済活動別国内総生産」)、野菜、果樹など3割の農業はすでにほとんど保護されていない。TPPで打撃を受けるのは、残りの7割の4兆円を生産しているコメ、小麦、砂糖などの農業である。4兆円が半値になると農家は2兆円損をする。しかし、消費者は逆に2兆円得をする。さらに、経済全体では利益があって、内閣府の推計によると、TPPに日本が加盟した場合の経済効果は2.7兆円である。これが「10年間で2.7兆円、1年にすれば2700億円にすぎない」と理解されて、誤解を与えているが、10年後に2.7兆円である。正確にいうと、これは均衡モデルの値なので、調整が済んだ後ではTPPに加盟しない場合に比べて2.7兆円GDPが増えているという意味である。10年と言ったのは、10年後であれば調整が済んでいると考えてのことだろう。

10年後に2.7兆円であれば、2兆円を農家に配っても経済全体では得をする。その分を戸別所得補償として農家に配れば、農家の所得は減らない。なお、一挙に関税を撤廃するわけではないから、2兆円配らなければならないのは10年後である。さらに日本の農家の平均年齢はすでに65歳である。戸別所得補償予算も長期的には削ることができるだろう。高齢化した農家は、意欲のある農業経営者に農地を委託する。日本の農業規模は拡大し、生産性も上昇する。

なぜコメだけを可愛がるのか

前述のように、日本は、同じ農林水産業でありながら、農産物によって保護の程度があまりにも異なる。例えば、大豆、トウモロコシの関税率は0%であり、野菜の関税率も3~9%である。それに対して、こんにゃくいも1700%、コメ778%、タピオカでんぷん583%、バター360%、砂糖328%、小麦252%、いもでんぷん234%、脱脂粉乳218%、牛肉38.5%、オレンジ40%(季節により20%)、加工用トマト20%である。

食糧自給率が重要なら大豆、トウモロコシの関税はなぜゼロなのだろうか。畜産農家に安い飼料を提供して保護するためであるとしたら、なぜ砂糖や小麦の関税を下げて、食品産業を発展させようとしないのだろうか。食糧の安全保障が重要なら、カロリーのないこんにゃくいもを、カロリーのあるいもでんぷんより高度に保護するのはなぜだろうか。

こうしてみると農産物の中にも差別があるような気がする。明治維新のときには士農工商の差別を止め、国民誰でもが近代化のために活躍できるようにした。それが日本を近代的な国民国家にしたのである。農産物の関税も一律に改め、差別を廃止するべきではないか。

食糧の安全保障はよい。しかし、まず、カロリーの維持を第一に考えれば、関税率はカロリー当たりで平等にすべきではないか。さらに、カロリーだけを維持しても、ビタミン不足では脚気や壊血病になる。これらを供給できる食糧も大事だ。複雑に考えて、煩雑だが合理的な関税体系を作るのも一案だが、すべての農産物を平等に保護するというのも一案である。TPPを契機に、まず農産物間についての士農工商の差別を廃止するべきである。これが農業についての明治維新ということになる。

    • 元東京財団上席研究員・早稲田大学政治経済学部教授
    • 原田 泰
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