安全保障研究プロジェクト
日本の安全保障政策の課題:「防衛計画の大綱」と「荒木レポート」の再検討を通じて
2007年7月13日(金)に安全保障研究プロジェクトは第1回会合を実施し、「日本の安全保障政策の課題」というテーマにて討議を行った。当日は当プロジェクトメンバーの他、外務省・防衛省・自衛隊より複数のアドバイザーが出席し、議論に加わった。
第2回会合では、神谷万丈メンバー(防衛大学校教授)より「日本の安全保障政策の課題:『防衛計画の大綱』と『荒木レポート』の再検討を通じて」と題する冒頭報告を行い、その後メンバー・アドバイザー間で自由討議を行った。
1.神谷万丈メンバーからの報告要旨
(1)「防衛大綱」の評価と問題点
「防衛大綱」(平成17年度以降に係る防衛計画の大綱)の全体的な方向性については、異論を唱える余地の少ない文書である。とりわけ1. 9・11テロ後の新たな安全保障環境に対応した安全保障政策を示すとしている点、2. 世界全体の安全保障状況と、日本周辺の安全保障状況を区別して記述した上で、日本の行うべき安全保障努力を、自助、米国との協力、国際社会との協力に分けて示している点、3. 日本に対する本格的侵攻の蓋然性が低下していることを明確にうたっている点、4. 唯一の超大国である米国の役割を明確に認めている点、5. 日米同盟を重視し続ける姿勢を明確にした点、6. 北朝鮮の脅威に直接言及している点、7. 中国の将来に対する懸念を明確に打ち出している点、8. こうした認識に基づき、基盤的防衛力構想の修正を打ち出した点、9. 国際平和協力活動を自衛隊の本来任務に含める方向性を打ち出した点、10. 多機能で弾力的な実効性のある防衛力整備の方針を打ち出した点、11. 情報機能の強化を打ち出した点、などにその特徴を捉えることができるが、いずれも基本的には妥当である。
「大綱」発表以降2年半余りの間に、こうした方針に基づいた政策が実際に構想され、実施に移されていることは評価できる。しかし「大綱」の問題点としては下記のような点が挙げられる。第一に、安全保障政策の「目標」に関する議論が弱い。総じて、目標に関しては「ごもっとも」な記述にとどまり、異論はないが物足りない印象が残る。日本の行うべき安全保障努力を、自助、米国との協力、国際社会との協力に分けて示したのはよいが、それぞれにおいて、日本が何を具体的な目標とするのかがはっきりと示されていない。また、それとの関連で、自助以外の部分で、日本が軍事力(自衛隊)にどのような役割を与えていこうとするのかがはっきりと示されていない(自助に関しては、IVの(1)、(2)に一応の記述がある)。たとえば、「我が国の平和と安全及び国際社会の平和と安定を確保するため」に策定された大綱だとされている割には、「国際社会の平和と安定を確保するため」に日本が具体的にどのようなことをしようとするのかがほとんど記述されていない。たとえば、「III 我が国の安全保障の基本方針」の「1 基本方針」で示されているような内容だけでは、国連安保理の常任理事国を目指す国が(しかも国際平和協力活動を自衛隊の本来任務とする方向性を新たに打ち出しているにもかかわらず)安全保障政策の基本方針を示す文書に掲げる目標としては、あまりにも貧弱なのではないか。また、IIIの1では、本来は目標達成のための手段であるはずの国際協調が、それ自体目標であるかのごとき書き方になっている(国際協調の自己目的化は戦後日本の外交安全保障政策の大きな問題点の一つ)。また、日米同盟は日本の安全保障にとって「必要不可欠」だとうたわれているが、その理由の説明がほとんどない。
第二に、「大綱」が「防衛政策」についての文書なのか、「安全保障政策」についての文書なのかはっきりしない。本来は、「防衛政策の大綱」の上に、より広い「安全保障政策の大綱」があるべきなのではないか。そのような文書を作るには、日本の安全保障戦略の明確化が不可欠である。
第三に、現状認識が弱い。日本が直面している脅威について、「新たな脅威」が中心だという認識は、やや米国のコンセプトに引きずられているきらいがないか。前の大綱の策定時には、その認識が妥当だといえたであろうが、その後の北朝鮮問題の展開や中国の台頭などにより、日本は、むしろ伝統的な外敵の軍事的脅威への備えを考えなければならないという状況に直面するようになったのではないか。日本は、東アジアという、ほとんどの国家が「近代圏」に属する地域にあるため、現在でも、非国家主体以上に国家の脅威を問題にせざるを得ないのでは。「本格的侵攻」の蓋然性が低下しても、日本は、依然として伝統的脅威に直面しているのではないか。そもそも、大綱が「新しい脅威」として列挙しているものは、日本にとって、本当に「新しい脅威」なのか。たとえば、WMDの問題は、日本にとって新しい脅威と言えるのか。また、IVの1の(1)のア~オのうち、イ以外は、従来から総合安全保障を唱えてきた日本にとっては、必ずしも新たな脅威とは言えないのではないか。
第四に、安全保障環境に関する認識に必ずしも整合しない概念が残存している。たとえば、専守防衛については「新しい脅威」に対する専守防衛とは何を意味し得るのか?さらに「基盤的防衛力構想の有効な部分を継承する」とは、具体的にはどういう意味なのか。
第五に、日本の安全保障政策の中で軍事力が果たす役割が依然として不明確なままとなっている。たとえば、国際平和協力に自衛隊を活用する方針は明確にされたが、どのように活用するのか(非軍事のみか軍事を含むか)には言及がない。日本の防衛に果たす自衛隊の役割については、従来の、「限定的小規模侵略に対する拒否力」という位置づけをはずしたが、それに代わる位置づけが示されているとは言えない。
(2)日本の安全保障論に依然として欠落している視座
冷戦後の日本の安全保障政策の展開は、戦後平和主義に内在した2種類の消極性を克服しようとする試みが、同時並行的にではあるが、それぞれが独立した形で別個に進められてきた(あるいは進んでこなかった)プロセスとして理解することが最も適切である。
湾岸戦争以来の十余年で、第1の消極性(平和のために行動する意思の欠如)は、既にかなり克服されてきた。しかし、第2の消極性(平和のための軍事力の役割を認めようとしない態度)については、「日本の防衛」に関してのみようやく克服のプロセスが始まったという段階であり、日本の領域を越えた国際平和に関しては、依然十分には進んでいない。
今後の日本の安全保障政策の見直しでは、第2の消極性の克服が最優先の課題となろう。第2の消極性の克服の必要性を国民が十分に理解し、受け入れない限り、日本の安全保障政策の見直し全般が、著しい脆弱性を内在させ続けることになる。(たとえば、最近の日米同盟の一見めざましい進展や、ミサイル防衛の導入なども、第2の消極性が残っている限り、その土台は脆弱で、何らかのきっかけで一気にゆらぐおそれがある)
今後の日本の安全保障政策の見直しは、それら2種類の消極性をいっそう克服する方向へと進められるべきである。?日本が戦後掲げてきた平和主義の「基本的精神」を将来も維持するために、?それに世界の変化に適合した必要な修正を加える、ということは、大多数の国民の希望にかなっていると言えよう。裏返して言えば、平和主義の完全撤廃は適切な目標ではない。(なお、日本の平和主義は、国際社会で確かに一定の評価[一部の自称「平和主義者」が思っているほどではないが]を得てきたので、その観点からも、その完全な撤廃は好ましいとは言えない。)
専守防衛の見直しも、こうした図式の中に位置づけて考えるべきである。専守防衛に関しても、国民の大多数は、その基本的精神の継続を望んでいるが、その現在の姿が世界の変化に合わなくなっていることにも気づきつつある。今後は、第2の消極性の克服のための政治的努力を行うとともに、専守防衛の放棄ではなく、その基本理念の可能な限りの継続を可能にするための修正をこそ目指すべきであろう。
2.自由討議の概要
・「大綱」が発表されてからすでに2年半が経過したが、「大綱」策定時と現在では情勢が変化した部分がある。とりわけ唯一の超大国である米国の役割について、その信頼度が揺らいできている。また策定時には中国の将来が脅威を所与としていた状況であったが、現在は中国に対して「働きかけようという」という機運もでてきている。
・「大綱」は、入口は「国際情勢分析」と大きく、出口は「別表にかかわる予算の取得」という具体的な目標に向かう狭いものである。「大綱」の作成現場では、これを「じょうご」(入口が広く出口が狭い)にたとえることがあったが、別表のような細かい数字を出すために、安全保障環境をこれだけ幅広く説くことから始めるという方法には問題があり、「大綱」に戦略文書としての過度の期待をしてもいけない。別途外務省と防衛省が協力して「国家安全保障戦略」が用意されるべき(以上の意見に対して、ひとつの戦略・ドクトリンが他の政策を規定するというツリー型の安全保障政策は時代遅れであり、事態の性質に応じて柔軟に政策を積み上げていくべき、という意見も提起された)。
・「国民一般」というのは存在せず、存在するアクターは、与野党、メディア、言論界、その他という働きかける具体的な対象がある。神谷氏の「消極性」の議論とは異なり、若手世代の安全保障意識等は相当異なっているのではないか。「正義のための武力行使」を国民が本当に納得するためには、実践するプロセスをどこかで経ることが必要となるのではないか。
・グローバル化した安全保障の時代といっても、日本にとっての脅威を取り除く、脅威が生じないようにするために、どの程度の空間的スパンをもって守らなければいけないのかという概念の再整理をしなければならない。「不安定の孤」のどの部分をいったいどのように守るのか?民主主義国同士の連携(たとえばインド)はアプリオリによいということなのか。
・日本人の心の持ちようを変えるというのが安全保障政策ではないと思う。必要なのは、自衛隊のオペレーションに必要な法制度をつくったり、政策ができたりする話。警察官職務執行法のような形での武器使用ではなく、もっと肯定的な行動基準(ROE)を設定し、不当に罰せられないような制度をつくることが重要。
・欧州のソラナ・ペーパーで唱えられたような「効果的な多国間主義」(Effective Multilateralism)のあり方について、日本の安全保障政策としての位置づけを策定する必要がある。
報告者:東京財団研究員 神保謙