第15回 現代アメリカ研究会報告 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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第15回 現代アメリカ研究会報告

March 25, 2009

第15回現代アメリカ研究会―オバマ政権の対ロシアおよびNATO政策

東京財団現代アメリカ研究プロジェクトでは、去る3月9日月曜日、東京財団会議室にて、米国オバマ政権のロシア、および北大西洋条約機構 (NATO) に対する政策について検討・考察する研究会を開催しました。はじめに『オバマ政権の対ロシア政策』と題する報告を畔蒜泰助氏(東京財団研究員)に、次に『米国の対NATO政策』と題する報告を渡部恒雄氏(同)に担当していただきました。報告後には、参加したプロジェクト・メンバーとの間で活発な質疑応答がなされました。以下はその概要です。

(1)『オバマ政権の対ロシア政策』 報告者:畔蒜泰助氏

米国のジョー・バイデン副大統領は今年二月のドイツ・ミュンヘンにおける演説で、米国がロシアとの関係において「リセットボタンを押す時が来た」と述べ、米ロ二国間関係がポジティブな局面に入ったことを強調した。本報告は、このように米ロ関係が好転した理由を、以下の二つの観点から考察する。まず、冷戦終結後の米国とロシアの二国関係の推移の文脈の中で、これまでの三政権と比べてオバマ大統領が米ロ間協力を重視する姿勢はどのように位置づけられるのかについてである。次に、オバマ政権の対ロシアおよび核不拡散にかかわる人事からわかる範囲での、米国のロシア政策の今後の展望である。

冷戦終結後の米ロ関係の推移

米国とロシアのような大国間関係の推移を考察する際に重要なのは、マクロな地政戦略(グランド・ストラテジー)である。アメリカの国際政治学者チャールズ・カプチャン Charles Kupchan は、その著書 The End of the American Era. で、地政戦略を次のように説明している。「大国が自らの国益に適う国際環境を効率よく造り上げるには、一つの概念的な地図とそこから導きだされる地政戦略を必要とする。この世界地図の作成において重要なのは、それがどのような地形なのかではなく、どこに、どのような(紛争勃発の)活断層があるのかを特定することにある。」

米国とロシアの間では、ユーラシア地域をめぐって以下のような地政戦略構図が成立している。 米ロは、ウクライナおよびバルト三国などを含む東欧地域、そしてアフガニスタンを含む中東地域の二地域において、対立と協力を繰り返している。東欧地域をめぐる米ロの緊張関係が、二国の対中東地域政策をめぐる対立に影響を及ぼすことがあり、またその逆もあり得る。これを、「東欧地域と中東地域の間の地政戦略上の相互作用性の法則」と呼ぶことにしよう。この法則に当てはめて言えば、私は、オバマ政権の対ロシア政策は、東欧地域での米ロ対立よりも、中東地域での米ロ協力が前面に出てくると予想している。別の言い方をすれば、オバマ政権の対ロ政策は、米国にとってより優先順位の高い中東政策の従属変数になるということである。ここで冷戦終結後の米ロ関係の推移を振り返ってみたい。

冷戦の終結は、1989年2月ソ連軍のアフガニスタンからの完全撤退、同年11月のベルリンの壁崩壊という、中東および東欧の二地域におけるソ連の敗北を象徴する出来事で決定的となった。これが、ユーラシア地政戦略環境に大きな地殻変動を生じさせる引き金となったのは言うまでもない。

ソ連邦の消滅というユーラシア地政戦略環境の一大地殻変動を受けて、このころ米国では G. H. W. ブッシュ大統領のもと、ポスト冷戦時代の新たな脅威をめぐり、政権内で二つの相対する対ロ戦略の方向性が議論されていた。まず、「唯一の超大国アメリカは、ユーラシアでの新たなライバルの出現阻止を第一の戦略目標とすべき」であると考えた、当時のディック・チェイニー国防長官やポール・ウォルフォウィッツ米国防次官らを中心とするグループがいた。今日、ネオコン派と呼ばれるこれらロシアを引き続き危険視するこのグループが起草したのが、『1994−1999年財政予算年度国防計画ガイダンス』だった。このドラフトは当時、ニューヨーク・タイムズ紙にリークされ、大きな反響を呼んだ。

一方国務省内では、当時のローレンス・イーグルバーガー国務長官を中心に、「破綻国家問題、国際経済のより大きな役割、大量破壊兵器の拡散問題、中東地域におけるイスラム過激派、気候変動問題、HIVなどの感染症問題、米国民の内向き傾向など」多国間アプローチでしか対応できない問題への戦略を最優先すべきであると考える現実主義派のグループが、通称『イーグルバーガー・メモ』を作成していた。この『イーグルバーガー・メモ』の存在については、デレック・ショレー Derek Chollet とジェームズ・ゴールドゲイアー James Goldgeier の共著 America Between the Wars – From 11/9 to 9/11. で初めて明らかにされている。私は、この中に、大量破壊兵器の拡散問題や中東地域におけるイスラム過激派の問題が含まれていた点に注目している。とすれば、彼らは、これらの問題への対処では、ロシアとの協力が必要であると考えていた可能性が高い。

実際、米ソ冷戦終結直後に米ロ「対テロ」共闘政策という選択肢が存在し、両国がこれを模索したことは、エウゲニー・プリマコフ元首相(当時の対外情報庁長官)や、ロバート・ゲーツ米国防長官(当時のCIA長官)の、当時を回顧する証言からも明らかである。両者共に、米国とロシアがポスト冷戦時代の共通の脅威を前に共闘すべきである、もしくはその余地があると考えていたことを、後に示唆している。とりわけ、イスラム過激派の温床であるアフガンを含む中東地域での米ロ協力の潜在的可能性は小さくなかった。しかし、G. H. W. ブッシュ大統領が1992年選挙で落選したために、上記の何れの戦略も実施に移されることはなかった。

一方、これに続くビル・クリントン政権は、当初、明確なユーラシア地政戦略を持たずに揺れ動いた。しかし、ボスニア紛争への軍事介入を契機として、NATOの東方拡大政策へと大きくシフトする。実は、米国のNATO東方拡大政策とは、とても間口の広い戦略で、「ロシアの軍事力に対する抑止」を唱えるグループにとっても、「ロシアが何れ成熟した民主国家となった暁には、NATO加盟もあり得る」と考えるグループにとっても、受け入れ可能な政策だった。実際、当時、政権外にあったウォルフォウィッツらのネオコン派のグループも、NATO東方拡大政策を積極的に支援した。

いずれにせよ、クリントン政権が、そのユーラシア地政戦略を中心として、中東地域ではなく、冷戦時代と変わらず東欧地域を重視したことは、「対テロ」での米ロ共闘の余地を著しく狭めた。それゆえ、クリントン政権がNATO東方拡大政策へとシフトするのと相前後してロシアの外相に就任したエヴゲニー・プリマコフは、前述の米ロ「対テロ」共闘構想を棚上げにして、独立国家共同体の再統合や中国、インド、イスラム諸国等との関係強化を図り、米国に対抗しようとした。この結果、米ロ「対テロ」共闘政策は実現しないまま、10年間が経過し、アフガン問題は2001年9月11日のテロ事件勃発まで放置されることになったのである。

以上の経緯を踏まえれば、9/11事件をきっかけに、米ロが、国際テロリズムと大量破壊兵器の拡散問題を巡り、共闘姿勢を取るようになったのは決して偶然ではないといえよう。冷戦終結直後に生まれた米ロ「対テロ」共闘の萌芽が、やっと具現化したのである。米軍によるアフガンでの軍事オペレーションが終結した後の2002年5月、『米ロの新しい戦略的関係に関する共同宣言』が、ブッシュ大統領とプーチン大統領のもとで調印された。この共同宣言には、「米ロ両国は国際テロと大量破壊兵器の拡散という相互に密接に繋がった脅威と闘う」と明記された。国際テロリズムと大量破壊兵器の拡散問題という共通の脅威の出現を前に、第二次世界大戦以来、米ロがはじめて戦略的関係を公式に確認したのである。

なお、やはり同年5月、NATO−ロシア理事会が設立された点も注目すべきである。プリマコフの米ロ「対テロ」共闘構想と、NATO東方拡大政策は、本来相容れないものであり、もし、アメリカが前者により比重を置くとすれば、NATOの変革は不可避だったのである。

ところが、2003年の米国の対イラク攻撃は、その後の米ロ「対テロ」共闘関係の発展の大きな障害となった。ここで再び登場するのが、ネオコン派の代表ともいうべきウォルフォウィッツである。2002年9月の『米国家安全保障戦略』において当時のウォルフォウィッツ国防副長官は、「独裁国家を打倒し民主化を進める事こそ、国際テロを生み出す根本原因の根絶に繋がり、世界をより安全にすることができる」という「民主化」の論理を前面に押し出した。この戦略文書と前述の『米ロの新しい戦略的関係に関する共同宣言』が相矛盾するのは明らかだった。ここで再び、米国の対ユーラシア戦略を巡って、ロシアとの共闘を視野に入れる『米ロの新しい戦略的関係に関する共同宣言』とアメリカ一国主義を主張する『米国家安全保障戦略』が真正面から対峙することになったのである。

結局、米軍は2003年3月、イラク攻撃を実施。そして同年7月のユコス事件、同年末グルジアのバラ革命、2004年末ウクライナのオレンジ革命、2005年7月の上海協力機構による中央アジアでの米軍の撤退期限明確化の要求などを経て、米ロ関係は悪化の一路をたどった。

その一方で、G. W. ブッシュ政権も第二期目に入ると、米ロ「対テロ」共闘路線に復活の兆しも見え始めた。それはイランの核開発問題をめぐる両国の対応を通してである。ロシアは1995年以来、イラン南部のブシェール原発の建設支援を行ってきた。当初米国やイスラエルは、イランの核兵器開発に繋がるとして、ロシアの建設支援に反対したが、ロシアは支援を継続した。2003年秋に、イランがブシェール原発とは別に、独自にウラン濃縮技術を開発していることが明らかになると、米ロは徐々に歩み寄りを見せ始めた。大きな転換点はG. W. ブッシュ政権の第二期目がスタートしたばかりの2005年2月に訪れた。

2005年2月22日、国際原子力機関 (IAEA) が核燃料技術の多国間管理に関する報告書を公表すると、その二日後の24日、米ロ間で首脳会談が開かれた。更にその三日後の27日、ロシアが、イランとの間に使用済み核燃料返還条項を含む核燃料供給協定を締結した。これは、ロシアがイランに低濃縮ウランを供給し、使用済み核燃料も引き受けるという所謂「核燃料リース方式」にもとづいた協定。後述するロシア主導の国際ウラン濃縮センター設立構想の前提となるものであり、同年11月、G.W.ブッシュ政権も後にこの構想に公式に支持を表明している。

これを受けて、2006年1~2月、プーチン大統領が、国際核燃料サイクルセンター構想を、G.W.ブッシュ大統領が、これと類似したグローバル・ニュークリア・エナジー・パートナーシップ構想(GNEP構想)を発表した。そして、この二つの計画を統合すべく、同年7月、米ロ原子力協定の締結に向けて二国間交渉が開始された。前述の国際ウラン濃縮センター設立構想とは、この国際核燃料サイクルセンター構想の一環であり、東シベリアのアンガルスクへの設立が進んでいる。

とすれば、2005年2月の米ロ首脳会談の開催と、ロシア―イランの協定締結は、米ロ関係のさらなる悪化を食い止め、これを契機として中東地域を中心とした米ロ「対テロ」共闘路線が再び稼動し始める転換点となったと考えられる。興味深いのは、その直後の同年三月、米露の「対テロ」共闘に一貫して反対の立場を取ってきたネオコン派のウォルフォウィッツ国防副長官が辞任し、世銀総裁に就任した事実である。

ただ、G.W.ブッシュ政権の間に、米ロ関係が完全に修復した訳ではなかった。というのも、イラン核開発問題という中東地域での米ロ「対テロ」共闘が進んだ一方、同政権が、東欧へのミサイル防衛配備問題やグルジアとウクライナのNATO加盟問題に固執し続けたからだ。G.W.ブッシュ政権後期の米ロ関係を前述の「東欧地域と中東地域の間の地政戦略上の相互作用性の法則」を用いて表現すれば、「中東地域(特にイラン核開発問題)での協力関係と東欧地域(ミサイル防衛配備問題やグルジアとウクライナのNATO加盟問題)での対立関係の間を揺れ動いていた時期」ということが出来るだろう。

ブッシュ米大統領とプーチン露大統領にとって互いに政権最後の年となった2008年はそんな中で迎えた。この年、二国間関係において次のような進展があった。まず2008年4月3日、NATO総会で米国はウクライナとグルジアに対して、「加盟のための行動計画 (MAP) 」に参加する資格を付与しようとしたが、ドイツ、フランス、イタリアが反対し、これら二国のNATO加盟手続きは先送りされた。この翌日プーチン大統領はNATO—ロシア理事会に出席し、ロシア経由でアフガニスタン駐留軍への物資輸送を行うことを承認した。さらにその二日後、ソチにて開催された米ロ首脳会談で『米ロ戦略枠組み宣言』が調印された。この会談では、戦略核削減交渉および東欧地域への米ミサイル防衛配備問題については、結論は先送りされることになったが、『米ロ戦略枠組み宣言』そのものは、米ロ「対テロ」共闘の重要性を謳った非常に前向きな文書となった。そして、同年5月6日、プーチン大統領の任期が終了する最終日、米ロ両国は、遂に、二国間原子力協定に正式調印したのである。原子力協定は、今後の米ロ「対テロ」共闘の基礎をなす重要文書であり、G.W.ブッシュ政権下で実現した対ロシア政策上の大きな成果といっていいものである。

ところが、その僅か三ヶ月後に、あのグルジア紛争が勃発し、米ロ関係は再び下降局面に突入した。積み残していた東欧地域での対立の火種が、米ロ両国の政権移行期という非常に不安定な時期に、火を噴いてしまった訳である。

だが、大方の予想に反して、米ロ関係の悪化局面はそう長くは続かなかった。というのも、米国は、アフガンでの対テロ戦争、またこれと密接にリンクしたイラン核開発問題に対処する上で、どうしてもロシアとの連携が不可欠だからである。やはり、ここでも、米ロによる中東地域での協力の必要性が、東欧地域で生まれた対立状況を下支えするという「東欧地域と中東地域の間の地政戦略上の相互作用性の法則」のメカニズムが作用しているのである。ただ、グルジア紛争の結果、G.W.ブッシュ政権は、議会承認待ちだった米ロ原子力協定を承認申請手続きの取り下げを余儀なくされた。その取り扱いは、オバマ新政権に委ねられている。

オバマ新政権の対ロ政策は、まさに以上のような経緯を踏まえて初めて理解できる。ポイントは幾つかある。まず、G.W.ブッシュ政権と違って、中東地域での米ロ「対テロ」共闘に反対の立場をとるネオコン派の影響力は、ほぼ排除されているので、中東地域での「対テロ」共闘路線を深めていくことに障害はなくなった。その場合、オバマ新政権は、これまで米ロ対立の火種となってきた東欧へのミサイル防衛システム配備問題や、ウクライナとグルジアのNATO加盟問題、そして、米ロ原子力協定の議会承認申請の再提出などを、イランを中心とした中東地域でのロシアの協力を引き出す為の交渉カードとして使う可能性が高い。私が冒頭で、「オバマ新政権の対ロ政策は、その中東政策の従属変数になる」といったのは、まさにこのことを意味しているのである。

米ロ原子力人脈とオバマ政権

次に、オバマ新政権のイラン政策と密接にリンクする対ロシア原子力外交に関係する人脈を考察してみよう。私は、米国のシンクタンク、戦略国際問題研究所 (CSIS)が昨年5月に公表した米露原子力協定に関する報告書の執筆メンバーに注目している。ロバート・アインホーン Robert Einhorn、ローズ・ゴッタマラー Rose Gottemoeller、フレッド・マクゴールドリック Fred McGoldrick、ダニエル・パネマン Daniel Paneman、ジョン・ウォルフサル Jon Wolfsthal の5人である。

このうちアインホーン氏とゴッタマラー氏は、ロシア国防省と関係の深い、モスクワにあるシンクタンク、ピル・センター PIR CENTER の諮問理事メンバーとして名を連ねている。ピル・センターが季刊発行する安全保障・外交問題専門誌である『セキュリティー・インデックス』編集部には、ロシアの国営原子力企業「ロスアトム」副総裁であるニコライ・スパスキー氏 Nikolai Spassky がいる。スパスキー氏は、原子力協定のロシア側の交渉責任者でもある。

また、パネマン氏は、ブレント・スコウコロフト氏が代表を務めるスコウクロフト・グループの主要メンバーであり、両者は05年3月初旬の英国ファイナンシャル・タイムズ紙に、ロシアがイランとの間で締結した核燃料供給協定を高く評価する署名入り記事を寄稿している。

そんな彼等がオバマ政権の不拡散関連の主要ポストにことごとく任命されているのだ。具体的には、国務省内では、前述のアインホーン氏が軍備管理国際安全保障次官に任命され、原子力協定についてロシアのスパスキー氏の米国側カウンターパートとなっている。またパネマン氏は不拡散担当の国務次官補に、ゴッタマラー氏は、戦略核削減交渉担当の国務次官補に任命されている。また冒頭で述べたバイデン副大統領のオフィスに、CSIS 報告書作成者の一人でもあるウォルフサル氏が、核不拡散問題についての特別アドバイザーとして入っている。因みに、クリントン政権期にウォルフサル氏の上司となり、後に彼をCSISに引っ張ってきたのが、前出のアインホーン氏である。

一方、ロシア・欧州問題担当の国務次官補のポストには、ダニエル・フリード氏がG.W.ブッシュ政権から引き続き就いている。同氏は、元ポーランド大使などを歴任し、NATO東方拡大政策にも関与してきたキャリア外交官である。そして、前ロシア大使であり、米ロ原子力協定に直接調印したウィリアム・バーンズ氏 William Burns が、やはりG.W.ブッシュ政権から引き続き、政治担当国務次官として、中東地域やロシア・東欧地域を含む地域政策全体を統括している点も重要であろう。

ところで、ロバート・ゲーツ現国務長官が学長を務めたこともあったテキサス A&M 大学のスコウクロフト国際問題研究所では、ハワード・ベイカー、ズビグネフ・ブレジンスキー、イーグルバーガー、ヘンリー・キッシンジャーといった名だたる外交専門家に加え、オバマ政権の国家安全保障担当補佐官となったジェームズ・ジョーンズ James L. Jones も理事会メンバーとなっている。これはジョーンズ大統領補佐官が、ネオコン派ではなく、現実主義派のグループに属していることの一つの証左であろう。

さて、オバマ政権のNSCを取り仕切るジョーンズ補佐官だが、そのNSCのロシア・ユーラシア問題担当局長には、マイケル・マクフォール米スタンフォード大学教授が就任している。マクフォール氏は、民主化問題の専門家として、ロシアに対して非常に厳しいものの見方をすることで広く知られた専門家である。彼は、オバマ米大統領候補のロシア・ユーラシア問題のアドバイザーを務めていたこともあり、そのままオバマ政権入りした。

このようなオバマ新政権の人事から読み取れる米国の対ロシア政策の方針は、次のようにまとめられよう。

まず、米ロ原子力協定に関するCSIS報告書の執筆メンバー5人のうち4人が政権入りしたことから判断して、中東地域を中心としたロシアとの「対テロ」共闘を最重要視する姿勢が鮮明に読み取れる。その一方、マクフォール氏のような対ロシア強硬派をNSCロシア・ユーラシア局長に任命することで、「ロシア国内の民主化問題を決して忘れているわけではない」というシグナルを同時に発しているということだろう。

ただ、オバマ政権の対ロシア政策は、その中東政策の従属変数であり続ける状況が直ぐに解消するとは考えられないので、前者が後者から独立して形成されることは当面はないと予測する。

補記

当初、軍備管理国際安全保障担当の国務次官への指名が確実視されていたロバート・アインホーン氏は、個人的理由から同ポストへの就任を断った模様。同氏は特別アドバイザーに就任するようだ。3月17日付け米ワシントン・ポスト紙によると、同ポストには、エレン・トーシャー(Ellen Tauscher )下院議員が指名される。なお、軍備管理国際安全保障担当の国務次官は、前述の米ロ原子力協定問題だけではなく、東欧へのミサイル防衛システム配備問題も管轄する重要ポストである。その意味で、トーシャー下院議員が、戦略軍に関する下院軍事委員会小委員会の委員長として、G.W.ブッシュ前政権が推し進めた東欧へのミサイル防衛システム配備計画に、消極的な立場を 取ってきた事実は、今後の米ロ関係を占う上で注目に値する。(3月24日 畔蒜)

(2)『米国の対NATO政策』 報告者:渡部恒雄氏

ヨーロッパ諸国が米国バラク・オバマ新政権の発足に寄せた期待は、非常に大きなものであった。大統領選挙の最中であった2008年8月にドイツ・ベルリンを訪問した当時のオバマ候補は、20万人の観衆から大歓待を受けた。また新政権の誕生は、イラク開戦をめぐり溝が深まった米欧関係を修復する絶好の機会であると考えられていた。このことがオバマ政権下での米国の対NATO政策に持つ意味は大きい。

オバマ新政権で国家安全保障担当補佐官となったジェームズ・ジョーンズ氏は、元NATO軍最高司令官であり、英語とフランス語の完璧なバイリンガルとしても知られている。彼は2月9日のミュンヘン安全保障会議でNATOについて次のように語っている。「私はNATOのファンである。子供の頃から成長期に冷戦におけるNATOの役割を目撃し、司令官としてはNATO軍がアフガニスタンのカブールやバルカン半島、地中海の洋上と空などでパトロールする姿をみてきた。」

現在、NATOは次の二つの喫緊の課題を抱えている。第一には、NATO軍の ISAF (国際治安支援部隊)が駐留するアフガニスタンと、隣接するパキスタンの安定である。パキスタンについては、とくに核不拡散の問題に直結するため、死活的に重要である。第二に、イランやアフガニスタンの作戦にも影響を及ぼす、ロシアとの関係改善である。

同時に米国はこの機会を通じて、サイバーテロや生物兵器テロ、世界規模での疫病流行、エネルギー対策、気候変動といった、長期的な取り組みが要求される非伝統的脅威に対しても、NATOの枠組みの中で戦略目標を共有して備えようとしている。

NATOはこれまでに、度重なるミッションの喪失に直面しながらも、国際関係の転換にあわせて、その都度ミッションと存在意義を再定義しながら、今日にいたっている。その経緯は以下のようなものである。まず冷戦下のソ連を中心とするワルシャワ条約機構の軍事的脅威に対抗する形で、NATOは発足した。しかし冷戦が終結すると、ワルシャワ条約機構軍による欧州前線への大規模侵攻への備えは不必要となった。1990年湾岸戦争は、NATOの新しい役割を見つけるいい機会だったが、まだNATO側には準備が整わず、多国籍軍の後方支援の役割が精いっぱいだった。NATOは1990年代の旧ユーゴスラビア紛争に軍事介入をおこない、域外派遣と欧州内の危機管理という新しいミッションを見出した。特にコソボ空爆に関しては国連のマンデートが不在の状況においても、NATO主導の軍事作戦を実行し、賛否はあったがNATOの自立性を確立した。

2001年9月11日同時多発テロへの対応として、第五条「集団的自衛権の行使の宣言」により、国家横断的な非伝統的脅威をNATOの軍事力行使対象とするようになった。またアフガニスタンの ISAF では、欧州域外の活動を展開することとなった。2003年米国のイラク戦争開戦に際しては、英国や東欧諸国の賛成国と仏独ベルギーなどの反対国があり、NATO諸国の内部、および米欧関係で亀裂が生じた。この亀裂を埋める努力はブッシュ政権後半から米欧双方で行われてきたが、オバマ政権発足への期待は高く、今年で60周年を迎えるNATOが、米欧による共通のミッションと存在意義が確認することが期待されている。

欧州におけるオバマへの期待の高さと、米欧間亀裂の深さ

なぜ欧州においてはオバマへの期待が高かったのだろうか。また、なぜこうまでもイラクをめぐる米欧の亀裂は深かったのだろうか。その背景として、米欧の軍事力と戦略文化に大きな隔たりがあったことが挙げられる。まず米欧軍事能力格差の乖離であるが、 米国の軍事技術革命 (RMA) の結果、NATOによる旧ユーゴへの空爆作戦においては、精密誘導爆撃の精度が米軍と他のNATO同盟国の間で、大きくかけ離れていたことが明らかになった。防衛研究所の吉崎知典氏の研究によれば、1999年のNATOによる軍事作戦「同盟の力 Operation Allied Force 」では、空爆目標の選定のうち99%が米国の情報提供に基づいており、米国の作戦遂行比率も80%となっていた。このように、米軍の軍事能力は他のNATO同盟国をも圧倒するほど優越しているのである。

またロバート・ケーガン Robert Kagan がその著書 Of Paradise and Power. (邦題『ネオコンの論理』)では、イラク開戦をめぐる米欧間の立場の違いが法や協調で解決を目指す欧州と軍事力に頼る米州での二者の間の戦略文化の違いに起因すると指摘し、欧州が歩み寄らなければNATOは終焉を迎えるという論を展開した。このようなネオコンによる正当化が米欧の亀裂をさらに深めることにもなった。

オバマ新政権の大きな課題は、この米欧間の政治的、戦略文化的乖離を埋めることにある。オバマ政権の外交政策が脱イデオロギー的で現実路線をたどることは、大西洋の両岸で期待されていることでもある。

NATOの抱える今後の課題とロシア問題

現実には、NATO同盟をつなぎ止めるための基本的な要件として、欧米の間で脅威認識を一致させ、共通の戦略ゴールとミッションを形成できるか否かが大きな鍵である。現在、米欧間では、伝統的な脅威に加え、テロ、大量破壊兵器の拡散、疫病、気候変動などの多様な脅威認識については一致している。

ただ具体的な作戦に目を移せば、アフガニスタンの治安安定を目的とするNATO が派遣するISAF の作戦展開において、米欧間、また欧州諸国間での温度差を克服する必要がある。米国は欧州各国に増派と、危険地帯での各国軍の作戦展開を制限する内容を持つ例外規定Caveatsの撤廃を求めている。しかし、欧州各国は国内の反対にあい、これらの米国の要求が実現させることは難しい。このような状況で、アフガニスタンでのミッションが2009年4月初めに開かれるNATOサミットの重要な議題となるであろう。

また、非伝統的脅威認識に加えて、ロシアへの対応が2009年のNATOの重要課題となる。ロシアは、冷戦終結後に比べて、飛躍的な経済成長を遂げているが、また同時に国内の民主化が後退し、周辺国に対する天然ガス供給の停止でたびたび圧力を行使し、グルジア紛争のような周辺諸国への過剰な軍事介入力を行っており、米欧で懸念を共有している。この点で、民主化イデオロギーの強かったブッシュ政権に比べ、オバマ政権は、東欧へのミサイル防衛配備、第一次戦略兵器削減条約(START 1) の更新、イランの核兵器開発の阻止、米ロ民生用原子力協力といった点に関して、ロシアに対しては関与政策を取ることが期待されている。この姿勢は欧州の主要国の対ロ政策とは合致すると思われる。

米国の戦略コミュニティーの政策の考え方は、ロシアの今後の選択を限定し、誘導する “shape their choices” 、つまりヘッジ政策を考慮した関与政策である。2月に発表されたCSISやアトランティック・カウンシル等のワシントンの主要シンクタンクの合同研究によれば、2トラックアプローチを提唱している。ファーストトラックは、もしロシアがその富を自国民に還元し、報の支配に基づいて持続可能な経済発展を望むようであれば、欧米はロシアとの友好的で緊密な協力を続けることを明らかにすることだ。セカンド・トラックでは、ロシアが近隣諸国の主権と独立に対して脅しや侵害をしないようなシグナルを送り抑止を図ることである。ロシアの脅威としては、サイバーセキュリティ―やエネルギー安全保障なども、念頭においている。

オバマ政権の対NATO政策

オバマ政権は欧州諸国と、共通の脅威認識を元に役割を分担して、NATOの機能強化につなげようとしている。ブッシュ政権のイラク戦争の失敗の教訓は、米国の力だけで現在の世界の脅威に対処することが無理だという事実を再確認したことだ。最初の試金石はアフガニスタンでのNATO協力だが、これを乗り越えれば、NATOの結束は高まるかもしれないが、現実のハードルは高く、同盟を漂流させる恐れも十分にある。

畔蒜氏、渡部氏の二つの報告が終わった後には、両氏に対して質疑応答がなされました。以下はその抜粋です。

質疑応答

Q. 畔蒜氏に対して。オバマ大統領の対ロシア政策が対中東地域政策の従属変数となっているという指摘は興味深く、その通りだと思う。それでは、オバマ氏が大統領選挙中に用いた「米ロの新冷戦」というレトリックは、この対ロシア政策と対中東地域政策の関係でどう理解できるだろうか。それからコメントだが、新政権での米国のロシア担当官は、地域専門家というよりは核不拡散政策専門家を中心とした人材配置になっていると感じた。

畔蒜氏:オバマ政権の対ロシア外交人事からみた限りでは、米国とロシアの間で中東、とくにイランにおける対テロ協力体制を整えていることは間違いない。米ロ原子力協定や、CSIS 報告書作成メンバーを国務省内部に配置し、ウィリアム・バーンズ氏を政治担当国務次官に任命したことは、新政権が米ロ関係の正常化を目標としていることの現れである。

Q.畔蒜氏に対して。クリントン大統領がロシアのエリツィン大統領に、ロシア国内の民主化を大いに期待し、1990年代前半には米国がロシア民主化のための資金支援を行ったことと比較すると、現メドベージェフ大統領およびプーチン首相に対する米国の期待はそこまで大きなものではないように見受けられる。これは、プーチンという政治家に固有なものなのか、それともロシアの政治体制に対する懸念なのだろうか。また、オバマ大統領は東欧ミサイル防衛配備について、どこまでロシアと妥協するだろうか。

畔蒜氏:たしかに、クリントン政権時の国務副長官だったストローブ・タルボット氏は、ロシアの民主化が進めばNATOへの加盟を認めても良いとまで考えていた。しかし、米国側にはこれに反対するネオコン派のグループがいたし、ロシアも、欧米並みの民主主義を受け入れるには時期少々である。現在、オバマ政権がロシアに抱いている期待は、国内の民主化ではなく、イラン核開発問題を含む「対テロ」での支援である。東欧ミサイル防衛配備問題も、その為の取引材料にする可能性はあるだろうが、その対イラン政策を含めて、その詳細はまだ完全には煮詰まっていないと思う。

Q.渡部氏に対して。1997年コソボ空爆の際には、米軍はNATO の他の同盟国に対する不信感を持つようになった。これは現在でも変わらないのではないか。もしくは、変わったのはワシントンの政策立案者と軍人らの間の温度差ではないか。

渡部氏:米国はイラクでの復興支援の失敗の経験を通じて、攻撃・戦闘能力における他国とのギャップ以上に、紛争後の治安維持や復興支援などでの、NATOの同盟国の役割の重要性を再認識したのではないだろうか。アフガニスタンでも、NATOが主体となって運用しているISAF やPRTなどの復興支援を中心とする活動は、元々米軍の文化にはなじまないものが多く、むしろ欧州のほうが経験も実力もあり、役割分担がうまくいくケースだと思う。一方、アフガニスタンにおける対タリバンやアルカイダとの戦闘の主体は、NATOの主導するISAFではなく、有志連合のOEF(不朽の自由作戦)の枠組みで米英などが戦闘を行っているのが現実だ。この部分での作戦展開において米欧各国軍の間のオペレーション上の相互運用はなかなか進んでいないということはいえるだろう。米軍に同盟国への不満があるという話も耳にする。ただし、米軍のアフガニスタンおよびパキスタンでのオペレーションがインテリジェンスと特殊部隊で行われる特殊作戦であるという事情も考慮すれば、NATOの同盟国に多くを求めるのは無理だろう。

以上

(報告:平松彩子)

    • アメリカ政治史研究者
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