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平坦ではない米国のTPP批准:医薬、金融など経済界が反発

March 11, 2016

浅野貴昭 (東京財団研究員)
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)が2月4日、日・米など12カ国によって署名された。世界の貿易総額の約3分の1を占める巨大貿易圏の誕生に期待も寄せられるが、最大の経済規模を擁する米国の批准が困難視されている。「国内の雇用を奪う」などとして労働組合が強硬に反対するばかりでなく、医薬品やデータセンター、タバコの3分野の扱いをめぐって、米国の経済界からの反発が強いからだ。さらには、16年11月の大統領選が実質的に始まっていることとも相まって、オバマ大統領の任期(2017年1月)までの批准すら疑われる。

TPP交渉が最後まで難航した理由の一つが、バイオ医薬品のデータ保護期間の取り扱いであった。当局の新薬承認審査の際に新薬メーカーが提出する試験データの保護期間が長いほど、開発した新薬メーカーが先行者としての利益を享受できるが、その間、他社によるデータ利用は許されないため、後発医薬品(ジェネリック医薬品)の普及は遅れることになる。新薬開発企業を多く抱える米国は国内と同様の12年間のデータ保護期間を主張したが、後発医薬品の普及によって医療費の抑制を図りたいオーストラリアやニュージーランド、新興国は5年以下の保護期間を求め、互いに譲らなかった。

双方は最終的に、 保護期間8年間、あるいは保護期間5年間に加えて「その他の手段」を通じて保護措置を講じる──の二つから選択することで合意した。しかし、米国研究製薬工業協会は昨年10月、TPPの合意が発表されるや否や「失望した」との声明を発表して強く批判。また、米製薬業界の後ろ盾として知られる議会共和党の重鎮、ハッチ上院議員も、オバマ民主党政権の自由貿易政策に理解を示してきた態度から一変し、「TPPは再交渉が必要だ」と不満を隠さない。ハッチ氏は上院でTPPを扱う財政委員会の委員長でもあり、ハッチ氏を説得できなければスムーズな議会審議は望めない。

特定業種の除外に不満

一方、米金融業界が修正を求めているのは、データセンターの扱いだ。TPPの電子商取引の章では、「締約国は外資企業に対して、データセンターやサーバーなど、コンピューター関連設備を自国に設置するよう強要してはならない」との規定(現地化禁止規定)が盛り込まれた。企業のグローバル展開を不必要に妨げることなく、電子商取引の拡大を促すためのルールだが、金融サービス業はこの規定の適用外とされた。つまり、TPPがこのまま発効すれば、銀行などの金融業界は投資先の政府から市場参入の条件として、データの保存や処理のための関連投資を現地で強いられる可能性がある。

金融業界が適用外となった背景には、米財務省の意向があった。金融規制や犯罪・テロの捜査、他国への金融制裁などの必要性から、米国政府自身が将来的に、金融サービス企業のデータセンターやサーバーの現地化を求める可能性があり、政策的な余地を残しておきたかったとみられる。米国では現在、政府と金融業界との間で、今後に締結する他国との貿易・投資協定では「現地化禁止規定から金融サービス業を除外しない」という妥協案も検討されているが、残る任期が1年弱となったオバマ政権が将来の約束をしても説得力に乏しい。

なお、TPPの金融サービスに関しては、マレーシア政府が国益に反すると判断したときは、マレーシアへの外資参入を拒否できる、という内容も盛り込まれており、これも米金融業界からすれば受け入れがたい。

また、タバコ企業はTPPで「投資家と国との間の紛争解決手続き」(ISDS)条項を活用することが許されなくなった。ISDS条項とは、投資受け入れ国が協定違反を行い、投資を行った外国企業が損害を被った場合、当該企業は紛争を国際仲裁に付託して賠償を求めることができる規定で、多くの自由貿易協定(FTA)や投資協定に盛り込まれている。海外投資に伴って企業が不利な扱いを受けることがないよう、公正な環境を整備することが目的で、貿易・投資協定をめぐる議論でしばしば争点とはなるが、特定の産業が名指しで除外されるのは異例といえる。

オバマ大統領のジレンマ

タバコ産業は今後、進出先の国の政策変更によって不利益を被っても、損害賠償を求めることができなくなる。ISDS条項から、タバコ産業を除外することを強く主張したのはオーストラリア政府である。オーストラリアでは11年、喫煙の抑制を目的にタバコのロゴや宣伝を一掃した共通包装のタバコしか販売を許さない法律が成立したが、米タバコ大手フィリップ・モリス社のグループ会社は投資協定違反だとして巨額の賠償を請求した。その根拠となったのがオーストラリアと香港の間で締結された投資協定のISDS条項だった。

フィリップ・モリス社の訴えは昨年12月、国際仲裁機関で管轄外として棄却されたが、最終的な決着はまだついていない。オーストラリアはISDS条項をTPPに盛り込むことには同意したが、こうした経緯もあってタバコ産業の除外を求め、認められることになった。これに対し、米タバコ産業は「健康被害を理由とした過度なタバコ規制がまかり通ってしまう」と反発。また、一部の米連邦議員は、これが「アリの一穴」となって、なし崩し的に除外規定が他産業へと拡散していくリスクがある、として修正を求めている。

オバマ大統領としても、こうしたタバコ産業の懸念や反発に善処することを約束して、速やかな批准をもって退任の花道としたいであろう。しかし、そこにはジレンマがある。例えば、上院院内総務を務める共和党のマコーネル上院議員は、タバコの一大産地のケンタッキー州の選出であり、タバコ産業の除外規定には反対している。上院の審議日程をつかさどるマコーネル上院議員を敵に回せば、得することは何もない。一方で、この措置は、タバコ規制強化を掲げてきた民主党議員を取り込み、TPP賛成を取り付けるための貴重な切り札でもある。

こうしたジレンマはデータセンター問題にもある。超党派の下院議員63人は1月11日付で、財務長官、通商代表、国家経済会議委員長の3人宛てに書簡を送り、コンピューター施設の現地化禁止規定から金融業が除外されたことに懸念を表明。「このままでは米企業の競争力を損ねる」として対応を求めた。この中には、連邦議会が昨年6月、通商協定の速やかな議会審議を保証する「貿易促進権限」(TPA)法を可決した際、賛成票を投じた民主党下院議員28人のうちの9人が名を連ねている。TPP審議で一票たりとも無駄にできないオバマ政権にすれば、この要望を安易に払いのけるわけにもいかない。

「政治の季節」に突入

米国政治では通商案件の扱いには慎重さが必要で、自由貿易に強く反発する労組を支持基盤とする民主党政権となれば、なおさらである。そもそも、TPP交渉は13年中の妥結を目指していた。それゆえに日本政府も参加を急ぎ、首相官邸直轄の体制で臨んだ。米国内では14年の中間選挙前の批准という楽観シナリオすらあったのだが、複雑な国際交渉は長引き、TPA法案の提出と可決にもかなりの時間を要した。その結果、TPPの批准はよりによって、大統領選とぴたりと重なるタイミングまでずれ込んでしまった。

大統領選における政策論争は、候補者の勝敗に関わらず、少なからず新政権の政策展開にも影響するが、有力候補の間でもTPPは極めて不人気といえる。民主党の候補者指名争いでトップを走るクリントン前国務長官はTPP合意直後の10月7日、「自分が期待していた合意内容ではない」として反対を表明したが、この時点ではまだ協定文は公表されておらず、民主党の強力な支持基盤である労組がTPPに批判的であることへの配慮と広く理解された。また、支持率で2番手のサンダース上院議員も「大企業だけが儲かる仕組みの協定だ」とTPPの意義を認めない。

自由貿易推進が主流であるはずの共和党候補もTPPには厳しい。不動産王のトランプ氏は「TPPは他国の不公正貿易を正すことはできず、オバマ政権の無能はもはや理解の範囲を超える」と厳しく批判する。また、保守派のクルーズ上院議員は、昨年4月にはTPPの重要性を説く論説記事を寄稿していたが、交渉妥結後には労働力流入への懸念を理由に立場を翻した。TPPを「オバマ・トレード」と呼ぶことで、保守層の反オバマ感情をかき立てる共和党右派の戦略に乗った形だ。TPPを明確に支持していたルビオ上院議員までもが、最近では「合意内容を精査中」として、5月までは諾否を明らかにしない方針だ。

交渉のやり直しを求める声に対して、フロマン米通商代表は昨年10月、合意修正の可能性を明確に否定している。しかし、米国は過去、国内事情のために再交渉を試みた例がある。北米自由貿易協定(NAFTA)が1992年12月、米国、カナダ、メキシコの間で締結されたが、93年1月に発足したクリントン政権が環境、労働基準についてカナダ、メキシコと再交渉を行い、補完協定を交わしている。クリントン政権はそれをもって、環境団体や労組などNAFTA反対派の説得に当たり、ようやく94年の発効にこぎつけた。

12年に発効した米韓FTAも、ブッシュ政権時代の07年に交渉は妥結していたが、自動車や牛肉分野への不満の声が米国内で上がり、オバマ政権が追加交渉を韓国政府に求めた経緯がある。TPPをめぐっても、米国が再交渉を求めてくる可能性は残されている。

「レームダック会期」に審議?

米国での今後のTPP批准スケジュールは、11月の大統領選と連邦議会選の後に開催される、年内のいわゆる「レームダック(死に体)会期」で、TPP実施法案が審議されるとの見方が有力である。選挙結果を反映した新会期が始まるのは17年1月であり、落選議員や再選不出馬だった議員も票を投じるレームダック会期であれば、利益団体の影響力を最小限に抑えた投票行動が取れるとして、TPP実施法案可決に期待する見方が多い。しかし、近年はレームダック会期にさまざまな法案が詰め込まれる傾向があり、レームダック会期中に可決できるかは盤石ではない。TPPの内容に加え、大統領選と議会選の帰趨をも見据えて、オバマ大統領と議会指導者らが政治判断を下すことになるだろう。

TPPは、全署名国が国内手続きを終え次第、発効するが、2年間を経ても批准できない国があれば6カ国の批准で済む。ただし、その6カ国の国内総生産(GDP)の合計が、全署名国の85%以上を占める必要がある。つまり、少なくとも米国(域内GDPの約6割)と日本(2割弱)の両国が批准しない限りTPPは発効しない。オバマ大統領は「次代の経済ルールを中国に書かせてはならない」とたびたび発言し、国内のTPP支持を広げようとしている。これは、米・中が経済秩序をめぐって競争関係にあることを認めており、TPP批准が実際に滞れば、米国が中国に後れを取ったとの印象をかえって広めかねない。

16年1月にワシントンを訪れたターンブル豪首相は「TPPはただの貿易協定ではなく、アジア太平洋地域の秩序の安定につながる合意だ」として、米議会指導者とも会談して速やかな批准を働きかけた。しかし、米国は「政治の季節」の最中にあり、大統領選を終えるまでは、こうした訴えかけに耳を貸す余裕はどんどん失われていくだろう。

週刊エコノミスト 2016年2月23日号 掲載>

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