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レポート
プロジェクト
日付
2017/5/24

畔蒜泰助のユーラシア・ウォッチ(3)シリア「対テロ」戦争をめぐる米露「衝突回避」チャネル

畔蒜  泰助

研究員

 2017年5月10日、米トランプ大統領が連邦捜査局(FBI)のジェームズ・コミー長官を罷免した。同長官が罷免直前まで、ロシアのプーチン政権との不適切な接触を問われ、先に辞任に追い込まれたマイケル・フリン前国家安全保障問題担当大統領補佐官の捜査を行なっていたことから、この捜査を妨害するのが罷免の目的では、との疑念を呼び、一部の米国会議員からはトランプ大統領の弾劾・罷免を求める声も出始めている。ただし、米大統領の弾劾・罷免にはかなりのハードルがあり、そう簡単ではないとの声も根強く、とすれば少なくともあと3年半はトランプ政権が継続する可能性の方が現時点では高い。そこで、本連載では引き続きトランプ政権下の米露関係についてフォローしていくことにする。

 筆者は、本連載第二回目「シリアでの化学兵器問題勃発前夜の米露関係」の中で概要、次のように指摘した。

 今年3月末の時点で米露両国はシリアでの「対テロ」戦争を巡って「事実上の協力」関係を構築しつつあり、それが3月30日のプーチン露大統領によるアルハンゲリスクでの「シリアのような幾つかのセンシティブな問題での現実の(米露)協力は開始され[i]、深化・拡大している」との発言、そして、同日のティラソン米国務長官によるアンカラでの「アサド大統領の長期的な立場を決めるのはシリア国民である」との発言に繋がった可能性が高い。

米露軍のマンビジでの「事実上の協力」

 この米露の「事実上の協力」の実例として挙げたのが、シリア北西部マンビジ(Manbij)での米露両軍の動きだった。米軍はIS が本拠を構えるシリア北東部ラッカ陥落作戦を、クルド勢力を主体としたシリア民主軍(SDF)を地上軍として遂行することを想定している。その最大の障害となるのが、シリア北部でのクルド勢力の伸長に懸念を抱くトルコの動きだった。
 今年2月23日、シリア北西部のアル・バブ(al-Bab)をISから奪取したトルコ軍とその影響下にある自由シリア軍(FSA)は、その余勢を駆って、アル・バブに隣接し、現在、クルド勢力が支配するマンビジへの進攻を宣言していた。このタイミングでトルコ側とクルド側が戦闘状態に入ったら、米軍が想定するラッカ陥落作戦へのシリア民主軍の参加は不可能になる。そんな中、3月上旬、相次いでマンビジに軍を派遣してトルコ側の動きを抑制する役割を果たしたのが、ロシア軍と米軍だった。

 また、これに先立って、ロシア軍と米軍は今年1月半ばから、アル・バブのISからの奪還を目指すトルコ軍並びにその影響下にあるシリア自由軍への支援を別々に開始し、トルコ軍陣営によるアル・バブの奪取に共に大きく寄与している。[ii]

 

 ところが、そんな矢先の4月4日、シリア北西部イドリブでの化学兵器使用事件が勃発する。そして、アサド政権が化学兵器を使用したと断定した米トランプ政権はその3日後の4月7日、化学兵器を搭載したシリア空軍機が飛び立ったというシリア中部ハマにあるシリア空軍基地「シャイラート飛行場」に向けて巡航ミサイル「トマホーク」59発を撃ち込んだ。[iii]
 これに対して、ロシア政府は、アサド政権による化学兵器使用と断定するのは時期尚早であり、米トランプ政権によるシリアへの軍事攻撃は明確な国際法違反であるとして、これを激しく非難すると共に、2015年10月に米露両軍の間で締結された「シリア上空での安全にする覚書MOU)」の一停止を表した。[iv] これは米のラッカ落作を巡り、米露の「事実上の協力」の一時停止を意味した。前述のマンビジでの米露の「事実上の協力」はまさに同覚書の主目的である「衝突回避(de-confliction))のコミュニケーション・チャンネルを駆使して行われていたからである。

軍事上の「衝突回避」と「協力」の違い

 どういうことか? この「衝突回避」は今後のシリアでの米露関係を読み解く上でのキーワードの一つとなるので、少し掘り下げて解説しよう。

 2014年9月、当時のオバマ政権はイラクでのIS勢力の急激な台頭に対して、イラクとシリアでの空爆をプーチン政権に先駆けて開始していた。そんな中、翌2015年9月30日、ロシア空軍もまたシリア内戦への本格的な空爆を開始したことから、米露両軍の「衝突回避」を主目的として締結されたのが、同覚書である。

 それゆえ、米露のマンビジでの動きはあくまで「衝突回避」が主目的であり、米露の「事実上の協力」と呼べるものではない、との見方がある。同覚書に関して、米国防総省が発表した記事[v] の中に次のような記述がある。


「この覚書には、如何なる時でもプロフェッショナルな飛行技術を維持すること、特定の通信周波数を使用することなど飛行士が順守すべき具体的な安全手続きや地上における通信ラインの設定が含まれている。(中略)
 この覚書では、範囲zones of cooperationの設定やインテリジェンス共有、或いはシリアにおける標的に関する如何なる情報共有も行われない。
 この覚書が作成される過程での議論は、シリアにおけるロシアの政策や行動に米国が (cooperation)する、或いはこれを支援する性質のものではない。我々はシリアにおけるロシアの戦略は非建設的であり、彼らがアサド体制を支援するのはシリア内戦を悪化させるだけであると信じている」


 米国防総省が発表した同記事の中で「これはロシアとの協力を目的としたものではない」とわざわざ強調されている点に注目されたい。

 また、今年2月16日には、ドナルド・ダンフォード米統合参謀本部議長とヴァレリー・ゲラシモフ露参謀総長という米露制服組のトップ同士が、2004年にウクライナ危機が勃発後、初めて会談している。これについても同じ2月16日、ジェームズ・マティス米国防長官が北大西洋条約機構(NATO)国防相会議出席後の記者会見で次のように発言している。[vi]

 

「我々が行おうとしているのは(ロシアと)政治的に関与することである。我々は現時点で軍事問題に関してロシアと協力する(collaborate)立場にはない。しかし、我々の政治指導者達は関与し、一致点を見つけ、或いはロシアがNATOのパートナーとして戻って来られる方法を探ろうとしている」


 要は、ダンフォード‐ゲラシモフ会談の開催は、米トランプ政権の政治的意思[vii]の反映である。だが、米軍としては現時点で「衝突回避」の範囲を超えた接触をロシア軍と行うつもりはないということであろう。このマティス国防長官の発言も、マンビジでの米軍の動きは「衝突回避」の範囲を超えるものではない、との見方の根拠になっているといえる。

軍事上の「衝突回避」と「協力」の中間にある「調整=分業」

 しかし、本当にそうなのだろうか? 米露両軍がアル・バブ、マンビジでの一連の動きを行う際、上記覚書に基づき「衝突回避」のチャネルを使ってコミュニケーションを取っていたのは事実であろう。だが同時に「トルコ軍がISからアル・バブを奪取するのを支援する」、また「トルコ軍がアル・バブからクルド勢力の支配下にあるマンビジに攻め込むのを抑制する」という共通の作戦目標を別々に実施するとの暗黙の了解が双方にあったのなら、それは最早「衝突回避+α」と言えるだろう。
 そもそも米トランプ大統領の選挙期間中の発言にもかかわらず、同政権がシリアにおける「対テロ」でのロシアとの軍事上の「協力」に踏み切れないのは、政治的意思はあっても、依然として「ロシア・ゲート」問題が燻り続けている限り、国内政治的に難しいからとの見方がある。また、それ以上に米露両国の間には軍事上の「協力」に踏み切るに足る十分な信頼関係が欠如していることが大きいだろう。
 一方で、そのような状況でも軍と軍の間の「衝突回避」のチャネルを創造的に活用すれば、ロシアとの事実上の協力関係を構築することが可能であると指摘するのが、米シンクタンクCenter for National Interest所長のポール・サンダース氏である。同氏によれば突回避」と調整(coordination)」の境は昧であり、恐らく穴だらけである。このの接触はもっと繁に、よりハイレベルなものになり得る。それぞれからより多くの情がシェアされ得るし、特定の地域かられろという警戒的なものは次第に少なくなり、あるdivision of labor的なものがより多くなっていく可能性がある、という。[viii]


 とすれば、早ければ1月中旬からのトルコ軍並びに自由シリア軍によるアル・バブでの軍事作戦を共に支援する過程で、さもなくば、遅くとも3月初旬、トルコ側とクルド側の衝突を抑制すべく、マンビジに共に部隊を派兵した段階で、米露両軍がこの「衝突回避のチャネルを創造的に使い始めていたとしても不思議ではない。
 ちなみに、ダンフォード‐ゲラシモフ会談が開催された2月16日といえば、トルコ軍によるアル・バブ奪取作戦が最終段階に入っており、その時点でトルコ側は次なる作戦目標はマンビジであると公言していた。とすれば、この会談でマンビジを巡るクルド側とトルコ側の衝突の可能性に対するお互いの立場について米露両軍の意思疎通が図られなかったと考えるほうがむしろ不自然であろう。 
 また、本連載「シリアでの化学兵器問題勃発前夜の米露関係」でも言及したように、3月2日にロシア軍が、3月6日に米軍がマンビジの入った直後の3月7日には、再びダンフォース統合参謀本部議長とゲラシモフ参謀総長がトルコ軍のフルシ・アカル参謀総長を交えて再度会談を行っている。この時は、更に踏み込んで、米軍主導のラッカ陥落作戦で地上軍の役割を担うのはクルド勢力を主体としたシリア民主軍であるとの意向を、米国のダンフォード議長がトルコのアカル参謀総長が伝達し、ロシアのゲラシモフ参謀総長もこれを支持する。そして、米露両国が一致してトルコもこれに理解を示すように説得を試みるという場面があったのではないか。
 そう考えると、トルコ政府がシリアでの軍事作戦「ユーラシアの盾」の終了を発表した翌3月30日、アンカラを訪問したティラソン国務長官が「アサド大統領の長期的な立場を決めるのはシリア国民である」と発言し、これに恰も呼応するかのように、プーチン大統領も同じ3月30日、アルハンゲリスクで「シリアのような幾つかのセンシティブな問題での現実の(米露)協力は開始され、深化・拡大している」と発言したのは、やはり偶然とは思えない。


 前述のサンダース氏の用語を借りれば、この二人の言は、米露国がシリアの「テロ」を巡って事上の「突回避(de-confliction)」 と「力(cooperation / collaborate)」の中に位置する「調整(coordination= division of labor)」のフェズに本格的に突入したことを示唆するものではなかったか
 より具体的には、近い将来、米軍主導のラッカ陥落作戦に、クルド勢力を主体としたシリア民主軍が地上軍として参加する場合、クルド勢力としては他の支配地域でトルコ軍や自由シリア軍から軍事攻撃を受けないというのが大前提である。ところが、特にシリア北西部に殆ど軍事的プレゼンスをもたない米軍単独では、この保障をクルド勢力に与えることはできない。シリア北西部でこの役割を本当の意味で担えるのはロシア軍(名目上はアサド政府軍)のみである。つまり、米軍がラッカ陥落作戦を開始するうえで、ロシア軍との「調整= 分業」[ix]が不可欠である。
 もちろん、これはトランプ政権発足前から盛んにその可能性が噂されていた米露間の「ビック・ディール」[x] というレベルの話とは程遠く、また、シリアにおける「対テロ」での軍事協力にも及ばないものである。
 ただ仮に、米露両首脳がこれらに対する政治的意思をもっていたとしても、依然として「ロシア・ゲート」が燻り続ける米国内政治や、軍や情報機関の間の根深い相互不信を考えた時、現時点ではここからスタートして、徐々に信頼醸成を図っていくしかない。
 そしてまた、現在、同時並行的に進んでいるジュネーブ、そしてアスタナを舞台としたシリア内戦の停戦・和平プロセスをロシアと米国が主導していくうえでも、この信頼醸成プロセスは非常に重要になってくる。米露両国は3月30日の時点でまさにそのスタート地点に立っていたのである。そんな矢先に勃発したのが、シリアでの化学兵器使用事件だった。(続く)


 

[i] 本連載「シリアでの化学兵器問題勃発前夜の米露関係」の中では、プーチン大統領のスピーチの英語版をベースに「我々(米露)の協力関係は改善され」と翻訳したが、その後、実際にプーチン大統領が使ったロシア語を確認してみると、その翻訳は「現実の(米露)協力は開始され」がより適当である。

[ii] ロシア空軍がトルコ支援のためアフ・バブでの対IS空爆を開始したのは2016年12月29日のこと。同年12月15日のアレッポ陥落を受けてのロシア・トルコ主導のシリア停戦協定が締結された当日のことだった。そして翌2017年 1月12日にはロシアとトルコの間で「上空での安全に関する覚書」が結ばれている。一方、クルド問題をめぐる意見の対立もあり、トルコ政府の再三の要請にもかかわらず、米軍がトルコ軍によるアブ・バブでの対IS軍事作戦への支援を開始するのはロシア軍よりも遅れて1月17日のことだった。

[iii] ただし、このミサイル攻撃が実施される前(30分~2時間前と諸説ある)に、「衝突回避(de-confliction)」のチャンネルを通じて、米軍からロシア軍に対して事前通知があった為、ロシア軍の被害はなく、シリア軍のそれも軽微に終わった。

[iv] ロシア政府はイドリブの反政府勢力が支配する地域に保管されていた化学兵器をシリア空軍が誤爆してしまった、或いは、反政府勢力がこれを使用した、との2つの可能性を指摘し、最終判断は化学兵器禁止機構(OCPW)の調査に委ねるべきとの立場を主張した。

[v] U.S., Russia Sign Memorandum on Air Safety in Syria. Oct. 20, 2015. DoD News, Defense Media Activity.

[vi] February 16, 2017 : Press Conference by Secretary Mattis at Defense Ministerial, U.S. Mission to the North Atlantic Treaty Organization.

[vii] 筆者がモスクワで意見交換した米政府関係者は、ロシアに対して非常に批判的だったアシュトン・カーター国防長官(当時)からマティス国防長官に交替したのが大きかったと指摘した。

[viii] Is spotlight on Trump’s Russia ties slowing US-Russia Cooperation in Syria? Mar 07, 2017. Al-Monitor.

[ix] 前述の通り、3月2日、マンビジ軍事評議会(=クルド勢力)が、ロシア軍の仲介の下、アル・バブと隣接するマンビジ西部をシリア政府軍に明け渡した他、3月21日には、やはりクルド勢力が支配するシリア北西部のアフリン近郊にロシア軍が軍事基地を建設するとクルド人民防衛隊(YPG)が発表している。これもトルコ軍がアフリンを攻撃するのを抑止するための措置と見られている。

[x] この場合の「ビッグ・ディール」とは、ロシアがシリアでの「対テロ」など幾つかの分野において米国に協力することと引き換えに、米国はウクライナ問題をめぐる対ロシア経済制裁を解除する、或いは、より中長期的にはウクライナを筆頭とする旧ソ連邦諸国におけるロシアの特別な地位を認めるというもの。