タイプ
論考
プロジェクト
日付
2015/9/15

アメリカNOW第130号 ヒラリー陣営「ニューヨーク・スタイル」への原点回帰と民主党予備選 (渡辺将人)

アイオワ版「リスニング・ツアー」

 今から約1年前の2014年9月14日、クリントン夫妻はアイオワ州インディアノーラでトム・ハーキン上院議員(現在は引退)の資金集めピクニック「ハーキン・ステーキ・フライ」に参加した。ヒラリーがアイオワに入るのは実に2008年の党員集会以来であり、振り返ればこれが事実上のヒラリーの2016年選挙戦スタートだった。かつて1992年のビル・クリントンの選挙スタッフを務めたアイオワ州民主党郡幹部は、夫妻揃ってのアイオワ入りに「これは重要な第1歩」と満足感を示していた。
 
 中間選挙年だった2014年の夏、共和党の立候補予定者は続々とアイオワ入りしていた。中間選挙の応援に便乗し、2016年大統領選を意識して、有権者へのアピールを繰り返していたからだ。有権者と現地メディアの反応を見て出馬を決める「テスト」の意味もあった。民主党側はヒラリーに配慮して誰も「テスト」に動き出せないでいた。それだけに1年前の9月のクリントン夫妻来訪は、民主党側の2016年予備選キャンペーンのキックオフでもあったのだ。
 
 それから7ヶ月後の2015年4月に立候補宣言をしたヒラリーは、まずアイオワ入りして小規模の集会で支持者と語った。後述する2000年のニューヨークでの上院選で行った「リスニング・ツアー」のアイオワ版である。「親しみやすさ」のアピールだとの報道が多かったが、厳密には「2008年問題」克服のためのアイオワ重視策であり、いいかえれば2000年キャンペーンへの「原点回帰」であった。2000年とは、大統領夫人だったヒラリーが、ニューヨーク州選出連邦上院の椅子に挑戦した最初の選挙戦である。マンハッタンのマジソン・スクエア・ガーデン付近の7番街に陣営本部を構えたこのキャンペーンを、ヒラリー陣営内では「ファースト・キャンペーン」と呼ぶようだ(筆者は2000年の陣営当事者だったが、現在のキャンペーンの関係者に聞いて、はじめて彼らがそう分類していることを知った)。
 
 ヒラリーにとって2016年の大統領選は、上院選(2000年)、上院再選(2006年)、大統領選(2008年)に次いで4回目のキャンペーンとなる。ヒラリー陣営関係者で顔を合わせると、4回のうちどのキャンペーンに関与したかが話題になる。候補者はずっと同じなのだが、周りのスタッフは変わり続けている。ニューヨークのキャンペーンを知らない若いスタッフに、当時のエピソードなど想い出を聞かれることもある。「いかにヒラリーが長い間、政治の一線にいるかがわかる」とスタッフ達は呟く。たしかに2016年キャンペーンでは、アイオワの地方支部のマネージャーなどは25歳。若すぎるように思えるが、アメリカの選挙陣営はごく少数の候補者側近(アッパー・エシュロン)を除く中堅以下は全般的に若い。

陣営本部はワシントンではなくニューヨークに

 2016年大統領選ヒラリー陣営は初心を取り戻し、地縁のない落下傘として支持者を開拓した「ニューヨーク・スタイル」に興味深い回帰をはかっている。象徴的なのは、陣営本部(ヘッドクオーター)をニューヨークに置いたことだ。それもマンハッタンではなく、下町感溢れるブルックリンだ。2008年のキャンペーンがワシントン郊外(ヴァージニア州)に陣営本部を設置したのと対照的である。2008年選挙の最初の間違いは、本部の設置場所だったという指摘もあった。2007年から2008年にかけて、ヒラリーは連邦上院議員で週の半分以上はワシントンにいたし、ワシントン拠点の上級コンサルタントの都合を優先したのは理解できる。
 
 しかし、2000年に落下傘のヒラリーを受け入れて支援してきたニューヨークの活動家は悲しがっていた。「どうして本部を地元ニューヨークに置いてくれないのか」と。やはり連邦上院議員だったオバマは、対照的に王道の「地元密着」を優先した。2008年にシカゴに本部を構えただけでなく、2012年の再選選挙でもシカゴに本部を置いた。ホワイトハウスとシカゴの陣営本部でコミュニケーションは遠隔となり、上級スタッフはワシントンと行ったり来たりを繰り返して不便だったが、「選対本部だけは絶対にシカゴ」とオバマ陣営幹部は決めていた。
 
 ワシントンの中央政界を嫌い、州が独立した存在で「地元色」を大切にするアメリカでは、アイデンティティが「州単位」で大切になる。連邦議会の議場でも議員は「ジェントルマン・フロム・イリノイ」という風に選出されている州で呼ばれる。拠点となる州がないと、地盤を持たない根無し草に映る。だから大統領候補としては州知事が好まれるし(特に共和党では)、連邦議員なら自分の州に1日でも多く帰る。ヒラリーは拠点がないのではなく、拠点の選択肢が多数あり過ぎる希有な例だ。生まれ育ちはシカゴ郊外だし、夫妻の政治基盤はアーカンソー州だ。だが、アーカンソーに本部を置けば「第2クリントン政権」の色が強くなる。個人としての政治家ヒラリーはあくまで「ニューヨーク産」である以上、自宅とヒラリーの支持基盤があるニューヨークに本部を置くのは自然だった。
 
 「今の若者は、大統領夫人時代のことは“ヒラリーケア”(ヒラリーが推進した医療保険改革)で知っているが、上院議員だったことをあまり知らないので驚かされる。それで上院議員時代の法案や立法成果を知らせる努力をしている」とあるスタッフは語る。来年有権者年齢に達する17歳の高校生は1998年生まれで、ヒラリーが上院議員に就任した2001年には3歳だった。無理もない。前国務長官(マダム・セクレタリー)である以上に、ニューヨーク州選出の「セネター」であることを、今回は改めて強調する構えだ(連邦上院議員は引退後も生涯「セネター」の敬称で呼ばれる)。
 
 2000年の上院選序盤で、ヒラリーはニューヨーク州内をくまなく移動する「リスニング・ツアー」を行い、有権者のニーズに耳を傾けた。選挙区にとって新顔なのだから、選挙区の空気を知る努力は当然の行為だったが、大統領夫人の草の根行脚を有権者は高く評価した。キャンペーン・マネージャーのビル・デ・ブラシオ(現ニューヨーク市長)を筆頭に2000年の陣営関係者は、地元密着の「ニューヨーク・スタイル・キャンペーン」に誇りを持っていた。有権者コミュニティへのアウトリーチ戦略にも力を入れ、エスニック集団へのきめ細かいメッセージにも配慮した。選挙広報物を多言語翻訳し、チャイナタウンからインド系街まで隅々まで「ヒラリー」を浸透させた。
 
 夫の姓の「クリントン」ではなく、「ヒラリー」のファーストネームでのキャンペーンも、2000年選挙で定着させた(陣営内ではヒラリー・ロダム・クリントンの略である「HRC」エイチ・アール・シーを好んで使っていた)。余談であるが、既にヒラリー支持を明らかにしたある連邦議員によれば、「セネター」か「マダム・セクレタリー」か、キャンペーン中はどの肩書きで呼んだらいいのかヒラリーに質問したところ、「ヒラリーがいい」とファーストネームを希望したという。とりわけ2016年は、夫との、そしてオバマとの、「2重の差異化」が鍵になる。
 
 2000年キャンペーン以後、ヒラリーの地盤は安定化し、初戦ほどきめ細かい草の根活動は必要なくなった。そして全米を選挙区とする大統領選ともなれば、世論調査を巧みに用いた「空中戦」が支配的になりがちであり、2008年大統領選は世論調査専門家やメディア戦略家が主導権を握った。もともと「永久キャンペーン」の達人と言われた夫のビルの側近には、1992年選挙を演出したメディア戦略の頭脳が集結していた。このアメリカ随一の「空中戦」の頭脳が、アイオワという、ある種こてこての「地上戦」の現場には波長が合いにくかった面もある。しかし一転して、今回の2016年選挙は「地上戦」を今まで以上に重視しているし、一定数のオバマ陣営経験者も受け入れている。ニューヨークに本部を置いたのは、2000年の勝利を再現する「原点回帰」の精神を象徴している。

予備選の活性化と候補者問題

  現在、民主党予備選には、ヒラリーのほかに、バーニー・サンダース(ヴァーモント州選出・連邦上院議員)、マーティン・オマリー(メリーランド州前知事)、リンカン・チェイフィー(ロードアイランド州前知事)、ジム・ウェブ(ヴァージニア州選出・前上院議員)が立候補しているが、ある程度の候補者が出そろったことは、民主党とヒラリー陣営にとっては好ましいことだった。当初、競争なき指名獲得になるのではないかと懸念されたからだ。
 
 予備選が無風で一切の切磋琢磨がないことは、政策論争を党内で重ねる機会の喪失でもある。候補者が鍛えられない上に、支持者の議論と関心も活性化しない。ひいては動員基盤の草の根の組織も、「地上」、オンラインともに広がらないし、小口献金も集まらない。さらに、共和党予備選がメディア報道を独占することで、民主党が記事や番組に扱われる枠を失う。これはキャンペーン報道を利用した共和党への反論機会の喪失でもある。オバマの側近であるデイビッド・アクセルロッドは「クリントンはチャレンジャーとしてキャンペーンすべきで、2007年のヒラリー陣営と同じやり方をすれば負ける」と指摘する。これは要するに「勝利して当たり前」という態度では、有権者もメディアもついてこない、何かに挑戦するというチャレンジャー候補をどうしてもアメリカの有権者は好むということである。
 
 その観点からすると、サンダースとその情熱的支持者が西海岸で対規模な集会を成功させ、その勢いをアイオワや中西部に持ち込んでいるのは、ヒラリー陣営にとっても悪くないことだ。サンダースは2012年のロン・ポール運動を彷彿とさせる若年層の情熱的支持者を引きつけ、メディアの注目を集めている。もちろん、サンダースが第三党の候補として出れば危険だ。しかし、民主党の候補者として活動している限り、党派的な支持層は最終的には本選挙ではヒラリーに傾くという見方が強い。今回の民主党の候補者は、サンダース(民主社会主義者と公言するインデペンデント)、チェイフィー(元共和党)が立候補している。オマリーは「自分が生粋のデモクラットである」ということを売りにしているほどだ。このことは「あなたの州の民主党議員の当選、再選に好影響を与えるのは、どの候補者ですか?」というヒラリー陣営のメッセージにつながる。オバマのファンと同じで、サンダースのファンは必ずしも「民主党支持者」ではなく、サンダース個人が好きで応援している。地元議員の当選が気になる民主党のコアな支持者は、「インデペンデント」のサンダースでは他の議員を当選させる力がないと考える。政策的にも「進歩的すぎる」(アイオワ州ジョンソン郡のオバマ支持者の女性)という声も根強い。
 
 しかし、バイデンが出るとなると、すべてのシナリオが変更を余儀なくされる。米メディアはバイデンの参入で混戦になることを望んでいるかのような煽り方だ。USA Todayのスーザン・ページは、「1940年以降の副大統領で大統領に立候補もせず、大統領にもならず、という人はアルベン・バークリー、スピロ・アグニュー、ディック・チェイニーしかいない」と述べ、歴史の法則に従えばバイデンは出る可能性が高いと指摘する(USA Today, 08.17.2015)。しかし、現時点で民主党インサイダーの間でのバイデン立候補への予測は、「3度目の大統領選敗退で惨めな政治家人生の終わり方は避けるはず」「家族愛の強いバイデンは家族の要望があれば敗北承知で出る」という2つの見立てに割れている。バイデンが参入すれば、穏健派票をヒラリーから奪い、サンダースがリベラル票を独占してしまう。「ヒラリーがバイデンを副大統領候補にして、永久に副大統領にしておけたらいいのに」と言うアイオワ州のヒラリー支援者の言葉が切実で印象的だった。
 

渡辺将人 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授