議会は市民の“抵抗勢力”か“代表”か?

議会への市民参加のメニュー

東京財団研究員・政策プロデューサー
赤川貴大

市民参加は議会の天敵か

これまで多くの自治体では、議会と市民参加との関係は「天敵」であったと言っても過言ではない。首長をトップに据えた行政は、政策立案過程の節目で市民参加を募り、「民意」を反映した方針や政策を具体的な条例や施策にするようになった。この過程に参加した市民の多くは、住民自治の達成感を味わった。だが、条例や施策は最終的には議会の議決や承認が不可欠である。そこには行政主導の市民参加とは異なる「民意」が存在する。選挙を経て選出された議員が考える「民意」との調整が求められる。

政策立案に参加した市民からみると、議会の存在は市民の直接的な意見を具体化した施策を潰そうとする“抵抗勢力”に映る。一方、議会は首長の支援者や理解者が“市民代表”を自称し、首長案の取りまとめに関与したに過ぎないと憤る。このような構図は、双方の感情的なしこりを生み、建設的な議論に発展することが難しい状況を作り出してきた。議会は市民参加の邪魔ものであると公言する市民すらいた。

二元代表制の一翼を担う議会への市民参加は住民自治の基本である。しかし、これまで多くの自治体では具体的な取り組みをしてこなかった。議会では4年に一度の選挙で選ばれると、任期期間の白紙委任を受けたとする国政と混同している議員や市民も少なくないためだ。自治の仕組みとして、議会や議員に自治体運営の責任者として権限を付与している一方、数の制限があるが、市民が議会を解散させることも、特定の議員を辞職させることも法的に可能である。これは国政には存在しない制度である。だから、議会への市民参加は特別なことでもなく、また特例として行うべきものでもない。自治の仕組みとして歴然と組み込まれているのである。

これまで多くの議会では、市民参加の必要性を議会も市民も感じていなかった。多くの市民は自ら支持する特定の議員とだけの関係を維持することで満足していた。議員も議会を自治の組織として不特定多数の市民との関係を構築する考えを持ち得なかった。

行政への市民参加と議会への市民参加の違いを一つ挙げれば、後者は柔軟性が高いことだ。ボトムアップ、トップダウンのいずれにしても、行政の意思決定は逆戻り、やり直しが行われにくい。一方、議会は多数の議員が存在していて、市民参加のアクセスが複数ある。一人の議員に断られても、他の議員にあたることが可能である。多様な民意をすくい上げることは、議会本来の得意技である。

地域主権の時代の地方議会

「地域主権」を掲げる民主党政権の誕生で分権化の加速が予想されるようになると、ますます自治体の自己決定能力が問われることとなった。この状況で各自治体は大きく二つのパターンに分かれた。

一つが自治体の自己決定力に魅せられて、独自色の強い政策をマニフェストに掲げ当選してくる首長の登場だ。カリスマ的な個性を持つ首長の誕生で、多くの市民は自治体で政策を的確に判断する仕組みが求められていることを実感し始めた。一方、首長は行政の長であり、行政職員の上司である。選挙で掲げたマニフェストに真っ向から疑問をぶつけることは難しい。市民は個別の政策すべてに100パーセント賛同したわけではないが、当選後の首長は益々パワーアップして、マスコミを活用し自論を展開する。

他方、首長が行政主導で粛々と慣例や慣行にしたがって運営を続ける自治体もある。この場合は、市民が硬直的な行政に嫌気を示し、公共サービスの量の拡充や質の向上を求めるようになった。しかし、こうした自治体は行政特有の無謬性で頑として市民の意見を受け付けず、これまでのやり方や公共サービスのあり方を変えることはなかった。

市民は健全な抵抗勢力を自治体内に探した。首長の判断だけでなく、幅広い層の市民が参加した自治体の総意として政策を形成することを求めた。その一つが自治体の意思決定機関である議会であった。だが、議会は首長派と反・非首長派に分かれ、市民とはかけ離れた観客のいない政治劇を演じている。行政のチェック機能に偏重していた議会には、二つの立場しか存在していなかった。首長に厳しい指摘をすること、あるいは首長が立場上発言できないことを質問することである。そのため、市民との対話ツールの整備を怠ってきた。

組織として市民と向き合う仕組みを整備してこなかった議会に対し、市民からは不要論までも飛び出した。議会の活動だけでなく存在自体にも不信が募った。これまで個別の議員を通じての接点しか持ち合わせなかった議会はうろたえた。

議員個人ではなく、組織で市民に向き合う

これが多くの自治体で巻きあがった地方議会改革の背景概要である。一部には感情的に無責任な批判を繰り返す市民もいるが、多くの冷静な市民は議会に対し、謙虚な反省と建設的な取り組みに期待している。議会はその責任において、市民参加の手立ての整備を急がなくてはならない。

その仕組みは、全市民に分かりやすく明確に示すための議会基本条例の制定だ。現在、全国で100を超える議会基本条例がある。東京財団では、議会と市民との関係強化に重点を置き、必須3項目を定め「議会基本条例東京財団モデル」と名付けた。それらは「議会報告会」「請願・陳情者の意見陳述」「議員間の自由討議」である。最低限この3項目を基本条例の仕組みとして整備し、実施することが議会に求められている。

議会が1年に一度、または定例議会終了後に、議会での議決事項や討議結果を市民に報告することが「議会報告会」の主たる目的である。条例や予算の可否が中心となるが、議会はその決定を市民に分かりやすく説明することで議決責任を果たす。理想的な会の運営は、前半は報告とし、後半は市民からの質疑である。議会報告会で最も重要なことは、議会の報告であり、報告者である議員個人の見解を述べないことである。議会が意思決定機関として市民に向き合うことが目的であって、議員個人の政治的な主張を披露する場ではない。議会で決まったことを淡々と報告することが肝要である。その後、市民から個別議員に対し、賛否の表明や見解を求められれば、議員個人の責任で発言が許される。

いくつかの「仕掛け」を整備しておくと、活発で建設的な市民との対話ができる。そのひとつは議会主催の議会報告会であるが、議会が運営の全てを引き受けるのではなく、開催場所の地域会・自治会・公民館会などの市民組織を活用することである。議員と市民が物理的に正面に向き合う必要はない。緩やかな楕円ができるように座っていた議会報告会もある。文字通りの車座となっての説明会である。このような「仕掛け」が、特定の市民の暴走を抑止し、市民同士の緊張感を生んでいるようだ。

「請願・陳情者の意見陳述」は、議会基本条例の有無にかかわらず実施している議会も少なくない。だが、市民の議会への参加する権利として条例に明記することが重要である。請願や陳情内容を文章では十分に説明できない市民もいる。請願・陳情者の表情や声質等から切実さも把握できる。日時を決め、市民が議会で請願・陳情内容や背景、ねらい、真意を口頭で説明することは提出者としての満足度を満たすだけでなく、議会が適切な処理を行う上でも重要である。

仮に「不規則発言」が繰り広げられても、その請願・陳情を所管する委員長が適切な議事運営を執り行うことで解決する。委員長の議事進行の能力が問われることになる。これにより副産物も期待できる。能力ではなく当選回数や会派配分などによる安易な委員長選出に歯止めがかかる可能性が生まれるのだ。さらに、延長線上には議長の1年ないしは2年で交代する慣習の廃止が見えてくる。議員だけに通用する内向き論理で毎年選出される議長に終止符を打てる可能性が高まる。改革に熱心な議会においても、議長の任期4年をまっとうさせない「違法状態」にある議会は多い。

個人の主義主張の開陳ではなく、議会が自治体の意思決定組織として市民に向き合う。そのためには、「議員間の自由討議」が不可欠である。行政への一方的な議会審議では、議会の意思決定過程が不明瞭になる。議会は議決機関であると同時に議事機関でもある。自治体の意思決定がどのような議論の過程で結論に到達したかが本質的な問題だ。公開の場で誰がどのような発言をしたのかは、実は、議員同士の自由討議の重要性を議会報告会で認識する議員は多い。行政への質疑だけでなく、議員間の自由討議を繰り返すことで、議論の質の向上と議会の政策立案能力が高まる。一足飛びに議員提案を行うよりも、首長提案の議案に議員同士の討論の時間を設けることが、結果として議会全体の政策立案能力を高めることが期待できる。

市民は行政からの説明や答弁だけでなく、議員間の自由討議に耳を傾けることで、問題の核心に迫ることができる。情報が行政からだけでなく、議会からも公開されて多角的な視点から自治への参加が可能となる。

議会が市民参加を求める

ここまで市民からの視点で市民参加を論じてきたが、議会から積極的に市民参加を求めることも想定できる。また、実際起きている。名古屋市会は、市長の議員定数、議員報酬削減案に対して、自らの立場や考えを説明する機会を求め彷徨っていた。当初は、議会の代表である議長がその任にあたっていたが、案件について議会としての統一見解は市長案に反対することだけであった。議長も反対を表明する発言を繰り返すだけであった。議会としての代替案を提示するには、議会で議員同士が議論し合意しなければならない。もちろん、その過程は市民に公開され、市民の参加を得ながら合意されていく。今後の名古屋市会の取り組みに注視する必要があるが、議会の対案が完成したときは、議会から市民に参加を積極的に求めていくことになるであろう。

時間との競走

霞ヶ関の官僚やその影響を日常的に受けている国会議員は、改革が進まない地方議会に対して自治体の制度内での位置付けそのものに直接的変化を加えることを思考し始めている。的確な民意の反映と責任ある自治運営を議会が担えないのなら、特定の議員の副市長や部長など執行側への兼職を認めようと試案している。また、司法にも裁判員制度が導入され、検察審査会の運営にも市民の直接的関与が拡大した現在、地方議会だけが市民の政治参加から取り残されている。市民参加は議会にとって大前提であり、その仕組みを整備することは急務であるとの認識をもつことがまず求められる。

地方議会改革において、議員報酬や政務調査費、議員定数という議員自らの身分の問題は象徴的な事例に過ぎない。議会が市民とどう向き合うのかという本質の議論をしなければ、議会は市民から見捨てられてしまう。それは民主主義を発展、進化させることにならず、議会にとっても市民にとっても不幸な結果である。時間は迫っている。議員は議会に属する組織人として、市民は自治を日常的に担う主権者として立ち上がらなければならない。


月刊『地方自治職員研修』2010年7月号 (公職研)より転載

赤川 貴大

  • 元東京財団研究員・政策プロデューサー