【開催報告】第13回東京財団フォーラム「分権時代の地方議会改革 -改革派首長からの提言-」 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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【開催報告】第13回東京財団フォーラム「分権時代の地方議会改革 -改革派首長からの提言-」

August 7, 2008

東京財団フォーラムの概要

「地方自治体のガバナンス研究」の成果として、7月25日東京財団フォーラムを開催しました。

登壇者の主な発言内容をご紹介いたします。

研究報告・提言発表 木下敏之(東京財団上席研究員)

研究の目的と特徴

こんにちは。約3年前まで佐賀市長をしておりました木下敏之です。

「分権時代の地方議会改革」という報告書の概要を説明させていただきます。研究は大きく二つに分かれております。第1部が、「改革派」首長を2007年の夏から秋にかけてヒアリングいたしました。その結果をもとに首長経験者を中心としたメンバーで地方自治制度はどうあるべきかを議論いたしました。それから第2部は、昨年の冬そして今年の初めにかけまして、ヨーロッパ調査に行った報告です。今日は主に改革派首長が議会とどのような関係をとっていたのかということ、どんな問題点があったのかといったことをお話させていただいきます。そして、われわれの研究成果である三つの提言について簡単にご説明いたします。

この研究の一番の特徴は、首長経験者が地方自治制度はどうあるべきかを議論したというところにあります。私自身を「改革派」と呼んでいいのかどうかよくわかりませんが、いわゆる改革派といわれている首長がここ数年、続々と引退をされています。そのような意欲的な首長がいなくなると改革が止まってしまう場合が多いのでが、それはなぜだろうかと疑問に思いました。そして、その原因は議会と首長の関係にあるという問題意識を持ちました。

議会の法的な権限と活動実態

栗山町議会の議会基本条例をご存知と思いますが、その内容は議会活動への住民参加を進めることとか、住民に議会が説明する責任があるとか、議員の意識改革にとって大きな貢献をした条例です。こうした議会基本条例が出たこともあり、議会はこれからどうしたらいいのだろうかと考え、私たちはいろいろと研究を重ねてまいりました。

いろいろ調べていくと、私自身がそれまで思っていたこととずいぶん違うことが見えてきました。例えば、私が市長をしていたときには、市長は大統領であって、圧倒的に強い権限を持っているとよく言われておりました。法的な権限だけを比べると、議会と首長はそんなに大きな優劣の差がないと考えが変わりました。議会は予算の増額修正もできますし、条例案の提出をすることもできます。そのような法律で付与された権限をしっかり使えば、首長と議会の権限に実はそんなに大きな差がないのではないかという感触を得ております。いまの二元代表制では、議会側にもそれなりのきちっとした権限が与えられているのではないかと思っております。

理念なき日本の二元代表制

そもそも日本国憲法では地方自治はなぜ二元代表を規定しているか調べてみました。当時憲法大臣をされていた金森徳次郎さんの著書『憲法遺言』を読みますと、「憲法を読んで見て、何遍読んでもわからない規定がかたまつているのは、地方自治の章である。」と書いてありました。

アメリカの大統領制と日本の二元代表制というのはかなり違うところがあります。日本の二元代表制は、執行機関の権力の独走を防ぐために考えられた権力の分散の理念と、権力の集中で迅速に行政を執行するという二つの理念が混在している制度ではないかという感じがしています。

いまの日本の多くの地方自治体では、議員が執行権に近づいていくのが実態です。これは政治家としては、ある意味当然です。執行権に近いほうが大きな政治力を持つことができますので、首長に近づいて政治的な存在感を高めようとする傾向が明らかに見えてきております。ですから、憲法が想定している二元代表制の効果というものが発揮されていないという感触を得ております。

“車の両輪”論の危うさ

よく“車の両輪”という言い方をされます。私も市長時代、「議会と市長は車の両輪だから、仲良くやっていこう」と議員から再三言われました。どうもこの車の両輪という言い方が大きな誤解を与えているのではないかと思います。要するに車軸がつながった関係であるのか、それとも両輪ではあるが車軸がつながっていないのか。現実は、車軸のつながった両輪、そして時間が経過すると一輪車化してしまう現象が多く見られます。

議会と首長が一輪車化、車軸のつながった両輪になりますと、表面的には自治体の運営は安定しますが、憲法が本来想定している制度とはかけ離れてしまいます。憲法は議会も民意を汲み上げて、首長も民意を汲み上げて、議会の場で全体の進むべき方向、民意は何かを調整する機能が期待されています。現状はそれに反しているのではないかと思っております。

議会と首長が一輪車化、一体化してしまう原因は何か。これはいろいろな考え方がありますが、一つはやはり住民が議会と首長は車軸のつながった両輪関係にあるべきと考えていることに、大きな原因があると思います。

行政への不当な介入をする議員

今回の研究で調べてみると、地方自治法で予定されているいろいろな議会の権限が十分に活用されていないことが次から次にわかってまいりました。

たとえば条例の制定です。ほとんどの地方議会がこの条例制定権を活用しておりません。それから予算の増額修正とか、公聴会を開催して議会として住民の意見を聞くとか。そういったことがほとんど行われていない。一方で、本来予定されていないことに積極的な議員がいます。最近話題になっておりますが、一般行政職員の人事介入ですとか、個別具体的な予算執行への口出しとかを日常的に行っている議員が少なくないのが現状ではないでしょうか。

改革派首長と議会の関係

「改革派首長」は議会とどんな関係があるかということを調べてまいりました。私もこの中に入れていただいています。9名の改革派首長のお時間をいただき、ある特定のテーマについて、議会とどんな関係をもって、成果を達成しようとされたのか、細かくヒアリングをしてきております。なかなか、おもしろい読み物になっていると思います。私も他の市長さんの発言を読んで、こんなやり方もあったのかということで参考になりました。

改革派首長のパターン

その改革派首長を四つのパターンに分けました。名称がいいかどうかは議論があっていいですが、原理主義型、手練手管型、行政マン型、協調一体型です。グラフも作ってありまして、議会との関係は横軸、議会と二元代表制をちゃんと守ろうという形でやっていったのか、それとも一体化しようとしたのかで左右に動きます。判断の指標として、条例を提案前に議会に根回しをしたのか、執行部提案の条例が何回否決されたのかなどです。ちなみに、私は1議会1否決でした。それから共産党以外の政党の支持や協力があって当選したのかです。

分析結果は、一言でいうと原理主義型は行き詰まってしまう。なぜかというと、議会が感情的に反発して、なかなかうまく行政を運営できなくなる。原理主義型の福嶋前我孫子市長も私も議会への根回しは一切しませんでした。一方、円滑な行政運営が行われている自治体は手練手管型の方が多い。二元代表制の制度の趣旨をきちんと理解して、それを実際に試みると、残念ながら円滑な行政運営はできない。皮肉な結果が出てまいりました。

この報告書で手練手管型と分類されている首長は、行政能力があり、政治姿勢も潔い方でしたので、権力者の横暴はいまのところ出ていませんが、議会のあり方を考えると、抜本的なガバナンスの改革が必要だろうと思っております。

議員の活動

分析して、もう一つわかったことは、議会で議員同士での大きな方向性についての議論を行うことが少ないということでした。自治体の進むべき大きな方向性を議論していない。議員の活動はそれぞれの個別利益の実現のために直接執行部と交渉することに終始している。権力者である首長の横暴を抑える、行政をチェックする機能は果たされていない。これも実は深刻な問題ではないかと思います。

欧州の基礎自治体の制度

報告書の後半部分はヨーロッパの地方自治制度の調査の報告になっております。私はイギリスとフランスに行きまして、福嶋前市長と石田前犬山市長はスウェーデンに行かれました。私が一番驚いたのは、この三つの国の地方自治制度は議院内閣制を採っていたことでした。私は、二元代表制を採っている国があるのかなと思っていました。しかし、住民から直接選挙で選ばれた議員の中から行政権を執行するリーダーが選ばれる制度でした。議会では自治体の進むべき大きな方向性を議論していました。世界ではこちらの制度を採っている国がほとんどです。これが非常に印象的で、またいろいろ考えさせられることでした。

政策提言

提言の部分について説明いたします。まず1番目は、そもそも議員とは何かということをよく考えようということであります。ヨーロッパに行ってみて、大きな方向性を、民意をしっかり汲み上げて議論している議員の姿に大変心を打たれました。一方、日本の議会と首長の関係は、具体的で小さな個別の利益の調整に終始しています。

そもそも議会とは一体何を期待するところなのかを、住民一人ひとりが一から考える必要があると思います。最近、教員人事の口利きが話題になりましたが、そういう個別利益の調整をお願いする存在でいいのか。それとも、大きな方向性を市長とともに議論する存在がいいのか。やはり、これは議会や議員の問題だけではなく、それを選ぶ住民の意識が第一だと思います。

多くの住民は責任ある議会や議員に善良な市民としての手本を示したりすることを期待してないんですね。ましてや、大きな議論を議会で行い、市全体をいい方向にもっていくことを期待していない。行政が言うことを聞かないときに、個別の口利きで頼み込んで何か動かすとかですね、そういうことを議員に期待している住民がやはり一番問題があると思います。

国会議員や県議会議員、市議会議員が悪いといって鬱憤を晴らすようなことを言われる方は多いし、マスコミにもそのようなことが書いてありますが、そのような県議会議員、市議会議員を選んでいる人が一番悪い。私は今回の提言を作成していて思ったのは、やはりそこのところに気づく人が増えないと、議会はよくならないと強く感じました。ただ、大上段に振りかぶってもなかなか変わらないので、できることに一つずつ手をつけていくのがいいのかなと思っております。

提言2は具体的にいろいろ書いておりますが、議会の活性化のためには、地方自治法が定めている様々な機能を最大限活用するところから始めるべきと思っています。条例を制定する議会も少ないですし、それから予算の増額をしたりする議会も多くはありません。また民意をくみ上げるために個別の議員の活動ではなく、議会全体として公聴会を開いたり、参考人を呼んだり、アンケートを取ったりという活動をしているところはあまり多くはございません。いま与えられた権限を最大限使ってみてはどうかと思っております。

そのためには議会の活動をサポートする事務局体制が充実している必要があります。議会独自に職員、それも庶務ではなく法律の専門家を採用することも必要です。それから政務調査費は議員個別に配分するよりは議会としてひとつにまとめて、アンケートを実施するなど民意をくみ上げる活動の経費にするべきではないかと思っています。

それから提言の3番目ですが、首長と議会の関係など地方自治のガバナンスのシステムは、できるだけその地域で自由に決められる制度であるべきだと思っております。その地域の住民の判断によって、一元代表制、議院内閣制もできるようにすることが望ましいです。残念ながらそれはいま日本国憲法の規定から考えるとかなりむずかしい。ですから、まずは地方自治法をはじめとした地方自治体の制度を定めている法律をできるだけ緩やかなものにする。そして憲法改正の時期がありましたら、一元代表制を住民の判断で選択できるような改正も必要ではないかと思っております。

研究報告・提言説明 福嶋浩彦(東京財団上席研究員)

改革派首長の誕生

昨年1月まで千葉県我孫子市で市長をしておりました。この研究報告書は、改革派首長からの提言となっています。今日登壇しているのは元の首長ばかりですが、そもそも改革派首長とは何だったのか、何なのかということからお話ししたいと思います。

この定義をきちっとするのは不可能だと思いますが、ただ言えることは、改革派首長が登場する前、あるいはそういう首長が存在しない自治体がどのような自治体を運営しているかというと、制度としては二元代表制ですけれども、実質は疑似議院内閣制となっているのではないかと思います。

議会の中のほとんどの会派や政党が、自分たちがこの人ならまあいいだろうと思える人を“談合”で首長候補者にして、選挙に出す。そうすると、選挙が始まるときにはだいたい当選者が決まっている。各会派、各党が応援している候補者への対抗は泡沫候補しかいない。事実上議会の談合で首長を決めてしまっている。憲法上の権利である市民が首長を選ぶ権利が形骸化している。そのような談合で選んだ首長と議会が、選挙後は談合をしながら自治体を運営する。そうすると、最も身近な自治体において、主権者である市民が自治体運営から疎外される。

そんな自治体が多い中で、改革派首長の一番わかりやすい登場の仕方は、各党推薦の“談合”候補を選挙で市民派候補が破るというパターンです。実際には最初の登場のときはいろんな経緯があるとしても、実質的に、自分の政治的な基盤を議会の支持に置くのではなく、市民の支持に置く首長が登場しました。そして市民の支持を得ながら大胆な改革をしていった。それを改革派首長と呼んでいいのではないかと思います。談合的な構造を壊したのが改革派首長と言えるのではないでしょうか。

そういう改革派首長が登場したとき、引き続き談合を求める議会は、談合を受け入れない首長を、“議会軽視”と批判をするわけですね。そのときの対応で、先ほど木下さんが言われたいくつかのパターンが生まれているようです。

市民に支持基盤をもつ首長

この報告書ではいくつかパターンを紹介しています。手練手管型の首長、うまく議会を手なずけた首長は、改革をより進めることができたという評価になっています。ただし、その自治体の議会は、疑似議院内閣制の議会と同じように、行政をチェックする能力を失っています。もちろん首長は談合型に変わるわけではないんです。手練手管で議会を手なずけたとしたって、首長はきちんと市民に支持基盤をもっている。

この提言について少し角度を変えて言えば、やはり二元代表制である以上は、首長も議会も直接市民から選挙で選ばれているわけですから、首長も議会も直接市民の意見を聞き、直接市民に説明責任を果たす。首長も議会もそれぞれ直接市民に責任をもつ。そういう関係をきちっと作っていくことが大切だろうと思うんですね。

未熟な政党の地方組織

ヨーロッパの多くの自治体は二元代表制ではなくて、一元代表制、議院内閣制です。私もスウェーデンを見てきました。ここで、決定的に日本と違うのは、政党がきちっと機能しているということですね。政党政治がきちっと機能をして、それによって自治体運営に市民の意向を反映させて、自治のしくみを作り上げているということです。ここが決定的に日本と違うと思います。

日本は国政においても政党政治が本当の意味で機能しているか疑わしいところがあります。まして地方政治においては政党が機能していないと思うんですね。主要政党の地域組織というのは、本当に地方政治の主体として存在しているというよりは、国会議員の選挙で票を集める地域組織としての性格のほうが強いのではないかと思うんですね。国会議員政党に主要政党はなっています。一方、地方議員が比較的たくさんいる政党は、党運営自体が中央集権的です。本当に地方政治の主体としての政党が、まだ日本では成立していない。これをどう考えるかはそれぞれ議論があって、簡単に言えることではありません。

市民の直接参加が不可欠

ただこういう現状の中で、やはり地方自治体は市民の自治で運営をしていかないといけません。そのときに選挙を通しての自治と同時に、市民の直接参加が非常に大切になる。議会も、個々の議員が日常活動の中で市民と触れ合っていればいいという話ではなく、議会の活動―議案を審議したり、予算を審議したり、請願や陳情を審議したりする活動に、直接市民に参加をしてもらうことがとても重要だと思います。

制度としては公聴会もあれば、参考人もあるわけですね。制度としてはあるけれども、これを十分活用していないと思います。とくに請願や陳情は、市民が地域生活で問題に直面をしたときに、解決をしてほしいと願って行うケースが多いと思うんですね。そういうときに市民が直接議会に行って正式な場で議員に説明する、必要なら議員と議論できる、ということが自治にとってとても大切だと思います。これは、いまある制度を使えばできることですね。こういうことを議会はやっていかなければいけないと思います。

首長は一人、議員は複数いる

二元代表制で、首長の下には職員がいるわけですよ。我孫子市の場合、約960人の職員がいました。一方、議会事務局の人員はほんの少数なんです。それでなかなか議会が首長に太刀打ちできないと言う人もいます。でも、議会には市民から選ばれた人が何十人もいるんですよね。市長は1人しかいないんですよ。市長の下にはたくさんの職員がいるかもしれないけど、議会には市民から選ばれた人が何十人もいるわけだから、徹底して市民の参加を求めて、市民にちゃんと基盤をもつことによって議会の力を強めて、首長と対抗していくことが十分できるだろうと思うんですね。首長に対抗するためには市民と徹底して結びついていく。市民の参加を議会が徹底して進めていくことが必要なのではないでしょうか。

改革派議会の時代へ

これまでは改革派首長の時代だったかもしれませんが、これからは改革派議会の時代にならなければ日本の自治は拓けないと思います。

議会には執行権はなくても、決定権があるんです。決定している責任というものをきちんと自覚しないといけないですね。仮に、欠陥条例で市民に多大な不利益を起こしたら、議会はためらいなく追及する側になるんですね。「なぜ市長はこんな欠陥条例案を提案したんだ」と追及しますね。でも、提案した市長も悪いけど、決定した議会はもっと悪いんじゃないかと思います。多くの議会、議員にそのような責任意識があまりない、というのは確かだろうと思うんですよ。

議会の皆さんにひとつ具体的な提案をすると、議会はもっと頻繁に首長提案を修正したらいい。議員立法を日常的に行うのは望ましいけれど、現状ではむずかしい面がある。しかし、首長が提案した条例案をそのまま議決するのではなく、議会が修正して議決する。これは現状でも十分できるはずです。これを行えば、決定に対する議会の責任の意識は高まっていくと思っています。これまでは、首長提案に対して、ここを直せ、あそこを直せと指摘するだけ。議会ではなく議員が、バラバラに首長に要望するだけでした。そうではなく、首長提案に対して議員同士がきちんと議論して、議会として修正をして議決する。

まずは議会改革

私は、自治体も議院内閣制にすれば良くなるとは思っていません。将来は憲法も変えて、多様な制度を自治体が選べるようにする方向は私も大賛成です。ただし、議院内閣制のベースは政党政治です。政党政治が地方できちんと機能することが前提です。少なくとも現在の日本は、政党政治が地方において未熟な段階です。

市民自治、市民が行政をコントロールしていくために、市民が直接首長を選ぶからこそ、首長の下の行政に市民が直接参加していくことが可能になり、そのしくみも作れるわけです。首長は市民と議論した結果、議会と別の意思を持つこともあり得るわけです。議会が首長を選んだら市民の行政への参加はゼロにはならないでしょうが、何よりも議会の意思に従って首長は動くということになります。

日本の地方政治の現実を考えると、単純に議院内閣制にすれば解決するということではない。将来的にはそのような議論があっていいと思うんです。でも、現実の課題―二元代表制の議会をきちんと機能させる改革に取り組まないで、憲法改正を行って議院内閣制にしようという制度議論にすり替えると、いまの議会改革が飛んでしまうと思うんですね。

そのような議論は、基礎自治体への分権をきちんと行わないで、分権の議論を道州制の議論にすり替えるのと同じだと思っています。まず、いまは二元代表制ですから―残念ながら「全国一律」ですが、それをきちん機能させていく。その先に、本来の自治として、多様な制度を選択できるようにすることが大事だと思います。

橋本大二郎(東京財団上席研究員)

原理主義の知事

皆様、こんにちは。ご紹介いただきました、橋本でございます。上席研究員という名前をいただいていますが、とくに内容が上席なわけではなくて、皆さんのフロアよりちょっと高い席に座っているというだけでございます。

私も改革派という名前で呼ばれました。幸い、改革派の首長のインタビューというのは市町村長さんだけでございまして、知事のところにはお見えになりませんでしたので、私が何派に属するかというのが出ておりませんでした。たぶん、議会との関係では原理主義に分類されたのではないかと思います。私は行政の中では決して原理主義であったつもりではないですが、議会との関係では、選挙に臨むとき、政党の一切推薦・支持を受けない、また議会の中で特段どの会派と仲良くすることもなく、分け隔てをしないというような意味でも、それから権力に近づいてくる人をなるべく寄せつけない意味でも、原理主義を貫いてまいりました。

地方政治に学ばない国会議員

そのために行き詰まったとは思いませんけれども、いろんなことが起きました。そういういろんなことを経験したということからお話をします。いまの国会での二大政党の代表者の言動は、地方政治の経験からみると、ずいぶんずれていると思うんです。

福田さんは、小沢さんとの党首討論で、ねじれ国会で、日銀の総裁・副総裁を次々否決され、ひどい目に遭っている、私はこんなに苦労しているんだということを言われました。でも、地方では、高知県でもそうですし、神奈川県だってそうですし、他にもいくらでもこうやってねじれて、首長と議会が対立をしているところはいっぱいあります。その一番のもとを作っているのは、殆どが自由民主党の県議会議員です。福田さんがそこまで言うんだったら、自分の党の県議会議員や市議会議員がそれぞれの地域で何をしているかを踏まえて言っているのですか、と問いたいです。地方の現実にずれていることの象徴的な出来事じゃないかということを思いました。

議会との対立関係で、自分は相当数の問責決議を受けました。また、辞職勧告決議も可決されました。辞職勧告を受けたので、辞めて出直し選挙をと思いましたら、辞職勧告決議案を出したその議員さんが、「無責任なやつだ」とおっしゃいました。

問責決議は、よく言われますように、意味を成しません。意味を成さないということは、これまでの地方議会の経験からわかっているのに、民主党は参議院で問責決議を出して、高まった国民の声や波を静まらせてしまう。これもあまりにも国で政治をやっている議員や政党が地方から学んでいない例だと思います。

馴れ合いから議論する関係に

議会と首長の関係はどうあるべきか。一つは、現実の制度の中でどうあるかということ、もう一つは、憲法・法律の改正を行い、一元というか、議院内閣制にしていく。この二通りの考え方があると思います。

現実の中では、まずお互いの馴れ合いを排するということが絶対に必要だと思います。執行部の側も、議会の側もそういうことを考えるべきです。議会も執行部の権力に寄り添い、いろんな働きかけ、口利きをすることで自分の存在意義を示すような議員活動を慎んでいく。また、首長の側もそういうものを寄せつけない。しかし、しっかりとした意見交換はしていく、政策的な論議はしていく。そういう関係をとっていくべきだと思います。

これをやはり見守っていくのは市民、県民の皆さんの力ではないかなと思います。市民、県民の皆さんの力で、首長や議会の行き過ぎをきちんと、市民的目線でチェックをしていく。そのような意識が、私は絶対必要なのではないかと思います。

地域が自立できる国

首長と議会との政策的な議論の話で申し上げると、私はやはりいまの中央集権のしくみの中で、地方で質の高い政策論議にはならないと思います。いまの中央集権のしくみの中では、新しい補助金の制度を国に働きかけて作ってもらおうという議論に終始せざるを得ない。そうではなくて、本当に地方議会で政策論議を、しかも政党がそれぞれの立場から政策論議で行うのであれば、国のかたちそのものを、地域が自立をして財源・権限をもつと持つ形に変えないといけない。中央集権のかたちから完全な地域自立のかたち、地域主権のかたちに変える。そういう意味での議会の活性化、本当の意味での議会の政策力にはつながっていかない気がいたします。

議員にしかできない仕事

地方議会の議員の活動について、自分の経験から一つお話しします。高知知事時代、地域支援企画員という職をつくりました。県庁の職員が庁舎内でデスクワークするだけではなくて、市町村の現場に出て行っていろんな声を聞いて、その活動を形にしていく職をつくりました。地域のいろんな活動の情報を交換したり、活動の立ち上げを一緒にお手伝いをしていたり、数十人規模の県の職員が市町村に出ていって地域の応援団の仕事をしました。この職、活動に議会はずいぶん長い間、ご理解をいただけなかった。

その一つの理由は、議員にはそういう地域の活動をお手伝いする仕事は自分たちの仕事だとの強い思いがある。議員は地域のいろいろな声を聞いて、県庁の担当する部署に話をもっていって予算をつける。その地域の方々に満足をしてもらう。そして、自分の選挙の支援をしてもらう。こういうサイクルが県の地域支援企画員の活躍で途切れのではないかと危機感を感じられたのではないかと思います。

議員はそのような自分の庭先のことをしている時代ではありません。これは国のレベルでもそうです。中央省庁が縦割りで作っている補助金を国会議員が地域にもってきて、それで財源の再配分をする時代ではありません。このことを国会議員から地方議会の議員までがまず考えていかなければならない。

地方議会の議員は、地域支援企画員のような仕事を行うのではなく、その地域全体のためにどのような政策を実施していくかを考えなきゃいけない時期ではないかと思います。

首長の反問権

議会を活発にしていくには、首長のほうからの質問権を認めることが必要だと思います。いまの議会は、議員から質問だけです。私も知事時代に議員の質問に対し、「それはこうではないですか」、「あなたはどう思いますか」と発言したら、議長や委員長からご注意を受け、さらに発言は議事録から全文削除になりました。議会での議論を首長と議員の双方向にするということが、いま行うべきこと、できることの一つだと思います。

<地方自治体の将来像>

私はいまのしくみで地方自治体の制度に議院内閣制を導入すればいいとは思いません。国と地方のかたちが変わったならば、議院内閣制のほうがよりスムースに動いていくのではないかと思います。いまの現状の中央集権の制度で、議院内閣制を県市町村議会で採っても、私は意味がないと思います。

<住んでいる地域で税金の使い方を決める>

国と地方のいまの中央集権のかたちそのものを変えて、地方のことは地方が決定できるしくみにする。つまり、私たちが税金を納める場所と、その税金の使い方を決める場所をなるべく近いところにすることが絶対必要だと思います。東京で決められるのではなくて、私たちの住んでいる地域で税金の使い方を決めていくということです。

石田芳弘(東京財団上席研究員)

政治は風、行政は大地

前犬山市長の石田芳弘です。この報告書で手練手管型と分類されましたが、私にはその意味がよくわかりません。ただ、ちょっと考えてみると、私は地方議員から市長になりました。ですから、地方議員のもの考え方もよく理解できます。議員とか議会に配慮したスタンスで行政運営をしてきました。

市長の仕事は政治と行政の二つの面があると思っています。政治はフィクション、行政はノンフィクションというイメージです。別の言い方をすると、政治は風で、行政は大地です。政治はなかなか掴みにくいですね、実体がない。そういうイメージで議会との仕事をしてきましたから、それが手練手管と分類される原因でしょうか。

問われる地方議会の意味

10年前にNPO法が成立しました。この10年間でNPOの活動がぐっと台頭してきました。これが地方議会と地方議員に受難の時代になっているんですね。

「NPOの人はボランティアで本当によく頑張っている。それで地域が、どんどん変わってきた。でも、議員はたくさん給料もらってどんな仕事をしているんだ」という声があちこちからでてきました。それから、定年で現役を退いた人が地域に帰ってきて、ボランティア活動に参加しています。真の意味での豊かさを求めてですね。かつてのガリガリ働くだけの人生と違う人生をおくる人が増えてきました。

地方議員はね、ここに気がつかなきゃいけない。このような動きで地方議会、議員の本当の意味が問われるようになったと、私は分析しています。

この調査研究で福嶋さんと一緒にスウェーデンに行ってきました。スウェーデンは日本の対極的と言ってもいいくらい。地方自治の国です。地方が国家を支えている。皆さん、スウェーデンの地方議員は原則ボランティアですよ。給料もらっていませんよ。日本の地方議員、議会の不評なところのひとつに多額の報酬を受け取っていることがあるんですよ。都道府県議会議員は、職業になっていますね。ここに気がつかなきゃだめなんですね。

政策に責任をもつ議員

地方議員が行政に責任をもつ方向を模索しないと、もう地方議会は意味を成さないと思います。地方議員が行政組織に入り、執行側に回ることによって、責任のある発言と行動ができる。私も地方議員の経験がありますが、議員は発言した政策に対して責任がありません。

今のしくみでは、まじめに勉強している地方議員がかわいそうです。まじめに努力している人はいっぱいいますからね。そういう人たちが自分の発言に責任をもてる立場に就けることは、地方議員をさらに磨きをかけていくのではないかと思っています。

地方議会も議院内閣制にできたらいいなと思っています。

いまの地方議員は、議会活動より、自分の後援会活動のほうが大事なんですね。エネルギーの大半を自分の後援会活動に割いている議員もいますよ。政務調査費をなかなか公開できないのは、冠婚葬祭、結婚式やお葬式に持参するお金があるんです。これは議員活動ではありません。これは後援会活動なんですよ。

現制度での改革もあります。

議長の任期は1年の議会が多いです。ある県議長経験者に「なぜ1年で辞めるんですか。4年やるべきですよ。議会として、議長の権威とパワーをつけるべきじゃないですか」と言ったんです。そしたら、その議長がね、「いや、そんな4年もやったら1人の議員に権力が集中してしまう。そんなことはいかん。」と返事されました。

ある程度当選回数を積んだ議員は議長の肩書きをつけたいのですね。これじゃだめです。議長候補の政策やビジョンを公開して選挙を行う。それで議長は求心力を得る。議長は首長に対しての発言力を強くできる。

でも、議会、議員は自ら力をつけようとしてないんですよ。委員長も4年間やるべきですよ。そしてその分野の専門家になるべきですよ。政策通になるべきですよ。議員に政策について具体的に突っ込むと、あまり詳しくない。公共政策のプロじゃなくて、選挙のプロなのです。

当選を重ねるとコモンセンスを失う

もう一つ、有権者にも大いに問題がある。たとえば長いこと議員を務めている人はいい議員だと思っていますね。5期も6期も当選する議員はできる議員だと。1年生議員には仕事はできない。大きな誤解ですよ。むしろ4期、5期と経つとだんだん鮮度を失って、コモンセンスがなくなるんです。ここを有権者が見抜かなきゃだめですよ。

議員は3期、4期ぐらいまで務めたら一度辞めて、もう一度普通の市民の生活をおくる。ちょっと休んで、またもう一度、時間に余裕ができて新しいアイディアが生まれたら選挙に出る。そんなイメージです。市民のコモンセンスから離れたらだめです。

本プロジェクトは地方自治の本質をしっかり踏まえた具体的な政策提言を示し、その実現を働きかけていく予定です。その一環として全国各地での公開研究会の開催を予定しております。

(文責:赤川)

    • 元東京財団研究員・政策プロデューサー
    • 赤川 貴大
    • 赤川 貴大

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