報告論文「戦後アジアの変容と日本」

宮城大蔵
東京財団「政治外交検証プロジェクト」メンバー
政策研究大学院大学助教授

戦後アジアの見取り図 ――「アジア冷戦史」を越えて

今日、日本のアジア外交について多くの議論が交わされている。確かに「アジア共同体」への対応や日中関係などをはじめ、対アジア外交には多くの課題が山積しているといえよう。しかもその多くは、少なくとも10年、20年単位の中長期的な展望を必要とする課題のように見える。日本とアジアをめぐる歴史的文脈は、そのような知的チャレンジに基盤を提供するものであろう。しかし戦後日本とアジアをめぐる歴史は、いまだ必ずしも「歴史」としての像を結んでいないように思われる。言葉を換えて言えば、「戦後アジアにおいて日本とは何だったのか」と問われたときに、われわれはどのような答えを手中にしているだろうか。

戦後アジアの国際政治における主要な出来事を思い浮かべてみると、それは朝鮮戦争であり、ベトナム戦争だということになろう。今日でこそ急速に深まる経済的結びつきを背景に、「アジア共同体」すら議論されるが、戦後長らくアジアとは何よりも戦乱と混乱の代名詞であった。それらを「対岸の火事」として戦後日本はひたすら自らの経済成長にまい進した、そうであれば戦後日本とアジアの歴史は、「断絶」をもって特徴づけられるということになろう。日本は経済進出の一点のみをもってアジアと架橋される存在であったというのが、戦後日本とアジアの歴史をめぐる一般的なイメージなのかもしれない。

戦後日本とアジアをめぐる上記のイメージは、「アジア冷戦」と表裏を成している。戦後アジアの国際政治を米中ソの対立関係を核とするアジア冷戦として捉えるならば、日本は所詮、非力な脇役であり、日本の存在の意味を問うことにはさしたる意味はないだろう。

しかし観点を変えて問いを立てるならば、60年余にわたる戦後アジアの歩みをひとつのまとまりとして見たとき、その最大の特徴は何であろうか。1950年代、60年代には独立や革命、あるいは戦乱と混乱といった政治的マグマが、冷戦の壁を突き破って熱戦として噴出する地域、それがアジアであった。しかし「東アジアの奇跡」と言われた開発と経済成長の時代を経て、今日、アジアは何よりも世界で最も経済的活力にあふれた地域として語られ、特徴づけられる。

この「政治から経済へ」という変貌こそ、戦後アジアの歩みを最も強く特徴づける要素であり、これほどの変容を遂げた地域は戦後世界で他にはない。この変容を引き起こしたのは「脱植民地化から開発へ」という冷戦の傍らで進行した戦後アジアのもうひとつの潮流であった。そこでは日本は少なからぬ意味を持つ存在として浮上する。

アジアへの「南進」

サンフランシスコ講和で独立を回復した日本のアジアへの再進出は、インドを中心とする南アジア→東南アジア→北東アジアの順番で模索をされたといえる。戦後初期に日本で南アジアに対する関心が強かったのは、国際的指導者であったネルーのインドの威信、プレゼンスやインドの資源・市場への期待もあったが、それ以上に、北東アジア、東南アジアが日本に対して閉ざされていたことが大きな要因であった。北東アジアでは朝鮮戦争を機にアジア冷戦の壁で大陸中国とは遮断され、その代替として期待が寄せられた東南アジアでは戦争賠償問題が解決していなかった。冷戦の壁と戦争の傷跡が戦後日本の前に立ちはだかっていたのである(その最後の残りが北朝鮮である。朝鮮半島・中国と、冷戦後も世界に残る分断国家が両方とも日本の隣国であることは、日本を取り巻く国際環境の特殊要因となっている)。

さまざまな構想や模索はあったものの、実体から見れば戦後日本のアジアへの本格的な再進出は、東南アジアへ向けた「南進」という形をとったといえよう。それはよく知られるように戦争賠償を橋頭堡としたものであった。だが同時にそれは、ナショナリズムの勃興によって東南アジアにおける西欧の植民地が解体したあとの空白に入り込むという性格を帯びた。日本が最も深い関係を持つことになったのは国家規模や政治的重要性などから海域アジアの「要」ともいうべきインドネシアであったが、それはインドネシアが反植民地主義の世界的旗手であろうとしたスカルノ大統領の下、オランダとの独立戦争から始まりバンドン会議の開催(1955年)など、この地域で最も鮮明に脱植民地化を推し進めたことと表裏を成すものであった。

だが実質的な脱植民地化を果たしたスカルノは、さらなる急進的傾向を強め、マレーシア・シンガポールの植民地を再編するイギリスの試みに敵対し、やがて「北京=ジャカルタ枢軸」を掲げて共産中国へと接近していく。日本はスカルノへの関与政策で引き留めようと努力を続けるが、結局事態は、9.30事件(1965年)によるスカルノ体制の破綻まで食い止められることはなかった。

戦後日本の「南進」の模索は、自らの経済的進出に主眼があったといえるが、同時にそこに潜在していたのは、脱植民地化を肯定する一方で、アジア・ナショナリズムが共産主義に傾くことを「開発と経済成長」によって引き留めようとする試みであった。換言すれば日本のアジア関与が求めつづけたものは、経済志向によって広く繋がれたアジアであった。しかし往時のアジアは、民族主義、革命、冷戦など、政治のマグマによって分断された、それとは全く異なる世界であった。

革命、冷戦など、アジア秩序の行方をめぐるせめぎ合いが、脱植民地化の実質的な終焉によって大きな意味では終息し、「政治から経済へ」「脱植民地化から開発へ」という巨大な変容がアジアに訪れるのは、9.30事件によってインドネシアが「北京=ジャカルタ枢軸」から反共と開発を掲げるスハルト体制へと大きく転換しはじめる1965年から、サイゴン陥落によってベトナム戦争が終結した1975年までの10年間、「変容の10年間」のことであった。

アジアの「非政治化」

戦後日本が求めつづけたアジアの姿とは、経済志向で覆われ繋がれたアジアであったが、それは換言すれば開発と経済成長による「アジアの非政治化」であった。革命や冷戦などアジアの混乱と戦乱の背景にある問題は、階級対立の視角からではなく、開発と経済成長を通してこそ発展的に解消されうる、それが日本の「南進」に潜在していた「世界観」であり、それはまた戦後日本自身が歩んだ道程であった。同時に外交、安全保障の領域において制約と逡巡を抱える戦後日本にとって、アジアの「非政治化」は、日本にとってのアジアが大きく開けるために不可欠な前提条件だったのである。

「変容の10年」を経て、日本が求めたアジアの姿は、現実のものになったといえよう。「東アジアの奇跡」と言われた経済成長を経て、アジアは何よりも経済によって語られ、繋がれる地域へと変貌した。むろんその転換は、日本の力によって実現したのだとはいえない。しかしスカルノ体制崩壊後のインドネシア、あるいは改革開放に踏み出した中国といった、アジア秩序において要となる国が転換点にさしかかったとき、日本が膨大な援助を投じることによって、「政治から経済へ」という流れを不可逆的なものとすることに力を注いだことも、また事実であった。戦後日本の対外援助額の累計で首位と2位を占めるインドネシア、中国が、かつて「北京=ジャカルタ枢軸」としてアジアにおける急進的左派勢力の中軸を担ったことを想起すれば、その政治的意味は明らかであろう。

経済によって繋がれ、「非政治化」されたアジアの絶頂は、おそらくは1980年代であり、それは日本の国力と影響力の絶頂とも符合するものであった。だが今日、アジアには新たな「政治化」の予兆を見て取ることができる。その核心にあるのは、やはり中国の台頭である。かつて中国が日米中の対ソ疑似同盟の下で改革開放に踏み出したことは、アジアが「非政治化」の時代へと移行する上で、最後の決定的要因となった。だが今日、中国の経済成長とそれに伴う国力の増進は、この地域におけるパワー・バランスの変動に及ぼうとしているかに見える。この新たな状況をどう捉えるべきか。

21世紀のアジアと日本

今日のアジアを捉えるとき、二つの「アジアの地図」を描くことができる。一枚は軍事・安全保障の領域で描くことのできる「アジアの地図」であり、もう一枚は経済の視角から描くことのできる「アジアの地図」である。前者の地図では、端的に言えばアジア・太平洋に張り巡らされた米軍基地をはじめとするアメリカの軍事的ネットワークによって覆われた地域と、そうではない地域――つまるところ、中国――との間に、くっきりとした分断線がひかれることになる。これに対して後者の地図ではアジアのほぼ全域は一色で塗りつぶされる。アジアが経済的には急速に統合・一体化していることの反映である。

今のところは、この「二枚の地図」の間の「ズレ」は、潜在的なものにとどまっている。果たしてこの二枚の地図の間の「ズレ」を、ひきつづき潜在的なものにとどめることができるか、否か。おそらくそこに、21世紀のアジアを展望する上での鍵がある。

「ズレ」を潜在的なものにとどめる上で、日本が取り得る方途は何か。1. 日米同盟の安定化・深化、2. アジアにおける経済連携の深化、3. 上記二つによって形作られる枠内で、長期的な域内の民主化に向けた努力を地道に積み重ねる。おそらくは主柱としてはこの三点に尽きるのではないだろうか。そして1. はともかく、2. では日本自身をアジアに向けて「開いていく」ことが焦点となり、3. においてはNPOや各種団体など、政府間の取り組みばかりではない裾野の広い交流と協力の蓄積がなされてはじめて、真の意味での協力となるのであろう。日本の「アジア関与」は、その内容だけでなく形態においても、アジア自体の変容を反映した進化と深化を求められている。

■英語サイト記事もぜひご覧ください。→ Looking Beyond Cold War History in Asia

宮城 大蔵

  • 政治外交検証研究会幹事役/上智大学総合グローバル学部教授