平成を読み解く――政治・外交検証 連載第2回 首相はまだまだ弱い――参議院と国会の構造

平成の時代が2019年4月で終わる。冷戦の終結とグローバリゼーションのスタートとともに幕を開けた平成とはどのような時代だったのか。政治改革は何をもたらし、どのような力学で統治システムは変化してきたのか。内政と外交はどう関連し、相互作用を及ぼしてきたのか。激動の30年をたどり、ポスト平成時代の政治・外交課題を提示する。

※本稿は2018年10月16日に開催した政治外交検証研究会「平成30年を読み解く――平成の政治・外交を検証する」の議論、出席者作成資料等をもとに東京財団政策研究所が構成・編集したものです。文中敬称は当時。

【出席者】(敬称略)
清水 真人(日本経済新聞編集委員)
竹中 治堅(政治外交検証研究会メンバー/政策研究大学院大学教授)*写真
宮城 大蔵(政治外交検証研究会幹事役/上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科教授)

五百旗頭 薫(政治外交検証研究会幹事役/東京大学大学院法学政治学研究科教授)*モデレーター兼コメンテーター

日本の首相はかなり制約を受けている

五百旗頭 次に竹中さん、お願いします。

竹中 清水さんのお話は、平成時代に「首相の権力が強化された」ということでしたが、「首相はまだまだ弱い」というのが、私がお話しするテーマです。客観的にみて、日本の首相は、権力を行使するにあたって、かなり制約を受けている存在です。そこには2つの大きな制度的な制約があります。それは、参議院と国会の構造です。

 平成時代は、首相の権力が強くなった時代ですが、同時に参議院が政治過程に及ぼす影響力が認識された時代でもあります。なぜ、参議院の権限が強いのか。

 参議院に対する内閣の権限は限られています。議院内閣制の基本は、内閣が議会の信任に依存する一方、内閣が議会に対し解散権をもつことです。日本の場合、この関係は内閣と衆議院の間では成立しています。ところが、参議院との間では成り立っていません。内閣は参議院の信任に依存しない一方、内閣は参議院を解散することはできないからです。

 内閣が提出する法案を参議院が支持しない場合、内閣は衆議院の参議院に対する優越によって法案の成立を図ることになります。

 日本国憲法は衆議院の参議院に対する優越を規定しています。問題は、その優越性がそれほど強くないことです。首相指名や予算審議、条約承認に関しては衆議院の議決が優先します。しかし、法案審議について衆議院が優越するための条件は厳しい。法案に対し衆議院と参議院の判断が異なった場合、衆議院が再議決によって衆議院の議決どおりに法案を成立させるためには出席議員の3分の2の賛成が必要です。与党が3分の2の議席を獲得することは困難です。

 参議院の独特な地位は、内閣が法案を成立させる上での不確実性を増やしています。制度的にみると、内閣にとっては、衆議院からよりも参議院からの方が法案に対する支持を獲得することが難しい。衆議院に対して行使できる解散権もなく、再議決をのぞけば法案成立を促す権限は乏しいからです。

参議院の台頭

 では、参議院の影響力が注目されるようになったのは、いつか。それは1989723日、まさに平成が始まって最初の参議院議員選挙です。社会党が躍進し、46議席を獲得。同日夜の記者会見で土井たか子委員長は「巨大なエネルギーで“山が動いている”という熱っぽい雰囲気を全国で感じた」と語りました。一方、自民党が獲得したのはわずか36議席。その結果、自民党は非改選議席と合わせても109議席と定数252の半分を割り込みました。その背景には、19886月に発覚したリクルート事件、19894月に導入された消費税、さらには宇野宗佑首相(198968月在任)の就任直後に報道された女性スキャンダルへの国民の反発がありました。「ねじれ」国会が生まれ、自民党は野党の協力を得なければ法案を成立させることができなくなりました。

 その象徴は、国連平和維持活動(PKO)協力法案です。審議過程では、自民党と公明・民社両党との協議は難航を極め、海部俊樹内閣(19898月~9111月在任)と宮沢喜一内閣(199111月~938月在任)を悩ませます。最終的に、自民党は基本的に公明・民社両党の修正要求を受け入れるかたちで1992年に法案を成立させます。

 次に参議院が注目されたのは1998年の小渕恵三内閣(19987月~20004月在任)のときです。

 同年712日に橋本内閣の下で参院選が行われます。前年に金融危機が起きて深刻な景気減速が続く中、経済失政で自民党は改選議席の61を下回る44議席しか獲得できず、非改選議席と合わせても103議席と過半数を大きく割り込みます。敗北の責任をとって橋本首相は退陣。同月30日に小渕内閣が発足します。

 小渕首相は就任早々、大きな政策課題を抱えていました。金融システムの動揺への対応です。参院選前の6月から日本長期信用銀行(長銀)の経営不安が噂されるようになっていました。

 金融システムを安定させるため、破綻処理制度としてブリッジバンク(つなぎ銀行)という仕組みを導入しようとします。この制度を導入するために、小渕内閣は金融再生関連法案を国会に提出します。野党の一部から法案への賛同を得ることが必要だったのですが、これが容易ではありませんでした。参院選での勝利で野党は結束を固め、自民党に対決する構えをみせていました。

 民主党、平和・改革(新党平和と改革クラブの統一会派)、自由党の野党三会派は、小渕内閣の金融システム安定化策に反対でした。彼らは金融機関の破綻処理制度としてのブリッジバンク制度に代えて、一時国有化制度を導入することを求めます。同時に、長銀への公的資金注入にも反対し、長銀を破綻させることを求めました。

 こうした政策を実現するために、野党三会派は独自の金融再生関連法案を提出。その後、自民党と野党の間で修正協議が開始されます。野党各党の党首との会談では小渕首相は大幅に譲歩し、野党案をほぼ全面的に受け入れる考えを示します。民主党の鳩山由紀夫幹事長代理が倒閣をほのめかす発言をしたこともあり、自民党が民主党と平和・改革の考えをほぼ「丸のみ」するかたちで金融再生関連法案が成立。これにより、金融機能安定化緊急措置法が廃止され、金融機関への公的資金注入が不可能になりました。10月に長銀は破綻したと認定され一時国有化されたわけです。

 さらに、法案が成立した直後、民主、公明、自由党が提出した額賀福志郎防衛庁長官に対する問責決議が可決されます。この決議案で野党三党は8月末に発覚した防衛庁の背任事件に対する額賀長官の責任を問い、けじめをつけることを求めていました。

 問責決議案が可決されてからひと月ほど経った1120日に額賀長官は辞任します。この辞任は問責決議案可決による閣僚辞任という重要な前例を残すことになりました。

 小渕首相は「金融国会」で重要法案を成立させるのに苦労し、政権崩壊一歩手前まで追い詰められます。特に、額賀長官への問責決議案が可決されたことを重く受け止めました。それは首相への問責決議案が可決される可能性をも示し、その場合、首相は厳しい立場に置かれ、総辞職か衆議院解散を迫られるかもしれないと考えられたのです。

 小渕首相は参議院で与党が少数勢力であることが政策実現の大きな妨げとなるばかりでなく、内閣の存続そのものさえも危うくしかねないことを痛感します。このため、自由党と連立内閣を組む決断をする。1999年1月14日、自自(自民・自由)連立内閣が発足。さらに、同年105日、自自公(自民・自由・公明)連立内閣が正式に発足。以来、自民党と公明党の協力関係は続きます。

「ねじれ」が政策立案を阻む

 その後しばらく政権は安定し、20069月に小泉内閣の後を受けて安倍内閣が成立しますが、相次ぐ閣僚の不祥事や年金記録問題が原因となって失速します。自民党は20077月の参院選で敗れ、公明党と合わせても過半数議席を参議院で確保できず、安倍首相は自らの健康問題が直接の原因となって退陣を余儀なくされました。

 その後を継いだ福田康夫内閣(20079月~089月在任)や麻生太郎内閣(20089月~099月在任)にとっては参議院で重要法案をいかに成立させるかが大きな課題となります。

 ただ、衆議院では、20059月の総選挙で大勝したことを背景に、自民党と公明党は巨大な議席を誇っていました。両党の議席数を合わせれば、衆議院の定数4803分の2を超えており、内閣は参議院が法案を否決あるいは修正した場合でも、再可決によって法案を衆議院での議決どおりに成立させられる状態にあった。

 このため、福田首相や麻生首相はいくつもの重要法案を成立させるために衆議院の再可決に頼り、実際、16の法案が成立しています。しかし、ここで注意しなければならないのは、参議院で野党が過半数議席を確保している場合、与党が衆議院で再可決するのに必要な議席数を確保していても、それにより政策の実現が容易になるわけではないということです。

 その理由は2つあります。一つは再議決にはいわゆる60日ルールと呼ばれる制約があるためです。参議院で法案審議が進まなかった場合、憲法第59条第4項の規定により、衆議院は参議院が法案を受け取ってから61日以上経たないと再議決できません。

 もう一つに、国会同意人事、つまり内閣や首相、大臣が人事を行う場合に国会の同意が必要な人事については、衆参両院から同意を得る必要があるからです。現在、国会同意人事を定める一連の法律はいずれも衆議院の議決の優越を認めていません。このため、内閣や首相、大臣は野党が参議院で反対する人事を行うことができません。

 こうして、参議院が関門となって政策立案は停滞し、同時に自民党に対する支持も低迷しました。

 2009830日に行われた総選挙で民主党が大勝し、鳩山由紀夫内閣(20099月~106月在任)が誕生します。ただ、参議院で与党の議席が過半数に届かなかったので、社民党、国民新党と連立内閣を組まざるをえず、沖縄の普天間基地の移設問題に柔軟に対応することができなくなってしまいました。

 続いて、20106月に菅直人内閣(~119月在任)が発足。しかし、20107月の参院選で民主党は敗北し、自民党と公明党を中心とする野党が過半数を確保したため、政策を思うような形で実現することができなかった。民主党は2009年のマニフェストで子ども手当などを約束していましたが、自民党はこれを「バラマキ4K(子ども手当、高校無償化、高速道路無料化、農家戸別所得補償制度)」などといって批判したので、菅内閣は撤回せざるをえなくなります。

 民主党は衆議院で3分の2の議席をもっていなかったので、いよいよとなった場合に再可決で法案を成立させることもできませんでした。ですので、特例公債法案などを通すのに苦労をして、野党がそれらに賛成する条件として「菅首相の退陣」を求めるのを受け入れることになります。自ら退陣するのと引き換えに法案を成立させたわけです。

 その後、20119月に成立した野田佳彦内閣(~1212月在任)は社会保障と税の一体改革に取り組みます。しかし、「ねじれ」国会です。衆議院では自民党、公明党と3党合意を成立させるのですが、参議院で法案の審議が始まったとたんに自民党から改革関連法案の成立と引き換えに衆議院の早期解散を約束するよう迫られ、野田首相は解散を約束して法案を成立させることを選びます。この結果、201211月に衆議院は解散され、12月の総選挙で民主党は大敗。自民党が公明党とともに政権に返り咲き、第二次安倍内閣が発足した。

平成後に残された課題――国会改革の実現を

 さて、日本の首相を大きく制約しているもう一つは、国会の構造です。象徴的なのは、日本の首相がいかに国会に出席しなければならない存在かということです。それは国会が強い権限をもっていることに起因しています。

 法案提出後、内閣には議事運営に関与する権限がほとんど認められておらず、国会自身が議事運営に関して強い自律性をもっています。議事運営とは、法案審議の進行、議案の処理などを指し、特に重要なのは法案の優先順位や審議時間、採決日時などを決めることです。

 一般的には、この権限を使うのは野党だと理解されていますが、私は閣外にいる与党議員だと思います。与党議員は心ひそかに法案に反対な場合には、サボタージュ戦略を取ることができます。すなわち、法案審議を遅らせることによって内閣の政策立案を妨げることが可能です。

 実際に法案を提出した後、その法案に反対する与党議員が審議に協力しないことを避けるために自民党が編み出したのが、事前審査制です。事前審査制の過程で、内閣がしようとすることを、与党議員はかなり牽制することができる構造になっている。これはさまざまな分野で改革が進まない隠れた要因になったといえるのではないかと思います。

 では、どうすればよいか。日本は「ウェストミンスター型」を志し、首相の指導力を強化してきました。そうであれば、議事運営の権限の一部を内閣にもたせる。内閣の長である首相が法案の優先順位や審議時間を決定することを可能にする、イギリスのようにプログラム動議を認める。プログラム動議とはそれが可決された場合に、与野党は動議に定められた審議時間内に法案についての結論を出さなくてはいけないというものです。そうすれば、サボタージュ戦略ができなくなります。

 以上述べた改革案を反映する国会法の改正案を具体的に考えてみました(資料「国会法改正竹中案」)。

 平成30年の間に、選挙制度を変え、省庁再編で政府の仕組みも変えた。しかし、国会の機構はまったく触られていない。参議院と衆議院の関係も含め、国会のあり方について、今後どう改革していくかを考えていく必要があるのではないかと、私は考えています。(第3回に続く)

【資料】

国会法改正竹中案

⑴法案審議順位決定権を内閣に(国会法 55 条改正)

第五十五条 各議院の議長は、議事日程を定め、予めこれを議院に報告 する。ただし、内閣は議長に議事日程を勧告することができる。内閣と議長の意見が一致しない場合には、内閣は議事日程案を動議として提出することができる。議長はこの動議が提出された場合、他の動議全てに優先し、この動議を直ちに本会議の採決にかけなくてはならない。             

⑵法案審議開始決定権を内閣に(国会法 56 条の2廃止、趣旨説明は全法案について行う余地あり)

⑶法案議決日時決定動議提出権を内閣に(新条文)

第五十五条の3    内閣提出法案の趣旨説明が終わった後、内閣は法案の審 議日程および採決日時について提案する動議を提出することができる。議長はこの動議が提出された場合、この動議を直ちに本会議の採決にかけなくてはならない。   

⑷定足数の引き下げ(5分の1? 国会法 49 条改正)

⑸法案審議はすべて特別委員会で行う。常任委員会は法案審議を行わない(国会法 41 条改正)

(次週公開予定)連載第3回「平成時代の日本外交――国際環境の変容と内政・外交の相互作用」


五百旗頭 薫 (いおきべ かおる)*モデレーター兼コメンテーター
東京財団政策研究所政治外交検証研究会幹事役/東京大学大学院法学政治学研究科教授
東京大学法学部卒業、博士(法学)。専門分野は日本政治外交史。東京大学法学部助手、都立大学法学部助教授(首都大学東京法学系准教授兼任)、東京大学社会科学研究所准教授等を経て2014年より現職。著書に『ローカルからの再出発』(共編著、有斐閣、2015年)、『自由主義の政治家と政治思想』(共編著、中央公論新社、2014年)、『条約改正史』(有斐閣、2010年)など、資料集として『吉野作造政治史講義矢内原忠雄・赤松克麿・岡義武ノート』吉野作造講義録研究会編(岩波書店、2016年)など。

清水 真人(しみず まさと)
日本経済新聞編集委員
東京大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。政治部記者(首相官邸、自民党、公明党、外務省などを担当)、経済部記者(旧大蔵省を担当)、ジュネーヴ支局長を経て、2004年からコラムを執筆する編集委員。専門分野は現代日本政治、統治機構論、経済財政政策など。日経電子版に「政治アカデメイア」を隔週火曜日に連載中。著書に『平成デモクラシー史』(ちくま新書、2018年)、『財務省と政治「最強官庁」の虚像と実像』(中公新書、2015年)、『消費税 政と官との十年戦争』(新潮文庫、2015年)、『官邸主導 小泉純一郎の革命』(日本経済新聞出版社、2005年)など。

竹中 治堅(たけなか はるかた)
東京財団政策研究所政治外交検証研究会メンバー/政策研究大学院大学教授
東京大学法学部卒業、1998年スタンフォード大学政治学部博士課程修了、Ph.D.(政治学)取得。1999年政策研究大学院大学助教授、2007年政策研究大学院大学准教授(学校教育法改正による職務名称変更)、2010年より同大学教授。この間、2003~04年スタンフォード大学アジア太平洋研究所ショーレスティン・フェロー。専門分野は日本政治、比較政治学。著書に『首相支配――日本政治の変貌』(中公新書、2006年)、『参議院とは何か1947-2010』(中央公論、2010年/2010年度大佛次郎論壇賞受賞)、”Failed Democratization in Prewar Japan” (Stanford University Press, 2014)、『二つの政権交代 政策は変わったのか』(編著、勁草書房、2017年)など。

宮城 大蔵(みやぎ たいぞう)
東京財団政策研究所政治外交検証研究会幹事役/上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科教授
立教大学法学部卒業、一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。北海道大学法学研究科専任講師、政策研究大学院大学助教授などを経て現職。専門分野は戦後の日本とアジアを中心とした国際政治史。著書に『現代日本外交史』(中公新書、2016年)、『戦後日本のアジア外交』(編著、ミネルヴァ書房、2015年/国際開発研究大来賞)、『戦後アジア秩序の模索と日本』(創文社、2004年/サントリー学芸賞)など。

五百旗頭 薫

  • 政治外交検証研究会幹事役/東京大学大学院法学政治学研究科教授

清水 真人

  • 日本経済新聞編集委員

竹中 治堅

  • 政治外交検証研究会メンバー/政策研究大学院大学教授

宮城 大蔵

  • 政治外交検証研究会幹事役/上智大学総合グローバル学部教授