アメリカNOW第30号  2008年大統領選挙の総括をめぐって ― シカゴからの報告(渡辺将人) | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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アメリカNOW第30号  2008年大統領選挙の総括をめぐって ― シカゴからの報告(渡辺将人)

November 13, 2008

2008年の大統領選挙は、バラク・オバマの勝利に終わった。第44代アメリカ大統領として2009年1月に就任する。筆者はオバマ陣営関係者とともにシカゴの祝勝会に参加し、シカゴで大統領選挙の締めくくりを迎えた。シカゴの現地情勢も交え、今回の大統領選挙を総括してみたい。

ノーベル賞受賞者を一介のボランティアに抱えたオバマ陣営

2008年の投票日の週、筆者は研究拠点の一つにさせてもらっているシカゴ大学に滞在した。オバマ邸のあるシカゴ南部ハイドパークとシカゴ大学は、投票前夜から当日深夜まで熱気に包まれた。運動としての政治には殊更興味のない学問優先だったシカゴ大学の若い学生達が、論文の執筆を疎かにしてでもオバマの「運動」に参加するという異常現象が昨年から起きていたが、そのクライマックスといってよかった。

学生や教職員には保守系や共和党支持者も多数存在するが、彼らをも巻き込んでの雰囲気が醸成され、学生食堂のハッチンソン・コモンズと学生ラウンジのレイノルズクラブは、「オバマナイト」特設会場となった。シカゴ大学職員は「20年間の勤務の中でこんなことは初めてだ」と言う。ミシェルの職場だったシカゴ大学病院前にあるシカゴ大学書店には、レジ前に10月に出版されたばかりのLiza Mundy著のミシェル伝記「Michelle: A Biography」の特設コーナーを設けて、キャンパスをあげて祝勝に備えた。

シカゴ大学「マルーン」紙はシカゴ大学教授達の選挙日の過ごし方を特集した。ロースクールの客員教授でオバマの法律顧問キャス・サンスティーンは、現在の勤務地ハーヴァード大学からシカゴに駆けつけ、ダウンタウンのグランドパークの祝勝イベントに参加。ノーベル経済学賞受賞のゲーリー・ベッカー教授は「当日授業を開講しても欠席が多くなるだろう」と予測。同じくノーベル経済学賞受賞のロジャー・マイヤーソン教授は、インディアナ州ハモンド入りし、選挙当日までオバマ陣営のキャンバシング(戸別訪問)に参加。「帰宅したら、上級のワインを開けて結果を待ちたい」と語った。

マイヤーソンの他にも多くのノーベル賞受賞級のシカゴ大学の有名教授が、慣れないジーンズと運動靴に着替え、インディアナ州など近隣州に自ら車を走らせ、オバマのパンフレットを抱え、民家をノックしてまわった。また、歴史学部長で国際関係論学科を兼任するブルース・カミングス教授は「カーター、クリントンという南部知事出身の過去の民主党大統領とは少し異なる存在になる」と筆者に語り、オバマ政権の非南部性に興味を示す。家族がオバマのキャンペーンに参加しているため、当日は随時電話で情勢の連絡を取り合ったという。

まさに、ロースクールにとどまらず、経済学、政治学、国際関係論学科などを含む社会学類(ソーシャルサイエンス・デヴィジョン)を超えて、シカゴの教授陣は「元同僚」への支援の輪を超党派で最後まで広げた。大学における、教職員の同僚職員への選挙協力実態の事例としても、2008年のシカゴ大学の盛り上がりは、きわめて興味深い現象だったといえよう。

早朝に殺到する早朝投票現象がエスカレート

アメリカの選挙当日について、念のため確認しておきたいのは、アメリカの選挙は休日に行われるわけではないことである。平日の火曜日に行われる。つまり、学校も職場も通常通りである。そのため、投票は出勤前、通学前の早朝に集中するというアメリカ特有の「早朝投票」現象がある。日本のように休日に行われ、午前から夕方まで投票時間が分散する状況とは異なる。投票所の開門と同時に長い行列ができ、投票に並んでいる光景が報道されやすいのは、アメリカの選挙が平日に行われていることと、出勤前の早朝時間帯が、帰宅前よりは確実に投票できることと実は無縁ではない。

そのため出口調査の結果の大半が、早い時間帯で集積されてしまい、州ごとに規定されている投票締め切り時間と同時に、最後まで出口調査をカウントしないまま、ほぼ速報が打てる原因の一つにもなっている。ハイドパークのドーチェスター街と五八番通りの角の投票所も、開門と同時に市民が殺到し、その後は終日疎らになった。今回はその「早朝投票」に投票率の上昇が輪をかけた形になり、とりわけシカゴでは、一部の投票所で長蛇の列となった。もちろん、この長蛇の列現象は、初めて投票した選挙民が多かったため、投票に時間がかかったこともある。CNNの出口調査では全体の11%が「初めて投票した」と答えており、そのうち69%がオバマに投票し、30%がマケインに投票した。「初めての投票ではない」(89%)の内訳は、オバマ50%、マケイン48%で、「初めて投票した人」がオバマ支持に偏っている現状が把握できる。

ちなみに、これも日本との相違点だが、アメリカでは当日までキャンペーンが行われる。州によって細かいルールがあるものの、総じてフィールドの動員活動は、当日の締め切りの瞬間まで行われる。戸別訪問のキャンパシングで「投票しましたか」と投票を促して回り(キャンバシング)、車の運転ができない人をボランティアが車でピストン輸送し(ライド)、投票所への案内経路で最後の訴えをする(ビジビリティ)。

珍しく暖かい11月のシカゴで10万人がイベントに参加

2008年11月4日、数日前からシカゴは「異常気象」に見舞われていた。激寒のシカゴにあって、11月に入っても夜通し半袖一枚で大丈夫な暖かさであった。ダウンタウンのグランドパーク付近は、午後6時を過ぎで混雑が激しくなった。目抜き通りのミシガンアベニューが歩行者天国状態となり、人が道という道にあふれ、年越しのタイムズスクエアのような状態と化した。日が暮れてからは、シアーズタワーやジョンハンコックセンターなどの高層ビルが、イルミネーションでシカゴの夜を彩った。

「エレクション・ナイト・シカゴ」の祝勝会イベントのチケットは、オバマ陣営が献金と引き換えに発行したものだ。筆者は、オバマ陣営の全国共同副委員長の招待枠で受け取ったため、当日はスタッフ関係者、イリノイ州議会関係者とともに行動することとなった。

グランドパーク・ハッチンソンフィールドの開会は午後8時半であったが、待ちきれない参加者が午後6時位から詰めかけ、開門前の入り口に殺到したため、ここが全世界のメディア各社の参加者へのインタビュー会場となった。海外メディアも異例の存在感を示した。韓国のテレビ局の大掛かりな陣容が目をひいたほか、アルジャジーラのシカゴ取材は注目を浴びた。アルジャジーラは、参加者として来ていたシカゴ北部の30代女性に密着し、一部始終をドキュメンタリー的に取材するなど、各国プレスの手法は多彩だった。

デンバーでの民主党大会の示唆を受けてのイベント運営

オバマ陣営はグランドパークに数カ所の入り口を設けた。イースト・コングレッス・パークウェイ、イースト・ジャクソン・ブルバードからの入場に分散させた。持ち物制限はデンバーでの党大会同様の厳しさで行ったが、特徴的だったのは、オバマ応援グッズであるサインやバーナーなどの持ち込み、公園内での使用を目的とした椅子の持ち込みを禁じた。

誘導ボランティアの増員を行うなど、デンバーの党大会から多くを学んでいた。デンバーの民主党大会では、最終日のイベンスコ・フィールドで、午後3時から並んだ観客が、5時になっても入れないという長蛇の列となり、車椅子など身体の不自由な参加者が、炎天下の下、力つきて脱水症状になるトラブルも起きた。党大会ボランティアが足りず目配りが行き届かなくなったため、列に並ぶ参加者が即席のボランティアとして障害者の参加者を誘導した舞台裏もあった。そこで、投票日のシカゴイベントでは、その経験に学び、ハンディキャップの参加者のための配慮を重点的に行った。

小さなトラブルはあった。限られたチケットが手に入らず、他州から遠路来た参加者が無理矢理ゲートを突破しようとして取り押さえられたほか、チケットを会場にいったん入ったものが、外に手渡しするなどして、チケットの無断「再利用」が一部で行われた。また開門まで、早期に押しかけた集団が、現地でピニクニックを始めたため、その場で宴会の飲食物の廃棄物が大量に発生するゴミ問題が発生し、ボランティアが自主的に回収を呼びかけてまわった。

アフリカ系ソウル歌手によるゴスペル調の国歌斉唱

会場の参加者は、巨大スクリーンのCNNで流れを追う格好だった。各州の大勢判明報道ごとに一喜一憂するものの、激戦州でのオバマ勝利が判明するにしたがい、全体的に楽観的なムードが周囲の関係者の間にも漂った。西海岸の投票が締め切られた段階で、CNNで当確が打たれ、これには一同は喜びを表明しながらも、やや唖然とした反応も少なくなかった。

「こんなに早く当確が出るとは思っていなかった」という喜びと驚きが入り交じった声が大多数だった。オバマの演説を前に、1時間前からプロンプターの調整とマイクチェックが始まっていた。プロンプターの使用には賛否両論の声が寄せられたが、手話通訳の映像を会場に流さないといけないため、原稿をアドリブで変えることは不可能であり、プロンプターの使用と相成った。

マケインの敗北演説がまず行われた。このマケインの演説に対しては、シカゴの会場でも厳粛に受け止め、拍手も生まれた。総じて、素晴らしい紳士的な演説であったと好評であった。一部、マケインの演説開始と同時に、マケインが映るCNNの大画面に向けて中指を立てる仕草で嫌悪感を表面する興奮した参加者が発生し、周囲の参加者が指を下ろすよう嗜めるなどの騒動もあった。

オバマの「エレクションナイト」は黒人の関係者を表舞台に掲げた。ジェシー・ジャクソン、オプラ・ウィンフリーなどの招待客が注目を浴びたが、最も圧巻だったのは、ゴスペル調の国歌(ナショナル・アンセム)だった。歌手に地元シカゴの女性シンガーのキム・ストラットンをオバマ陣営は起用。ストラットンは、キリスト教音楽、ネオソウルミュージック、ジャズなどを得意とするソウルシンガーで、黒人音楽の世界ではよく知られた人物だ。

このストラットンは、ナショナル・アンセムを黒人特有のゴスペル調のリズムで、まったくアレンジしたヴァージョンで歌い上げたのである。筆者周辺の白人スタッフなど関係者は、通常のリズムで歌ったので、テンポがあわないという現象も発生した。しかし、ソウルシンガーのストラットンが、黒人ゴスペル調にリメイクしたリズムで国歌を歌うことは、オバマ陣営では織り込み済みの演出だった。「国歌の歌い方だって、黒人調だってあっていい。色んな歌い方がある」。オバマ陣営は、歴史的勝利でのストラットンの起用で、そういうメッセージを発したといえる。

シカゴで始まりシカゴで終わった「シカゴ」キャンペーンの深遠な意味

オバマの11月4日の演説が「Hello Chicago」から始まったことは周知の通りである。本稿でも指摘してきたように「政治家オバマ」の育ての親がシカゴであることを強く印象づけた格好だった。2004年のボストンの演説成功後に、シカゴの関係者に感謝したときとまるで同じであった。

また、1968年のシカゴでの民主党大会で、ヴェトナム戦争で国が割れるなか、暴動の中心となったのが、祝勝会場のグランド・パークであったことも、オバマ陣営としては「歴史」の転換を印象づける演出として絶好だった。「1968年に分裂していたアメリカが、今こうして統合への道を歩み出した。その記念すべき地は、かつて党大会で暴動が起きた、このシカゴのグランド・パーク以外にない。オバマはこの夜、この場所に、巧みに意味を込めた」。イリノイ州議会関係者は、こう筆者に力説した。

テレビ画面の向こうには、全国のアメリカ人がいた。世界中の人がいた。父親の故郷のアフリカの人もいた。それでも、オバマはあえて演説の第一声を「Hello Chicago」にした。オバマは上院議員会館の執務室に、共和党のリンカンの肖像を飾っていた。奴隷解放の礎を築いたリンカンもイリノイ州出身。戦争をめぐる国の分裂(かつてはヴェトナム戦争、今回はイラク戦争)を癒し、アフリカ系初の大統領を生み出したのもイリノイ州、そしてシカゴ。陣営は祝勝会の正式名称を「エレクション・ナイト・シカゴ」にした。グランドパークのステージにミシェルと共に立ったオバマの第一声「Hello Chicago」に込められた「意味」は深遠だった。

ただ単に、オバマがイリノイ州選出の上院議員で、シカゴがイリノイ州最大の都市だったという理由だけであれば、「イリノイ」「シカゴ」をここまで強調したキャンペーンの締めくくりにしたかどうかわからない。政治家オバマを生み出してくれた地元への感謝、奴隷解放以来のアフリカ系の歴史への想い、そしてかつての民主党大会での暴動に象徴された国の分裂。そのすべての結晶が「シカゴ」だったのだ。その意味でオバマ・キャンペーン「Obama 08(オバマ・オーエイト)」は、シカゴから始まりシカゴで終わったキャンペーンだった。

「歴史作り選挙」のキャンペーン史:反戦リベラル派と若年層が支えた初動のパワー

オバマの陣営のパワーは、選挙民の「歴史への参加」意識を促したことだった。オバマ陣営はシカゴの祝勝会で、上記の国歌斉唱の後、オバマのスピーチにすぐに進まず、あえて「オバマ選挙を振返る」というビデオクリップ放映を絶妙な間で挟んだ。

「今まで投票したことがない」「しかし、これが変革の選挙になるなら、その歴史に参加したかった」。一般の選挙民が「変革」「希望」などと書かれた紙を手に持ち口々に語る。「ワンネーションを実現しよう」「Yes, We Can」そう叫ぶオバマの声とオバマ陣営のロゴが、巨大スクリーンの中で重ね合わさった瞬間のシカゴの祝勝会会場の歓声は、オバマの当確が伝えられた時の歓声に負けずと大きかった。

オバマの2008年選挙は「歴史作り選挙」と位置づけてもよかろう。もちろん、その「歴史作り選挙」を実現させた下地があった。当然、本選の最終結果をもたらした要素に金融危機を含む経済問題があったことは言うまでもない。経済でフィニッシュが決まった選挙だった。他方、オバマ候補の当選までの過程を辿ると、必ずしも金融危機一言では片付けられない経緯と土壌があったことも指摘しておかねばならない。

現政権への回顧投票的な「現状不満票」が無党派に大きな後押しになったことは事実だ。ブッシュ政権への不満、金融危機、マケイン陣営のキャンペーン手法の迷走など、総合要因が組み合わさった、と考える民主党関係者は少なくない。オバマがなぜ強かったかと同時に、共和党がなぜこうも弱かったかを顧みれば、そこに見えてくるのは緩やかな保守への反発であった。終盤戦ではメディアでは忘れ去られていたが、実はオバマの選挙は「運動」の次元では、そもそも反イラク戦争で始まったものである。「アメリカへの尊敬を取り戻す」キャンペーンだった。

初動段階で「歴史作り」の主導の牽引役となったのは、反戦リベラル派と若年層だった。彼らの少なからずは、2000年でラルフ・ネーダーに共感を抱いた若年リベラル層、2004年にハワード・ディーンに共鳴した民主党内リベラル派と重なる。彼らの支援でオバマ運動は走り出した。しかし、本選締めくくりの局面では、金融危機と経済が主要な争点となり、そのため反戦リベラルが初動で活性化した候補である印象も消えた。そのため、民主党内の白人ブルーカラー層など保守層、また無党派が、嫌悪感を抱きがちだった「反戦リベラル」のオバマというイメージをさほど思い起こすことなく投票に抵抗感が出なかった。

仮に、サージ効果がクローズアップされ、イラク戦争が終盤まで巨大争点であり続けていれば、オバマのリベラルさは引き続き際立っていただろう。党内のヒラリー支援者や無党派の棄権率が高まった可能性も否定できない。その意味でもオバマは幸運を掴んだ。政策綱領を軌道修正しないままで、情勢の変化によって、異なる選挙民層にアピールする候補者イメージの改変を実現したからだ。予備選までの「オバマ運動」の立ち上がりではイラク反戦を主要争点に、リベラル派のパワーを存分に栄養として吸収し、高学歴層の支援も得た。本選での終盤では、経済情勢への不安を追い風に、「人種より経済」で党内のブルーカラー層まで固めた。

保守への反発の流れ:民主党内のイラク戦争判断を発火点としたリベラル派の不満

底流にあったレーガン以降のアメリカの保守化に対する「軌道修正」の動きは、民主党内でも間接的に発生した。顕著な事例が、クリントン政権中期以降の「中道化」へのリベラル派の反発の表面化だ。2006年以降、リベラル派が一致結束したのは、ヒラリー以外の「誰かリベラル派に理解ある人物」「イラク反戦の人物」擁立への胎動があったからであり、こうした民主党内にまで飛び火した保守化(民主党的には中道化)への反発がなければ、ヒラリーで一本化していた可能性もある。少なくともオバマ擁立のエネルギーに陰りが生じた可能性は否定できない。

筆者が「オバマとヒラリーの正副大統領のチケットはない」と考えたのは、関係者の一次情報もあったが、何よりオバマ運動自体が、そもそもは反クリントンでスタートした党内の運動だったからであり、オバマがヒラリーと組んでしまうと、オバマ運動の出発点の存在意義の根底が揺らぐというジレンマがオバマ陣営に存在していたからに他ならなかった。オバマの選挙は、いかに主要争点が予備選初動、中盤、本選で移り変わろうとも、歴史作りの「運動の選挙」であり、オバマのような人物に出てもらわないと困るという周囲の熱烈な期待が根源にあった。オバマ運動は、本人の「出たがる」エネルギーよりも、「出したい候補者」としての周囲の「推すエネルギー」が凄まじかった。その意味で、周囲の「なぜオバマか」の根源を解体しかねない危険な方策の一つが、安易な融和策だった。

「クリントン以外の選択肢を民主党に」「リベラル派の復権の手がかりを」が、少なくとも初動でオバマにトップランナーとしてのレールを敷いた原動力であった。少なくとも、民主党の指名獲得までは、この要素が大きかった。アイオワ大学のデイビッド・レドロスク准教授は「2008年のアイオワ党員集会までの民主党指名争いの構図は、ヒラリー対それ以外であり、それ以上でも以下でもなかった」と述べる。「クリントン以外の誰か」の原動力が、イラク戦争に反対していたオバマだった。「あの当時、イラク戦争に反対するのは相当に勇気のいる行為だった」とオバマ陣営の幹部は筆者に述べる。

オバマはこの反戦派の党内における苛立ちのエネルギーを存分に吸収することで、運動を大きくした。「統合の物語」を静かな情熱で語るオバマには、ジョージ・ウィルが言うように「コロンビア、ハーヴァード、ハイドパーク」のオバマという側面があり、当然高学歴層の支持を盤石のものとした。本選では、金融危機とマケイン陣営の自滅ファクターが強い後押しとなって、フィニッシュを決めた。その過程で、オバマの支持母体は多様性を増して行った。

マケイン陣営のキャンペーンとペイリンをめぐる問題再考

「リーバマンを副大統領候補に選んで、超党派路線で来られていたら流れが変わっていた可能性もある」と語る民主党関係者は多い。民主党は、共和党の副大統領候補をめぐってはその点を非常に気にしていた。デンバーの党大会中も、マケインの超党派路線に傾いたときの無党派層の共和党への傾倒、またヒラリー支持者の棄権率が高まることの二点を懸念要素としていた。そのため、ペイリンという保守派を選び、マケインが基礎票を取りにいって、タイル貼り的な票集めに走った時点で、実は大いに安堵した。女性であることは必ずしも、ヒラリー支持者の一角を崩す要素にはならなかった。

そもそもマケインの「マーベリック」さは、超党派性と信念の強さであり、ブロック票を機械的に取りに行くと、軸足のぶれが露呈するだけで、マケインらしさが半減することは自明だったともいえる。「武士道(ブシドウ)」の男、マケインは党内で堂々と宗教右派を批判し、票としては魅力的だが党内本流ではお荷物になりがちな宗教右派と反目することで、かえって党内の信頼を得ていた。そのマケインに期待されていたのは、超党派路線で民主党の足元を外から揺さぶることだったと指摘する声は少なくない。ところがマケイン陣営は、ペイリンを選んだ。

ペイリンの資質問題も大きかったが、リーバマン派とペイリン派でマケイン陣営内が、副大統領候補の選択路線で割れたことも打撃となった。陣営内の路線対立が、選挙に悪影響を及ぼすこと、陣営の結束力と結果が無関係でないことは、数々の事例で明らかだが、マケイン陣営内の軋みが、副大統領候補選び、なかんずくペイリンという選択によって引き起こされたことは特記しておくべき事項だろう。今になって吹き出しているが、マケイン陣営自体がペイリンの諸問題の情報源だったとする見方もある。

無論、筆者はペイリンが共和党大会を蘇らせ、保守票を活性化し、9月のほぼ一ヶ月間、メディアの報道すなわち「無料広告」をオバマ陣営から奪い取ったという「ペイリン効果」の凄まじさを軽視するものではない。「ペイリン効果」の実際の効果はきわめて顕著であった。しかし、ペイリン選択によって、陣営内に路線対立による「しこり」が残ったのであれば、マケイン陣営にとっては本末転倒だったといえよう。

ブラッドレー効果は杞憂に終わるも、レッド州のブルー化の背後に逆「人種ファクター」か

ブラッドリー効果はなかった。オマバ陣営関係者の間では、ニューハンプシャー州予備選での結果を理由に、最後まで懸念は消えなかった。しかし、結果的にまったくの杞憂に終わった。

これに関連しては、「ニューズウィーク」誌のハワード・ファインマンの分析が面白い。「アンチ・ブラットレー効果」ともいうべきものが、共和党支持白人層の間であったと指摘する。ファインマンは次のように指摘する「いくつかのレッド州(共和党州)では、社会的圧力を感じるなかで、ポールスターにはマケインに入れると答えておいて、オバマに入れたひとたちがいる」(MSNBC「Hard Ball」2008年11月6日)。

ファインマンが指摘したのは、第一に、世論調査には正直に答えず、投票行動でオバマに入れる行為。第二に、オバマには入れることまではできないが、仮病でも何でも理由をつけて家に滞在し、投票に行かずに棄権する。棄権でマケインには入れないことで、「間接的なオバマへの支持表明」をした共和党支持、共和党寄り無党派の白人層の存在である。筆者はシカゴで民主党の選挙関係者からも同様の指摘を多数聴いた。

つまり、旧来の意味でのブラッドレー効果は見られなかったが、オバマの人物的魅力や政策に共鳴を感じた白人層が、一部オバマ支持を堂々と主張できない地域環境がまだ存在した、という意味では人種ファクターは一部残存していた、と言える。あくまで逆説的な意味においてである。

世論調査では人種偏見を出さないように答え、投票行動でそのような感情を発露する投票をするという意味での「旧来的」ブラッドレー効果では生まれなかった。しかし、レッド州の白人コミュティ内で、黒人政治家を個人が堂々と支持することについては、どこまで正確に事前に把握できるのか、将来の世論調査上の課題が顕在化した側面は興味深い。オバマ陣営には嬉しい現象ではあったが、ファインマンが言うように「社会的圧力(ソーシャルプレッシャー)」が存在したという意味において、人種ファクターをめぐる分析の意義が消滅したわけではない。

30代の高学歴プロフェッショナルをボランティアから各州スタッフに抜擢

オバマ選挙を、ネット選挙と考えるのは一面的だ。地上戦とネットの絶妙の混合体と考えるべきである。オバマ陣営ほどアメリカの歴史上、個々の州、とりわけ激戦州の地上戦を重視した作戦はなかった。アイオワ党員集会の頃から、その手法は際立っていた。アイオワ州でオバマは小さな連絡事務所的なオフィスの開設数ではトップを走り続けた。

オバマ陣営は「情熱度」を重視した。末端の有給スタッフにもこれを求めた。そこで本選に参加した各州のフィールドの小事務所の管理人クラスのスタッフを予備選のボランティアからリクルートした。ニューヨークなど大都市の熱心な民主党青年部は、アイオワ、ニューハンプシャー、オハイオ、ペンシルバニアなどに地上戦ボランティアを大量に注ぎ込んだ。

オバマ陣営は彼らの多くを、本選に向けて新たに増設した各州の事務所のマネージャークラスに抜擢した。また専門知識のある法律家などは勤務先を休職してオバマの本選に参加するという現象も多々生まれた。各州にロイヤーの資格を持つボランティア出身のスタッフが散らばった。ここで見えるのは、オバマ陣営のボランティアが、単なる20歳前後の草の根の学生のサークル活動のようなものだと考えるのは一面的だということだ。

都市部の30代の情熱的なプロフェッショナル層も多数参加した。彼らは高学歴層だった。勤務先の銀行や弁護士事務所を休職して、あるいは辞めてまで、オバマ陣営に参加した者が筆者の友人にも複数存在する。彼らは、最初はボランティアとして、週末だけ数回のキャンバシングに参加する。そして、情熱が強いものは本選に残って行く。これがオバマ陣営の地上戦作戦の30代のエネルギーの活用法と、本選のスタッフのリクルート法であった。そして、冒頭に書いたように、最終的にはこの輪はシカゴの経済学者まで巻き込む規模に拡大した。

地上戦の文脈で意義があったオバマの「ネット選挙」

よく語られるオバマの「ネット選挙」というのは、実は空中戦の次元ではなく、地上戦を支える土台になった意味で独自性があるといえる。ネットはオバマ旋風の過程で、まったく違う方向で利用されていった。顕著だったのは、マイスペース(My Space)、フェイスブック(Facebook)などのソーシャルネットワーキングサイト(SNG)の威力である。2008年1月のアイオワ党員集会キャンペーン前までに、83万人がソーシャルネットワーキングサイトを通してオバマ運動に参加した。

オバマ陣営はオープンなプラットホームをネット上に提供し、支持者は参加の仕方を自分で選べるようにした。同性愛者の会、ニューヨークのインド系の会、シカゴの環境保護団体、若手カトリックの会、などそれぞれのコミュニティのサイトが立ち上がり、アウトリーチの手法もこれまでに比べて一層グラスルーツ化した。ちなみにオバマはキャンペーンのメッセージとしては「脱人種」を唱えたが、現実の選挙戦としては、しっかりエスニック集団や各団体を尊重する旧来型アウトリーチも行う「二正面のキャンペーン」を展開した。

フォーンバンクという電話説得のリストをネットからダウンロードして、自分たちで自主的な電話勧誘を企画する動きも起きた。オバマは万遍なくスタッフを小さな町に派遣し、事務所を細かく設立したが、それでも足りない地域では自主的に動員活動が行われた。スタッフが陣営から派遣されない、つまり支部が設立されていない町で支持者主導のイベントが開催されるのは、アメリカの近年の選挙戦では異例のことだった。

この構造に目をつけて重要性を早くから指摘してきたジョー・トリッピは、2008年8月デンバーの民主党大会における会合で次のように語っている。

「知らない人が、いきなり電話して、あるいは家を訪ねてきて、いついつにどこどこで集会があります。一緒に政治について考えましょう、絶対来て下さい、と勧誘されて普通行くだろうか。気持ちが悪いだけではないか。それより信頼している親友に一言、この候補者いいよ、と薦められたほうが、影響力がある」

ユーザー・ジェネレーテッド・コミュニケーションと呼ばれるこの考えは「知り合いから知り合いへ(ピアツーピア)」が基本である。「知らない人に知らない人」が仕掛ける旧式のフォーンバンク(電話ローラー作戦)やキャンバシング(戸別訪問)の効果を根底から問う。 元来、一番効果があるのは原始的な「口コミ」である。しかし、口コミはそれだけでは効果を持ち得ない。その隙間をネットというコミュニケーションのツールがつないだ。

オバマ上陣営は、i-phone向けのアプリケーション「Obama '08」提供したが、電話連絡の結果を管理する「Call Friends」やローカルの事務所と連絡できる「Get Involved」などグラスルーツ機能がその目玉だった。一斉メールや動画で宣伝する空中戦の延長には本当の意味のオバマ選挙の特質があったわけではない。むしろグラスルーツの強化だった。

ヒスパニック票、信仰票の裏にもブッシュ共和党政権への否定的評価が

フロリダの奇跡の原因の一つはヒスパニック票である。フロリダのヒスパニック系は、反共キューバ移民を中心に共和党寄りの伝統が根強い。オバマはフロリダ州でヒスパニック票の67%を獲得した。マケインは31%しか獲得できなかった(CNN出口調査)。

これには経済状況への不満とともに、ブッシュ政権下でのボーダーパトロールの強化など、共和党の移民政策への反発票が加味されているとみてよいだろう。マケイン自体は移民に寛大であったゆえに、きわめて皮肉な結果だ。「思いやりのある保守主義」を標榜し、片言のスペイン語を話すブッシュの2000年の選挙、そしてカール・ローブが仕掛けた同性愛結婚などを争点化する「価値問題」選挙において、カトリックのヒスパニック票が民主から逃げた2004年との最大の違いといえよう。

信仰票の動向は興味深い。プロテスタントでは、オバマ43%、マケイン55%として共和党に定石通りに票が集まっているが、人工妊娠中絶では福音派プロテスタント以上に強固な姿勢を崩さないカトリックでは、オバマ50%、マケイン49%と競っている(CNN出口調査)。2004年のように信仰票が共和党に集わなかった背景には、共和党政権が既に2期も続いている現状と無縁ではない。つまりここでも回顧投票的判断が働いている可能性がある。

「アーリントン・カトリック・ヘラルド」紙(Aug.28-Sep.3,2008)に寄せられた、エルミー・マルチネス氏の投書は示唆的なので引用してみたい。共和党政権の価値アジェンダへの取り組みと成果に対する痛烈な批判である。

「カトリック教徒として私はプロライフである。しかし人工妊娠中絶は、カトリックが大切にするた唯一の問題というわけではない。私達は、過去28年間のうち20年間も、共和党のしかもプロライフの大統領を有してきた。しかし、ロー対ウェードの判決は未だに揺るがないではないか。オバマは不必要な戦争に最初から反対していたが、これはヨハネ・パウロ2世と同じ立場だ。オバマの移民政策は我々の教会と同様に同情的な政策だが、共和党の移民への姿勢は敵対的だ」

キューバ系黒人とアイルランド系の双方の血を自らも引くことから、エスニック問題に関心の強いCNNのソリダッド・オーブライアンは「ヒスパニック系が黒人を支持するのは大転換である」として、黒人候補にヒスパニック系が投票することの意義の大きさを強調した。オーブライアンの見方も的を射ているが、これをもって完全な「エスニック融和」と見るのはまだ早いかもしれない。相互の感情には基本的な大転換が訪れたわけではない。ヒスパニック系が「黒人大統領」を欲して投票したわけでは必ずしもない。

まさにオバマが言うように、そこは「脱人種」判断である。共和党政権下での経済の悪化で、貧困層の少なくないヒスパニック系が打撃を受けたし、共和党にとって敬虔なカトリックの多いヒスパニック系をつなぎとめる鍵は「信仰」だったが、上記のような共和党政権での価値問題アジェンダでの成果不足が、現政権、しかも二期目であるゆえに共和党に不利に働いた。

オバマの予備選過程と本選過程をめぐって:「2008年度版新ニューディール連合」か

時間軸で辿れば、オバマの勝因は予備選過程と本選過程に大きく大別できよう。第一段階では、イラク戦争に賛成した党内中道派に対し、党内リベラル派が幻滅を感じたエネルギーが、まずオバマ運動の初動を後押しした。クリントン一本化の流れを変えた党内力学の大きな要因である。毎日の暮らし(キッチンテーブルイシュー)を標榜していたのはむしろヒラリーだったが、予備選過程では目先の経済よりも「変革」が重視された。「リベラル派」「歴史作りの変革」「若年層」などいくつかのキーワードが手がかりになろう。

そして、第二段階。その後の本選に向けて、党内にとどまらず、広くアメリカに蔓延する保守化と共和党政権への辛口の評価(価値争点、経済状況、その他)と相まって、オバマ陣営は最終的にはブルーカラー層にまで支持を広げた。金融危機がとどめを刺したのは言うまでもない。しかし、経済はあくまで本選過程における決定打でもある。ブラッドリー効果を陳腐化させるほどに、民主党政権と民主党議会への期待を増幅させた最大の理由であることは間違いない。他方、オバマがなぜ大統領候補として党内外で頭角を現したのか、その後草の根の支援を拡大してきたのか、オバマ政権誕生の生成要因のすべてを説明するわけではない。本稿で概観してきたような経緯と背景にも目配りしておく意義はあろう。

結果として、党内のアイルランド系、イタリア系などが重視する信仰などの価値争点、黒人、ヒスパニック系、アジア系などの間にくすぶるエスニック対立など、民主党内の亀裂諸要因を残らず「棚上げ」でき、2008年度版の「新ニューディール連合」を形成できたのが、民主党側の勝利要因であったのかもしれない。

理念的にはオバマの「ワンネーション」であり、外部的には経済状況が後押しし、下地的には共和党政権と保守への反発の流れがあった。逆にいえば、ブッシュ政権の支持率の低さに反映されている共和党と保守化への抵抗感、マケイン陣営の自滅的ともいえるキャンペーンの軸足の乱れ、金融危機など外部要因が絡み合った選挙だからこそ、歴史的な初の黒人大統領を生み出せたともいえ、別の選挙で別の状況下で別の相手で戦っていれば、オバマといえども危なかったという辛口の分析にも一理はある。しかし、間違いなく大きな「歴史」を作ったオバマ陣営とオバマを支持したアメリカの選挙民には、このような辛口の皮肉は意味を持たないであろう。人類史のあらゆる歴史は偶然の重なり合いの中で生み出されてきたのだから。オバマ大統領はこの同時代のアメリカに、生まれるべくして生まれた、求められた大統領だと言ってよい。

以上
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米ジョージワシントン大学客員研究員

    • 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授
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