アメリカとWHO ~新型コロナを巡って浮上した国際保健協力の課題~

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アメリカとWHO ~新型コロナを巡って浮上した国際保健協力の課題~

東京都立大学法学部教授
詫摩佳代

 

2020年77日、アメリカのトランプ大統領は国連に対し、正式に世界保健機関(WHO)を脱退すると通告した。トランプ大統領は4月以降、WHOに対する一貫して批判的な姿勢を貫いてきた。4月初旬にはWHOが「基本的な義務を果たさなかった」、「中国寄りである」として拠出を停止すると発表、5月末にはトランプ政権が要求した改革が実行されていないとして「WHOとの関係を終わらせる」と宣言していた。本稿では以上のようなWHO批判を読み解くことで問題の本質を見極め、アメリカ不在の中で、保健協力が抱える喫緊の課題にいかにアプローチしていくべきかを考えていきたい。なお、筆者は20205月に「スペイン風邪からアフターコロナ ~国際保健協力の行方~」と題するコラムを執筆し、保健協力の長期的な展望を描いたが、その後の状況の変化を踏まえ、本稿はとりわけ保健協力における喫緊の課題を取り上げてみたい。

中国への特別な配慮?

WHO批判は大まかに「中国寄り」そして「義務を果たさなかった」という2点に集約できよう。まず「中国寄り」、「中立ではない」という批判についてだが、そのような批判の原点となったのがテドロス事務局長の中国への対応であった。128日にテドロス事務局長が訪中、習近平国家主席と会談を行い、「中国の力強い措置が世界を敬服させている」と述べ、その対応を称賛した。感染が広がりつつある中で中国の対応を称賛したこと、また122-23日の第一回WHO専門家会合の際、緊急事態宣言を見送ったこと、さらに渡航禁止勧告を出さなかったことなどが中国寄りだと批判されてきた。

テドロス事務局長が中国に何らかの特別な配慮を行ったことは間違いないだろう。他方、それが巷で言われているように、中国に対する忖度であったのか否かは、確たる証拠に基づき検証される必要があるだろう。渡航禁止勧告を出さなかったのは、2005年以降のWHOの慣例であり、2014年にエボラ出血熱が流行した際も西アフリカ行きの飛行機を見合わせる必要はないとWHOは主張し続けた。2003SARSの際、WHOはカナダと中国に渡航禁止勧告を出し、当該国から非難を浴びた。この経験から2005年の国際保健規則改定の際、WHOの勧告には国際交通への阻害を最小限に抑える必要があるという規定が付け加わったためだ。

また、公の場で中国を称賛するというテドロス事務局長の行動は極めて外交色の強い、表面的な対応であったということにも注意が必要だ。そのような対応とは裏腹に、WHO内部では必要な情報を中国から入手できないことに苛立ちを募らせていた。SARSの時、当時のWHO事務局長が中国の対応を批判し、中国とのコミュニケーションに支障を来した経験が思い起こされ、だからこそ批判ではなく、称賛することで中国とのコミュニケーションを図ろうという思いが存在したのである。

但し、いかなる理由であれ、中国に特別の配慮を行うことにはもう少し慎重さが必要だっただろう。そのような行動が「ウイルスは中国で封じ込められている」という誤ったメッセージを国際社会に与えることになったからである。また、米中が対立している状況下で中国に特別の配慮を行うことで、アメリカがいかなる反応を返してくるかということも予測するべきであった。冷戦の最中に展開された天然痘根絶事業では米ソのワクチン、資金、人員など様々なリソースが活用されたが、ワクチンの品質一つをとってみてもアメリカの優位が顕著であった。そのためWHOはソ連のワクチンが品質テストに合格しなかった際、根絶チームのディレクターにアメリカ人が就任した際、度々モスクワに赴き、ソ連の機嫌を損ねないように細心の注意を払った。国際保健協力は国際政治の影響を免れ得ないだけに、政争の火種とならないよう、事務局長の細やかな配慮が必要となるのである。

義務を果たさなかった?

WHOに対する第二の批判は「基本的な義務を果たさなかった」というものである。WHO憲章によれば、WHOの義務とは健康に関する様々な基準を設定すること、必要な国に支援を行うこと及び支援のための様々な協力を調整することである。感染症対応に関しては必要な情報を集め、状況を評価し、適切な勧告を行うことがその義務である。WHOは1月30日に専門家会合を招集して「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」であると宣言し、23日には国際社会に向けて対応のためのガイドラインを発表、3月11日には「パンデミック(世界的大流行)の様相をなしている」と発表した。その後も連日ブリーフィングを行い、5月末にはワクチン、治療薬、診断ツールを国際的に共有するためのイニシアティブを立ち上げた。基本的な義務は果たしてきたのである。

むしろ今回明らかになったのは「できることをやっていない」不作為の現状というより、「できることが限られている」という現状であった。上述の通り、WHOは保健協力の情報塔として機能しつつ、各国に必要な指針を与え、連携を促し、協力に向けた調整をその任務とするが、いずれも強制力は伴わず、加盟国の自発的な協力があって初めて機能しうる。例えば感染症対応の国際条約である国際保健規則には、各国がその領域内で国際的拡大をもたらすおそれのある公衆衛生リスクを確認した場合には、24時間以内にWHOに通報するように義務付けられている。しかし現状ではその義務を多くの国が適切に果たせずにいる。WHOがより積極的に情報を収集し、発生が疑われる国に立ち入って調査するということができていれば、少しは違ったのかもしれない。現状ではそのような権限は持たず、発生国が自発的に申告する情報に依拠するよりほかないのである。WHOが発生国・中国に特別な配慮を行ったことは、このような限界が招いた一つの帰結でもあった。

どのように補強していくべきか?

それではこのような各種問題点をいかに是正していくべきだろうか?喫緊の課題としては国際保健規則の改定によって、WHOができることを増やしていくというのが現実的な処方箋であろう。国際保健規則は国際環境の変動に応じて度々改定されてきた。1981年の改定では、前年に根絶が宣言された天然痘がその対象から外されたし、2005年の改定では911同時多発テロの経験を踏まえ、生物細菌兵器を用いたテロを視野に入れて、規則の対象を感染症から「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」へと拡大した。また同改定では、非公式の様々なチャネルから得られた情報に関して、WHOは当該国に照会し、検証を求めることもできるようになった。国際環境の変動に伴い、ルールを柔軟に変えていくことは不可欠なプロセスである。今回浮かび上がった第一の課題は、感染症の初動対応におけるWHOの権限見直しであろう。上述の通り、発生国がそれぞれの領域内で国際的拡大をもたらすおそれのある公衆衛生リスクを確認した場合には、自発的にWHOに報告することが求められるが、世界の多くの国がそのような義務を適切に果たせない現状がある。WHOがあらゆる情報を駆使して、そのようなリスクを早期に発見し、必要な対応を行えるようにするなど、初動対応におけるWHO権限の見直しが必要となろう。

このほか状況の評価や各国への勧告に関しても、より詳細な基準づくりが必要となろう。インフルエンザについては状況に関する6つのフェーズが設けられているが、それ以外の感染症については「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」か否かという2つの基準しかない。より細かい状況区分が設定されるべきであるし、個々のフェーズについて、渡航や水際対策、サーベイランス(調査監視)等に関するより具体的な勧告基準を作成する必要もあるだろう。

実現に向けた連携

以上の作業はWHOに任せておけば良いものではない。WHOは国際機構であり、自ら主体的に何かができるわけではないからだ。権限を決めるのも加盟国であるし、改革のための具体的なロードマップを作成し、実行に移していくのも加盟国である。また改定に必要な賛成票を集めるべく外交を展開するのも加盟国である。とりわけWHOの権限を強化するという改定案には、国家主権への侵害を憂慮する多くの国の反対が予測されるため、関係国の合意形成に向けた外交的努力が不可欠である。従来、そのような動きをリードしてきたアメリカが保健協力に背を向け、中国には公正な改革をリードすることは期待できない。となるとどうすれば良いのか?

少なくともトランプ政権が継続する限りは、ヨーロッパやオーストラリア、日本等の国々の積極的な関与に依拠するより他ない。実際、新型コロナへの対応を巡ってはヨーロッパ、オセアニア等の国々が医薬品の開発・供給等に関するパートナーシップや基金の設立を主導してきた。近頃、連携を深めるインドとオーストラリアはともにWHO執行理事会の今期メンバーであり、WHO改革をリードできるのではという期待が高まっている。

アメリカの不在は、ややもすれば保健協力における中国台頭の余地を与えうる。中国は従来から、この分野における勢力拡大を狙ってきた。中国産の医薬品は先進国の高価な医薬品とは異なり、途上国にとってアクセス可能なものであり、今後、中国がワクチン開発に成功すれば、台頭の余地はさらに大きくなる。他方、中国は従来の保健協力で重視されてきた人権の尊重や透明性の確保といった規範を必ずしも重視するとは限らない。ガバナンスの根幹となる規範を維持・強化する上でも、日本やヨーロッパ、カナダやオセアニアなど自由民主主義国の積極的な関与が必要なのである。そのようにして保健協力を支えることができるならば、もしバイデン大統領が誕生した場合にも、アメリカに復帰の場所を提供することとなろう。米民主党議員の多くはアメリカが積極的にWHO改革に関与することを望んでいるからだ。

結局、歴史が証明するように国際協調なくして感染症をコントロールすることはできない。感染が拡大する途上国への支援も、ワクチンの開発とその公平な供給にも、国際協力を調整する組織が不可欠である。野放しにしておけば、アメリカのようにワクチンを買い占める国とアクセスできない国の格差が広がりうるからだ。そもそもWHOは各国の衛生統計や支援のための様々なルートを有しており、とりわけ途上国支援において、それらを活用しない理由も見当たらない。既存の枠組みの問題点を洗い出し、補強し、その長所を生かしていくためには、加盟国の積極的な関与が不可欠である。その連帯を維持・強化する上での熱意と工夫が今、求められている。

 

 

詫摩佳代 詫摩佳代(たくま かよ)
1981年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程単位取得退学。博士(学術)。著書に『国際政治のなかの国際保健事業』(ミネルヴァ書房、2014)、『人類と病』(中公新書、2020)、共著に『新しい地政学』(東洋経済新報社、2020)など。

詫摩 佳代

  • 政治外交検証研究会メンバー/東京都立大学法学部教授