<歴史から考えるコロナ危機>第1回「明治のコレラ~令和のコロナ」

19世紀、明治時代の日本の人々(写真提供 gettyimages)

<歴史から考えるコロナ危機>第1回「明治のコレラ~令和のコロナ」

明治初期の日本の防疫と公衆衛生行政、第一次世界大戦末期のスペイン風邪の感染症予防をめぐる各国の国際協力、外交戦略など、危機の歴史は現在の問題に対処するための貴重な経験でもある。新型コロナウイルスの感染拡大により、歴史の大きな転換点に立たされているいま、東京財団政策研究所 政治外交検証研究会は、これまでの危機や災害に政治と外交がどう向き合い対処してきたのか考察する研究会を行った。

【参加者】(順不同・敬称略)
五百旗頭 薫(政治外交検証研究会幹事/東京大学大学院法学政治学研究科教授)
詫摩 佳代(政治外交検証研究会メンバー/東京都立大学法学部教授)
松田 康博(政治外交検証研究会メンバー/東京大学東洋文化研究所教授)
小宮 一夫(政治外交検証研究会幹事)
細谷 雄一(東京財団政策研究所上席研究員/政治外交検証研究会幹事/慶應義塾大学法学部教授)*モデレーター兼コメンテーター

※本稿は2020年7月8日開催の政治外交検証研究会の議論、パネリスト作成資料等をもとに東京財団政策研究所が編集・構成したものです

自然の猛威に天然の冥利で立ち向かう日本

細谷 今回の政治外交検証研究会は「歴史との対話」の視座から、公衆衛生や感染症の歴史と現在のコロナ危機をめぐる各国の対応を繋げて考え、危機と災害の時代に、政治と外交に何ができるのかを探ります。五百旗頭先生には日本政治、松井先生にはアジア政治、そして、詫摩先生には国際政治、国際組織の観点からお話しいただきます。それぞれの観点の第一人者の方にお話しいただいて、3つの視点を組み合わせたときに、立体的に実像がみえてくると思います。では、五百旗頭先生からお願いします。

五百旗頭 新型コロナウイルスの感染拡大に対し、日本は一見すると、まずい対応をしていながら、結果としては、予想以上にうまくいっている状況だろうと思います。

例えば、PCR検査の実施数の少なさ、一律給付や休業補償のもたつき、そして外出や接触の制限をルール化できないことなどが問題視されました。しかし、これらはそれぞれ、少ない病床数、厳しい財政状況、そして法整備の不足といった日本の状況とうまく両立しているようにみえます。

また、入国制限措置のタイミングが遅かったという批判もありますが、上久保靖彦京都大学大学院医学研究科教授らによると、コロナはS型、K型、G型と毒性を強めており、最も凶暴なG型に対しては、K型に一度感染して抗体をつくっていると有効だそうです。つまり、日本は入国制限が遅れK型に集団感染していたことで、G型が上陸しても、感染者数・死亡者数を低く抑えることができた、ということになります。この説が正しいかどうか私には判断できませんが、入国制限が遅れたことも結果として良かった、という言説が登場している状況ではあります。

日本のやり方は自然の猛威に対して、天然(テンネン)の冥利で対抗しているといえそうです。

私は昨年末、「昆虫化日本 越冬始末」というエセーを発表し、<日本は100年かけて昆虫化するのではないか>と論じました[1]。昆虫は脊椎を持たないかわりに、強固な外骨格で身を守ります。同じように、日本という国家も外壁を強めることに主なリソースを割くようになるのではないか、そのかわりに内部構造を充実させるリソースが不足するのではないか、そこでどんなことが起きるだろうか、という問題意識に基づく未来記でした。しかし、ここしばらくは昆虫ではなくて、天然のミミズなのではないかという気がします。視力がなくて、合理的に認識したり、対応したりしていない。しかし結果としてうまくいく、大地の滋養をわがものにする−−。

このミミズをテーマに、明治のコレラを現代のコロナと比較することもできるのではないかと思うのです。

明治のコレラと不平等条約

コレラは典型的な経口感染症です。1817年にインドのベンガルで流行が始まり、5年後に日本に上陸しました。西南戦争の際(1877年)、帰還兵の中に患者がいたことで、流行が拡大しました。当時、人口約3,500万人の日本で、1879年と1886年には10万人を超える死者が出ています。

コレラパンデミック中に消毒剤でロンドンの通りを洗う、1890年代(写真提供:gettyimages)

この頃、日本政府は欧米列国とのいわゆる不平等条約(185869年に成立。1899年に改正条約実施)の改正が重要外交課題でした。何が不平等だったかといえば、第1に領事裁判制度がある。第2に協定関税制度によって、関税自主権を喪失している。そして第3に、行政規則に関する事前協議制があった[2]。これは領事裁判制度の拡大運用でできた慣行ですが、日本が行政規則をつくって外国人に適用する際には、外国側と事前に協議をしなければならなかった。検疫規則も例外ではありません。

コレラが流行する中、日本は1879714日に最初の統一された検疫規則「海港虎列刺病伝染病予防規則」(太政官布告第二八号)を公布します。そこには感染地から来たすべての船舶に対して、7日間、停船させる内容が含まれています。ところが、ドイツのヘスペリア号が日本の検疫官の制止を無視して横浜入港を強行し、旅客を上陸させる事件が起きます(ヘスペリア号事)。これに対し、日本の世論は激高します。

ただ、実はこの事件は、まだ弱い日本と横暴な欧米の対立という図式では理解し切れない側面がありました。当時、国際的には、感染地からくる船を一律に停船させる「停船法」ではなく、医師が感染者と判断した人が乗っている船についてのみ停船させる「医師検査法」が主流になっていました。また、検疫と称してさまざまな船に出入りする日本の検疫官がむしろ感染を広げるリスクである、という批判もありました。さらに、1879年のコレラの流行源は日本国内だったようです。ヘスペリア号を非難するのは筋違いであり、まさに天然だったわけです[3]

天然の限界

日本政府は、ヘスペリア号についての誤った認識を元に、適切な外交政策を展開していきます。これが天然の面白いところです。

当時、外務卿の井上馨(18361915年)が、まさに行政規則に関する事前協議の撤廃を主眼に交渉していました。行政規則の制定権の回復(私は行政権回復と呼びます)は、統一国家を確立するためには重要でしたが、領事裁判の撤廃(法権回復)や関税自主権の回復(税権回復)に比べればいかにも地味でした。井上に協力していたのが「東京日日新聞」主筆兼社長の福地櫻痴(18411906年)です。地味な行政権回復のための交渉を国内に受け入れさせようと、キャンペーンを張りました。

福地はまず日本のナショナリズムを煽ります。<清朝はけしからん、朝鮮や琉球で日本と敵対している>と論じる。そのうえで、<この清朝よりもっとけしからんものがある。それは欧米との不平等条約だ>と問題を転嫁する。さらに、<不平等条約の中でも領事裁判制度は特にけしからん>と問題を絞り込んでいく。そして最後に、<領事裁判権を使って行政規則の事前協議を日本に強制していることこそけしからん>と、行政権回復に絞り込んだ交渉を受け入れるべきだと国内世論に説くわけです。このように、日本人が興奮しそうな対外的問題を次々と喚起しつつ、より小さく、より解決可能で、かつ実務的により重要な問題へとフォーカスしていきました。

事前協議制によって妨げられている行政規則の筆頭として福地が挙げたのが、「検疫規則」でした[4]。その社説は1880年に発表されました。読者がこれを読んだとき、前年に起きたばかりのヘスペリア号事件を思い出したはずです。

このキャンペーンは成功したようにみえます。井上の交渉方針に対して、強い反対は出ませんでした。

ところが、ここから想定外の展開になります。非政府系の新聞は、行政規則の事前協議制がまずいということを学習し、日本の行政権が貫徹しなかった事案を次々とみつけ、それを指摘するようになります。現場の行政に対して過敏(atopic[アトピック])になったわけです。

間の悪いことに、井上の交渉は案外うまく進展し、行政権の回復だけでなく、法権回復、つまり領事裁判制度そのものを撤廃できるかもしれないという方向へと進展しつつありました。これは大手柄ですし、領事裁判がなくなれば、その拡大運用である行政規則の事前協議制もなくなるはずでした。

こういう大きな抜本改正を成し遂げるためには、当然、欧米諸国に対して気を遣う必要があります。そこで、個別の行政規則をめぐる案件については、井上は宥和的になった、あるいはそう疑われました。これを裏切りだと非政府系の新聞は批判し、政党もそれに便乗します。法権回復は実現せよ、ただし、行政権回復のことも忘れず戦え、いま戦え、ということになります。行政の実態に対するアトピックな感覚は、条約改正交渉に対するユートピック(utopic)な、つまり過度に理想主義的な要求へと展開したわけです。

この状況を巻き戻して是正することは、困難でした。例えば福地にその機会が与えられたとしても、<行政の実態にこだわりすぎるのはやめましょう>といえるでしょうか。<行政規則の問題が大事だといったのはお前ではないか。ヘスペリア号事件の屈辱を忘れたのか>と言い返されそうです。それに対して福地はいまさら、<いや、ヘスペリア号事件は日本も悪かったのです>といえるでしょうか。井上は外務大臣辞任に追い込まれました。政府の弾圧にもかかわらず、在野の反対運動が盛り上がりました。井上・福地は、ナショナリズムの制御に失敗したといえます。

ミミズからの卒業を

このように、ミミズ型の天然対応は、明治をみても、令和をみても、それなりのメリットがあります。しかし、もともとの判断や方針に批判の余地があるため、<うまくやっている>という意見と、<できていない>という意見とが激しく対立しやすいのです。

いまの日本は、政治的な分極化は欧米の極端な国ほど進んでいませんが、認識の分極化は確実に進んでいます。政権が進めてきた政策を事後的に検証し、軌道修正しようとしても政治的なコストが非常に大きく、身動きがとれません。したがって、認識の分極化はなかなか解消されません。

過去も現在も、対人接触がもたらす最大の災厄は政治です。感染の最悪の日々の中でも、われわれはそのことを忘れてはいけない。そのためには、ミミズから卒業する必要があります。疑わしい判断や方針に基づいて成果が挙がった場合には、そこに政権側はあまり政治的な利得を求めない方が良いでしょう。判断や方針が間違っていたとわかったときの、軌道修正のコストが大きくなります。それは、国全体のコストになります。したがって、批判する側も、鬼の首を取ったような攻撃はほどほどにして、政権が先を見通しにくい状況に対応してきたことを認めるべきでしょう。ミミズからの卒業とは、<われわれは本質的にミミズなんだ>という諦念を共有するところから始まります。

このお話の題名にも、そういうメッセージを込めています。「明治のコレラ~令和のコロナ」という題名でお話しましたが、「~」は実はミミズのつもりでした。「明治のコレラ・ミミズ・令和のコロナ」というお話をさせていただきました。

 

◆続きはこちら→ 第2回「台湾のコロナ対策から学ぶ―中国情報のリテラシーを問う」


[1]『アステイオン』第91号、201912月。
[2] 五百旗頭薫『条約改正史』有斐閣、2010年。
[3] 市川智生「ドイツから見た明治日本の感染症制御」『歴博』第209号、20187月がわかりやすく説いている。
[4] 社説「東京日日新聞」1880126日。

五百旗頭 薫

  • 政治外交検証研究会幹事/東京大学大学院法学政治学研究科教授