ブレグジットとイギリス帝国の残影 ――「アングロ圏」をめぐる近著に寄せて(後編)

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ブレグジットとイギリス帝国の残影 ――「アングロ圏」をめぐる近著に寄せて(後編)

※本稿は、2020年6月3日に開催されたポピュリズム国際歴史比較研究会の第三回会合で報告した内容の一部である。

藤山 一樹(日本学術振興会特別研究員/京都大学) 

アングロ圏が現代に放つ魅力
地域ナショナリズムの誘惑
ブレグジット・アングロ圏・イングランド
おわりに

アングロ圏が現代に放つ魅力

前編では、2018年に出版されたマイケル・ケニーとニック・ピアースによるShadows of Empire: The Anglosphere in British Politics(『帝国の影——イギリス政治におけるアングロ圏』、未邦訳)から、イギリスにおけるアングロ圏構想の歴史的背景を学んだ。一方その後で、次のような疑問にとらわれるのも事実である。結局のところ、EU離脱を支持する現代イギリスのエリートは、EUに比べて経済的価値が低いはずのアングロ圏を、〈なぜ〉ブレグジット後の望ましい選択肢として国民に提出したのか、という疑問である。

なるほどケニーとピアースの分析から、欧州懐疑派が統合ヨーロッパに対抗する選択肢としてアングロ圏ないしコモンウェルスを措定するという振舞いが、決して今に始まった話でない点は十分に理解することができた。しかし、アングロ圏に想定される国々がEUに匹敵する経済力を持ち合わせていない現代に、同構想を真剣に論じる意味など果たしてあるのだろうか。

貿易を例にとり、2016年国民投票の直前の状況をざっくりと見てみよう。2015年のイギリスの財・サービス輸出総額は約5174億ポンドで、対EU輸出は全体のおよそ44%を占めているのに対し、対コモンウェルス輸出は9.5%に留まった。その内、旧ドミニオン諸国はオーストラリアが最大で1.6%、次がカナダの1.4%、ニュージーランドは0.2%である。これに、かつて「イギリス帝国の王冠に輝く宝石」といわれたインドの1.3%を加えても、アングロ圏はEUの市場規模に到底及ばない(Office for National Statistics 2017; Murphy 2018: 208-209)。

イギリスを取り巻く経済状況に照らすと、アングロ圏構想はEU離脱後の青写真としては相当に色褪せて見える。そうなるとアングロ圏には、経済的な合理性からは説明できない、何か別種の価値が見込まれたと考えるべきなのかもしれない。離脱派がアングロ圏構想に託した希望とは、いったい何だったのか。 

地域ナショナリズムの誘惑

政治とアイデンティティの連関を分析してきたベン・ウェリングス(モナシュ大学)は、現代の離脱派エリートがアングロ圏を提唱する背景として、イングランド中心史観に根差した地域ナショナリズム(「イングランド・ナショナリズム」)の存在を指摘する(イングランド・ナショナリズムの詳細は、概念の整理から興隆の要因までを丹念に論じた力久 2019を参照)。

ウェリングスは近著English Nationalism, Brexit and the Anglosphere: Wider Still and Wider(『イングランド・ナショナリズム、ブレグジット、アングロ圏——いっそう広く外へ』、未邦訳)で、EU離脱を推進するイギリスの政治家や知識人、シンクタンクの公的な発言を精査し、それぞれの議論が前提とする歴史観の析出を試みた上で、おおむね次のように論じた。

離脱派がEUの脅威から守ろうとしたイギリス(連合王国)の主権とは、具体的には議会主権ないし代議制民主主義であったが、それらは古来イングランドという地域で育まれ、やがてブリテン諸島および帝国諸地域に移植され、今や世界の基本的枠組みにまでなった、同地域の貴重な歴史的遺産と見なされていた。離脱派はそうしたイングランド中心の、政治制度をめぐる進歩史観を抱いていたからこそ、広範な領域で統合を深めるEUへの嫌悪を増幅させ、イングランド由来の国制を共有するアングロ圏諸国との連帯を追い求めたのだ、と(Wellings 2019)。

たとえば2015年に引退した離脱派の保守党議員サー・リチャード・シェパードは下院にて、イギリスの歴史とは「マグナ・カルタに始まる自由の物語」であり、「現在脅かされている我々の国制をめぐる歴史の特質」を明らかにするために、EU離脱の是非を国民に問うべきであると述べた(Wellings 2019: 75)。

同じく保守党離脱派のゴーヴ曰く、17世紀に二つの革命を経て確立されたイングランド発祥の「民主的な自己統治システム」は、アメリカ・インド・カナダ・オーストラリアといった国々に輸出され、それぞれの地に現在まで平和と繁栄をもたらしている(Wellings 2019: 135)。

離脱派がEUから守ろうとしていたのは、ウェストミンスタ議会を中核に持つイギリス政治の仕組みであり、そうした立場はイングランドへの愛着に根差した特定の歴史観——議会という制度がイングランドからブリテン諸島全体に根付き、後には植民地統治を通じて世界に拡大し、現在も平和と繁栄の礎石となっている——に支えられていた、というわけである(王権と議会をキーワードに1000年にわたるイギリスの歴史を描いた、君塚 2015a/2015bを参照)。

ウェリングスの分析にも疑問がないわけではない。たとえば保守党の欧州懐疑派議員に比べると、2016年国民投票キャンペーンで離脱派の旗手となった当時のイギリス独立党(UKIP)党首ファラージへの言及は非常に少なく、肝心の主役がイギリスおよびイングランドの歴史をどう見ており、それが彼のアングロ圏構想といかに結びついていたのかは本文から掴み難い。

また文中に頻繁に現れる引用は、語り手それぞれの歴史観を雄弁に伝えるものの、そうした歴史観を実際の根拠としてアングロ圏構想が支持されたのか否かについては、あまり実証的に論じられていない。そのため、離脱派の論理において欧州懐疑主義とアングロ圏構想を媒介したのが、本当にウェリングスが呼ぶところの「イングランド・ナショナリズム」、つまりイングランド中心史観に基づく地域ナショナリズムだったのかという点に関し、やや説得力に乏しいように思われる。 

ブレグジット・アングロ圏・イングランド

それでも、イングランドの地域ナショナリズムに着目したウェリングスの研究が、ケニーとピアースの著作をめぐって浮かんだ問いに迫るための重要な手がかりを提出したことは間違いない。すなわち、EU離脱派は経済的利益に直接結びつかないアングロ圏を〈なぜ〉主張したのか、という問題である。

というのも、アングロ圏がウェリングスの論じるようにイングランドの歴史や文化を敷衍した概念であるのなら、離脱派がその点に着目してアングロ圏を国民投票キャンペーンに利用した可能性は十分にあるからだ。離脱派にとってイングランドは一大集票拠点であった。

まず、地域という点からイギリス国民投票の大勢を決するのは、連合王国を構成する4地域で最大規模を誇るイングランドの意思である。実際、2016年国民投票の結果を地域別にみると、スコットランドと北アイルランドではEU残留を支持する票が過半数を占めたにもかかわらず、総人口の約84%を占めるイングランドで離脱票が約53%に達したことが、イギリス国民全体としての結論を大きく規定した(BBC News 2016)。

さらに、離脱票の大部分を占めたとされる「見捨てられた人々(the left-behind)」、すなわちグローバル化の経済的果実に恵まれず、EUからの移民に雇用や福祉サービスを奪われると危機感を募らせた中高年の白人労働者は、繊維や鉄鋼、造船といった伝統産業の衰退が顕著なイングランド北部に集中していた(若松 2018: 56-63)。

グローバル化にも二大政党にも置き去りにされたイングランドの人々に、疎外感を埋め合わせる確かな誇りを与えることが、アングロ圏を持ち出した離脱派の意図だったのだろうか。そもそもEU離脱が経済的には非合理的な選択肢である以上、離脱派はブレグジット後の将来を描くにあたり、あえて社会文化的な価値に狙いを定めたのかもしれない。

あるいはアングロ圏構想は、離脱派の狙いは別にあったものの、結果として「見捨てられた人々」にアイデンティティの確認や再発見を促し、EU離脱という経済的には賢明ならざるシナリオを選ばせるための仕掛けとして役立った、ということなのだろうか。

いずれにせよ、今後ブレグジットの文脈からアングロ圏を扱う研究は、それを供給した離脱派エリートがイングランド・ナショナリズムをどこまで意識して国民投票キャンペーンに臨んだのかに関し、様々なアプローチから多面的に分析する必要があるだろう。

ウェリングスが行った言説分析の対象をさらに広げることは一つの道である。新聞や雑誌、テレビ、パンフレットに加えて各種SNSを射程に入れながら、離脱派がアングロ圏構想をどの程度イングランド中心史観に絡めて議論したのかが、より厳密に解明されねばならない。

アングロ圏を提唱した離脱派の歴史観を明らかにするには、政治家本人へのインタビューもまた有益な資料になる。そして、彼らの歴史観がいわゆる「帝国意識」——人種主義に根差した自民族の優越を当然視する認識——と連関しているのかという点も、旧宗主国における精神の脱植民地化という観点からは重要な分析テーマだろう(この点は木畑 2008を参照)。

またポピュリズムの観点からは、欧州懐疑派やEU離脱派のエリートだけでなく、国民投票で離脱に一票を投じたイギリス国民側の分析も忘れることはできない。

たとえばイギリスのシンクタンクである公共政策研究所は、すでに2016年国民投票の前から独自の統計データを用いて、イングランド世論に他の地域よりも強い欧州懐疑主義が見られること、その中でも自らをイギリス人(British)よりイングランド人(English)と認識する人々の間にEU離脱への支持が集中していることを明らかにしていた(Wyn Jones et al. 2013)。

今後はEU離脱を支持したイングランドの人々のアングロ圏に対する評価と、彼ら彼女らのアイデンティティや歴史観、移民に対する態度の相関関係について、幅広く調査することも課題の一つとなる 。

おわりに

2020年1月31日、イギリスはEUから正式に離脱し、波乱に満ちた11カ月の移行期間も英・EU自由貿易協定の大枠合意によって幕を下ろした。世界中に衝撃を与えた国民投票から4年半の月日が流れようとしている。ブレグジットが一段落したことで、イギリスは政治学や同時代史の研究対象として、今後もさらに注目を集めるだろう。

ブレグジットとはまずもってイギリスのEU離脱という〈外交〉問題であり、その背景には保守党内や政党間の〈政治〉権力闘争、さらには経済や移民をめぐる〈社会〉的分断があるという、きわめて複合的な現象であった。UKIPに代表されるEU離脱派のポピュリズム——腐敗したエリートを批判し、無垢な人民の一般意思を代表するイデオロギーないし政治運動——が、イギリスの外交・政治・社会それぞれに生じていた亀裂を押し広げ、2016年国民投票でEU離脱が選択される主要因となったことは、多くの先行研究が示すとおりである。

ここに〈帝国(の残影)〉という補助線を引くことで見えてくるのは、つまるところ、現代イギリスのポピュリズムが内包するアイデンティティの問題だといえる。EU離脱後のイギリスが世界のどこに向かうかという議論は、エリートにとっても人民にとっても、自分たちがどこから来て、現在どの共同体に属しているのかという根源的な問いと分かちがたく結びついているのである。

アングロ圏構想を、ただパクス・ブリタニカという古き良き時代への郷愁と片付けることはできない。そこには、他者との境界があいまいになるグローバル化した世界の中で、自分の姿を決して見失うまいとする現代人の懊悩が映し出されている。 

 

【参考文献】(前・後編に共通)

BBC News (2016) “EU Referendum: UK Votes To Leave the EU,” https://www.bbc.co.uk/news/politics/eu_referendum/results [accessed Jan. 25, 2021].

Bell, Duncan (2007) The Idea of Greater Britain: Empire and the Future of World Order, 1860-1900, Princeton UP.

Bell, Duncan (2017) “The Anglosphere: New Enthusiasm for an Old Dream,” Prospect, Jan. 19, 2017, https://www.prospectmagazine.co.uk/magazine/anglosphere-old-dream-brexit-role-in-the-world [accessed Jan. 23, 2021].

Mazower, Mark (2009) No Enchanted Palace: The End of Empire and the Ideological Origins of the United Nations, Princeton UP.

Mayall, James (2016) “Some Reflections on Brexit and Its Aftermath,” The Round Table, 105(5): 573-74.

Murphy, Philip (2018) The Empire’s New Clothes: The Myth of the Commonwealth, Oxford UP.

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Rosenboim, Or (2017) The Emergence of Globalism: Visions of World Order in Britain and the United States, 1939-1950, Princeton UP.

Wyn Jones, Richard, Guy Lodge, Charlie Jeffery, Glenn Gottfried, Roger Scully, Alisa Henderson and Daniel Wincott (2013) England and Its Two Unions: The Anatomy of a Nation and Its Discontents, Institute for Public Policy Research, https://www.ippr.org/publications/england-and-its-two-unions-the-anatomy-of-a-nation-and-its-discontents [accessed Jan. 27, 2021].

秋田茂(2012)『イギリス帝国の歴史——アジアから考える』中公新書。

池本大輔(2016)「EU離脱を決めたイギリス——帝国へのノスタルジアかリトル・イングランドか」『アステイオン』第85号。

今井貴子(2020)「遅れてきたポピュリズムの衝撃——政党政治のポピュリズム抑制機能とその瓦解?」水島治郎編『ポピュリズムという挑戦——岐路に立つ現代デモクラシー』岩波書店。

遠藤乾(2016)『欧州複合危機——苦悶するEU、揺れる世界』中公新書。

小川浩之(2012)『英連邦——王冠への忠誠と自由な連合』中公叢書。

木畑洋一(2008)『イギリス帝国と帝国主義——比較と関係の視座』有志舎。

木畑洋一(2018)「ヨーロッパのなかのイギリス——EU離脱と連合王国の行方」宮島喬・木畑洋一・小川有美編『ヨーロッパ・デモクラシー——危機と転換』岩波書店。

木畑洋一・後藤春美編著(2010)『帝国の長い影——20世紀国際秩序の変容』ミネルヴァ書房。

君塚直隆(2015a)『物語 イギリスの歴史(上)——古代ブリテン島からエリザベス1世まで』中公新書。

君塚直隆(2015b)『物語 イギリスの歴史(下)——清教徒・名誉革命からエリザベス2世まで』中公新書。

小堀眞裕(2013)「イギリスのポピュリズム——新自由主義から反移民・反EUへ」高橋進・石田徹編『ポピュリズム時代のデモクラシー——ヨーロッパからの考察』法律文化社。

近藤康史(2017)『分解するイギリス——民主主義モデルの漂流』ちくま新書。

阪野智一(2016)「EU国民投票の分析——政党内・政党間政治とイギリス社会の分断」神戸大学大学院国際文化学研究科『国際文化学研究』第47号。

庄司克宏(2019)『ブレグジット・パラドクス——欧州統合のゆくえ』岩波書店。

鈴木一人(2009)「ブレアとヨーロッパ 1997-2007年——『お節介なネオコン性』」細谷雄一編『イギリスとヨーロッパ——孤立と統合の二百年』勁草書房。

鶴岡路人(2020)『EU離脱——イギリスとヨーロッパの地殻変動』ちくま新書。

納家政嗣・永野隆行編(2017)『帝国の遺産と現代国際関係』勁草書房。

馬路智仁(2019a)「コモンウェルスという神話——殖民・植民地主義、大ブリテン構想、ラウンド・テーブル運動をめぐる系譜学」竹内真人編著『ブリティッシュ・ワールド——帝国紐帯の諸相』日本経済評論社。

馬路智仁(2019b)「ブレクジットの背後でうごめく『帝国2.0』という奇妙な思想——『アングロスフィア』を夢想する人々」講談社『現代ビジネス』 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63316 (2021年1月15日アクセス)。

浜井祐三子(2018)「排外主義とメディア——イギリスのEU残留・離脱国民投票から考える」宮島喬・木畑洋一・小川有美編『ヨーロッパ・デモクラシー——危機と転換』岩波書店。

細谷雄一(2009)『倫理的な戦争——トニー・ブレアの栄光と挫折』慶應義塾大学出版会。

細谷雄一(2016)『迷走するイギリス——EU離脱と欧州の危機』慶應義塾大学出版会。

水島治郎(2016)『ポピュリズムとは何か——民主主義の敵か、改革の希望か』中公新書。

C.ミュデ,C.R.カルトワッセル(2018)『ポピュリズム——デモクラシーの友と敵』永井大輔・髙山裕二訳、白水社。

力久昌幸(2019)「EU離脱とイングランド——イングランドにおけるナショナリズムの台頭は何をもたらすのか」『同志社法学』第71巻5号。

若松邦弘(2018)「『普通の人』の政治と疎外——EU問題をめぐるイギリス政党政治の困難」宮島喬・木畑洋一・小川有美編『ヨーロッパ・デモクラシー——危機と転換』岩波書店。

藤山 一樹

  • ポピュリズム国際歴史比較研究会メンバー/大阪大学大学院言語文化研究科講師