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【特集】新政権に期待すること―人口減少対策、高市政権へのわずかな期待
November 13, 2025
2025年10月21日に開催された第219回臨時国会で首相指名選挙が行われ、自民党の高市早苗総裁が第104代首相に選出されました。新政権の発足に寄せて、東京財団のシニア政策オフィサーと常勤研究員が、「これから期待すること」について各専門分野から論じます。
7月20日の参議院選挙から長い政治空白を経て、ようやく高市早苗内閣が始動した。日米首脳会談をはじめとする外交デビューの評価は上々で、滑り出しは順調のようだ。
だが、ここまでのところ、内政の関心は物価高対策にあり、人口減少対策の優先順位は高くない。そもそも、首相就任前も高市氏からは人口減少問題についての目立った発信は聞こえてこなかった。
とはいえ、高市首相が無関心というわけではない。所信表明演説においては「日本最大の問題は人口減少であるとの認識に立ち、子供・子育て政策を含む人口減少対策を検討していく体制を構築する」と言及した。
しかしながら、この発言が登場したのは演説の後半。しかもこの発言に関連させて次に語ったことといえば、法律やルールを守らない外国人への対応という人口減少対策とは直接関係がない政策であった。
このような政策順位の低さをよそに、日本人人口は毎年1%ペースで確実に減り続けている。このままならば50年後には半減する。こうした激変に対応するには社会の仕組みや制度を根底から見直す必要があり、それには長い年月を要する。着手が遅れるほど政策の選択肢は狭まり、難度が上がる。これでは高市首相が目指す「強い日本」の実現など遠のくばかりである。
ただし、人口減少対策が今後、高市政権の中心政策になる可能性はなくはない。日本維新の会と結んだ「連立政権合意書」に外国人の量的マネジメントを含めた「人口戦略」の策定や副首都構想が盛り込まれているためだ。これらは直接的な人口減少対策というわけではないが、〝本来の対策〟へとつながっていく可能性はある。
まずは外国人の量的マネジメントを含めた「人口戦略」だ。日本維新の会は「外国人比率が高くなった場合の社会との摩擦」を懸念している。背景には、在留外国人の急増がある。出入国在留管理庁によれば、2024年末の在留外国人数は376万8977人で過去最多を記録したのだが、2022年は前年比31万4578人増、2023年は33万5779人増、2024年は35万7985人増と3年連続で増加数が30万人を超えた。率にすれば前年比10%超の大幅な伸びが続いているということである。
これに対し、2024年の日本人人口は過去最多の91万9205人減少した。日本人人口の急減と外国人人口の急増が相まって、総人口に占める外国人の割合を急上昇させている。
仮に在留外国人数が2024年と同じ「35万人増」のペースで増え続け、日本人人口はこの数年の実績値に最も近い国立社会保障・人口問題研究所の「出生低位・死亡高位推計」に沿って減ったならば総人口に占める外国人人口の割合はどう推移するのだろうか。
機械的に計算すると2040年に8.3%、2045年に10.2%となる。2070年には22.2%で「5人に1人が外国人」という社会が到来する。さらに2110年頃には外国人人口が日本人人口を上回ることとなる。
日本のように母国民が急減する国の外国人問題は、そうではないと国々と同じにならない。日本が外国人を大規模に受け入れるということは、国のカタチが短期間で変質することを容認することにほかならないのである。
政府は「外国人労働者なしに日本社会はやっていけない」とする言説の広がりを受けて、「労働力不足の解消」との旗印のもとに積極的に外国人の受け入れを推進してきた。だが、こうした言説が本当に正しいのか検証する必要がある。
人口が減少すれば、働き手だけでなく消費者のほうも少なくなる。必然的に「必要となる労働力」も縮小していく。しかも、AIやロボットの普及で省人化が進む。経済産業省はこうした雇用環境の変化を踏まえて、2040年の就業構造推計で労働の質の向上が進めば「大きな不足は生じない」との見通しを立てている。
今後どのような能力や資格を持った外国人人材を、どのような規模で、どれぐらいの年数をかけて受け入れるのかを決めることは、人口減少対策の大きな柱であり、「人口戦略」とは人口が激減した後の国家のビジョンを描くことなのである。高市政権はこれを「違法行為やルールを逸脱する外国人への対応」といった小さな政策課題に終わらせてはならない。
自由民主党が日本維新の会と結んだ「連立政権合意書」の中で、〝本来の人口減少対策〟につながり得るもう1つの政策項目が副首都構想だ。
同構想は日本維新の会の悲願だが、2度にわたり住民投票で否決された「大阪都構想」を実現したいという本音が透けて見える。こうしたこともあるのか、日本維新の会がまとめた骨子案には異論や批判が少なくない。
たとえば、東京が自然大災害に見舞われた際のバックアップ機能を担うことを想定するというならば、南海トラフ地震で共に被害が生じる可能性が捨てきれない大阪が最適地とは言い難い。地理的にもっと離れたエリアに副首都を置くべきという意見や、複数個所にすべきといった意見も出ている。副首都の設置には莫大な費用を要するため、財源や費用対効果への懸念もある。
このように実現に向けたハードルは低くはなさそうだが、人口減少対策の一環として捉えると人口が激減した社会における「地方都市の在り方」をどうすべきかという問題を提起しているといえる。
地方都市が人口減少社会で生き残っていくためにはどのように特徴立て、住民の豊かな暮らしをどう守っていくのか、それぞれの「都市戦略」を問われる。副首都構想を議論すること自体が、人口減少社会における国土形成の在り方を考える大きなきっかけとなり得るのである。
50年後に日本人人口が半減した社会では、国土形成は政令指定都市や県庁所在地などの地方主要都市を中核とし、周辺の人口集積地とネットワーク化した商圏を形成する多軸型国家に移行せざるを得なくなることだろう。
これらの軸となる都市が人口激減社会で生き残るには「稼げる地方」として自立していく必要がある。そのためには、どのような産業立地で雇用を創出するのか、あるいは外国との貿易で得た利益を循環させて住民の暮らしをより豊かにしていくのかをそれぞれが考えなければならない。さらに、その実現に向けてどのような投資を進めるのか戦略を立てなければならない。
政令指定都市の中には、「大阪都構想」のような「特別区」ではなく、「特別市」(県の区域外となり市が原則として県の仕事をすべて担い、権限と財源を市に一本化する制度)を目指す動きがある。その一方で、中小の地方自治体は人口の激減で存続すら見通せなくなってきており、民間を巻き込むなど新たな地方自治の運営モデルを模索するところも出てきている。
置かれた環境によって全く異なる課題を抱える時代に入ってきているのである。副首都構想の議論を通じて全国各地で「都市戦略」の検討が始まるならば、その意義は大きい。
副首都構想にはもう1つ意味がある。議論が進めば、必然的に人口減少社会において東京がどのような「首都」であるべきかを問う機会となる点だ。
日本人人口が50年で半減する人口激減社会では、東京圏は急速に高齢化が進む。地方から若者が集まることで「街としての若さ」を保ってきたが、そのメカニズムが続かなくなるためだ。いつまでも「現在の東京」のままでいられるわけではない。
すでに東京圏の変化の予兆は見え始めている。地方圏から東京圏への日本人人口の移動の勢いには陰りが出てきたのだ。地方圏の人口が減って東京圏へと転入する人が少なくなってきたことが要因だが、これは東京圏の人口減少が近づいていることを意味する。
地方圏の人口が減れば減るほど東京圏の高齢化率が急上昇していくというのが、今後の一極集中のメカニズムである。そして、帰る故郷をなくしたかつての上京者たちは東京圏で年齢を重ねていくため、東京圏は大規模に高齢者が住むエリアへと変貌していく。
東京圏の高齢化は、同時に勤労世代が減少するということでもある。それは「集積の経済」の終わりの始まりであり、巨大消費地であることを背景に増えてきたサービス業や小売業の淘汰を促すだろう。産業構造も大きく変わらざるを得ない。それは地方税収の縮小も意味する。東京圏の自治体は高齢者向けの施設や住宅の不足への対応に追われることになるが、そこに財源不足問題が追い打ちをかける。
さらに東京圏を苦しめるのが食料問題である。農産物の大半を地方圏での生産に頼っているが、生産地である地方圏の人口激減が進めば確保は困難となる。東京圏で十分な農地を確保することも難しい。高市政権は、副首都構想の議論を単なる首都機能のバックアップという問題に矮小化してはならない。
衆参両院において自由民主党が少数与党となっている現状は、これまで光が当たってこなかった政策が進む好機である。しかもおよそ四半世紀ぶりに連立の枠組みも変わった。
この政治の大転換が、我が国始まって以来最大の「国難」である人口減少に立ち向かうエネルギーへと結びつくことを願うばかりである。