政治家としてのミット・ロムニーの経験は意外と少ない。2003年から2007年に1期だけマサチューセッツ州知事を務めたが、これが唯一の政治歴である。ロムニーは人生の大半を民間のコンサルタント、会社経営者として過ごしてきた。ロムニー本人が最大の実績として常々アピールしてきたのは、ソルトレイクシティ冬期オリンピック組織委員会の会長としての実績で、自伝『Turnaround』には汚職と非効率にまみれていたオリンピックを独自の経営手腕で立て直したことが綴られている。初のMBA大統領であったジョージ・W・ブッシュと、「CEO政治家」として比較されるが、ドミノピザ、ステイプルズなどへの投資を成功させ、高い収益率を維持したロムニーは数字に強いとされ、ビジネスの成果においてブッシュを圧倒している。
ただ、ロムニーのビジネスでの成功歴は、とりわけ共和党では賞賛されてしかるべき勲章であるはずだが、美談として扱われる気配が薄いのも特徴的である。マイケル・クラニッシュとスコット・ヘルマンによる『The Real Romney』では、ベイン&カンパニーが新会社のベイン・キャピタルの経営をロムニーに持ちかけたさい、失敗しても無傷で母体に戻れることを条件に渋々引き受けたという安定志向の過去が明かされている。これはロムニーが語る「1からビジネスを立ち上げるのが夢で、小さなオフィスから始めた」という起業家精神溢れる物語とは齟齬があり、企業再生の過程で大量解雇を発動したことも相まって、「アメリカンドリームの体現者」として胸を張ることを今ひとつ躊躇させるジレンマも見え隠れする。
ところで、ロムニーに多大なる影響を与えたのは、共和党や保守の世界ではなく、「外界」すなわち民主党やリベラルの世界であったかもしれない。成功者の代名詞のような恵まれたロムニーにも、辛酸を舐めた出来事はある。ロムニーに散見されるのは、カメレオンや風見鶏のように無定見に変化する政治姿勢である。適応能力と言ってもよかろう。ロムニーは全米の異なる3つの地域(ミシガン、ユタ、マサチューセッツ)に基盤を持つが、所有する家や5人の子供達は各地に散らばり、いったいどこが本拠地なのか正体が掴めない。地域横断的な基盤は、異なる地域で指導者としてのスタイルを使い分ける手法をロムニーに迫った。
前半生でロムニーのとっての大きな苦難は、スタンフォード大学在学中にフランスで取り組んだ2年強のモルモン教の布教活動だった。ヴェトナム戦争当時のフランスでの反米ムードの中、カトリック教徒を改宗させる活動は困難を極め、大きな布教成果が出せないまま屈折した疎外感を味わった時期である。一命をとりとめた交通事故にも遭遇している。カトリック教徒といっても世俗的でワインなど飲酒を好むフランス人に囲まれ、頻繁に国際電話することも許されない宣教師達との同居生活はストイックなものだった。宣教において決まったフランス語のフレーズを暗記していたロムニーは、次第にフランス語にも習熟するようになったが、スノビズムと受け取られることを懸念して、陣営はロムニーのフランス経験とフランス語能力をあまり表面化させていない。ロムニーは、フランス宣教経験を経て、モルモン信仰について率直に他者に語ることに慎重になり、モルモン教徒をどの程度陣営に入れるか、選挙戦でどの程度モルモンの問題に触れるかにも、1994年の選挙以来悩まされてきた。しかし、帰国後に選んだ大学がスタンフォードへの再入学ではなく、ブリガムヤング大学だった点に、フランス経験がロムニーに与えた影響が浮き彫りになっていよう。
ブリガムヤング大学卒業後のロムニーは、ハーヴァード大学というリベラル色の強い大学院で法務博士と経営学修士を取得し、マサチューセッツ州で知事を務め、リベラルのなかで保守を貫くような環境に身を置いてきた。2002年の知事選ではロムニーは副知事候補に女性のケリー・ヒーレイを選んでいる。アフリカ系も最終候補リストに載っていた。ロムニーが2012年本選の副大統領候補として、女性やマイノリティのカードを切る可能性が語られる底流には、異質な者の支持を得る戦略的な妥協に熟練しているという見方がある。いわば、民主党やリベラルがロムニーを鍛え、育てた。1994年上院選挙で民主党のケネディ陣営が、汚い中傷広告の嵐をロムニーに浴びせたトラウマが、中傷広告を多用する現在のロムニーの選挙戦略の土台を生んだのは皮肉だ。健康保険制度の導入はオバマケアのモデルとして批判に晒されているものの、リベラルな州の民主党多数派の議会を敵に回して、財政支出と増税阻止で防波堤の役割を果たした実績は、保守的な州で共和党政治家として活動することより数倍困難であるとして評価する向きもある。
他方、適応性や柔軟性とは相反する保守的な信念の強さもロムニーの大きな特徴である。モルモン教の教義に従う私生活のストイックさは顕著で、アルコール、珈琲、茶などのカフェインを摂取せず、ダイエットコークを好む。同性愛に対しては、一貫して厳しい姿勢を堅持しており、知事時代に論争になった同性婚問題では反同性婚の旗ふり役であった。「家族の価値」の提唱者としてもシンボル的存在である。アン夫人は多発性硬化症という難病膠原病を発病している。ミシェル・オバマの父も患っていたこの病気は家庭への不安や負担も重く、保守的な「家族の価値」の信奉者ロムニーの健康保険制度への情熱という、保守的な人物がリベラルな政策を推進した謎を解く間接的な鍵かもしれない。
2008年のマケインやジュリアーニのような意味での「穏健」な候補者は、2012年の共和党候補に存在しない。他方で、2008年のハッカビー以上に保守的なサントラムが宗教保守の支持を得ている一方、財政保守面ではリバタリアンのポールが存在感を増していることから、ロムニーが社会政策でも経済政策でも相対的に突出した保守性をアピールできないまま、主流メディアに「穏健派」の烙印を不当に押されている面も少なくない。民主党やリベラルの取り囲まれた環境で、内在する保守性を部分的に覆い隠しながら、保守政治の実現を目指してきたロムニーを一般的な意味で「穏健派」と理解することには、かなりの危うさが伴うかもしれない。ロムニー理解には、信仰や経験などロムニー本人の内在的基盤とあわせて、どのような外部環境がロムニーを育てたかという相互作用の変遷を質的に吟味する必要があるだろう。
ところで、筆者が昨年から各地でインタビューした共和党の政治関係者のほぼすべてが、ロムニーを評するさいに、マーク・ハルペリンが「ロボット的(robotic)」と称するところのコミュニケーション上の不自然さを指摘しているのは興味深い。ニューメキシコ州の共和党系コンサルタント、ダグ・アントゥーンは「外見と自分の見せ方の両面で極めて大統領らしい(very presidential in his appearance and in how he presents himself)」としながらも、「人工的に見える(too artificial.)」と評する。『ヒューマン・イベント』誌のジョン・ギジも、「あまりに完璧で、あまりにテクノクラート(too much of a technocrat)で、温かみのある他人に関わろうとするような人ではない(not a warm and engaging person)」という評価がロムニーに付きまとってきたことを厳しく指摘した上で、「ロムニーに欠けているこうした能力を有していた、政治家は誰だったか。私の妻は、それは日本のコイズミだと言っている。コイズミはむしろアメリカの政治家のようだった」と私に語っている。ロムニーにない能力が日本の小泉元総理にはあった、ロムニーは日本の政治家にコミュニケーション能力で負けている、というジョークにすぎないが、ギジのこの辛辣なジョークに共和党内のある種のロムニー観の一端が微妙に象徴されている気もする。
主要参考文献:
Halperin, Mark (2007). The Undecided Voter's Guide to the Next President: Who the Candidates Are, Where They Come from, and How You Can Choose, New York: Harper Perennial.
Kranish, Michael and Scott Helman (2012). The Real Romney, New York: HarperCollins.
Romney, Mitt, Timothy Robinson (2004). Turnaround: Crisis, Leadership, and the Olympic Games, Washington DC: Regnery Publishing.
Romney, Mitt, (2010). No Apology: Believe in America, New York: St. Martin's Griffin.
Scott, R. B.(2012). Mitt Romney: An Inside Look at the Man and His Politics, Guilford: Lyons Press.