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【Views on China】中国社会の安定/不安定を決める経済的要因は何か(1)経済的ドライビング・ファクター

September 23, 2016


東洋大学 国際教育センター 准教授
関山 健


改革開放以来年率平均二桁の経済成長を実現してきた中国だが、その成長も2013年は7.7%、2014年は7.3%、2015年は6.9%と減速してきている。経済成長の減速によって、今後の中国は社会的に不安定になるのではないかと危惧する声を報道などで聞くことも少なくない。

本稿は、こうした状況を踏まえて以下の設問を設定し、今後の中国の安定、不安定を見通すうえで経済面においては如何なるファクターに注目すべきか、現在中国で議論されている改革のうち今後の経済社会の安定にとって最も重要なものは何か、その成否は今後の中国にどう影響するかといった点について考察するものである。

【設問】

  • 中国社会の安定/不安定を決める経済的な要因(ドライビング・ファクター)は何か? その閾値はどの程度か?
  • 改革の成否が経済に与える影響は?

この設問については、今後の中国では、都市農村間格差が農民の不満を増大させ、労働力人口の減少によって経済が行き詰まって、社会が不安定化する。持続的成長のためには、イノベーション力の向上が重要であると考える向きがあるかもしれない。

しかし、この見方は正しくないと筆者は考える。結論から述べれば、本稿の要点は以下のとおりである。

【要点】

  • 中国社会の経済的ドライビング・ファクターは、都市農村間格差ではなく、都市内及び農村内格差の拡大である。
  • 特に若年者や貧困者を中心とする大衆層の実質生活水準が急速に低下する局面には注意が必要である。
  • 20%に迫るような物価上昇率や40%近い失業率によって実質生活水準が急速に悪化したり、40倍近い都市内格差や農村内格差が生じたりするような状況には注意が必要である。
  • 都市部および農村部の実質生活水準を継続的に向上させるための改革項目としては、特に農業及び農村の改革、戸籍制度改革、所得再分配が重要である。これらは、同時に都市内格差及び農村内格差の是正にも寄与する。
  • 向こう10年ほどの間に、中国の都市で二桁の失業率が発生する事態は、世界経済の大混乱のような強い外的ショックがなければ想像しにくい。
  • しかし、高度経済成長に慣れてきた中国が、2020年代半ば以降、過去40年経験したことのない3~4%程度の低成長下で経済運営を誤れば、二桁を超える物価上昇と深刻な景気後退の複合状況に悩まされる可能性は決して小さくない。
  • それまでに、農業及び農村の改革、戸籍制度改革、所得再分配といった改革を断行し、社会的弱者の実質生活水準を底上げするとともに、都市内格差及び農村内格差の是正に取り組んでおかなければ、中国社会が不安定化する可能性が高まる。その行き着く先には、再び市民の血が流れる武力鎮圧の可能性すら排除されない。

経済的な要因が社会の不安定を招いたと思われる事例は、中国自身の歴史や近年の他国にも見出すことができる。本稿では、比較的最近の出来事でデータなどが入手しやすいものとして、80年代の中国の経験や近年のチュニジアやアメリカの事例を参考にすることとした。もちろん、そうした事例と今の中国を単純に比較することは、経済発展のレベル、社会の状況、政治体制など前提条件が異なるため慎重でなければならない。しかしながら、今後の中国の安定、不安定を考察するにあたり、特に失業率や物価上昇率といった経済統計がどの程度の水準となると危険なのかを検討する糸口として、前提条件の違いに注意しながら中国自身の過去や他国の事例を参考とすることには、一定の価値があると筆者は考える。

以下では、まず第一節において、今後の中国の安定、不安定を見通すうえで経済面においては如何なる要因に注目すべきかについて考察する。次に第二節では、現在中国で議論されている改革のうち今後の経済社会の安定にとって最も重要なものは何か、その成否は今後の中国にどう影響するかといった点について考える。こうした考察を踏まえて第三節では、向こう10年ほどの中国経済社会を展望するならば、いかなるシナリオが予想されるのかについて、筆者の考えを述べる。

第一節 経済的ドライビング・ファクター

(1) 都市内格差及び農村内格差

中国社会科学院社会学研究所が2015年に実施したアンケート調査によれば、中国社会において現在最も不公平感が高まっている社会現象は、都市農村間の権利待遇格差および収入財産の分配格差である。調査は、中国全土31の省、直轄市、自治区にある都市および農村で行われ、計8925名から有効回答が得られたという(図1参照)。

図1 中国人民の社会に対する公平感

データ出所)李培林等編(2016)p.129

図2 中国の都市農村収入格差

データ出所)李培林等編(2016)p.25

ただし、こうした格差への不満は強いものの、実際には、図2や図3のとおり、都市農村間の所得格差やジニ係数は、近年縮小傾向にある。

図3 中国のジニ係数

データ出所)中国国家統計局『中国統計年鑑』(各年版)

つまり、都市農村間の格差は今も存在し、それに対する不公平感は根強いのであるが、一方で、都市農村間の格差は徐々に縮小してきているのだ。

中国人有識者が異口同音に語るところによれば、そもそも都市農村間の格差拡大それ自体は、必ずしも社会の不安定要因とはならないという。張宇燕中国社会科学院世界経済政治研究所所長、林家彬国務院発展研究センター社会発展研究部副部長、張季風中国社会科学院日本研究所研究員ら筆者が多年意見交換を繰り返してきた有識者に言わせれば、中国人民が自らの暮らしぶりと比較する対象は、遠く離れた見知らぬ都市の暮らしぶりではなく、自分自身の過去、現在、未来であり、同じ町や村の隣人だという。

自分自身の過去、現在、未来の比較という視点で言えば、それぞれの人民にとって実質生活水準が上昇ないし安定している限りにおいては、たしかに遠く離れた都市の暮らしぶりに憧れたとしても、安定的に向上している自らの暮らしを危険に晒してまで、社会に対する不満を暴力的な形で発散させようとはしないと考えられる。

実際、中国では、図4から見て取れるように、都市においても農村においても、それぞれの生活水準は右肩上がりで改善してきている。

このように近年の中国では、都市農村間の格差は徐々に是正されてきており、かつ、都市でも農村でも平均所得水準は右肩上がりで改善してきているのである。

では、都市農村間の格差拡大が、社会を不安定化させる経済的ドライビング・ファクターでは必ずしもないのだとすると、いかなるファクターが重要なのであろうか。格差は問題ではないのであろうか。

図4 住民消費水準の推移

データ出所)中国国家統計局『中国統計年鑑』(各年版)

実は近年の中国では、都市農村間の格差ではなく、むしろ都市内あるいは農村内における所得の格差が拡大している。図5おより図6は、都市および農村それぞれにおける高所得世帯と低所得世帯との格差を表したものである。いずれも、上位20%の高所得世帯の可処分所得と下位20%の低所得世帯の可処分所得の比率を示している。

図5 中国都市部における高所得/低所得比

データ出所)中国国家統計局『中国統計年鑑』(各年版)を基に筆者作成

注)上位20%の高所得世帯と下位20%の低所得世帯の平均可処分所得の比率。

図6 中国農村部における高所得/低所得比

データ出所)中国国家統計局『中国統計年鑑』(各年版)を基に筆者作成

注)上位20%の高所得世帯と下位20%の低所得世帯の平均可処分所得の比率。

中国人民が自らの暮らしぶりと比較する対象は、自分自身とならんで、同じ街や村の隣人の暮らしぶりだということであれば、都市内あるいは農村内において生活水準の格差が拡大していることは、都市農村間の格差以上に大きな社会不安定要因となる。

都市でも農村でも平均所得水準は右肩上がりで改善してきているが、一方で、都市でも農村でも、高所得世帯と低所得世帯との格差は拡大してきている。前出のアンケート調査においても、都市農村間の権利待遇格差と並んで、収入財産分配の格差に対して最も不公平感が高まっている。

こうした状況において、若年者や貧困者といった大衆層の実質生活水準が低下することがあれば、都市内あるいは農村内における収入財産分配の格差はさらに深刻となる。後述のとおり中国では、今も民衆暴動は少なくないが、収入財産分配の格差が拡大すれば、それがきっかけとなり、都市農村間の権利待遇や年金等社会保障など他の不満とも相まって、その不満を暴力的な形で発散させようとする動きが勢いを増す可能性がある。

(2) 物価上昇率、失業率

では、人民の実質生活水準の低下をもたらし、都市内あるいは農村内で生活水準の格差を助長する要因は何か。

機会の不平等という点では、官僚による汚職や、都市戸籍と農民戸籍との間の待遇格差などが、都市内格差や農村内格差を生む要因となっていると考えられる。したがって、汚職取締り強化や戸籍制度改革は、社会を不安定化させる経済的ドライビング・ファクターたりうる都市内、農村内格差を是正するものとして、重要な意味を持つ。

一方、経済的な側面で言えば、一つの要因は、物価上昇である。生活必需品を中心とする物価の上昇は、所得に余裕の少ない若年者や貧困者ほど生活を苦しくさせ、結果として都市内、農村内格差を助長する。

もう一つの要因は、失業である。職を失い、所得がなくなった者は、それまでの生活水準を維持することができない。その割合が同一都市内あるいは同一農村内において非常に高い水準となれば、まさに都市内、農村内格差を生む原因となる。

実際、1989年に中国自身が経験した天安門事件 [1] しかり、2010年にチュニジアで発生したジャスミン革命しかり、いずれも物価上昇率や失業率の急激な悪化により若年者や貧困者を中心とする大衆層の実質生活水準が急速に低下した結果、民衆による大きな抗議活動に至ったものであった。

(3) 天安門事件とジャスミン革命

天安門事件と物価上昇率

1949年の中華人民共和国成立以来最大の民衆による抗議活動となった1989年の天安門事件も、その遠因は当時の急激な物価上昇にある。それまで行政的に抑えられていた物価が、改革開放による価格の自由化が進むにつれて、急速に上昇し始めた。改革開放初期の1981年~1984年の間は年平均1~2%増にとどまっていた都市住民の消費者物価指数上昇率が、1988年には年20.7%、翌1989年には16.3%もの上昇を記録した(図7参照)。

その結果、都市住民の実質所得水準は、1987年の調査によると21%の家庭で低下、1988年には35%の家庭で低下し、都市住民の83.3%が物価上昇に不満を表明していたという。(天児1999:143-146)

7 中国消費物価指数( 1978-1990

データ出所)中国国家統計局『中国統計年鑑』(1999年版)

こうした物価上昇による実質生活水準の急激な低下によって蓄積していた社会の不満が、リベラルな指導者として人気の高かった胡耀邦前総書記の追悼集会をきっかけに、全国各地で大きな民衆運動へと拡大していったものが、1989年の天安門事件である。

天安門事件以前にも、1985年に中国の消費者物価指数の上昇率は11.9%と二桁の急激な上昇を見せたことがある。この年には、8月15日に日本で中曽根康弘総理大臣が靖国神社を参拝したことをきっかけに、やはり天安門広場で北京大学の学生らが9月18日にデモを行い、その後、西安や成都などの地方都市でも、学生を中心とする若者が1000人規模のデモを展開した。この時のデモは、もちろん一義的には中曽根総理の靖国神社参拝を批判するものではあったが、学生達が掲げたスローガンや壁新聞の中には、党と政府の経済政策を批判するものも散見された。

当時は、1984年秋の価格体系の改革により、副食品が50%以上の値上げになるなど、経済力の低い学生や若者を中心に生活が苦しくなっていた。つまり、1985年の学生デモ発生の背景にも、当時の急速な物価上昇があったことを指摘することができる。

ジャスミン革命と失業率

一方、2010年から2011年にかけてチュニジアで発生した民衆暴動であるジャスミン革命は、高い失業率を背景とする。

チュニジアは2010年の経済成長率が3.8%だったと見られるなど、決して経済状況が悪いわけではなかった。しかし失業率は恒常的に15%前後に高止まりしており、特に若年層(15-24歳)に限れば、2011年の失業率は40%を上回る異常な水準にまで高まっていた。

つまり、チュニジアでは、若年層が実質生活水準の向上という経済成長の恩恵を受けられず、不満を溜めていたのである。そうした若年層を中心とする大衆の不満が、一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモとして国内全土に拡大し、23年間続いた政権が崩壊したのがチュニジアのジャスミン革命である。

図8 チュニジアの若年失業率

出所)OECD(2015)

中国群体性事件の例

中国では、天安門事件の後も、民衆暴動は数多く見られる。中国社会科学院法学研究所の『2014年中国法治発展報告』によれば、100名以上の民衆が参加した比較的な大規模な「群体性事件」(民衆暴動)だけ数えても、2000年から2013年9月30までの12年半で、その数は871件を数える(図9参照)。小さな騒動まで入れれば、その発生件数は年間20万件以上という見方もある。

それにも拘わらず、そうした暴動が天安門事件ほどの全国的な広がりと政権を脅かすほどのインパクトを持たないのは、物価上昇率や失業率などが比較的落ち着いており、都市においても農村においても、自らの過去と比べれば、現政権による現状下において実質生活水準の向上を多かれ少なかれ享受できているからだと考えられる(前掲図4参照)。

9 中国群体性事件発生件数 (2000-2013

データ出所)中国社会科学院『中国法治発展報告』2014年版

注)2013年度は9月30日までの件数。

10 中国群体性事件原因別件数 (2000-2013

データ出所)中国社会科学院『中国法治発展報告』2014年版

注)2000年1月から2013年9月30日までの件数。

逆に、物価上昇率や失業率が急速に高まる状況においては、特に若年者や貧困者を中心とする大衆層の実質生活水準が急速に低下する結果、不満を募らせた彼らが暴徒と化す危険がある。そのほか、実質生活水準の中長期な押し下げ要因としては、社会保障や教育など社会サービスの不備や、大気、水質、土壌などの汚染といった公害問題なども重要であろう。

実際、群体性事件は、たしかに天安門事件ほどの広がりとインパクトのあるものはないが、都市内および農村内格差の深刻化を反映して、その発生件数は近年急速に増加してきている。その主たる原因は、労使問題であり、賃金不払いへの抗議や待遇改善の要求のため労働者が経営者に向って蜂起するものである。そのほか、行政官の不法行為、土地収用問題、権利保護を求める上訴、環境問題など、行政当局に対する不満を募らせた暴動も多い(図10参照)。こうした民衆暴動は、いわば実質生活水準の維持や向上を求めて、大衆が資本家や官僚に対して立ち上がったものであり、都市内、農村内格差の表れと見ることができよう。

(4) 不安定化の閾値

以上をまとめれば、中国社会の安定/不安定を決める経済的な要素(ドライビング・ファクター)は、つまるところ都市内、農村内格差の拡大であり、特に若年者や貧困者を中心とする大衆層の実質生活水準が急速に低下する局面には注意が必要であると考えられる。実質生活水準の動向を測る指標としては、物価上昇率や失業率に注目していけばよいだろう。

では、こうした経済的ドライビング・ファクターがどの程度の水準になると、中国社会は不安定さを増すと考えたらよいのだろうか。

物価上昇率20%

物価上昇率の閾値について参考となるのは、やはり1989年の天安門事件であろう。前述のとおり、天安門事件を経験した当時の中国では、消費者物価指数が1988年には年20.7%、1989年には16.3%もの上昇率を記録していた。その結果、都市住民の実質所得水準は、1987年の調査によると21%の家庭で低下、1988年には35%の家庭で低下し、都市住民の83.3%が物価上昇に不満を表明していたという。1985年に消費者物価指数が11.9%の上昇を見せた際にも、学生デモが発生している。

こうした1980年代の事例からすると、物価上昇率が突如10%を超えるような場合には要注意、20%に迫るような場合には危険水域と考えるのが、経験則として一つの目安であるように思う。

ただし、中国では、1992年から1994年にかけても二桁を超える急激な物価上昇を記録した時期があるが、この際には天安門事件に匹敵するような大規模な民衆暴動が発生したとは知られていない。したがって、物価上昇率が二桁になったからと言って、必ず暴動が起こるというものではないことに注意が必要である。

失業率40%

失業率について、チュニジアのジャスミン革命を参考とすれば、失業率は恒常的に15%前後に高止まりしており、事件当時は特に若年層の失業率が30%から40%に達する異常な水準にあった。

この点、中国では、政府公表の統計とはいえ、失業率は近年4%程度の低位で安定している。かつて単位(勤務先)が家族の一生を面倒見ていた中国では、1980年代から今に至るまで、失業率が二桁になるような事態は今のところ経験したことがない。

都市内格差、農村内格差 40

また、都市内所得格差の閾値については、米国で2011年に発生したたった1パーセントの富裕層が残りの99パーセントを搾取していると叫ぶ人々による抗議行動(オキュパイ・ウォール・ストリート)が展開されたニューヨークの格差が参考になる。

ニューヨーク大学アンドリュー・ベヴァリッジ教授の調査によれば、ニューヨーク市マンハッタンでは、上位20%の高所得者の平均年収は42万15ドルであるのに対し、下位20%の低所得者の平均年収はわずか9681ドルと、その格差は43倍に達しているという。ニューヨーク市内全体でも、上位20%と下位20%の平均年収はそれぞれ24万1445ドルと9188ドルで、その格差は26倍になっているという(JAPANWIDE 2015年4月20日)。

この43倍あるいは26倍という水準が、都市内、農村内格差が社会不安に結びつく閾値を考えるうえで、一つの参考となろう。政策に対する不満を選挙という形で吐き出すことができる米国においてすら、さすがに40倍もの都市内格差が存在すると大規模な抗議運動が起こるということである。選挙という形で政策への不満を吐き出す仕組みのない中国では、どうなるだろうか。より小さな格差であっても大きな抗議運動は発生する可能性もあるし、あるいは、いったん発生した暴動が急速かつ大規模に拡大する危険性もあると考えるのが適切だろう。

[1] なお、天安門事件については、1989年6月4日、中国・北京市にある天安門広場に民主化等を求めて集結していたデモ隊に対して軍が行った武力弾圧を指すことも多いが、本稿では、むしろ武力弾圧の対象となった学生らによる抗議運動の方を指す。

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