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オスプレイ問題と尖閣問題の複雑な解を模索する

November 7, 2012

日本に求められるリアリズムとリベラリズムのハイブリッド戦略

東京財団政策研究ディレクター兼上席研究員
渡部 恒雄


9月27日にオスプレイに試乗する機会があった。筆者のような航空機の素人が試乗したからといって、特に意味のあるレポートができるわけではないが、機体に身体を揺られながら、日本の安全保障が現在抱える二つの深刻な問題、オスプレイ配備問題と尖閣問題への解決を考える機会にはなった。直感的には、「尖閣問題について中国と紛争の危険性を抱えている現在、日本は同盟国の米国に対してノーをいえる立場ではない。したがって、沖縄の基地問題ではオスプレイ配備も含め現状維持しか打つ手はない」と考えた。それは現時点では妥当な結論かもしれない。しかし、それでは将来の根本的な解決策が見えてこない上に、事態がより深刻な状況に陥ったときに対処できなくなる深刻なリスクを秘めている。もう少しそれぞれの問題を掘り下げて考えてみることで、日本の外交・安全保障の長期的な方向性の道筋が浮かび上がってきた。一言でいうならば、リアリズムとリベラリズムのハイブリッド戦略である。

オスプレイ問題の本質とは何か?

まず、オスプレイ配備問題については、複数の問題があまり整理されないまま議論されていると思われる。一つは、オスプレイという軍用機は、通常に配備するには危険なほど、欠陥のある飛行機なのかどうか、という点だ。この点について公表されている資料を見る限りでは、現在まで沖縄で使用されてきた旧型のヘリコプターCH-46Eシーナイトに比べて、特別にオスプレイの事故率が高く危険であるというような数字は公表されていない。

軍用機の事故率は10万飛行時間あたりの事故率で比較するが、日本に配備されている海兵隊仕様のオスプレイMV-22Bの事故率は1.93で、これはこれまで使用されてきたCH-46Eシーナイトの1.11と比べると大きく見えるが、海兵隊全体の航空機の事故率の2.45よりは低い。しかも、CH-46Eシーナイトはベトナム戦争時代に導入されて老朽化しているので、今後継続して使用していけば、事故率は上昇していくのは明らかであり、オスプレイに置き換えることには安全性という面でも一定の合理性がある。

筆者は、航空機の専門家ではないので、このような数字だけでオスプレイの配備に問題はないということを結論づけるつもりはない。ただ、オスプレイが欠陥のある危険な飛行機であるという問題よりも、普天間基地が住宅密集地に囲まれており、その環境を放置しておくほうがより危険であるという問題の本質を指摘したい。たとえ、沖縄でのオスプレイ配備を見送っても、より事故が起きやすい旧型のヘリコプターのオペレーションが続けば、周辺住民と日米同盟には危機が待ち受けている。どのような安全な飛行機でも、事故をゼロにすることは不可能だからだ。

さらに沖縄が抱えている基地への重い負担に対する日本政府と米国政府の態度への憤りが、沖縄での長引く抗議運動を引き起こしているという政治的な事実に目を向けないかぎり、「オスプレイはそれほど危険な飛行機ではない」というロジックで沖縄の地元を説得することは無理だろうということだ。

例えば、ニューヨークタイムズ電子版は10月1日付の「米国は深刻な反対にも関わらず沖縄に航空機を配備」(U.S. Sends Aircraft to Okinawa, Despite Fierce Opposition)という記事を掲載した。この記事では、沖縄の住民からの大きな反対運動は、表面上はオスプレイの危険性への懸念によって動かされているようだが、実際には沖縄の政治指導者やアナリストに聞いたところによれば、オスプレイの問題は、これまで沖縄の人々が過大な負担を背負わされてきたことへの深い不満を集める避雷針のようなものに過ぎない、と書かれている。

この記事が示していることは、オスプレイの機体の安全性については、それほど深刻な問題ではないのだろうということだ。ニューヨークタイムズ紙は、おそらく、オスプレイに深刻な欠陥があるかどうかも事前に調査しているはずだ。もしオスプレイに深刻な欠陥があるとすれば、真っ先に犠牲になるのは米国の兵士である。そのような事実を、ニューヨークタイムズが取り上げなかったとすれば、米国の新聞にとっては自殺行為となる。米国のクォリティーペーパー(高級紙)は、自国の政府の抱える問題に対しても、躊躇なくその本質を暴き、政府に突きつけることで市民社会における存在意義を認められているからだ。

そして国際安全保障の現実に目を向ければ、日米両政府ともに、尖閣をめぐり日中間が緊張状況にある現在、オスプレイ配備を遅らせるという選択は、安全保障政策上は取れる選択肢ではないだろうとも考えられる。オスプレイの能力は、これまで使用されてきたCH-46Eに比べて、速度では265km/hから509km/hと2倍になり、航続距離では426kmから3334kmと約6倍、作戦行動半径では150kmから600kmと約4倍となる。普天間基地にオスプレイを導入することで、尖閣諸島が、海兵隊を高速で派遣できる作戦行動半径に入ることになる。米国政府が、尖閣諸島は日本の施政下にあり、日米同盟の対象になると公式に発言している以上、これは中国に対して大きな心理的な抑止効果がある。

だからといって、「オスプレイの安全性には大きな欠陥がなさそうだ」、「オスプレイには尖閣をめぐる日中の紛争を防ぐために抑止効果がある」というだけで現状を肯定して思考停止するわけにはいかない。オスプレイにそれだけの抑止効果があるのであれば、今後起こりうる普天間基地での不慮の事故(今回のような米兵による婦女暴行事件なども含む)により、反基地運動のうねりが大きくなり、政治的な理由から基地が維持できなくなった場合の、日本全体の安全保障が抱えるリスクはそれだけ大きくなるからだ。

尖閣問題が要求する日本の新しい戦略思考

さて、ここで尖閣問題の持つ意味も考えてみたい。今回の尖閣問題は、直接には石原東京都知事の尖閣諸島の購入を防ぐために、日本政府が購入を決定したが、それが中国側には日本政府による尖閣諸島についての実効支配の強化を狙う現状維持の変更と理解され、一連の中国での反日デモや、中国の漁船や海洋監視船による尖閣諸島周辺の日本の領海への侵入という示威行為を引き起こしたと思われる。

その根底にあるものは、一つは中国の経済力、政治力、軍事力の台頭と、日本の中国への影響力の相対的な低下である。同時に、日本が中国の台頭に危機感を持ち、米国との同盟関係を強化したり、東南アジア諸国と安全保障協力を進めたりという最近の安全保障政策に対する危機感を中国側が抱いていることも事実である。そして、中国は内部に多くの政治と社会の矛盾を抱えており、抗日戦争で勝利したことが中国共産党の正統性であることから、反日教育を徹底させており、日本に対して厳しい態度を取ることが、不満を抱える自国民のナショナリズムに訴える一つのツールとなってしまっている。

短期的には、中国とのコミュニケーションチャンネルをできるかぎり維持・再開して、偶発による紛争拡大を防ぐことが日本の最優先課題である。幸いなことに、現在の米中の政府と軍同士のコミュニケーションは悪くない。南シナ海、尖閣諸島と中国と周辺国の関係が悪化していても、米国と中国の軍事交流は着実に進展してきた。

例えば、今年5月には北京で第二回となる戦略安全保障対話(SSD)が開催され、バーンズ国務次官と張志軍外務次官が議長となり、ミラー国防次官代理、ロックレアー太平洋軍司令官、馬暁天人民解放軍副総参謀長が参加して議論が行われた。同じ5月には、梁光烈国防部長(国防相)が訪米し、マレン統合参謀本部議長、パネッタ国防長官やドニロン国家安全保障担当大統領補佐官らと会談している。この訪問には陸海空の三軍からの軍人が同行して米国各地の軍事施設を訪問した。8月後半には、南シナ海と尖閣諸島での緊張が続く中、蔡英挺人民解放軍副参謀総長が訪米している。

現在の米国の日中対立への姿勢は、不必要な軍事対立を招かないために、むしろ日米同盟の義務を尖閣に適用することで中国の行動を抑止することと、領土問題での介入を控えることで、日中の仲介者としてのコミュニケーションチャンネルを確保し、日本にも自制的な態度を求めるというものである。これは紛争を未然に防ぐという日本の最優先課題と合致するものであり、益々日米の緊密な連携と協力が必要となる。

日本にとってのもう一つの急務は、海上保安庁の巡視船の数と能力を向上させ、日本の自衛隊と米軍との共同対処能力を上げて、中国につけいるすきを与えない抑止力を維持することだ。しかし、以上の方だけでは中・長期的な問題解決にはならない。どうしたらいいのだろうか。

新しい現実が求めるハードパワーによる防衛力強化とソフトパワーによる外交力強化

ここで沖縄の基地問題に戻ってみたい。尖閣での偶発による紛争を事前に予防するためには、米国との同盟関係を弱体化することはあり得ない。しかし、このまま危険な普天間基地を放置して、日米同盟への時限爆弾を放置するわけにはいかない。中国に対しても、反日感情や日本への敵愾心という時限爆弾をいつまでも放置するわけにはいかない。

当然のことながら短期的に解決できる簡単な解はない。ただ、このような問題意識を同時に考えることで、日本がある程度時間をかけて対処すべき戦略課題がみえてくる。長期的には、米国との信頼関係を損なわないように、日本独自の防衛力を漸次向上させていくことである。長期的にみれば、日本が自国と周辺の安全保障により多くの責任を引き受けていることに対して、米国が今ほど期待をしている時期はない。米国は今後10年間に渡り、厳しい軍事費削減要求に晒されているからだ。

同時に、日本の防衛力強化の動きは、中国や韓国などの周辺諸国を不必要に刺激しすぎないような外交のコミュニケーション能力を要求する。尖閣問題にしても、竹島問題にしても、相手国は領土問題と日本の歴史認識問題を結びつけて、日本の主権への正統性に疑問を持たせるようなメッセージを国際社会に提示している。これは、中韓の国際経済での影響力の増大と巧みな広報外交によって、それなりの効果を上げている。例えば、もし、日本が内向きのナショナリズムに駆られて、過去の侵略を反省した「河野談話」を見直すようなことをすれば、相手の思うツボである。周辺国に対しても、国際社会に対しても、日本が民主主義や人権という普遍的な価値を重視して、国際的な共通のルールによって紛争を解決していくという基本姿勢を、改めて訴えていくことが、これまで以上に求められることになる。

この二つの課題は、日本にとっては大きな挑戦である。これまでわが国の伝統的なリベラル派は自主的な軍事力や同盟関係の整備には消極的で、伝統的な保守派は過去に素直に向き合うことに消極的だったからだ。日本の政治は混迷の度を深めているが、新しい世代が台頭しているということだけは間違いない。それは日本を囲む新しい現実に対処するためのハードパワーに裏打ちされた新しいリアリズムとソフトパワーを生み出す新しいリベラリズムのハイブリッド戦略である。

この新しい戦略的思考で沖縄の姿をみれば、短期的には現状維持政策をとりながら、将来にわたり沖縄の不満を減らしながらも、日本全体の防衛能力を低下させない中・長期的な戦略を形成するための課題にすぐにでも取り組む必要性が認識されるのではないだろうか。

たまたま、日本の政局をみると、若い世代のリアリズムを代表する橋下徹大阪市長が、石原前都知事との連携はともかく、古い世代の保守派を代表する「たちあがれ日本」との連携に躊躇している姿が目に入った。同世代としてその気持ちはわかるような気がする。おそらく現在の50代以下の世代にとって、古い世代の右翼と左翼の対立からは距離を置き、上記のようなハードパワーとソフトパワーのハイブリッド戦略を追求するほうが、自分たちの政治感覚に照らし合わせても、自然ではないだろうか。

    • 元東京財団上席研究員・笹川平和財団特任研究員
    • 渡部 恒雄
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