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英国プライマリ・ケア事情―日本の医療制度改革に向けたヒント

December 18, 2013

東京財団研究員兼政策プロデューサー
三原 岳

 

東京財団は昨年10月、 政策提言『医療・介護制度改革の基本的な考え方』 を発表し、プライマリ・ケア(初期包括ケア)の制度化を提唱した。その後も研究会やフォーラムの開催、関係者ヒアリングなど研究内容の深化と普及に努めている。

11月18日には英国家庭医として勤務する澤憲明氏をお招きし、プライマリ・ケアを中心にイギリスの医療・介護事情について研究会を開催した。会合では、10月に英国の診療所や介護施設などを視察した筆者の報告に加えて、澤氏による説明と補足コメントがあり、研究会メンバーで議論した。

僅か1週間の滞在や約2時間に及んだ研究会の議論で全てを理解したわけではないが、実際に見聞きしたことや研究会での議論を踏まえ、日本でも参考となる部分を考えたい。

1.総合診療医の制度化に向けた論点

イギリスは「NHS」(National Health Service)を通じて税金による無料の医療供給サービスを提供しており、GP(General Practitioner)と呼ばれる家庭医がプライマリ・ケアを供給している。実際、筆者が医療・介護施設を視察した範囲でも、介護施設の一種であるナーシングホーム 1

に対する定期的な訪問診療や、イギリスが進める認知症対策 2の話題で、GPの存在感は際立っていた。これに対し、日本は社会保険の枠組みによる医療サービスとなっており、患者の大病院・専門医志向も強く、日本との相違点は多い。

さらに、大学病院から診療所まで様々な医療機関を自由に選べるフリーアクセスの日本と違い、イギリス国民はGPの勤務する診療所に登録を義務付けられる。診察を受ける際も、イギリスはプライマリ・ケアのレベルでは原則予約を取らなければならないが、日中であれば何処でも好きな時に病院に行ける日本とは異なる。

しかし、日本でもGPと同様の機能が期待されている総合診療医 3 の専門教育が2017年度からスタートする予定であり、政府の社会保障制度改革国民会議報告書も期待感を示している 4 。東京財団の提言でもプライマリ・ケアの制度化に向けて、患者・利用者の「代理人」を果たす存在が重要と訴えており、GPを中心にプライマリ・ケアが定着しているイギリスの事例は参考になると考えた。

そこで、日本の総合診療医導入に向けた視座として、最初にGPの機能や役割から考えたい。

視察で最も印象的だったのはGPの診察室。GPは1人当たり平均10分の診察時間を割き、患者との対話を重視する。このため、診察室にはCTなど大規模な医療機器は見当たらず、リラックスして対話できる雰囲気づくりに力点を置いており、むしろカウンセリングルームに近い心象を受けた。(診察室の様子は 研究会プレゼン資料を参照

では、どのような診察を実施しているのか。澤氏は研究会の席上、明らかに風邪の症状なのに「頭痛が酷いのでCTスキャンを受けたい」と求めた患者のケースを取り上げてくれた。この場合、日本では医師が「要らない」と即答するか、患者の求めに応じてCTを受けさせるのが一般的かもしれない。しかし、イギリスの場合、GPが対話の中から「何故CTを望んでいるのか?」を聞き、「若い頃に父親が脳出血で亡くなった。それが怖くて不安だからCTをやって欲しい」という患者の不安を引き出す。さらに、GPは明らかに風邪の症状であることを説明しつつ、「脳の出血が見付かる可能性は限りなくゼロに近く、CTをすると胸部X線の100倍以上の放射線によって、体に負担がかかる」と医学的なエビデンスに基づいて対話し、患者にCTを受けるかどうか決定権を与える。

こうした対話重視型のスタイルについて、澤氏は5月15日の東京財団フォーラムに登壇した際も「診察で医学的なことが認められない場合、日頃のフラストレーションやライフスタイルが影響していることが多く、『夫が家事や子育てを手伝わない』といった家庭上の問題を告げられる時もある。その時、GPは患者を医学面からサポートするだけでなく、カウンセラーを紹介したり、職場に休暇取得を促したりすることで、生活上の支援を実施する」と述べている 5

つまり、患者や利用者、家族は医学的な心配だけでなく、「夫が些細なことでカッーとなり、物を壁に向かって投げる時もある」「子どもがジャンクフードばっかり食べて、私の作った食事を食べない」といった家庭・生活の悩みまで持ち込むのに対し、GPは継続的な関係と対話しやすい雰囲気の中で、職場のストレスを原因とする頭痛であれば職場の原因を、家庭の人間関係に起因するメンタル的な悩みならば家族の課題を解決しようとすることで、医学の世界に持ち込まない方策も含めて問題解決を図る。ここは病院中心の医療とは明らかに異なる点であり、澤氏も研究会で以下のように述べていた。

私も最初、診療所に来た時はホスピタリスト(=病院医)的なマインドを持っており、診断をやりたがった。例えば、チョットしためまいで他に重要な症状がない時も、診断名や病名を付けたくなったり、色々と検査をやりたがったりするなど疾患中心のスペシャリスト的な医療をやっていた。しかし、研修の指導医からは「プライマリ・ケアでは不適切。ジェネラリスト特有のやり方がある」と教えられた。

現在、日本では総合診療医の導入に向けた論議が始まっているが、業務範囲や診断能力などを詰めるだけでなく、必ずしも医学的なアプローチだけに頼らず、対話を重視した問題解決に努めている点に着目すべきである。

同時に、医師が全て決めるのではなく、エビデンスに基づいて選択肢を示しつつ、患者・利用者に解決策を選ばせることで、患者に自覚を促すとともに相応の責任を共有しようとしている点も注目される。総合診療医によるケアは決して「お任せ医療」「お任せ介護」ではなく、患者の自己決定がベースとなる点を忘れてはならない。

2.自己決定を支える仕組み

確かに患者・利用者が高度で複雑な医学知識を全て理解するのは困難である。経済学で言う「情報の非対称性」は必ず残る。

しかし、イギリスの医療制度は患者の自己決定を支える仕掛けが幾つかが存在しており、部分的に市場原理を取り入れる「準市場」の考え方を内在させている。

まず、診療所やGPにかかる際、以前は住む地域でGP割り当てられていたが、現在は患者が自らの判断で診療所を近所から選べる。その際には「The GP Patient Survey」(http://www.gp-patient.co.uk/)というウェブサイトを使えば、年に1回実施される患者満足度調査を含めて、近くの診療所情報を検索できる。結果が公開されている患者アンケート調査の一端を見ると、以下の通りである。

・あなたを診てくれたGPに対し、信頼と信用を感じていますか?

(Did you have confidence and trust in the GP you saw or spoke to?)

・あなたにとって、GPの勤める診療所は便利な時間帯に営業していますか?

(Is your GP surgery currently open at times that are convenient for you?)

・この前、診療所でGPの診察を受けた際、そのGPはケアに関する自己決定に対し、あなた自身をどれぐらい関与させましたか?

(Last time you saw or spoke to a GP from your GP surgery, how good was that GP at the following? Involving you in decisions about your care)

・あなたの近所に引っ越してきた人に対し、通っている診療所を推薦しますか?

(Would you recommend your GP surgery to someone who has just moved to your local area?)

さらに、「NHS Choices」というウェブサイト( http://www.nhs.uk/Pages/HomePage.aspx )でも診療所の住所や名称を入力すると、様々なデータが公開されている。例えば、澤氏の勤める診療所を入力すると、住所や電話番号、営業時間、障害者用施設の有無などの基本情報のほか、澤氏の名前が他の4人のGPと並んで出て来る。さらに「5人のうち1人は女性」「日本語も対応可」という付加情報も知ることができるほか、患者満足度調査や平均値に対する格付け評価なども把握できる。

澤氏によると、2次医療についても自己決定が重視されているという。澤氏によると、病院も5つ星でランク付けされているため、診療所から医療機関を紹介する際、これを基に患者に選んでもらうという。研究会の席上、澤氏は以下のように述べていた。

診療所の近くには病院が3つぐらいあり、私が紹介すると患者にパスワードが渡され、インターネットで予約できる。その際、3つの病院の待ち時間などのデータが出て来るので、どれが良いか選べる。

これを日本と対比させるとどうだろうか。医療ではフリーアクセスを採っている分、イギリスよりも自由度は高いが、患者や利用者、家族の満足度を横並びで評価・比較する制度的な枠組みは存在しない 6

。このため、地理的条件のほか、口コミや雑誌ランキングで医療機関を選んでおり、大病院志向が根強い。

これに対し、今年8月に公表された政府の社会保障制度改革国民会議報告書は「患者が大病院、重装備病院への選好を今の形で続けたままでは機能しない」との危機感を示した上で、病院の機能分化を進めるとともに、継続的な関係を持つ医師(=かかりつけ医)による「ゆるやかなゲートキーパー」機能の強化を盛り込んでいる。その上で、紹介状なしで大規模病院にかかった場合の初診料を引き上げる考えを示唆している。

しかし、プライマリ・ケアレベルの医師や医療機関に対する国民の信頼性が高まらなければ、患者の大病院志向は変わらないのではないか。情報開示やケアの質評価の充実など、患者・利用者の自己決定を支える制度設計が求められる。

3.報酬制度の在り方

さらに、GPの活動を支える制度的な枠組みとして、人頭払いが挙げられる 7

。国からGPの勤める診療所に入る予算のうち、約7割は診療所に登録されている地域住民の人口に応じて決められる。日本の医療制度は治療・ケア行為ごとに加算される出来高払いの下、人件費や医療機器のコストを回収するため、検査・診断するインセンティブが存在するが、イギリスのGPは収入が保証されているため、患者に医療措置を講じなければならないインセンティブは存在しない。

その一方で、どんなに費用をかけても収入が一定の場合、必要な治療やケアを実施しない過少診療が起こり得るため、収入の約3割を占めるQOF(Quality and Outcome Framework))と呼ばれる業績払いと、これを支える電子カルテを通じて医療の質を担保しようとしている。

まず、電子カルテから説明すると、イギリスでは電子カルテが全国レベルで普及しており、GPの予約日程や診察記録、患者の健康データなどが収載されている。しかも2次医療で受けた治療経過についても病院から退院時にサマリーが送られてくるため、継続的なケアが可能になっている。

さらに、電子カルテのデータに基づいて住民の健康データが把握されており、健康増進や予防医療などの指標を改善させれば診療所の収入が増える。

一例として、澤氏は研究会の席上、高血圧のリスク対策を挙げてくれた。具体的には電子カルテを使うと、診療所に登録されている8500人のうち高血圧の患者が1500人に上ることが把握できる。さらに、高血圧を持っている人はコード化されており、「高血圧を持った1500人のうち、血圧が150から90以下にコントロールされている人は1200人」というデータを把握できるため、その結果次第でNHSからのQOFが増減する。

インフルエンザワクチンについても、澤氏は「私みたいな若い人に打っても、殆ど効果がないエビデンスが出ており、65歳以上の高齢者や、若くても喘息などの慢性疾患を持っている人は効果が大きい」と述べた。その上で、電子カルテを使えば8500人のうちハイリスクの人は2500人といったデータを把握できるとして、診療所はハイリスクの人に手紙を送るとともに、予防接種を打つという。さらに、その結果も電子カルテを通じて把握されており、最終的に診療所に入るQOFを左右する。同時に、こうしたデータは「Quality and Outcomes Framework」( http://www.qof.hscic.gov.uk/search/index.asp )というウェブサイトを通じて診療所ごとにネットで公開されており、患者が診療所を選ぶ際の指標になる。

このほか、視察と研究会の議論を通じて、「医療の標準化」が進んでいる印象を受けた。電子カルテで共有されている診察情報を通じてGP同士でモニタリングがある上、NICE(国立医療技術評価機構、National Institute for Health and Clinical Excellence)という独立機関がエビデンスに基づいて、「◎◎という薬は費用対効果が悪いので使わないように」といったガイドラインを提示している。さらに、独立機関のMedicines ManagementやCQC(ケアの質委員会、Care Quality Commission)による監査・査察の仕組みも整備されている。澤氏が研究会の席上、以下のように述べていたのも、様々な制度的枠組みを通じて医療の標準化が図られていることの証であろう。

(電子カルテの情報を基に)GP同士で話し合いを(頻繁に)やっているし、NICE、CQC、The GP Patient Surveyなどの枠組みで常にチェックされている感覚を持っている。

日本の場合、費用抑制の議論ばかりが先行しがちだが、質の担保と医療の標準化を通じて、患者満足度の向上と費用の抑制を両立させようとするスタンスは注目に値するだろう。

4.GPナースの存在

最後に、GPの活動を支える「GPナース(プライマリ・ケア専門ナース)」の存在である。

澤氏の勤める診療所ではナースがGPと同じように個室を持っており、医師の指示なしに治療まで行える。このため、個室にはベッドだけでなく処置に必要な機器が並んでおり、むしろGPの診療室よりも診療所に近い雰囲気だった。(個室の様子は 研究会プレゼン資料を参照

実際、澤氏の診療所に勤めるGPナースは経験豊富なベテランで、イボ除去などの治療行為、軽度の急性疾患(Minor illness)の診断・治療、慢性疾患の指導、調剤などもできるという。これらの業務ができるようになるには、それぞれで6カ月間の研修を受けなければならず、多くの業務をこなせるためか、患者が診療所に予約を入れる際、受付担当が「GPと看護師とどちらを希望しますか」と質問すると、大半の人が「看護師」と答えるという。

しかもGPナースの診察結果は電子カルテを通じて共有されているため、ケアの継続性も担保されている。こうしたGPナースへの権限付与を通じて、医師の負担軽減、待ち時間減少、患者の満足度向上といった効果があると思われる。

一方、日本の場合、生活指導が必要な糖尿病に関して医師の指示書を基に看護師が生活・栄養面で外来指導できる仕組みが創設されたほか、国指定の研修を修了すれば看護師自身の判断で気管挿管や脱水患者への点滴などができるようになる制度改正が予定されている。しかし、幅広い医療行為を可能とする「特定看護師」の制度化は見送られた 8

イギリスと同様にプライマリ・ケアが普及しているオランダでも訪問看護師が重要な役割を果たしている 9 ことを考えれば、看護師に対する権限移譲は患者の満足度向上、医師の負担軽減、医療の効率化に繋がるはずである。

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一方、今回の視察や研究会では地域での予算配分を担うプライマリ・ケア・トラスト(PCT、Primary Care Trust)やGPコンソーシアム(GP consortium)の在り方は中心議題に上らなかった。さらに、NICEやCQCなどによる標準化や質の担保、人頭払いやQOFの算定方法などについても話題になったものの、それほど多くの時間を割けなかった。

今後、東京財団では非営利・独立の立場でプライマリ・ケアの制度化を訴えるとともに、これらの点について研究を深化させたいと考えている。

<参考文献>

・葛西龍樹『医療大転換』(2013年8月)ちくま新書
・白瀬由美香「イギリスの社会的ケア事業者の登録・監査・評価制度」『季刊社会保障研究』第48巻第2号
・澤憲明「これからの日本の医療制度と家庭医療」『社会保険旬報』2489号、2491号、2494号、2497号、2500号、2513号
・武内和久、竹之下泰志『公平・無料・国営を貫く英国の医療改革』(2009年7月)集英社新書
・堀真奈美「保健医療分野におけるVFMとアカウンタビリティの確保に関する研究」(2011年3月)会計検査院『平成22年度海外行政実態調査報告書』
・森臨太郎『イギリスの医療は問いかける』(2008年12月)医学書院
・Department of Health “NHS Constitution”
・Department of Health “High Quality Care For All”




視察と研究会開催に際して英国家庭医の澤憲明氏に多大なご協力を頂いたほか、視察に関してはフリージャーナリスト(元日本経済新聞編集委員)の浅川澄一氏らにご協力を頂いた。ここに感謝の意を記したい。なお、研究会の議事概要やプレゼン資料などは「研究会レポート:英国の家庭医とプライマリ・ケア」( https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1127 )を参照。

*1 日本で言えば特別養護老人ホームに該当する。「エルダリーホーム」「ケアホーム」などと称される高齢者向け住宅と異なり、NHSから予算上の手当てを受けた看護師が配属されているのが特徴。

*2 イギリスは2009年から「認知症5カ年戦略」を展開しており、多職種連携を展開する拠点として、「Memory Service」を設置している。視察したカムデン地区の拠点では「相談件数の99%がGP経由の紹介」と話していた。

*3 日本の総合診療医は、内科関連疾患を中心とする「病院総合医」も含んでおり、診療所に勤めるGPの業務と完全に一致するわけではない。

*4 政府の社会保障制度改革国民会議報告書が8月に公表した報告書は「高齢化に伴い、特定の臓器や疾患を超えた多様な問題を抱える患者が増加する中、複数の領域別専門医による診療よりも総合的な診療能力を有する医師(総合診療医)による診療の方が適切な場合が多い。総合診療医は地域医療の核となり得る存在であり、その専門性を評価する取組を支援するとともに、その養成と国民への周知を図ることが重要である」としている。

*5 東京財団ウェブサイト「レポート:医療・介護制度改革を考える連続フォーラム <第1回>」( https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1124 )を参照。

*6 医療機関の評価制度として日本医療機能評価機構があるが、どちらかと言うと経営改善に力点を置いている。一方、介護保険については、社会福祉法人を対象とした第3者評価制度に加えて、利用者が事業所の場所や人員配置、評価結果などを把握できる「介護情報公表制度」が存在する。

*7 出来高払いをベースにした日本の現行制度を見直す必要性については、論考「総合診療医普及のカギは報酬制度」( https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1136 )でも言及した。

*8 『読売新聞』2013年10月30日。2014年の通常国会に関連法案が提出される予定だ。

*9 中でも在宅ケア提供組織「ビュートゾルフ(Buurtzorg)」が人気を博している。東京財団第3回連続フォーラムで話題となった。詳細は「レポート:医療・介護制度改革を考える連続フォーラム <第3回>( https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1126 )を参照。

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