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Brexitカウントダウン(4) 北アイルランド「安全策(バックストップ)」とは何か

鶴岡路人

研究員

「安全策」はなぜ必要か

3月29日の離脱期日が迫っても、迷走するBrexitには出口がみえてこない。EUとの離脱協定が英議会で繰り返し否決された最大の原因とされているのが、アイルランド共和国と英国の一部を構成する北アイルランドとの間の国境に関する「安全策(バックストップ)」である。

アイルランド島の南北を分ける国境は約500キロの長さがある。英国のEU離脱後は、これがEUの域外国境になる。しかし、通常の域外国境のような厳重な管理は許されず、自由な往来・物流の継続、すなわち開かれた自由な国境(open border / frictionless border)の保証が求められた。開かれた国境の保証は、長らく続いたアイルランド紛争を終結させた1998年の和平合意の重要な柱だからである。物理的な国境管理が必要となった場合には、情勢が不安定化し、最悪の場合には紛争が再発する懸念すらあるといわれる。そのため、2017年12月の段階でEUと英国は、離脱後も開かれた国境を保証することで合意した。

しかし、まさに「言うは易く行うは難き」だった。これをいかに実現できるのか。できなかった場合はどうするのか。期限までに新たな解決策が見つからなかった場合の保証措置が「安全策」である。「Brexitカウントダウン」連載第4回となる今回は、この「安全策」をめぐる論点を整理することで、問題の構図を明らかにしつつ、解決の可能性を探ることにしたい。

英国内およびEUと英国の間では目下、離脱期日の延期をめぐる議論が大詰めを迎えているが、延期の有無や長さにかかわらず、(英国がEUから離脱する限り)北アイルランド国境問題は解決しなければならない課題であり続ける。

何が規定されたのか

「安全策」は、離脱協定に規定されたいわば保険である。2019年3月30日に離脱協定が発効し、2020年12月末までの移行期間に入ると想定すれば、「安全策」は、開かれた国境を維持するための恒久的措置が移行期間終了までにEU・英国間で合意・実施できないときにのみ、暫定的に導入されるものである。EUと英国はそれまでに「安全策」が不要となるように、恒久的措置の導入に最大限の努力をするとしている。

離脱協定では、「安全策」として、EU・英国間での「共通関税領域(common customs territory)」の創設が規定された。関税同盟という言葉が避けられているが、主たる柱の1つが関税同盟である。つまり、アイルランド島における開かれた国境を維持するために、暫定的ながら英全土が移行期間後もEU関税同盟に残留するのである。逆にいえば、これによって北アイルランド国境の物理的管理が不要になる。

離脱交渉においてメイ政権が掲げた絶対的条件(レッドライン)の1つが関税同盟からの離脱であった。だからこそ、それに反する「安全策」は問題なのである。非加盟国でありながら関税同盟に残留した場合、FTA(自由貿易協定)の締結などの自律的な貿易政策の実施というもう1つのレッドラインにも影響する。また、EUが制定する各種の規則なども、制定には参画できないものの、全て受け入れなければならない立場になる。いわゆる「ルール・テーカー」である。それでもメイ政権としては、これが唯一可能な妥協案であったために受け入れたのである。

何が問題となったのか

この「安全策」に猛反発したのが保守党内の強硬離脱派だった。彼らは、「安全策」の中身やそれが離脱協定に含まれたこと自体に反発したわけだが、なかでも問題視したのは、ひとたび「安全策」が発動されてしまうと、(1)それには期限がなく、(2)さらに英国の意思では終了させられないことだった。それでは英国は永遠にEUの関税同盟に縛り付けられてしまい、抜けられないというのである。脱出できない刑務所のようなものだとの議論も聞かれた。

離脱協定に反発する強硬離脱派は、「安全策」に期限を設けることや、それを英国が一方的に終了させられる法的規定などを要求した。しかし、恒久的措置がないなかで「安全策」を終了させることや、片方による一方的な終了は、いずれも保険としての「安全策」を根本から否定するものである。というのも、どちらかが一方的に終了させられるのでは、保険の意味をなさないからである。そのためEU側は、当然のことながら、そのような英国の要求には頑として応じなかった。

それでも、「安全策」をめぐって英国議会が紛糾し、離脱協定が承認されない状況が続くなかで、EU側も、離脱協定の本文に触れない範囲での対処には応じることになった。それが3月11日のストラスブールでのメイ首相とユンカー欧州委員長との間の合意だった。これについては「Brexitカウントダウン(3)」ですでに触れたが、新たな合意というよりは、「安全策」に関する離脱協定の規定の解釈を改めて「法的拘束力をもって」確認するという性質のものだった。

移行期間終了までを目標に、恒久的措置に関する交渉を迅速に進めること、および、「安全策」が導入された後に、たとえばEU側が恒久的措置に関する交渉を故意に遅らせているような疑念が生じた際の紛争解決メカニズムの使用などが再度確認されたが、いずれも、すでに離脱協定に規定されていたことの再確認であった。そのため、3月11日の合意を受けても、コックス英法務長官の「法的意見」は、基本的に変更されず、「安全策」が無期限に続いてしまう法的なリスクは不変だとしたのである。

法律論の体裁をとっているものの、その根底に存在するのは、強硬離脱派による対EU不信である。彼らにしてみれば、「安全策」はEUに一方的に有利であり、EUはそれを永続させようと英国を欺くだろうというのである。こうした不信感を法的保証によって乗り越えようとしたのだが、かなわなかった。

何が難しいのか

「安全策」をめぐる問題は、政治的論争の対象になってしまったものの、本来の問題はすぐれて技術的なものであり、英国がEU離脱に伴ってEU関税同盟からも抜けた場合に、国境管理の必要性と、アイルランド和平の文脈での開かれた国境の維持の2つをいかに両立させるかとの課題である。そこでは、国境で止まらずともトラックの積荷をチェックする新しい技術の可能性などが議論されてきた。しかし、そのような技術は、少なくとも現時点では存在していない。新たに技術開発するとして、2020年末までに全ての準備が整う可能性はほぼ皆無である。

世界で最も先進的といわれるスウェーデンとノルウェーの国境においても、一般の車両は自由に通過するものの、トラックは税関で止まり必要な手続きを行う。ノルウェーはEU単一市場には参加しているものの、関税同盟に参加していないために、税関のチェックポイントが必要になるのである。

国境管理・税関検査に関する課題は明確であり、結局どこに境界線を引いてどこで管理をするかということである。これには3つの可能性しかない。第1は、EUの域外国境であり、これはアイルランド共和国と北アイルランドの国境である。第2は、北アイルランドのみに特別の地位を付与し、事実上の「EU加盟国」として扱うことであり、その場合、英国本島(グレートブリテン島)と北アイルランドの間に事実上の境界線が引かれる。第3は、北アイルランドを含む英国全土をEU(関税同盟)内に置くことであり、EUと英国の間にも境界線を設けない。

このうち、アイルランド和平の観点から第1を否定し、英国の国家の一体性確保の観点から第2を否定すれば、第3しか残らない。EU側は当初第2の案を主張したが、メイ政権はこれを拒否し、第3の選択肢に落ち着いた経緯がある。ただし、その場合には、英国全土がEUの関税同盟に残留することになってしまい、関税同盟からの離脱というメイ政権のレッドラインの1つが実現しなくなる。

結局のところ、(1)アイルランドの開かれた国境、(2)英国内の境界線の回避、(3)EU関税同盟からの英国全土の離脱のうち、どれかを断念する必要があるという、「トリレンマ」の構図にあったのである。

2016年6月の国民投票に至る議論では、アイルランド国境の問題はほとんど議論されておらず、端的にいって、当事者である英国人ですら(ごく一部の専門家を除いて)、この問題の重要性にほとんど気がついていなかったといってよい。そのため、この問題に「不意打ち」を受けたといった反応が、英政府のハイレベルからも聞かれたのである。

関税同盟で問題は解決するのか

これまでの英国における議論の中心になってきたのは関税同盟である。しかし、離脱協定では、「安全策」に関して純粋に関税以外に関する数多くのEU規則などが言及されている。これらを含めて英国側がEUの各種法制や基準を受け入れることによってはじめて、開かれた国境が実現するのである。というのも、EU域外国境で行うチェックは、関税の徴収だけでは全くないからである。この点に関する英国側の認識は当初から不十分だったようであり、EU側のフラストレーションの原因にもなっていた。

そうしたなかで2018年5月の段階でEU側が発表したのが下記の図であった。これは、EUの域外国境において管理が必要となる項目の一覧である。関税同盟によって不要になるのは、赤字の部分、すなわち原産地の確認と関税の徴収のみであり、規制に関する部分は基本的に全て残るのである。つまり、規制に関する合意があって初めて開かれた国境が実現する。「安全策」はこれらを含めた合意であり、関税同盟のみの議論ではバランスを失することになる。 

 

出典)“Slides on customs controls,” TF50 (2018) 38 – Commission to EU 27, Brussels, 22 May 2018.

 

関税同盟のみでは問題が解決しないとの現実は、恒久的措置を交渉する際にも当然のことながら重くのしかかることになる。開かれた国境を維持するためには、相当なレベルでの規制の共有が求められるのであり、それはほとんど単一市場への参加に近いものになるのだろう。 

スケープゴートとしての「安全策」?

「安全策」は、英議会での離脱協定承認にあたって、確かに最も反発を受け、批判された項目である。しかし、これがEUと英国との間の対立の原因であったと結論付けるのは若干早計であろう。というのも、「安全策」は、EU・英国対立におけるスケープゴートだった側面がある。

少なくとも、EU・英国交渉は、「安全策」が存在したゆえに困難なものになったのではなく、EUの単一市場・関税同盟からの離脱といういわば「ハード離脱」が選択された結果として、交渉が難航し、北アイルランド国境問題への対処として「安全策」が登場せざるを得なくなったというのが実態だからである。 

いずれにしても消滅しない北アイルランド国境問題

それでは今後、どのような解決策が考えられるのだろうか。まず、EUと英国の意図に反して「合意なき離脱」になってしまった場合、北アイルランド国境問題は喫緊の課題となる。英国政府は、「合意なき離脱」になった場合の対応について、北アイルランド国境では当面税関検査を行わないとした。

これは、「主権を取り戻す」としてEU離脱する英国としては、皮肉すぎる結果である。というのも、関税の徴収は、伝統的に国家にとって重要な主権の行使だからである。しかも、FTAの締結を経ずに一方的に関税の徴収を行わないことは、アイルランドのみに対する特恵措置であり、WTO(世界貿易機関)の諸ルールとの関係でも懸念が表明されている。(ただし、英国の事情としては、そもそも検査施設もなく、検査をしたくてもその態勢が存在しないということでもある。)

他方で、現行の離脱協定に基づく離脱になった場合には、いつ離脱するにしても遅滞なく移行期間に入り、恒久的措置に関する交渉が開始される。移行期間のうちに新たな解決策が見つかる保証はないが、最終的には、EU・英国関係の大枠を議論するなかで、この問題を扱うことになるのだろう。

その際に、「安全策」の結果として英国の意に反して関税同盟に「縛られる」のではなく、英国の経済的利益に照らして、EU関税同盟への残留というより「ソフト離脱」の方向に軌道修正がなされ、結果として北アイルランドの国境管理も不要になるというのが、理想的な解決策である。今日の混迷を深める状況に照らして、それを期待するのは非現実的にみえるかもしれない。

しかし、EUとの関税同盟は労働党が主張している他、保守党内の「ソフト離脱」派を合わせれば、下院において多数を占めているのも事実である。障害となるのは政党間の対立だが、北アイルランド国境問題もこうした大きな枠のなかで考えていく必要があるのだろう。

 

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鶴岡路人

鶴岡 路人

  • 主任研究員

研究分野・主な関心領域

  • 欧州政治
  • 国際安全保障
  • 米欧関係
  • 日欧関係

研究ユニット

対外政策ユニット