鶴岡路人
主任研究員
メイ首相の最後の一手
英国のEU離脱は2度の延期を経ても、いまだに英国内での合意形成の見通しが立たない状態が続いている。もっとも、合意形成が不可能だから延期せざるをえなかったのであり、基礎的な条件に大きな変化がない限り、膠着状態が続く方が自然だともいえる。英議会下院での離脱協定の3度目の否決を受けて開始された与党保守党と野党労働党との協議は、結局決裂した。
メイ政権が抵抗し続けてきた欧州議会議員選挙への参加も不可避になり、保守党は壊滅的な敗北が確実視されている。そもそも、保守党は今回の選挙で、選挙活動を事実上行わなかった。参加するはずのなかった選挙であり、実際の議会が招集される7月までに離脱を実現するのが党としての立場だという事情もあるが、何を訴えるのかについて党内で合意することが不可能だったのも事実である。
そうしたなか、欧州議会選挙を目前とした5月21日、メイ首相は、最後の一手に出た。労働党との協議は決裂したものの、労働党を念頭においた「妥協」を自ら行い、「新たな合意」を提示したのである。そこには、与野党協議で労働党が強く求めていた、合意を承認するための国民投票の実施が含まれていた。離脱協定法(Withdrawal Agreement Bill: WAB――離脱協定を履行するための国内法)が可決されれば、国民投票実施の是非を議会で採決し、政府はその結果に従うとしたのである。
今回の提案には、北アイルランド国境に関する「バックストップ」の適用を阻止するための国内の準備を法制化するといった点を含め、さまざまな要素が含まれているが、メイ首相がそうした提案を行うに至った意思決定過程が不明確だったこともあり、労働党にアピールする前に、足元の保守党の反発を招く結果になった。同提案を受けて、閣内を含め、保守党内でのメイ首相への退陣要求が一気に強まったのである。WABは当初、6月3日の週に下院での採決が予定されていたが、これも不透明になっている。それまでにメイ首相が退陣する場合は、これらは当然全て白紙に戻される。
本稿脱稿時点(5月23日)で、メイ政権は、数日以内にも退陣表明との見方が広まっているが、ここでは、そうした日々の政治情勢からは一歩下がり、再度の国民投票、ないし「承認のための投票」と呼ばれるものについて改めて検討したい。首相が交代しても、解決を求められるBrexitの課題は変わらないからである。
現実可能性の高まる再度の投票?
メイ政権の退陣時期にかかわらず、今後のシナリオとしては、保守党の新首相の誕生、下院解散総選挙、再度の国民投票などが存在する。メイ首相の後の保守党党首について、各種調査では、強硬離脱派の筆頭格であるジョンソン前外相が有力候補とされている。そのため、保守党は強硬離脱の方向に振れる可能性がある。他方で労働党は、EUとの恒久的な関税同盟を主張しつつ、いかなる離脱合意についても国民投票を実施すべきだとの立場である。協議が決裂したこと自体にも示されているが、Brexitのあり方や進め方に関する二大政党の立場の乖離は依然として続いている。
議会が膠着状態となり、Brexitに関する合意が不可能なのだとすれば、国民の声を聞くべきだとの主張が勢いを増す。通常の政治プロセスでは、「国民の信を問う」手段として真っ先に想定されるのは議会選挙である。総選挙になる可能性は低くないが、保守党と労働党という二大政党がともにEU離脱問題で分裂している以上、議席数に若干の変動があったとしても、選挙を経ても根本的な状況が変わる保証はない。そこでもう1つの、いわば最終手段として言及されるのが国民投票である。
再度の国民投票を求める声は2016年6月の国民投票直後から存在しているが、それは長らく、残留派の「負け惜しみ」のようなものだと考えられてきた。しかしここにきて、再度の国民投票実施は、依然としてハードルは高いものの、「考えられないもの」ではなくなりつつある。そこで想定される国民投票はいかなるものなのか。そしてそれはBrexitをめぐる英国政治の混乱に終止符を打てるのだろうか。別のいい方をすれば、国民投票は何であって何でないのか。国民投票が実際に行われるかにかかわらず、これらについては考えておく必要がある。それにより、国民投票がなし得るものへの期待がコントロール可能になるとともに、国民投票実施の是非の判断材料にもなるからである。
「承認のための投票」
政治の場でも報道でも、「再度(2度目)の国民投票(second referendum)」という表現が頻繁に使われるものの、想定される国民投票の性格や中身についての合意は全く存在しない。2016年6月の国民投票は「離脱」か「残留」かを問うものだったが、全く同じ選択肢で再度の国民投票を行うことになる可能性はきわめて低い。
考えられるのは、EUとの間の何らかの離脱協定が議会で可決された場合に、それを承認するか否かを問う国民投票である。労働党がこれを求めているが、保守党内では拒否反応が根強い。上述の5月21日のメイ提案での国民投票の扱いに、保守党内から極めて強い反発が起きたことからも、これは明らかであろう。その背景には、すでに国民の意思は示されているとの原則論的立場に加え、離脱撤回になりかねないことへの現実的な懸念が存在している。
なお、労働党を含め国民投票の支持派は、「再度の」ではなく、「承認のための(confirmatory)」投票と表現することが多い。「再度の」とした場合、前回の国民投票結果を否定するようなニュアンスが生じ、当時示された民意の否定と批判されかねないからである。そのため、今回は離脱の是非ではなく、交渉結果としての離脱条件の諾否を問うものであり、2016年の国民投票とは性格が異なるという点が強調されることになる。
この「承認のための投票」を党の方針として要求している労働党内でも、その詳細に関してコンセンサスがあるわけではない。党首のコービン自身、その是非に関して当初は曖昧な姿勢だった。党内における離脱派と残留派――さらには、離脱派が多数の選挙区選出議員と残留派が多数の選挙区選出議員――の間には綱引きが存在し、そのいわば妥協点が、少なくとも表面的には中立的にみえる国民投票実施だったのである。
国民投票での選択肢は?
国民投票が行われる場合に、どのような選択肢を設定するかは、きわめて困難な課題である。可能性として考えられるのは、選択肢が2つだとした場合、(1)EUとの合意(英議会で承認されたEUとの離脱協定)を承認するか否か、(2)合意承認か「合意なき離脱」か、ないし(3)合意承認かEU残留か、などの組み合わせであろう。あるいは、合意が成立しないなかでの国民投票を想定するのであれば、(4)「合意なき離脱」か残留かということになる。
しかし、選択肢を決定すること自体が大きな決定である。「合意なき離脱」が議会で繰り返し否決されてきた事実を踏まえれば、それが選択肢に入る可能性は低い(議会が認めない)だろう。離脱協定の根幹に関わるEUとの再交渉も現実的ではないとすれば、少なくとも消去法的発想では、合意承認以外の選択肢は「残留」、すなわち離脱意思の撤回以外に考えにくい。
もっとも、投票用紙に記載される選択肢が2つでなければならない必然性はない。しかし、選択肢が3つ、ないしそれ以上になると、過半数を占める結果が出る可能性が低くなるため、国民投票としては不都合である。また、例えば3つの選択肢を選好順に並べるといった投票形式が言及されることもあるが、投票方法の周知徹底の困難さなどを考えれば、全有権者を対象としたような大規模な投票において現実的なものとはいい難い。
国民投票実施への道
どのような呼称を使うとしても、国民投票の実施自体は、本来であれば中立的な選択肢である。結果がどちらになるか分からないからである。しかし、2016年の国民投票以来、再度の国民投票を求める声は、EU残留派の主張であった。離脱派は2016年の投票で勝利した以上、再度実施する動機が皆無である。再度の国民投票を実施して「残留」が選択されてしまえば、せっかく勝ち取ったBrexitが消えてしまうという心配も常に離れない。
それでも、議会が膠着状態になり、メイ政権が崩壊状態に陥るなかで、再度の国民投票の可能性は上昇基調にあるといえる。メイ政権の後に、強硬離脱派の例えばジョンソン政権が誕生した場合でも、総選挙よりは最終的に国民投票の実施を選択するのではとの見方もある。
3月から4月にかけて2度実施された、Brexitに関するさまざまな選択肢に関する下院での「示唆的投票(indicative votes)」では、「承認のための投票」の実施を求める動議が、3月27日は賛成268票、反対295票、4月1日は賛成280票、反対292票との結果になった。いずれも否決されたものの、結果は拮抗しており、票差も縮まることになった。概ね労働党が賛成、保守党が反対という結果になったが、保守党からはそれぞれ8票(3月27日)、14票(4月1日)が賛成にまわり、労働党からはそれぞれ27票、24票が反対にまわった。
再度の国民投票を実施するためには新たな立法措置が必要であり、いずれにしても下院の過半数の賛成が不可欠になる。この見通しはまだ立っていないため、まずはこの票読みが焦点となる。しかし、総選挙を含む他の方法によってもBrexit問題の打開が不可能だとの認識が高まった場合には、いわば「最後の手段」として国民投票が浮上する局面があるかもしれない。
EU側の受け止め
EUからみた場合の再度の国民投票実施は、やはり英国のEU残留への「機会の窓」である。現段階でも、もし英国がEU残留を決めるのであれば無条件に歓迎するとの声は根強い。欧州理事会のトゥスク議長はそうした立場の筆頭格であり、加盟国レベルでは北欧諸国や中東欧諸国の多く、さらにはオランダなどがそうした立場に近いとみられる。しかし、ここまできてしまった以上、もうこれ以上Brexitに煩わされたくないうえに、英国のいないEUの方が結束できるとの声が、フランス(マクロン政権)を中心に高まっているのも事実である。
最長で2019年10月31日まで離脱を延期するとの4月の欧州理事会の決定を受けてすぐに国民投票の準備が開始されていれば、それまでに投票を終わらせることができたかもしれない。しかし、日を追うごとにそれは困難になってきている。今後、再度の国民投票が10月31日以降に設定されたような場合には、EU側もおそらく3度目の離脱延期を承認せざるを得なくなることが予想されるが、EU側の苛立ちは高まる一方であろう。
国民投票でも解決しないBrexit・・・
Brexitに関して英国政治が機能不全に陥っていることに鑑みれば、国民投票という非常手段に打って出ることの合理性は、かつてなく高まっている。それでも、今日議論されているような国民投票の実施は、政治が決められない困難な決定を国民に委ねることを意味しており、代議制民主主義の原理原則から問題なしとはいえない。政治の責任放棄だといってもよい。
そのうえで国民投票を実施したとして、Brexitの迷走に終止符を打つことはできるのか。EU離脱問題の当面の「解決」と英国政治の安定化という観点から考えた場合の最善の結果は、新たな国民投票でEUとの離脱合意が承認されることである。10月31日は間に合わないかもしれないが、これにより、「秩序ある離脱」が実現する。残留派には不満が残るだろうが、2度の国民投票を経たことの意味は重い。
ただし、この国民投票キャンペーンは、これまでよりもさらに激しい政治対立や二極化を生じさせることになる可能性が高く、英国という国家の結束の観点ではプラスにならないだろう。フェイクニュースが飛び交う汚いキャンペーンになることも避けがたい。メイ首相の5月21日の提案に抗議して辞任したレッドサム院内総務も、首相宛の辞任の書簡のなかで、新たな国民投票は「危険なまでに分裂的(dangerously divisive)」だと指摘した。
他方で、これは選択肢の設定次第だが、再度の国民投票でEU残留が選択された場合にはどうなるのか。残留派にとってはこれこそが狙いだが、リスボン条約第50条に基づく離脱意思を撤回するだけで、Brexitをめぐる一連の問題が「解決」すると考えるのはナイーブすぎる。
少なくとも、新たに結成されたBrexit党や保守党内の離脱派(特に強硬離脱派)が、残留という決定を最終的なものとして受け入れる可能性はゼロに近い。たとえ今回、離脱意思の撤回が行われたとしても、次なる離脱の機会を求める運動が国民投票翌日から始まることは想像に難くない。3度目の国民投票実施の要求も早晩浮上するだろう。これが英国とEU双方にどのような影響を及ぼすのか。EU側の見方を含め、詳しくは別稿で検討することにしたい。
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