ワシントンDCにある駐米英国大使公邸(写真提供:GettyImages)

Brexitカウントダウン(14)「ダロック事件」――駐米英国大使辞任が示すもの

鶴岡路人
主任研究員

2019年7月10日、ダロック(Sir Kim Darroch)駐米英国大使が辞任を表明した。その数日前、英紙『メイル・オン・サンデー(The Mail on Sunday)』が同大使による本国への報告を大々的に報じ、それに対してトランプ(Donald Trump)米大統領が、ダロック大使を強く批判するツイートを繰り返すという事態を受けての出来事だった。今回の事件の背景や影響は複合的だが、Brexitにも密接に関連している。 

この事件に関してはロンドン警察が刑事事件としての捜査を行なっており、すでに情報を持ち出した人物が特定されているといわれる。裁判のための証拠固めの段階なのかもしれない。しかし、その個人が誰であったとしても、トランプ時代の米英の「特別な関係(special relationship)」が、従来とは異なるものに変質してしまっていることは否定できず、それはEU離脱後の英国の対外関係の方向性を左右しかねない。また、英国側での情報漏洩の背景に着目すれば、Brexitをめぐる泥沼の対立の結果であるとの側面がみえてくる。 

「ダロック事件(Darroch affair)」とは何か

まずは事実関係の整理である。2019年7月7日付『メイル・オン・サンデー』は、ダロック大使による本国へのさまざまな報告を引用している。一定の数の文書がまとめて漏洩されたことが窺われる。報じられたのはいずれもトランプ政権に対して辛辣な評価をしているものであり、同政権を「無能」だなどと評した部分が注目された。例えば、同大使は、「我々は、この[トランプ]政権がいまよりも大きく普通になったり、予測不可性が低くなったり、内輪揉めが少なくなったり、外交的な不器用さや無能さが減少したりするとは考えていない[1]」と述べていた。漏洩した報告には複数の種類があり、いわゆる公電(外交公電:Diptel)の他に、秘匿装置付きの電子メールで送られたものも含まれているようである。

なお、漏洩経路について英当局は、外国勢力によるハッキングなどの行為の可能性をすでに否定しており、システムの安全対策の問題ではなく、アクセスを有する英国側の個人による意図的漏洩だったことが確定しているようである。

7月7日の報道を受けて、メイ(Theresa May)首相やハント(Jeremy Hunt)外相は、ダロック大使を完全に支える姿勢を繰り返し表明した。任国事情について正直な評価を行い、英国の意思決定に必要な情報を、誰への遠慮もなく本国に報告することは、外国に駐在する大使に常に期待される最も重要な任務である。この観点でダロック大使は、大使として行うべき仕事を行なっていただけである。この認識は政治においても強固に共有されており、ダロック大使の言動、特に漏洩した報告内容を批判するような声は全く聞かれなかった。

しかし、ダロック大使への支持を表明しなかった重要人物が存在した。大詰めを迎える保守党党首選の一番手候補であり、次期首相就任が確実視されるジョンソン(Boris Johnson)前外相である。ジョンソンは、党首選討論会の場を含め、繰り返し質問を受けながらも、大使への支持表明に応じなかった。ダロック大使の辞任表明の背景には、ジョンソンの支持を得られなかったことが大きく作用していたと理解されている。ジョンソンは、支持表明をしなかった理由について、「公務員の進退を政争の具にすべきではなかったからだ」と述べているが、トランプ大統領との関係に配慮した言い逃れにすぎないとみられている。この問題は、首相に就任した場合、その後にも繰り返し追及される可能性がある。

ダロック大使自身は7月10日付の辞任表明の書簡のなかで、現状では大使としての「自らの役割を果たせない」点に触れ、新大使の任命を可能にすることが「責任ある方策」であるとした。マクドナルド(Sir Simon McDonald)外務次官は、返答の書簡で、「貴方は貴方の仕事をしていただけ」だが「悪意ある漏洩のターゲットとなった」として大使をいたわり、「貴方は我々のなかで最高だった」とダロック大使の貢献を称えた[2]。こうした書簡のやりとりが公開されることも異例であり、英外務省としては、最後までダロック大使を守ろうとした姿勢を示したかったのだろう。

今後の英国外交にとっての最大の懸念は、今回の事件をきっかけとして、外国に駐在する大使が任国に関する正直な評価を躊躇するようになることである。外部に漏洩すれば困るようなものを送らないとすれば、機密情報の意味がなくなってしまう。だからこそダロック大使を守ることが重要だったのである。そしてそれは英国のみの問題ではないだろう。 

「特別な関係」の変質? 

ダロック大使辞任をめぐる今回の一連の問題でまず注目されるのは、英米関係の現状である。メイ首相は、トランプ大統領の就任後、初めてホワイトハウスを訪問し首脳会談を行った外国首脳だった。英国は各国による「ホワイトハウス一番乗り競争」を制したわけだが、メイ首相のBrexit交渉へのスタンスを弱腰だとして何度も公の場で批判を続けたのもトランプであり、英国を貶めるような発言は少なくなかった。それでも、2019年6月のトランプ大統領の国賓としての英国訪問は、全体として非常に成功したと評価されており、英米関係は一息ついていたという状況だった。

しかし今回、ダロック大使の一連の報告が報じられたことを受けてトランプ大統領は、ツイッターで執拗に大使を攻撃した。7月8日には「我々はもはや彼[ダロック大使]を相手にしない(We will no longer deal with him)」と述べたうえ、翌9日には「馬鹿者(stupid guy)」だとし、さらに「大使のことは知らないが、思い上がった愚か者(pompous fool)だと聞いた」と、さらに語気を強めたのである[3]

「相手にしない」との発言は、トランプの当初の意図がどうであったかは別として、実質的に、外交の世界でいうところの「ペルソナ・ノン・グラータ(persona non grata:好ましからざる人物、接受を拒否された外交官)」宣告の効果を有することになった。最も緊密な同盟国への対応として、もちろん前例がない。そして、当時ちょうど米国を訪問していたフォックス(Liam Fox)国際貿易相の米国側との会談の一部がキャンセルされるなど、二国間関係にはただちに実害が発生し始めることになった。

今回の問題が英米関係に中長期的に影響を及ぼすとは必ずしもみられていないものの、このような事態が、いつでも起こり得るとすれば、二国間関係にとってはマイナスでしかない。トランプ政権下での外交関係に共通するリスクだともいえるが、この点で英米関係は「特別」ではなかったということなのだろう。加えて、今回の一件で改めて示されたのは、トランプ大統領にとって同盟にはさしたる意味がないことである。北朝鮮の指導者である金正恩とは「恋に落ちた」といいながら、最も近い同盟国である英国の大使は「相手にしない」のである。

そしてタイミングの悪いことに英国はEUから離脱しようとしている。英国における伝統的なEU離脱論は、EU離脱後の英国は東ではなく西を向き、米国との関係を強化するとの方向性を前提にしていた。実際、Brexit後はまず米国との自由貿易協定(FTA)が最優先課題になるとみられる。しかしそのためには、独自のFTA締結が可能であるほどにEUとの関係を弱くする、すなわち「ハード離脱」の必要があり、実際トランプ政権は、英国の農産品市場の解放を狙ってそうした方向を強くプッシュしてきた。

今回も、トランプ大統領はツイッターで、ダロック大使を非難すると同時にメイ首相のEU離脱交渉姿勢を再び批判し、「よいニュースは新しい首相がもうすぐ誕生することだ」と述べていた。ジョンソンはハード離脱派だが、英国内では米国との二国間FTAへの懸念が一部で高まっている。

気候変動でもイランとの核合意でも国際貿易でも、今日の国際的な重要課題に関する英国の立場は、EU(および大陸欧州諸国)と一致している一方で、トランプ政権の米国とは乖離が目立つ。EU離脱後は対米関係の比重が不可避的に高まるが、そのタイミングで英米関係が揺らいでしまっているのであり、このことはBrexit後の英国の対外関係に暗い影を落としている。 

Brexit「内戦」のなかの今回の事件

ダロック大使の辞任をめぐる問題は、対米関係よりも英国内の文脈においてより深刻だといえる。というのも、今回の情報漏洩自体、国内におけるBrexitに起因する政争に関連してなされたものとみられているからである。

事件の背景に関しては、英国内ですでにさまざまな憶測がなされているものの、まだ確定的なことはいえない。それでも、EU強硬離脱派の間で、外務省を筆頭とする官僚機構が残留派(親EU派)にみえることへの苛立ちが募っていたことは否定できない。そうしたなかで、特定の標的を追い落とすような工作がなされたとしても不思議ではなかったとの理解が英国内では広まっているようである。

メイ政権下で以前から深刻な問題になっていたのは、重要情報の相次ぐ漏洩だった。閣議での非公開の議論が翌朝の新聞に載ることは日常の光景であった。2019年4月には、次世代携帯通信の5Gに関して、中国企業ファーウェイの参入を認めるか否かに関する国家安全保障会議(NSC)の議論がメディアに漏洩した。これについては内部調査が行われた結果、メイ首相はウィリアムソン(Gavin Williamson)国防相を解任した。

そもそも、EUとの離脱協定が下院において3度にわたって大差で否決され続けたのも、保守党内の造反によるものであり、メイ首相による党内掌握失敗の結果だった。つまり、与党保守党も政界全体も、そして政府組織内も深刻な分裂状態にあり、それはまさに「内戦[4]」なのである。

Brexitは英国をそこまでの状態に陥らせたのだといえる。それは内政にとっても外交にとっても、英国にとっての大きな損失である。ダロック大使の辞任にいたる今回の一件は、そうした危機的状態の1つの結果だったのだといえる。

  


[1] “Britain's man in the US says Trump is 'inept': Leaked secret cables from ambassador say the President is 'uniquely dysfunctional and his career could end in disgrace',” The Mail on Sunday, 7 July 2019, https://www.dailymail.co.uk/news/article-7220335/Britains-man-says-Trump-inept-Cables-ambassador-say-dysfunctional.html (last accessed 14 July 2019).

[2] 両書簡は以下参照。“Sir Kim Darroch, HM Ambassador to United States of America, to resign,” Press Release, Foreign and Commonwealth Office, London, 10 July 2019, https://www.gov.uk/government/news/sir-kim-darroch-hma-to-united-states-of-america-to-resign (last accessed 14 July 2019).

[3] トランプのツイートは下記参照。https://mobile.twitter.com/realDonaldTrump/status/1148559442885185536 (last accessed 14 July 2019); https://mobile.twitter.com/realDonaldTrump/status/1148298496140820480 (last accessed 14 July 2019).

[4] “The Darroch leaks show the UK, too, is dysfunctional (editorial),” Financial Times, 9 July 2019, https://www.ft.com/content/c7b4589a-a16d-11e9-a282-2df48f366f7d (last accessed 14 July 2019).

 

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鶴岡路人

鶴岡 路人

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研究分野・主な関心領域

  • 欧州政治
  • 国際安全保障
  • 米欧関係
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