年金の支給開始年齢引き上げが高齢者の健康に及ぼす影響

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年金の支給開始年齢引き上げが高齢者の健康に及ぼす影響

「支え手」を増やす必要
支給開始年齢を70歳に引き上げたら
健康面からはゴーサイン

「支え手」を増やす必要

全世代型社会保障の大きな柱は、社会の「支え手」を増やすことだ。少子高齢化は、社会の中で支える側に立つ人が減り、支えられる側に立つ人が増えることを意味する。この圧力に抵抗するためには、今のままでは支えられる側に立つ人に支える側にできるだけ移ってもらうことが手っ取り早い対抗策だし、効果的だ。「支え手」を増やすためには、高齢者の就業機会の拡大がポイントとなる。

全世代型社会保障をめぐる議論でもその点は強く意識されており、70歳までの定年延長や雇用継続、公的年金の繰り下げ支給の上限年齢の引き上げのほか、雇用以外の働き方の促進も目指されている。しかし、就業促進にとっていちばん効果のあると考えられる、公的年金の支給開始年齢の引き上げは想定されていない。厚生年金の特別給付の支給開始年齢は2025年まで65歳に徐々に引き上げられるが、そこでストップする。

公的年金の支給開始年齢の引き上げは先進各国で大きな政治課題となっており、政治家はなかなか手を出さない。日本も例外ではないが、「マクロ経済スライドがあるから、支給開始年齢を引き上げても年金財政は改善しない」という理由で、政府自らが封印している。しかし、予想されている年金給付の目減りを少しでも抑えるためには支給開始年齢の引き上げは悪くない話だ。支給開始年齢の引き上げで高齢者就業が促進されるのであれば、経済全体の「支え手」も増えるわけだから、初めから否定してしまうのはもったいない。

支給開始年齢を70歳に引き上げたら

しかし、そこで気になるのは高齢者の健康への影響だ。65歳を過ぎても働き続けなければならないとなると、健康面で問題は出てこないか。実際、最近では労災の適用を受ける高齢者が増加しているとの報道もある。高齢者にもっと働けと言っても、健康が悪化すれば元も子もない。しかし、その一方で、働いたほうが健康によいという話もよく聞く。就業と健康との間の因果関係は一方方向ではなく、両方向であろう。

ここでは、そうした両方向の因果関係を念頭に置いたうえで、年金の支給開始年齢を70歳に引き上げた場合に、高齢者の就業や健康にどのような影響が出てくるかを大まかに試算してみよう。そのために、まず、厚生労働省「国民生活基礎調査」の1986-2016年調査のデータを用いて、健康を就業で説明する回帰式を推計し、就業すれば健康面にどのような影響が出るかをチェックする。ただし、そこでは、健康が就業に及ぼす影響を除くため、就業のうち支給開始年齢だけで影響される分だけを取り出し、その分が健康に及ぼす影響を把握する(いわゆる操作変数法)。次に、その推計結果を用いて、支給開始年齢を70歳に引き上げたときに就業や健康がどうなるかを、2016年の実績値を基準にして試算する。

健康面からはゴーサイン

推計プロセスの細かな説明は省き、結果だけを紹介しよう。おおまかに言うと、60歳台前半は就業面、健康面にそれほど大きな変化は出てこない。支給開始年齢がすでにかなり引き上げられているからだ。しかし、60歳台後半になると、効果が出てくる。就業率は男性で27.7%ポイント、女性で17.1%ポイント上昇する。支給開始年齢の引き上げには、やはり就業促進効果がある。

健康面への影響はどうか。60歳台後半になると、自分の健康を「よくない」「あまりよくない」と答える者の比率は男性で1.8%ポイント、女性で00.8%ポイント低下する。自覚症状がある、日常生活上の問題があると答える者の比率も若干低下する。一方、ストレスがあると答える者の比率はやや上昇する。こうした結果が得られるのは、働くことは(ストレス面を除くと)健康によいという因果関係が統計的に確認できるからだ。

以上は、きわめて大まかな試算結果に過ぎない。しかし、支給開始年齢の70歳までの引き上げは、少なくともマクロ的に見る限り、高齢者の健康を大きく蝕むとは考えにくいと結論づけてよいだろう。もちろん、この試算結果はあくまでも平均値であり、計算の裏側では大きな個人差が発生している。メンタルヘルスは、むしろ悪化する。そうした点に十分注意を払えば、支給開始年齢の引き上げは健康面からひとまずゴーサインを出せるというのが、筆者の判断だ。

 

 

小塩隆士

小塩 隆士

  • 一橋大学経済研究所教授