定年延長は健康にプラスか

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定年延長は健康にプラスか

R-2021-035

要旨
就業と健康の関係を検証
定年延長は健康に総じてプラス
必要になる多様な働き方への対応

要旨

岸田新政権になっても、「全世代型社会保障」の方針は受け継がれている。本格的な高齢化社会を迎えるに際して、社会の「支え手」を増やす必要性があることに変わりはないからだ。支え手が増えれば、経済の供給能力は強まり、社会保障の持続可能性も高まる。しかし、人々がさらに働き続ける社会になったとき、健康面で問題は出てこないのだろうか。

筆者は、国際協力機構・緒方貞子平和開発研究所の清水谷諭上席研究員とともに、この素朴な疑問への回答を試みた[1]。具体的には、厚生労働省の「国民生活基礎調査」の調査結果に基づく就業と健康との関係を把握し、そこから得られた分析結果に基づいて、定年や公的年金の支給開始年齢を70歳まで引き上げたときの健康面への影響を推計するという作業を行った。

得られた結論を先取りすれば、就業継続は全体として言えば健康にプラスの影響を及ぼす。やはり、働くことは健康にもよいと考えてよい。しかし、メンタルヘルスにはマイナスの影響が出てくる可能性がある。高齢者の就業継続を促進するためには、多様な働き方を認め、メンタルヘルス面でも無理のない就業生活が送られるようにする工夫が求められる。

就業と健康の関係を検証

就業継続が健康にどのような影響を及ぼすかを予想するためには、その前に就業と健康がどのような関係にあるかを調べる必要がある。これは、やや面倒な作業である。というのは、就業が健康に及ぼす影響と、健康が就業に及ぼす影響を識別する必要があるからだ。働いているから健康になったのではなく、健康だから働いている、という逆の因果関係が働いているかもしれない。筆者らはこの問題をクリアするために、(1)就業で健康を説明する回帰式と、(2)定年や年金支給年齢に達しているかどうかや、住んでいる地域(都道府県)の雇用情勢(有効求人倍率)など、健康とは直接関係のない要因で就業を説明する回帰式を連立させて同時に推計するという作業を行った。

若い人たちの場合、定年や年金支給とは無関係にほとんどの人が働いているので、この推計作業の対象は5569歳に限定する。そして、1986年から2016年にかけて3年ごとに実施された計11回の調査に参加した計140万人分のデータを用いる。公的年金(1階の基礎年金部分と2階の報酬比例部分)の支給開始年齢は、生まれた年や年齢、性別によって微妙に異なっている。そうした制度要因を、調査対象になっている各個人に忠実に当てはめてみる。健康変数としては、現在の健康状態を「よくない」「あまりよくない」と感じている主観的健康感、自覚症状、健康上の問題の日常生活への影響、悩みやストレス、抑鬱の有無という5つに注目する。

推計結果の詳細な紹介は省略するが、(1)式の推計結果からは、結果が健康変数によって異なることが確認された。つまり、就業しているほど、主観的健康感はよく、自覚症状はなく、日常生活に影響もないが、悩みやストレスを抱え、抑鬱になりやすい。就業は健康に全体としてはプラスに相関しているが、メンタルヘルスの相関はマイナスである。

一方、(2)式の推計結果からは、年齢が定年を過ぎていれば、また、公的年金の支給開始年齢を超えていれば、就業する確率が低くなることが確認できる。当然であろう。住んでいる地域の雇用情勢は個人の就業に大きく影響しなかったが、サービス業など第3次産業の比率が大きな地域ほど、高齢者はより働き続ける傾向がある。

定年延長は健康に総じてプラス

以上の推計結果を用いて、やや大胆なシミュレーションを行ってみよう。つまり、この調査に参加しているすべての個人について、定年や公的年金の支給開始年齢をともに70歳に一気に引き上げて、就業行動や健康にどのような影響が出てくるかを調べる。50歳台の個人には大きな影響は出てこないだろう。彼らの多くは就業しており、定年や年金支給年齢が先延ばしされても、就業行動には大きな変化は出てこないと考えられるからだ。しかし、60歳を超えると状況が変わる。働き続ける必要や動機が出てくる。したがって、健康面でも変化が出てくるだろう。

シミュレーションの結果をまとめたのが、下の表である。結果は、5569歳のサンプル全体のほか、年齢階層を5559歳、6064歳、6569歳に区分して示してある。まず、就業率への影響を見ると、50歳台では0.7%ポイントの上昇と大きな変化はないが、60歳台前半では7.1%、後半では27.8%ポイントの上昇となる。健康面だけに注目すれば、高齢者就業には、定年や公的年金の支給開始年齢をある程度引き上げる余地があることが確認できる。

就業率の上昇に連動して、健康面でも影響が出てくる。例えば、主観的健康感を「よくない」「あまりよくない」と答える確率は、50歳台ではほとんど変化しないが、60歳台後半になると、1.8%ポイント低下する。60歳台後半の年齢層の場合、制度変更前では、主観的健康感を「よくない」「あまりよくない」と答える人たちの比率が15.9%だったことを考えると、1.8%ポイントという値はけっして小さくない。同様の結果は、自覚症状(3.8%ポイント低下)や日常生活への影響(2.8%ポイント低下)についても得られる。

一方、悩みやストレス、抑鬱を抱える確率は、60歳台後半の年齢層でそれぞれ4.8%、4.1%ポイント上昇する。これは、就業しているほどこうした問題を抱える確率が高いという、上述の推計結果と整合的な結果でもある。

必要になる多様な働き方への対応

もちろん、以上のシミュレーションは大まかな試算に過ぎない。フルタイムやパートタイムといった就業形態は現在のまま変化しないと想定している。就業継続による所得増加やその健康への影響、就業継続と親の介護の関わり合いの変化なども、議論を簡単にするために分析の対象外としている。試算結果は、幅を持って解釈していただきたい。

そうした点を考慮しても、定年延長や公的年金の支給開始年齢の引き上げを受けて就業を続けると、健康には総じてプラスの効果がありそうなことが示された点は注目される。実際、日本労働組合総連合会(連合)が行った「高齢者雇用に関する調査2020[2]を見ても、60歳以降も働き続けたい理由(複数回答)として、「健康を維持するため」を選択した人たちは全体の4割以上を占め、「生活の糧を得るため」に次いで2番目に多い回答となっている。健康のために働くという回答は理解に苦しむという声を海外の研究者から聞くこともよくあるが、けっして悪い話ではない。高齢者が今まで以上に社会の支え手となり、しかも健康であり続けるとすれば、まさしく一挙両得である。

その一方で、ストレスや悩み事、抑鬱の確率が高まる可能性が示されたことも無視できない。高齢者就業を促進するためには、メンタルヘルスに過剰な負担を掛けないような働き方を用意する必要がある。事実、定年後はフルタイムからパートタイムに働き方をシフトする人はかなり多い。これは、自然な姿であろう。今回紹介したシミュレーションでは、働き方のこうした変更の効果は織り込んでいないので、メンタルヘルスへのマイナスの影響は過大推計している可能性もある。しかし、高齢者就業の促進策を考える上で、メンタルヘルスへの影響は重要な論点となる。

高齢者には、働き続けてもらうとしても多様な働き方を認めるべきである。その上で社会の「支え手」としての機能を発揮してもらうためには、追加的な制度改革が求められる。税や社会保険料の拠出の在り方についても、賃金や雇用に連動する現行の仕組みから所得にリンクする仕組みとするなど、多様な働き方に合わせて改める必要がある。

 

[1] Takashi Oshio and Satoshi Shimizutani, “Will working longer enhance the health of older adults? A pooled analysis of repeated cross-sectional data in Japan,” Journal of Epidemiology, advance online publication. https://doi.org/10.2188/jea.JE20210030
[2] 連合「高齢者雇用に関する調査2020」
https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/chousa/data/20200130.pdf?42

小塩隆士

小塩 隆士

  • 一橋大学経済研究所教授