2008年の全国党大会に引き続き、2012年も両党の党大会に参加した。民主党側には2008年と同様イリノイ州代議員団の特別招待ゲストとして、全国委員会のコーカスなど、一連の行事にオバマ陣営関係者や連邦議員と共に出席した。他方、共和党側には、アイオワ州代議員団と行動を共にして参与的な観察調査をした2008年とは異なり、2012年は各州代議員と横断的に交流を行った。
共和党大会(フロリダ州タンパ)は、ハリケーン「アイザック」影響で初日を中止したが、4つの点で悪運だった。第1に、2008年の共和党大会(ミネソタ州セントポール)でもハリケーン「グスタフ」対応で、ブッシュ大統領が党大会に来訪できなかったことが想起され、「天候に恵まれない」共和党の敗北選挙(2008年)の既視感を生んだこと。第2に、「アイザック」はルイジアナ州ニューオーリンズを直撃し、2006年中間選挙で共和党敗北をもたらした「カトリーナ」の亡霊を思い出させたこと。第3に、メディア報道がハリケーン報道と半々になり(テレビ各局は下位置L字スーパーのグラフィック対応で、常に党大会報道の同画面に天気図を出した)、人命や家屋が損なわれるかもしれない緊急事態のさなかに「コスチューム姿でお祭り」をしている共和党の「場違い」な映像が、暗黙の対比の構図を形成した(民主党の「ロムニーは1%」戦略には好都合)。第4に、ルイジアナ州のジンダル知事など新星が現地対応で足留めされた。特に共和党大会は「白人の政党」という固定観念をマイノリティのヒーローの紹介で中和することを目的としているので痛手であった。
共和党大会は「ライアンの紹介」「ロムニーの印象緩和(夫人効果)」「ティーパーティの取り込み」の3つの目的があったが、ライアンについては「1900年に副大統領候補にライアンと同い年でなったセオドア・ローズヴェルトを思い出させた」(「ヒューマン・イベント」誌のジョン・ギジ)など、「世代交代」と「共和党伝統の継承者」という2つの顔を見事にライアンが融合して体現したことで、「成功」とする保守メディアの声が会場では目立っていた。ライアンが、ロムニーについて「ビジネスで成功することは、いいことだろ!」と述べた点も、「1%」になることが尊敬されるべき「アメリカンドリーム」の再認識として大喝采を浴びた。
ただ、アン夫人の演説に関しては、個人的な「夫婦愛」を語ったものの、ミシェル夫人のように個人の物語を同時代のアメリカの経済・社会問題とコネクトさせる二段構えの工夫がなく、共和党向け演説として合格点だったものの、無党派への波及効果を視野に入れた「全国向けメディア・イベント」としては、「個人的に過ぎた」という声が党内部からも聞かれた。これに対して民主党初日のミシェル夫人の演説は、08年にやはり現場で聴いた筆者の比較からも、緊張していた08年と比べて12年のミシェル夫人は、安定感を増しており、完全に政治家の演説のようであった。マルチネス・ニューメキシコ州知事、ライス前国務長官、マケイン上院議員、ルビオ上院議員など、共和党の「顔」を次々に演説で投入したものの、テーマ的な統一感がなく散漫な印象だった。クリント・イーストウッドの飛び込み演説は、運営委員会とも連携が十分に取れておらず、登場のタイミングが読めず全国放送向けの後続演説の時間管理を乱した。オバマに語りかけるモノローグはウイットに富んだ興味深いものであったが、視覚的には画面のイーストウッドが予想以上に老け込んで見えたことが、ライアンで「若さ」を狙ったはずのロムニー陣営を戸惑わせた。
ロムニー陣営に「静かな痛手」だったのは、ポール支持者の反乱である。共和党の州委員の委員長ポストをポール派が占める異常事態が起きているアイオワ州では、郡委員の多くが代議員から弾かれた。巧妙に党内に侵入したポール派が多数を占めた州は少なくなかった。彼らはロールコールで「ロン・ポール」を連呼し、「ポール」のサインをテレビに映す「党大会内抵抗」を展開した。壇上の点呼集計では、アイオワ州副知事のキム・レイノルズが、ロムニー獲得票しか点呼しない措置をとった。これに怒ったメーン州の代議員が退席し、各州合同のポール派代議員が、抗議を連呼してホール内を練り歩く「大会内デモ」という異例の事態まで発生した。ポールはウィキリークスのアサンジへの擁護発言で、さらに共和党内で孤立を深めており、デモも主流メディアからは黙殺された。アイオワ州ジョンソン郡の元委員長(今年は代議員から外された)ビル・キートルは、州代議員団を乗っ取ったポール派を「ポルシェビキ」と称していた。ロムニー指名には実害がなかったものの、指名に向けた点呼で、ポール票が州によっては多数を占める事態は、印象面で党の結束を害した。ところで、父親ロン・ポールとの「役割分担」でポール派の延命を目論むポール派は、派内「穏健派」担当の息子ランド・ポール上院議員に、党大会演説を引き受けさせた。共和党は大会会場に「大会開催中に増えた負債」の電光掲示板(Debt Clock)を掲げるパフォーマンスで財政健全化を訴えたが、ランド・ポールとライアンの「財政保守」メッセージと見事に共鳴し、「小さな政府」の経済路線では、なんとか党がまとまることがアピールできたのは、共和党大会の成果である。
対する民主党(ノースカロライナ州シャーロット)では、最終日に屋外スタジアムで行う予定が雨天で屋内会場に変更というアクシデントはあったが、概ね盛り上がりを見せた。ところでシャーロットはバンク・オブ・アメリカとワコビアの本店の所在地で、「ウォール街」を悪魔化する経済ポピュリズム路線のオバマ陣営にとってシャーロット開催はあまりに皮肉だったが(上記スタジアムも「バンカメ・スタジアム」)、US Airwaysのハブでもあり、インフラ投資や企業誘致による「地域活性化」と「躍進」シンボルとしては、巧妙に練られた都市選択だった。民主党はテーマの一貫性で成功した。人選、演説内容すべてに「陣営がおさえたい部分」が統一的に反映された。主として雇用、女性、同性愛、退役軍人と愛国である。ノーベル平和賞の受賞や核なき世界に象徴される、構想的「アメリカの世界観」を押し出す外交メッセージは不在だった。
オバマの「合格点を目指した」指名受諾演説に象徴されるように、「大きなことは再選できてから言えばいい」という「内向き」色は否めず、「過去の共和党国務長官が全員支持してきた核弾頭削減に、ロムニーだけが反対している」というケリー上院議員演説によるロムニー批判の文脈を除くと、未完の外交政策への言及はなるべく控えられた。党大会最終日には、ビンラディン殺害のNBCのスペシャルリポートを利用したビデオを流し、退役軍人の同性愛者に演説させるなど「実績」のアピールは、人選と共に計算され尽くしていた。他方、08年デンバーは歩けば道端やホテルのロビーでセレブリティに出会ったが、シャーロットでは見かけないというのが現地の米メディアの記者達の感想だったが、筆者も同じ印象だった。「1%」の金持ちであるハリウッドのセレブレティにあまり表に出てきてほしくないという陣営の配慮だった。
MSNBCで党大会特番の司会を務めたレチェル・マドウのように「ケリーの外交演説は結構だが、このインテンシブな軍人賛美、ミリタリー賛美は何か?」という、リベラル派からの問いかけもあったものの、退役軍人を壇上に並べ、消防士や警官などの国奉仕する「英雄」を強調する作戦は「大きな政府」を経済問題から愛国的肯定に部分的にすり替える意味でも、共和党潰しとしても効果的だった。当然、オハイオ州など中西部の激戦州への含意もある。ウィスコンシン州で公務員の組合の団体交渉権をめぐる知事リコールで辛酸を舐めた民主党としては、ミドルクラスの公務員を味方につける戦略をいっそう強めている。また、ペローシと連邦下院の女性議員全員を壇上にあげるなど、伝統的な民主党の哲学であるプロチョイスに加えて、「今回唯一のソーシャルイシュー」と言われる避妊の権利を改めて強調する、ジェンダーギャップ作戦も意図的だった。場内には同性愛のシンボルの虹色の旗がはためき、会場付近のホテルやコンベンションセンターでは膨大な数の労組、エスニック集団や利益団体のイベントが開催されるなど、共和党側にはない党の性質は相変わらずであった(共和党はクレデンシャルをもらえる代議員のための内輪の儀式だが、民主党はクレデンシャルがない非代議員のほうが参加者多数という、利益団体や全国委員会コーカスのよる党内アドボカシーの祭典という色の差がある)。アジア系コーカスには、日系2世を母にもつラウス大統領顧問、大統領の妹でインドネシアの血を引くマヤ・スートロ博士なども参列した。
隠れた試みは「3日間」に演説を縮小したことだ。党大会は公式にも4日間だが、初日を地元民や支持者が交流できるフェステバルにした。このことで1日目「夫人」、2日目「クリントンデー」、3日目「副大統領」、4日目「オバマ」の通常日程が凝縮され、副大統領と大統領の演説が最終日に重なった。デービッド・ガーゲンが指摘するように、副大統領候補の演説時に、大統領や党の重要人物が揃っているというのは珍しく、結束アピール効果があった。バイデンを08年にオバマが選んだのはワーキングクラス票を狙う目的があったが、民主党のルーツをワーキングクラスに回帰させようという、12年の経済ポピュリズム選挙においても同様の役割がバイデンに期待された。「タンパで赤字、負債と騒いでいたが、シンプソン=ボールズの赤字削減委員会など超党派の試みを拒絶したのは共和党だ」と赤字電光掲示板を揶揄し「ロムニーは、アウトソーシング。仕事を全部海外にもっていくだけ。国内に仕事を戻すのが大統領のやることだ」「America is not in decline.」「We have no intention of downsizing the American dream.」という一連のメッセージは、経済ポピュリズムと愛国路線で、非公式スローガンと化している「ビンラディンは死に、GMは生き残った」を補強した。
ガーゲンが、民主党は「We」、タンパでのロムニーは「I」ばかり、と言うように統一感では民主党勝利の党大会の印象であった。オバマが2008年選挙を回顧して「It was not about me. It was about you.」という台詞は、「責任転嫁」という穿った見方も聞かれたが、「政府はすべての問題を解決しないが、問題解決へのソースとなる」というオバマ流の現実主義の表現でもあった。オバマ演説では、導入ビデオが自動車業界とビンラディン一色で、医療保険改革は若干触れられている程度であった。党大会全体がまるで「愛国労働党」になったかのようなトーンで貫かれ、ある意味では米民主党の王道として評価できる仕上がりであった。
民主党大会における最大のサプライズは、2日目のクリントン演説のラストでのオバマの登場と2人の抱擁だが、会場ではオバマ来訪は一部では予測されていた。オバマとの不仲懸念を払拭にはじゅうぶんな演出だった。筆者は、クリントン演説を演台中央のクリントンのちょうど後ろ側から、丸見えになっていたプロンプター原稿と対照して見ていたが、観衆の熱気に触発されてか、クリントンは随時原稿を逸脱したアドリブを規定原稿の間に全体の3分の1ほど入れ、予想より長い演説となり、原稿の代名詞などの表現も随時変えた。クリントンの登壇時には92年大統領選挙のクリントン陣営テーマソングをかけ(フリードウッド・マックの「Don't Stop」)、音楽が鳴り始めた瞬間に場内が割れんばかりの大歓声となった。オバマ陣営は、クリントンに党大会で大舞台を与え、「第三の道」を実践した90年代のクリントン路線に敬意を示すことで「政権を越えた党の一貫性」を強調したが、ロムニー陣営はW・ブッシュ大統領を党大会でもほとんどクローズアップせず、「政権間の党の断絶」を浮き彫りにした。
ただ、民主党といえども総合的に08年デンバーと比べれば熱気は半分以下という感は拭えない。08年には招待もされていないのにデンバーに駆けつけた熱心な各州の党人で溢れかえったが、「子供が小さいから」という口実で、今回は尻込みして現れない関係者も少なくなかった。「後攻」の民主党大会の評価が高かったのは、政党間の比較問題に過ぎず、民主党大会を08年と年度比較すれば、「歴史に参加する」昂揚と衝動が消えているジレンマは否定できず、「オバマ有利」の安心感が過度に加速すれば、基礎票の投票率に微妙な影を落としかねない。