2012年大統領選挙の特色の一つは、外交安全保障問題が選挙の争点として限りなく後方に退いている点である。G・W・ブッシュ政権の介入主義的な政策への疲れと一向に改善しない経済状況が、アメリカ国民の視線を内に向かわせているといえる。
8月27日から30日にかけてフロリダ州タンパで行われた共和党全国大会においても、外交安全保障問題は周縁的なトピックだった。たしかに大会三日目には前国務長官のコンドリーザ・ライスがお得意の「balance of power in favor of freedom」について語り、外交安全保障通とされるジョン・マケイン上院議員が「力の外交」について雄弁な主張を繰り広げた。とりわけライス演説は拍手喝采をもって迎えられ、とかく評判の悪いG・W・ブッシュ人脈でありながらも、彼女の根強い人気を証明するかたちとなった。ライス演説は、党内に根強い内に向かおうとする衝動に抗して、アメリカが国際社会に関与する必要性を説く勇気ある演説だったといえる。ただ特筆すべきは、G・W・ブッシュ政権下で大統領補佐官(国家安全保障担当)と国務長官を務めたにもかかわらず、イラクやアフガニスタンへの言及がほとんどなかったことだ(イラクは僅か1回、アフガニスタンは0回)。このこと自体が、いま共和党が外交安全保障問題に正面から取り組むことの難しさを物語っているといえる。
しかし、何よりも際立ったのは、肝心の大統領候補と副大統領候補がほとんど外交安全保障問題に触れなかったことだ。撤退のスケジュールが決まっているとはいえ、いまだアフガニスタンに展開する米軍への言及がなかったことについては、当の共和党の中からも批判が湧き出てきた。これから最高司令官になろうとする大統領候補が、紛争地域に展開する米軍に言及しないこと、ましてやそれが共和党候補であったことは驚きをもって迎えられた。これは民主党全国大会が、これまでの共和党全国大会と見紛うほど「プロ・ミリタリー」の雰囲気を打ち出していただけに、共和党の対応の異例さがより際立ったといえる。たしかに、ロムニー/ライアン・チケットは、久しぶりに大統領候補・副大統領候補ともに外交安全保障経験がほぼ皆無の組み合わせである。ここのところ大統領候補が外交安全保障経験を欠いている場合には、副大統領候補によって補完されるのが一般的だった。しかし、今回はそういう人選ではない。ライアンは財政通としては知られるが、決して外交通ではない。その結果、外交安全保障問題については共和党が後手に回っているという印象が確実に出来上がっている。世論調査の結果も一貫してこのような傾向を示している。
本来、外交と安全保障の党であるはずの共和党が、オバマ外交を切り崩すことがなかなか出来ないのは、オバマ外交がブッシュ外交のリセットを企図しており、それを批判すること自体が、いまのアメリカ国内の雰囲気に逆らってしまうことになるからだ。アメリカ国民は、基本的にはオバマ外交の方向性を支持している。それはオバマ政権が、いまのアメリカ国内の雰囲気を的確に踏まえた外交安全保障政策を展開しているからだといえる。アフガニスタンやイラクなどの面倒な仕事から手を引きたいという気持ちと、一方でアメリカを攻撃しようと虎視眈々と目を光らせている「暴力的過激主義者」に対しては決然と対応しなければといういわば相矛盾する意識が共存している状態がいまのアメリカ国民の感覚だろう。G・W・ブッシュ政権は、この二つを連動させ「対テロ戦争」を看板に掲げ、国際社会の批判を恐れずにこれを推進させた。しかし、オバマ政権は、この二つを切り離し、前者は収束の方向に向かわせつつ、後者は特殊部隊と「drone(無人航空機)」を駆使して、アメリカ国民に負担を強いずに、しかしながら攻勢に出ているという構図で対応している。いわばニューヨークタイムズ紙のデビッド・サンガーがいうところの「light footprint strategy(足跡をあまり残さない戦略)」である。これは必ずしも政治的打算のみで組み立てられた政策ではないが、結果としてアメリカ国内の雰囲気と見事に合致し、共和党によるオバマ外交への批判を封印する効果をもったといえる。
共和党全国大会と民主党全国大会が終わり、選挙戦がますます本格化していくなか、オバマ陣営が若干ながらも優位という構図が浮かび上がりつつあるが、ロムニー陣営はオバマ陣営の綻びを見つけようと必至である。そこに転がり込んできたのが、在米のコプト教徒が作成した反イスラム的な映画に触発された中東地域における反米運動へのオバマ政権の対応だった。ロムニー陣営は、オバマ政権が反米主義の台頭を放置し、それを批判するよりかはアメリカの罪を自己批判する「謝罪外交」に徹し、アラブの春への対応とその後のオバマ政権の中東政策を批判した。リビアにおける暴動によってジョン・C・スティーブンス大使を含む4人のアメリカ人外交官が殺害されるに及び、この問題を「政治争点化」しようとしたロムニーへの批判が高まったが、一方で、この反米運動は1979年のテヘランにおけるアメリカ大使館人質事件を想起させるものでもある。この問題の今後の進展の仕方によっては、これが「オクトーバー・サプライズ」として選挙の趨勢に影響をもたらすこともありえなくはないが、現時点でそう断言するのは時期尚早と言えよう。