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その他
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日付
2017/6/21

【書評】廣部泉著『人種戦争という寓話―黄禍論とアジア主義』(名古屋大学出版会、2017年)

評者:松本 佐保(名古屋市立大学人文社会学部教授) 

 

本著の全般的評価と背景

    本書は1927年に施行された排日移民法などの戦前の米国の対日政策をめぐる人種的な要因が、太平洋戦争の開戦につながったのではないかという言説をめぐって、近年盛んに議論が行われ出版された多数の研究を踏まえ、一次史料を駆使した実証的な歴史研究の成果である。この分野の研究としては集大成ともいえ、よくまとめられており、また中国の台頭など現代的な国際政治のインプリケーションも含意されている良書である。また日米関係を考える上で重要であるにもかかわらず、現在は殆ど存在しないものとして議論されない人種問題を前面に押し出したものとして高く評価できる。

   それでいて著者が外交史家として実証的に慎重に議論を進めている点も重要で、人種問題やアジア主義などデリケートなトピックに関わる研究は、得てしてイデオロギー的になりがちなのを回避し、本書は客観的に冷静な分析を行い、著者のバランス感覚を遺憾なく見てとることができる。

   著者の廣部氏は東京大学の地域のアメリカ研究からハーバード大学の博士課程に進学、ここで入江明教授の下で書いた博士(PhD)論文はスタンフォード大学出版会から単著Japanese Pride, American Prejudice, modifying (日本のプライドとアメリカの偏見)として、排日移民法についての詳細な研究を2001年に出版して以来、米国の対日の移民政策史をめぐる外交関係を研究してきた経緯がある。上記の著書では排日移民法が施行されるに至る過程で米国内におけるロビー活動を行った団体について詳細に調べ、それらは主に日系人の多いカルフォルニア州を中心としていたが、これらの団体とワシントン政府の関係について、排日移民法施行に至る過程でどのように影響を及ぼしたかのかを論じている。

   米国内で反日や排日移民法を施行すべきてあるという世論がやがて外交を動かして太平洋戦争に向かうだが、人種戦争という表現を使うには慎重さを要するとして、人種問題は両国の関係を悪い方向へ導いたとしても、太平洋戦争の直接的な原因ではなかったと論じている。

    日本語で書かれた排日移民法研究では、蓑原俊洋による『排日移民法と日米関係』(2002年)が知られているが、彼の研究は西海岸と東海岸の温度差やカルフォルニア州政府とワシントン政府のせめぎ合いが論じられているのに対して、廣部氏のこの研究は政府レベルだけでなく民間団体に注目したのが特徴的で、特にアイルランド系やイタリア系の労働者階級のロビーは職を奪われるという理由で反日的で排日移民法を推進し、これを額面通り適用する立場だったのに対し、キリスト教団体や貿易・商業団体は排日移民法に反対、施行された後もこの条項を緩和するための活動を行っていたことを示したものである。つまり廣部氏の視点には日米の敵対関係においても何とか希望を見出そうとする楽観論的な特徴があり、彼のこうした考えは本著でも述べられており、その一貫性を見ることができる。それゆえにタイトルにあるように欧米で黄禍論がどんな唱えられようとも、これに対する反発としてアジア主義が過激化しようとも、最終的には、太平洋戦争を人種戦争とするのは寓話であるというのが著者の主張である。

   ここで引き合いに出されるのが、日米に関わる文脈での日英関係である。つまりどちらも政府レベルでの外交関係が悪化していく中で、民間レベルでの、あるいは王室レベルでの関係改善の試みが満州事変以降も続いたと言われる。本著は日米関係をテーマとしているが、日英関係についても避けがたく言及されている箇所も少なくないのは、そうした事情によるのかも知れない。

 

本書の現代的意義

   黄禍論については歴史研究以外に文学や文化・文明研究、また人種問題としての社会学的な研究など今まで多くの研究が出されているが、この問題を外交史や移民政策の文脈でとらえるものは、ここ15年ぐらいに盛んになってきた分野である。またアジア主義研究についても同様のことが言え、アジア主義は大東亜戦争のイデオロギーでもあったことから戦後長らくタブー視されていた分野でもあり、政治・外交研究では冷戦終結まで目立った研究が出されていなかった。これ以前にあったとしても思想や文明・イデオロギー研究の文脈が多く、政治・外交史研究での議論が盛んになってきたのはこの20年来の傾向と言える。

 その理由の一つとしては、1992年以降の東アジアの目覚ましい経済発展やこれに続くASEAN諸国の発展から出てきた東アジア共同体構想やASEAN+3などとの無縁ではない。またここから出てきたアジア太平洋経済構想APECもある。つまり汎アジア主義の太平洋戦争の否定的なイメージからの脱却、共に経済発展してウインウインな関係を築くという肯定的な文脈での捉えなおしが、地域統合を肯定的に捉えてきたEUからの影響もあり、これらアジア主義研究の発展に間接的に関わっているであろう。

    廣部氏は「汎欧州は望ましいもの・・汎アジアには人種的威を思い起こさせる響きがある」と述べるが、2016年にEUの地域統合が急速に進み過ぎたことへの警告と反発としての英国のEU離脱、EU単位での移民や難民への厳しい対応、米国のトランプ政権の誕生による移民排斥傾向やTPPの拒否など、地域統合にも陰りが見えてきたのも本書が出されたタイミングを考えると皮肉でもある。地域統合の「域内では自由だが域外にはブロックを形成する」という肯定的でかつ否定的な両面を改めて考察する機会を本書は与えてくれるのかも知れない。本日フランス選挙のマクロン候補の勝利を聞いたが、これがEUへの希望に繋がったとするなら、さらに示唆的であると言えるかも知れない。

 

先行研究との関わり

    本書の評価に入る前に本研究分野の先行研究とこれらに対する著者の評価に触れておこう。既に述べたようにこの15年間に非常に活発になった研究分野であるが、著者がこれらをすべてカバーしているわけではないからである。著者が触れているのは黄禍論や人種差別が直接開戦や戦闘の激化に繋がったという主張を展開するジョン・W・ダワーやジェラルド・ホーンの研究で、前者は『敗北を抱きしめて』で翻訳研究書のベストラー歴史家であるが、原爆投下などの米国の徹底した日本に対する戦闘行為は人種差別的な要因が強いとの主張で、後者はアフリカ系米国人研究者の著者が人種問題に対する強い問題意識から書かれており、両著とも日本側の残虐性が強調されてきた歴史観に対して米国側の残忍性を人種問題にからめて論じたものである。

 著者はこの様な人種的な要因はあったものの、太平洋戦争を人種戦争とするには慎重を要するという立場を取っており、そうした問題意識から人種主義が開戦及び戦闘過程でどう利用されたかなどを史料に基づいて実証しているのである。

 本書は人種問題をめぐる日米の外交関係に焦点を絞ることを意図しているようだが、最終的な真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発に至る過程では日英関係を含む英連邦や大英帝国の問題を含むことになり、この分野ではすでに多くの研究が出されていることもあり、この観点について本書は先行研究を利用することに終始している。

   黄禍論などの日米あるいはアジア系人種と白人の間の人種問題について論じるにあたって関わってくるもう一つの重要なテーマがアジア主義の言説である。アジア主義もまたここ15年以来議論が盛んになり、多くの優れた研究書が出された分野である。必ずしも人種問題だけに焦点を絞っているわけではない研究を入れると、実に活発に議論されている。特にすでに述べたように日本人研究者にとってアジア主義研究は、右翼的な言説と関連させられやすいことから長らくタブーであり、これに果敢に挑んだのが松浦正孝氏と中島岳志の両研究者であった。彼らの研究をインスパイヤーしたと思われる外国人研究者の貢献も重要である。本著で名前をあげて引用している研究としては、Saaler やスピルマンの研究は彼らが外国人(非日本人)だからこそ出来たという側面も否定は出来ず、特にスピルマンによる黒龍会などの日本の戦前の右翼研究は日本人研究者を勇気づけたと言える。戦後の日本で右翼研究を行うことは学問的ではないのではないか、はたまた研究者が右翼思想の持主だと思われてしまう多大なる偏見が以前は存在した。スピルマン氏はユダヤ系ボーランド人の父を持ち、その生涯は映画「戦場のピアニスト」の主人公として描かれ、ホロコーストから命からがら英国に亡命した人物である。そのようなバックグランドを父に持つ研究者が黒龍会を研究するのは、黒龍会に賛同するからではなく、なぜそのような運動が出てきたかを解明したいからである。こうしたことが日本人研究者にアジア主義について研究したから、アジア主義に賛同しているわけではなく、むしろ逆でなぜその様な日本を破滅的な戦争に駆り立てた運動が人々の支持を得たのかを理解したいからであり、そしてそうした研究の重要性が理解されるようになったからである。

これ以外にもアジア主義に関わる外国人研究者による重要な貢献は実に多数ある。

本書が引用するアイドンの『アジアにおける反西洋主義の政治学』は特筆すべきで、さらに彼の指導教授であったトルコ人女性研究者のエッセンベル氏の研究は、アジア主義を汎イスラム主義の文脈で論じた重要な研究で、日本人がイスラム教徒に改宗して汎イスラム主義を取り込む政策が一部の知識人だけでなく、外務省がこうした政策をバックアップし資金提供していたことを示す史料を駆使した実証的な研究を行った。しかし戦後の日本のイスラム研究はアジア主義との結びつきを連想させる否定的な評価を受け、戦前活躍した日本のイスラム研究者は帝国大学の職を追われたと言う。現在日本では再びイスラム研究が盛んになってきているが、これらは実は冷戦終結後のことで、戦後暫くはイスラムの文化的・芸術的な研究はあっても政治的な研究はあまり行われなかった。しかし周知のように国際情勢においてイスラム主義の政治的な側面がクローズアップされる中、研究が盛んになり、アジア主義との関わりでも議論されるようになったのである。

 

各章ごとの本著の紹介 

 それでは本著を章ごとに紹介していこう。

    第1章:日清戦争と日露戦争では、どのように日本脅威論が形成されたかを、ピアソンの言説や有名なヴィルヘルム2世の黄禍絵で説明している。ピアソンはオーストラリア人の知識人として英米双方に読者に対して黄禍論を唱え、それは白人の文明が黄色人種によって脅かされる危険性を説いたものであった。オーストラリアは現在こそ多文化主義国と称賛させているが、白豪主義を1970年まで貫いていた国で、オーストラリアには多く人種問題研究者がおり、その中でも白人や白禍研究が特徴的である。本書もマリリン・レイクの研究について触れており、本研究が修正主義的な側面を持っている問題点もあるものの、人種研究の重要な業績である。

日清戦争の日本の勝利によって日本が中国を率いて白人に襲いかかり、さらに日露戦争という黄色人種の白人に対する勝利を最も恐れていた白人こそ「白禍」であると述べられる。「白禍研究」についてはオーストラリアで一定数の蓄積があり、これについては触れておく必要があるだろう。太平洋戦争での日本の対戦相手は米国だけでなく、アンザック(オーストラリアとニュージーランド)部隊が重要な役割を果たしていた。白禍研究についてはショーン・ブレリーの研究が存在し、本書の第二章で扱われている人種差別撤廃案のベルサイユ・パリ講和会議における否決には、オーストラリアの英国への圧力があり、それを「白禍」と表現しているのである。

本書ではそれがタフトやルーズベルト外交とどう関連していたかを描き出しており、イメージやパーセンプションとは異なり、現実主義的に米国はフィリピンが防衛出来ないことから人種問題などで日本との対立は回避したと論じている。

 

   第2章では第一次世界大戦とパリ講和会議とのタイルトルで、日本が本講和会議で提示し否決された有名な人種差別撤廃について扱っている。この問題についても多くの研究が出されており、島津直子氏やショーン・ブレリーの研究などであるが、これらについては言及されていないものの、対華二十一箇条要求の問題と対比させ奈良岡研究を引用して論じている点は最近の研究を踏襲しているあらわれであろう。米国のキリスト教系雑誌の日本のこの対華要求に対する否定的な記事も引用しており、英国の国教会などのクリスチャンの意見も同様に中国の領土保全維持のために否定的な反応であったことから類似点を見いだせる。一方で日本でのアジア主義関連出版物についての言及があるが、これについては頭山満のインド要因が含まれることで米国だけでなく英国との対峙を入れている。この問題については文化的にそして人種的に英米が共有するものがありつつも、米国の反植民地主義的な側面が浮き彫りになる。しかし第一次大戦の終結とベルサイユ体制の開始は、こうした英米の温度差を徐々に縮めることになったのである。英国は大戦中の日本の働きに幻滅して日英同盟に疑問を持ち、一方日本側も近衛文麿による「英米本位の平和主義を排する」との英米国際秩序への挑戦を挑み、政府レベルでもベルサイユでの人種差別撤廃要求が出されることで、英米の連帯が現実味を帯びてくる。

   皮肉なことに白豪主義を掲げるオーストラリアは、むしろ日英同盟は人種色盲的政策で人種戦争回避に友好であると後に翻るのであるが、ベルサイユでは英国に否決するよう圧力をかける。そしていよいよ日米同盟が破棄されるワシントン軍縮会議となり、これに米国の圧力が国内世論も含めてどう作用したかが明らかにされる。日本の種差別撤廃要求は元々米国における日系移民排斥を国際的な圧力で止めさせようとしたのが狙いであったことから、米国内での反発は強まることになる。一方否決された後の日本では反欧米運動が盛んになり、以前は親欧米的であった人々までが反発し、アジア主義の急進化に繋がり、ウイルソン主義で元気付いた非白人の民族主義運動を利用することになる。

 

   第3章の排日移民法と全亜細亜民族会議では、排日移民法通過をめぐる過程についてはすでに多くの研究があることから、著者はそれには多くは割かず、これに対する日本の反応を中心に、さらにアジア主義への広がりを論じている。日本が第二次大戦前の日本が受けた三大侮辱とは、三国干渉、前章の種差別撤廃要求、そして排日移民法と言われ、戦前日本のアジア主義の急進化の説明として引用される。孫文のアジア主義や全亜細亜協会などでいよいよ広がりを見せたアジア主義運動であったが、英国や米国政府レベルではこれら会議をあまり問題視せず、また日本政府も冷静な対応をしていることから、イデオロギー的なものが独り歩きしても、政策に反映されることはないと著者は主張する。一方太平洋共同体であるIPRの形成によって、排日移民法でダメージを受けた日米関係の民間レベルでの修復が試みられ、さらにこれにYMCAなどが関与したことから、キリスト教団体のオピニンが必ずしも反日ではないと述べている。IPRについては近年多くの研究が出され、ラウンドテーブルなどの英国の帝国主義的な関わりや、その文脈ではインドを取り込んで、日本のアジア主義を孤立させる作戦でもあったことから、必ずしも日本にとって友好的なばかりではなかった点を指摘しておこう。

 アジア主義は反欧米帝国主義の論理も手伝ってトルコや中東をも巻き込んだより広範囲な展開を見せるが、「アジア版国際連盟」として新しい秩序形成の兆しがあったものの、結局まとまりと一貫性に欠け、また第二回全亜細亜民族会議も中国と日本との対立が深まる中で実現性が低さを露呈し、カブールで予定されていた第三回同会議は結局開催されず、アジア主義運動は一旦衰退したかのように思われた。排日移民法に修正案が議論され、日米の人種問題をめぐる緊張関係も緩和された。

 しかしそうした状況を一転されたのが第4章で述べられる満州事変とこれに続く盧溝橋事件である。

 日本の満州獲得によって、中国と日本が不仲であればアジア主義は成立することはないと思っていた欧米が、日本が力によって中国を従わせることでアジア主義は実現できる、黄色人種同士が仲良くではなく、強いのが弱い黄色人種を従わせることでの黄禍論の論理が現実味を帯びてきたのである。そうした中日本でも内田康哉外務大臣など何人かがアジア主義発言を行うようになり、もはや一部の右派の過激な知識人の発言やイデオロギーではなく、政府レベルでの可能性が高まっていく。そして連盟脱退と大亜細亜協会の設立、汎アメリカ主義に対抗するアジアのモンロー主義的な傾向が生まれてくる。駐日の米国大使グルーの時代で、廣部氏はグルーについては別の著作があるほど精通しているおり、この辺りの記述は滑らかに進んでいき、またオランダという英米に終始しないが東南アジアに領土を持つ欧州の視点を入れ込むことに成功している。これによると満州が中国でも特殊な位置づけにあることから、米国の警戒は高くなく、むしろ英国の危機感が高まっていたと評価する。頓挫していた亜細亜民族会議が復活し、再びインド要因が議論されここでは松浦氏の研究を引用しつつ、神戸などの在日のインド国民会議などの動きもあり、日本と反英のインドナショナリズムの協力、そして天羽声明へと繋がる。

 英国帝国主義からコモンウエルス主義を引き出したラウンドテーブル運動に関与したカーやスマッツは、いよいよ日本と英米国際秩序の衝突への懸念はあったものの、今度は米国が太平洋不可侵構想のためにアジア主義を軽視していた。

 

 第五章の日中戦争という矛盾では、いよいよ日本が力によって満州だけでなく中国全土を征服し、アジア主義が現実のものとなっていく。しかも知識人や過激な一部の運動家だけでなく軍や政府によって実行に移されていくのである。欧米もアジア主義の危険性を世論だけでなく政府レベルで認識していく。アジアのモンロー主義が現実のものとなり、日本の英国の植民地批判はアジア主義を勢い付けることになる。前章で述べられたオランダの植民地である蘭印への日本のアジア主義的な野心は、三国同盟締結で日本の同盟国となったドイツによるオランダ本国への侵攻も手伝い、オランダだけでなくイギリスの日本への脅威はより大きなものとなっていく。中国から東南アジアへの南進、そして真珠湾攻撃と日本のアジア主義はついに米国との開戦へと向かったのである。

 第六章の真珠湾攻撃の衝撃で開戦すると日系人の収容所送りなど、米国の他の敵国であったドイツ系やイタリア系には行われなかった人種差別的な政策が行われたという。アジアの守護神との日本は自らアジア主義的スローガンをかかげて戦うに対して、欧米は白人の威信をかけて戦うのにあたって、日本兵が行った白人に対する残虐行為は伏せて他のアジア人対する同様の行為を大々的に宣伝し、アジア主義に亀裂を入れる策を行った。米国の排華移民法の修正と緩和もそうした文脈で理解できるとされる。英米は白人としての威信に拘り、アジア主義に翻弄されたが、日本のアジアにおける人種的連帯を信じておらず、そうした意味において人種戦争ではないと著者は述べる。

 米国が中国を重視したのに対して英国は軽視していたという主張が少し解りにくいが、中国は英国を通じて連盟や戦後の国連を利用し、その国際的地位を戦後確立していったという点も見逃してはならないからである。

   全体的な印象を述べると思わせぶりな本とも言える。人種的な対立やそれに立脚したアジア主義を描きながらも、いやまだまだ人種問題による対立は本格化していない、むしろそれがあるから政府レベルでは宥和を模索していたとする。ジャーナルや新聞、知識人の活動や発言などに多くの人種的な要因があるものを事例として出しながら、最終的にも太平洋戦争は人種戦争ではなかったという結論を引き出している。フラストレーションを感じるものの、「人種戦争カード」をちらつかせながらも、じらして最後にこのカードを取り下げる、多少狡い戦法なのだが逆に面白くて最後まで読み切る原動力となることはある意味研究書には珍しい効果を狙っているのではないかとさえ思わせる。評者もこうした黄禍論の言説に関わって、英国の視点から、日本はアジア主義なり同じアジア民族に甘んじて、他国のアジア人を横暴に扱ったのに対して、英国は白人ゆえにアジア人であるインド人などを過去の反省もあり表向き丁寧に同等に扱おうとする努力をしたと。もし第二次大戦が人種戦争だとするなら日本はこれに敗北、英国は勝利したと書いたことがある。つまりある意味日本がアジア主義における人種的連帯を一番蔑ろにしていたという主張あるなら、廣部氏の本著と大いに通じるところがあるのであろう。