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第43回「介護現場の声を聴く!」

February 23, 2012

第43回のインタビューでは、介護職の魅力をPRする目的で昨年11月に開催された「介護甲子園」で優勝した「社会福祉法人キングス・ガーデン東京 特別養護老人ホーム 練馬キングス・ガーデン」の理事兼施設長を務める中島真樹さん、ケアワーカー主任の関翼さん、ケアワーカーの嶋田篤志さん、「社団法人日本介護協会」理事長としてイベントを主催した左敬真さんに対し、介護甲子園の狙いや開催・エントリーの苦労、今後の展望などを聴いた。

インタビューの概要

<インタビュイー>
<画面左から>
左敬真さん=社団法人「日本介護協会」理事長
中島真樹さん=社会福祉法人「キングス・ガーデン東京 特別養護老人ホーム 練馬キングス・ガーデン」理事兼施設長
嶋田篤志さん=社会福祉法人「キングス・ガーデン東京 特別養護老人ホーム 練馬キングス・ガーデン」ケアワーカー
関翼さん=社会福祉法人「キングス・ガーデン東京 特別養護老人ホーム 練馬キングス・ガーデン」ケアワーカー主任
<インタビュアー>
石川和男(東京財団上席研究員)
※このインタビューは2012年2月6日に収録されたものです。
http://www.ustream.tv/embed/recorded/20261811

要 旨

ノリで応募

第43回のインタビューは「介護甲子園」の話題に終始した。

「介護から日本を元気にしたい」―。昨年11月に開催された介護甲子園は趣旨として、こんなコンセプトを掲げた。昨年9月放映の第21回インタビューでは左さんに対し、イベントの趣旨や目的、応募・選考の流れなどを聞いている。


→第21回の内容はこちら

結局、計135事業所からエントリーがあり、エントリーシートによる書類審査で30事業所が最終予選に選出。さらに、介護への思いを述べるビデオ映像を1分間撮影して貰った動画を公開し、ネット投票を通じて5事業所に絞り込んだ後、決勝進出事業所のプレゼンテーションと選考会が日比谷公会堂で開催された。左さんによると「(第1回のエントリーは)西側が多かった。東北は少なかった」という。

決勝大会には約2000人の聴衆が参加。左さんは「感情が通えるのが2000人。(日比谷公会堂は)丁度良い距離感」と話しており、第2回の決勝大会も日比谷公会堂で12月9日を予定している。

栄えある第1回大会で優勝したのが練馬キングス・ガーデン。中島さんによると、施設全体では100人、特養は30~40人が働いており、利用者の生活歴や人生経験を踏まえたケアに加え、看取りケアも2年前から実施したほか、利用者のニーズに応じて旅行も実現したという。さらに、入浴・移乗などについて勉強会を開催し、機械を使った入浴の廃止を実現するとともに、フロアスタッフ全員の会議を通じて、職員の意思疎通や問題意識の共有に努めている。

練馬キングス・ガーデンがエントリーを検討したのは昨年6月頃。介護甲子園の開催を告知する新聞記事の切抜きを女性看護師が持って来たのが始まりだったという。左さんによると、「エントリーのきっかけは新聞(という応募者)が多かった。(我々が)声を掛けて動く人は少なかった」という。

その後、施設内の職員同士が話し合った結果、「参加して見ないか?」という話に発展。中島さんは「現場(の声)を尊重していきたいと思っているので、『みんながやりたいならばやってみれば』と答えた。介護は実践発表会や研究発表会はやっているが、介護職員が自分の声で『こういうことをやっているんだ』とアピールする場はなかったので、面白そうだなと思った」と話した。

嶋田さんは「僕はやりたいと言った。6月後半に(利用者である)おばあちゃんの(実家を訪ねる)旅行や関係がきっかけとなり、介護の考え方がガラリと変わった。伝えたいなと思った。(中島さんからは)『途中で投げ出さずにやって下さい』と言われた」と話した。

しかし、関さんが「予選を通るとか思っていなかった。先のことは考えていなかった」、嶋田さんが「締め切りに追われていた感じ」と明かした通り、ノリでスタートした要素が強く、中島さんは「正直言ってそこまでのこととは思わなかった。もう少し軽いノリだった」「準備が必要なイベントであることが段々と分かって来た。本当に思ったよりも大変」と発言。その上で、「2次審査を通って最終決勝に行く(前の)レセプションに行った後の表情が面白かった」と述べると、関さんが「決意表明みたいなことを会場で記者を前に発表しなくちゃいけない。ノリで入った所があったし、他の施設の人達が熱い発表していたのを聞いて大丈夫かなと思った」と振り返った。

実際、左さんによると、周囲の反応は総じて「こんなに本格的にやるとは思わなかった」という反応が多かったという。

まず、最初に直面したのがエントリーに際しての苦労。嶋田さんによると、エントリーを決めたのは7月9日か10日頃。しかし、エントリーシート提出による書類審査は7月10日に締め切ったため、既に間に合わないタイミングだった。しかも、エントリーシートを書いた経験もなかったため、中島さんに助けを借りつつシートに記入するととともに、事務局に掛け合って1週間ぐらい締め切りを延ばして貰ったという。

この時の対応を嶋田さんが「(ローテーションで職員の)勤務(時間)が合わないので、休みの日と明けの日に何時間か残った」と話すと、中島さんも「大変でしたよ、彼らは」と応じた。

その後も締め切りに追われる対応が続いたらしく、第2次予選のビデオ撮影についても、施設のパソコンが古いためか、ファイルの容量が大きいデータの送信に苦労した様子。嶋田さんは「2次審査も間に合わなかった。2日間ぐらい(締め切りの繰り延べを)お願いした。内容的には結婚式の生い立ちビデオみたいに(デジタルカメラで)作りたいというイメージ。一番のネックはパソコンの使い方が分からなかったこと。一晩掛けてもできなかった。所定の容量に入らなかった」、関さんは「容量を考えていなかったので、普通に1分撮れば送れる単位だろうと思ったけど、送れなかった」と、それぞれ苦笑しながら振り返った。

2次選考については、左さんも「(貰ったデータを)アップさせる作業が事務局を待っていた。開いてみると開かない動画とか、(所定は1分なのに)1分14秒で切れており、14秒間で伝えたい思いが入っているので、もう1回編集し直して貰った」と語り、事務局にも苦労が耐えなかったことを明らかにしてくれた。

最終選考に残った後も締め切りに追われる日々。最終選考は職員5人、主人公の利用者1人が出演したが、嶋田さんは「台本を何回も作ったのに、完璧になったのは(本番の)1週間か10日前の11月10日ぐらい」と明かすと、関さんも「本番の台本も担当理事に送らなければなければならなかったのに間に合わなくて常に謝っていた」と語った。

さらに、苦労したのは作業に不慣れだったことだけが原因ではないようだ。24時間対応の特養はローテーション職場。関さんは「色々と介護についてどういうことを発表しようかとメンバーを募った。介護のことを話していると面白かったが。どういうことをしようかというと難しかった。ローテーションで勤務しているので、みんなで話し合えなかったのが難しかった」と話した。


辛いことと楽しいことは表裏一体

介護甲子園に応募した効果も話題に上った

練馬キングス・ガーデンのプレゼンテーションは大別して、嶋田さんが旅行に同伴した女性利用者の話と、機会浴の廃止などに辿り着いた過程の2部に分かれていた。しかし、台本作りに際しては、参加者の間で意見集約が難しかったらしく、嶋田さんは「みんながみんな同じ方向を向いているといいけど、人間なんで100%はない。何か施設長が(情報を)発信しても、(全員が)心の底から(従うの)は難しい。言いたいことをこうしようと決めるのはギリギリだった」という。

なお、嶋田さんが同僚と随行した利用者との旅行とは1泊2日の国内旅行。中島さんによると、旅行は施設全体としてのイベントではなく、利用者のニーズに応じて2人の職員が付いて行ったらしく、嶋田さんは「自分は無責任な人間。人のせいにして生きて来たが、『こうしたい』『これやりたい』と人生で初めて思ったのは利用者との旅行」と語った。

さらに、女性利用者が妹と会ったり、墓参りに出掛けたりしている際の表情が施設の時と違うことに気付き、女性利用者を「人」として見ていなかったことを実感した。嶋田さんは「その人の本来の姿を見た時、『トイレに行きましょうね~』と(ドライに)いうことができなくなった」「ただのおばあちゃんって感じじゃなく、目上の人には様を付けるのは常識はあるかもしれないけど、そういう(施設では見せない姿)を知って『(さんを)付けたいな』と実感した」という。

その上で、嶋田さんは「『おばあちゃんのために計画した』と思っていたが、旅行を通して『俺が評価されたい』『みんなに良く思われたい』という思いがあった。傲慢な気持ちを気付かされた」と振り返った。

同時に、介護甲子園に応募したメリットして、嶋田さんは「あれ(=エントリーシート)を書いたことで、今まで何となく仕事し、何となく『ウチはこういう施設で、何となく売りなのか』と思っていたことがハッキリした。『ウチの売りはこうなんだ』とハッキリした。かなり勉強になった。本当に良かった」「何度も逃げてやろうと思った。大変だったが、あんな大勢の場で自分達の思いを伝えられたのが嬉しかった。個人個人の意見が強い仕事なんで、5人で組んで集まって行けるのが凄い」と強調した。

一方、関さんは介護職の魅力について、「辛いことと楽しいことは表裏一体。利用者のことで悩むことはあるけど、利用者に救われる時もある。楽しい気持ちにさせてくれるのも利用者と何か一緒にやっている時。デスクワークは面白そうと思ったことがない。人と触れ合う仕事をやりたいと思っているので、魅力的な仕事」と発言。

その上で、介護甲子園に応募・優勝した効果として、「願ってもない優勝を頂いたことで、今まで取り組んできたことが第三者的に世間から認められたという感覚。(最終決勝に)出た人だけでなく、施設で頑張って取り組んで来たことが認めて貰ったことで、職員も喜んでくれたし、ボランティアも喜んでくれた。『自分が自信に満ちた』とは言い過ぎかもしれないが、意識がガラッと変わったのが一番の変化」と評価した。

中島さんも「(普段から)秘めたものがあって一生懸命、時にはぶつかり合いながら涙しながら毎日やっている。一つにまとめて伝えるのは大変。ここまで準備してやれたのは良かったと思うし、一生懸命やっていることが自分達の自信に繋がる形で結果が付いて来た。思った以上の結果を出したのは恐縮だが、(応募・作成の)プロセスが良かった」と総括した。

実際、左さんは介護甲子園の狙いとして、「職員同士の摩擦を起こして、コミュニケーションの活発化。立ち止まってもらって、自分達のやっていることの再確認」を掲げており、当初の狙いは奏功したようだ。

このほか、中島さんによると優勝を契機にメディアの取材が増えているほか、見学者も増加しているとのこと。中島さんは「非常勤職員の採用が埋まり切らなかったのが埋まった。ボランティアでも『ホームページを見て来ました』と言う人が続いている。(利用者の)家族からもお祝いを貰った」と述べた。

【文責: 三原岳 東京財団研究員兼政策プロデューサー】
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