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【論考】日本の外国人受け入れ政策の構造的課題と方向性
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【論考】日本の外国人受け入れ政策の構造的課題と方向性

April 30, 2026

日本はどういう外国人材を必要としているのか
在留外国人トラブルが増える原因
性善説の日本社会と制度再設計の必要性
むすびに

日本はこれまで、外国人材の受け入れに積極的であったとは言い難い。少子高齢化の進行と総人口の減少が明らかになり、農林水産業、建設業、サービス業などを中心に深刻な人手不足が顕在化してから、必要に迫られる形で外国人材を段階的に受け入れてきたのが実情である。言い換えれば、日本の外国人受け入れ政策は、国家戦略として周到に構想されたものというより、国内の労働力不足に対する応急措置として進められてきた側面が強い。

しかし、問題は外国人材を受け入れること自体にあるのではない。真の問題は、外国人材を受け入れる制度設計、生活支援、地域社会との共生体制、労働環境の整備などが十分になされないまま、受け入れだけが先行してきた点にある。その結果として、各地で摩擦や混乱が生じ、一部の地域では外国人住民の集中に伴う生活トラブル、就労問題、地域住民との軋轢などが表面化している。

こうした事象はマスメディアやSNSを通じて大きく報じられ、外国人受け入れに対する否定的な世論を刺激している。近年の国政選挙を見ても、外国人受け入れに慎重あるいは反対の立場を鮮明にする政治勢力が支持を伸ばす一方、従来型の開放的政策を唱える政党は苦戦する傾向がみられる。だが、こうした感情的な排斥論だけでは、日本社会が直面する現実的課題を解決することはできない。

なぜなら、日本の労働市場にはすでに構造的な人手不足が生じているからである。地方の農業、介護、物流、建設、飲食、小売など、生活基盤を支える分野では日本人労働力のみで需要を満たすことが難しくなっている。外国人受け入れに反対するだけでは、これらの産業の維持や地域経済の存続に対する答えにはならない。必要なのは、感情論ではなく、現実に即した制度論である。

こうしたなかで、政府は在留資格審査の厳格化や在留管理の強化を進めている。審査の厳格化そのものには一定の合理性がある。不法滞在、偽装就労、制度の悪用などを防ぐためには、適切なチェック機能が不可欠だからである。しかし、問題の本質は単なる審査強化にとどまらない。日本が将来、いかなる国家像を目指し、そのためにどのような外国人材を必要とし、どのような条件で受け入れるのかという大方針を明確にしてこそ、外国人政策は初めて整合性を持つ。

日本はどういう外国人材を必要としているのか

総務省の将来人口推計をみれば、日本社会の進む方向は明白である。総人口は長期的に減少し、高齢化率は今後も上昇を続ける見通しである。生産年齢人口が減少する一方、年金、医療、介護など社会保障費は増加していく。この現実を踏まえれば、日本が外国人材の受け入れを一切回避するという選択肢は、もはや現実的ではない。

重要なのは、「受け入れるか否か」ではなく、「どのような人材を、どの程度、どの分野で受け入れるのか」である。まず、日本の国際競争力を維持・強化する観点から、先端産業に関わる高度人材の確保は急務である。半導体、AI、ロボティクス、医療技術、バイオ、研究開発などの分野では、世界各国が優秀な人材獲得競争を展開している。日本がこの競争に敗れれば、産業基盤そのものが弱体化しかねない。

したがって、高度外国人材に対しては、迅速な在留審査、研究環境の整備、家族帯同のしやすさ、税制や住環境面での魅力向上など、国際標準に見合った受け入れ制度を構築する必要がある。優秀な人材ほど世界中に選択肢がある以上、日本が「来てもらう側」であるという認識を持たなければならない。

一方で、日本社会の高齢化が進む以上、介護、看護補助、物流、建設、外食、小売、農業など、生活と地域経済を支える分野での人材確保も不可欠である。これらは、社会の基盤を支える不可欠な産業であり、もし十分な人材を確保できなければ、地方社会の維持そのものが困難になる。

要するに、日本に必要なのは無制限な外国人受け入れでも、全面的な排除でもない。国家戦略に基づき、必要な分野に必要な人材を計画的・選択的に受け入れる政策である。受け入れ人数、技能要件、日本語能力、地域分散、定住の可否、家族帯同の条件などを中長期的視点で明示しなければならない。

在留外国人トラブルが増える原因

外国人政策を論じる際、もっとも避けるべき発想は、一部の問題をもって制度全体を否定することである。喉に食べ物が詰まったからといって食事そのものをやめるようなもので、冷静な政策判断とは言えない。

筆者が名古屋へ留学した1988年当時、日本社会における外国人の存在感は現在とは比較にならないほど小さかった。外国人留学生も少数であり、地域社会や市民団体が生活支援や交流活動を積極的に行っていた。ブドウ狩り、料理交流会、地域イベントへの招待など、外国人が日本人コミュニティに自然に溶け込む機会は少なくなかった。

ところが、その後約40年が経過し、日本に長期滞在する外国人は大幅に増加した。一方、日本経済はバブル崩壊後の長期停滞を経験し、地域社会の担い手も高齢化した。かつて外国人支援を担っていた市民団体の活力も弱まり、地域コミュニティ全体の余力が低下している。

その結果、日本人住民と外国人住民の接点は減少し、相互理解の機会も乏しくなった。外国人コミュニティが孤立し、日本社会との距離が広がれば、生活習慣の違い、言語の壁、就労上の問題、行政手続きへの理解不足などがトラブルとして表面化しやすくなる。外国人トラブル増加の本質は、人数の増加それ自体ではなく、社会的接続の弱体化にある。

さらに、日本の制度面にも問題があった。1983年、中曽根内閣は「留学生受入れ10万人計画」を打ち出し、日本の国際化を進めようとした。理念としては先見性があった。しかし、1990年代以降、人手不足への対応として拡大した技能実習制度は、本来の技能移転という建前と、実質的な労働力確保という現実のあいだに大きな乖離を抱えていた。

その結果、低賃金、賃金未払い、長時間労働、失踪問題などが発生し、国際社会からも厳しい批判を受けた。つまり、日本は外国人を受け入れてきたが、受け入れに伴う制度的責任を十分に果たしてこなかったのである。

性善説の日本社会と制度再設計の必要性

日本社会の制度には、比較的高い社会的信頼を前提とした側面がある。多くの人がルールを守り、過度な監視がなくとも秩序が維持されるという前提のもとで、低コストの社会運営が可能となってきた。これは日本社会の長所である。

しかし、国籍、文化、宗教、生活習慣、法意識の異なる人々が増える社会においては、暗黙の了解だけに依存した制度運営には限界がある。ルールの明文化、多言語による周知、行政手続きの透明化、違反行為への公正な執行、地域社会への説明責任など、より明確で実務的な制度設計が求められる。

同時に、制度の厳格化が行き過ぎれば、必要な人材まで日本を敬遠することになる。高度外国人材は世界中に選択肢を持っている。審査に時間がかかり、手数料が高く、将来の見通しも不透明な国に優秀な人材は集まりにくい。

したがって、日本が採るべき道は単純な締め付けでも無条件の開放でもない。ルール違反には厳正に対処しつつ、必要な人材には明確で迅速な受け入れ制度を提示することである。秩序と開放を両立させる制度設計こそ、現実的な選択肢である。

むすびに

日本の外国人政策に必要なのは、感情論でも場当たり的対応でもない。まず、日本が将来どのような産業構造を維持し、どの程度の人口規模を想定し、どのような社会を目指すのかという国家像を明確にすることである。

そのうえで、高度人材、現場人材、留学生、研究者などをどう位置づけるのかを整理し、日本語教育、地域共生、労働の権利保護、在留管理を一体的に整備しなければならない。過度な排斥も、無計画な受け入れも、いずれも日本の国益にはならない。

日本はいま、外国人を受け入れるかどうかを議論する段階ではない。いかに戦略的に受け入れ、いかに安定した共生社会を築くか。その現実的な設計図を示す時期に来ているのである。


▼本論考に関連する動画解説は以下より、ご覧いただけます。(4月30日公開予定)
【動画解説】外国人受け入れ“厳格化”本当の課題とは | 研究プログラム | 東京財団

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