元テレビ朝日 報道局プロデューサー 江野夏平
人口減少の進行は、地域社会の構造そのものを変えつつある。経済規模の縮小や人材流出、財政基盤の脆弱化が進むなかで、地域メディアの運営にも深刻な影響が出ている。特に地方では、視聴者数の減少や取材網の維持、人材確保の困難が顕在化しており、経営基盤の弱体化は一部地域にとどまらない。広告費全体ではインターネットを中心に増加傾向が続く一方で、テレビ・新聞・ラジオなど既存メディアのシェア低下が進み、地域放送局の経営環境をいっそう厳しくしている。近年では、新潟県の地域FM局が放送を終了した例に見られるように、地方におけるメディア運営の難しさが現実のものとなりつつある。こうしたなかで、経営の効率化を目的とした放送局の統合や系列再編が現実味を帯びてきている。
この状況下で懸念されるのが、地域メディアの減少に伴う災害時の情報補完の問題である。統合によって取材拠点や送信設備が集約されれば、地域に密着した細やかな情報発信が手薄になりかねない。人口の少ない沿岸部や中山間地域では、誰がどのように地域の声を拾い上げるのか。その仕組みづくりが重要な課題として残されている。
放送には、それぞれの特性を生かして情報を補い合う仕組みがある。県域放送が国や自治体の動き、防災や経済などの広域的な情報を伝える一方で、コミュニティFMは生活圏に根ざした身近な出来事を届けている。こうした役割分担があるからこそ、地域社会において情報の多様性が保たれている。将来、放送の統合が進んだとしても、この「広域と地域が支え合う関係」は、地域に必要な情報を絶やさないための大切な基盤である。
その象徴的な存在が、宮城県石巻市のコミュニティFM局「ラジオ石巻」である。「平時の取り組みが有事に役立つ」。この言葉は、災害時の情報発信を担ってきた同局が、長年の経験から導き出した教訓だ。東日本大震災の際、同局は放送を途切れさせることなく続け、被災地の混乱のなかで地域放送としての使命を果たした。震災直後には、社員が送信所から回線を直結し、寄せられた安否情報を放送に乗せ続けたという。この活動は、地域に根ざす放送局としての責任を象徴するものであり、現在の放送方針にも大きな影響を与えている。
震災後に専務に就任した高須賀精一郎氏は「まずは自分や家族の身を守ることが最優先」と語る。その言葉には、報道人としての使命感の前に命の重みをおもんばかるという、被災を生き延びた一人の市民としての実感がにじむ。この“生活者の視点”こそがラジオ石巻の報道姿勢の根底にあり、その考え方は災害報道の方針にも表れている。発災直後の速報や被害情報はNHKなどの広域メディアに委ね、ラジオ石巻は地域の生活再建が始まる段階から本格的に役割を担う。避難所の環境、給水所、医療や福祉の再開といった生活に密着した情報を届ける“生活に寄り添う放送”が、被災者の安心と生活再建を支えた。
同局は、社員2名と約10名のパートスタッフによる体制で運営され、常時2〜3名が放送業務にあたっている。限られた人員ながら、地域の声を丁寧に拾い上げ、日常の延長線上で防災情報を発信できる体制を維持している。2008年に石巻市と「災害情報等の放送に関する協定」を締結して以来、平時から情報交換や地域取材を通じて行政との信頼関係を築き、有事に備えた連携体制を整えている。協定は少人数で運営する実態に配慮し、過度な負担を課さない仕組みとして構築されている。Jアラート連動型「防災ラジオ」の月例テスト放送を行い、行政と連携しながら地域情報の伝達を補完している。
石巻市ではNTTコミュニケーションズと連携し、SNSやサイネージを含めた「災害に強い情報連携システム」を構築している。こうした広域放送や公的システムがあるからこそ、ラジオ石巻は地域の日常に根ざした“小さな情報”を届けることができる。避難所の声や生活上の困りごと、近隣の助け合いなど、行政発表では掬いきれない現場の情報を拾い上げ、“生活に即した情報”に特化して伝えることができるのだ。
ラジオ石巻の最大の強みは、その「狭さ」にある。市内の祭りや学校行事、商店街のニュースなど、市民が「自分ごと」として関心を寄せる話題を、住民自身の言葉で伝える。こうした“どぶ板的”な放送スタイルが日常的な信頼を育んできた。高須賀氏は言う。「公的な情報提供ばかりでは、ラジオを聴いてもらえない」。日常的に親しまれる放送であるからこそ、非常時にも自然とスイッチを入れてもらえる。平時と非常時をつなぐ、日常の延長にある信頼こそが、ラジオ石巻の放送の柱である。
災害時の情報伝達のあり方を考える時、古くから伝わる「三本の矢」の教訓が思い浮かぶ。一本の矢では折れても、束ねれば折れにくい。特定の通信・放送手段に依存するのではなく、複数の経路を確保し、相互に補完し合う体制を整えることが、命を守る情報基盤の強靭化につながる。東日本大震災では、その必要性が痛感された。発災直後、携帯電話のキャリアは広範囲で通信不能となり、移動基地局車による運用開始には数日を要した。SNSやメールは通信が回復するまで受信できない状況が続いた。一方で、テレビの電波自体は届いていたものの、津波による家屋の流失や停電の影響で、多くの世帯が受信手段を失い、実際に情報を受け取れたのは避難所など一部の拠点に限られた。
そのような中で、役所や避難所に掲示された紙の掲示板や回覧板が地域の人々にとって重要な情報源となり、コミュニティFMなどのラジオ放送も大きな役割を果たした。総務省「災害時における情報通信の在り方に関する調査結果」(平成24年3月7日公表)でも、電力や通信が途絶した地域ではラジオ放送が、通信が回復した地域では携帯電話やテレビが主に機能するなど、状況に応じた媒体の有効性が報告されている。「大規模災害等緊急事態における通信確保の在り方に関する検討会」最終取りまとめ(平成23年12月27日公表)では、災害時の円滑な情報提供に向け、テレビ・ラジオ等のマスメディアを含む多様な手段の活用が求められている。これらの報告書が示すのは、「三本の矢」は三本に限られないということだ。四本でも五本でも、矢が多いほど被災時の情報伝達の可能性は広がる。SNS、放送、広報車、掲示板、アナログ無線、さらには地域FMやサイネージなど、どの手段が機能するかは災害の形態や被害の範囲によって異なる。情報伝達の多層化は単なる冗長化ではなく、リスク分散そのものである。平時から複数の“矢”を束ねておくことが、社会全体の耐災性を高めることにつながる。
自治体と放送事業者が協力し、地域の防災情報を確実に届ける仕組みを整える動きも各地で進んでいる。その代表的な例が、鹿児島県の南日本放送(MBC)の取り組みである。MBCは県内43市町村すべてと防災パートナーシップ協定を締結し、自治体職員が専用端末を通じて避難情報などを直接入力し、放送画面に即時反映できる体制を構築している。災害時に通信が不安定になっても、放送波を介して確実に情報を届けることができるこの仕組みは、放送を地域防災の中核インフラとして位置づけ直す実践的な試みである。
同様の取り組みが、宮城県でも進んでいる。東日本放送(khb)が運用する「テレビ回覧板」システムは、自治体が専用端末から災害・防災情報を入力し、視聴者がテレビの「dボタン」を押すだけで自分の地域の情報を即時に確認できる仕組みである。通信環境に左右されにくい放送波を活用し、行政と住民を直接結ぶ新しい情報流通の形として注目されている。平時には地域のお知らせを、災害時には避難情報や生活支援情報を伝えることができ、デジタル機器に不慣れな高齢者でも容易に操作できる。「誰一人取り残さない情報提供」を具現化した地域密着型のモデルといえる。
このkhbの仕組みを、災害時における情報格差を解消する手段として導入したのが、宮城県柴田町である。令和4年度の町議会一般質問において、森裕樹議員が町民への情報発信における「情報格差」を問題提起し、「東日本放送で実施しているテレビ回覧板をご存じか。また導入を検討したことがあるか」と町に質問したことが契機となった。森議員は、東日本大震災の経験から「災害時に情報が届かない人々の存在」への懸念を抱き、テレビを活用した情報伝達の可能性に注目した。特に「dボタンを押すだけで、自分の地域の避難情報を確認できる」というシンプルな仕組みが、高齢者を含む住民にとって有効な手段になると考えたのである。
この質疑をきっかけに柴田町では東日本放送との協議が進み、正式に「テレビ回覧板」への参加が決定した。国や県という上位の制度整備を待たず、町という小さな単位で放送局と自治体が協働し、新たな情報基盤を社会実装した点に大きな意義がある。
こうした地域発の取り組みは、放送を単なる報道メディアとしてではなく、社会の安全と生活を支える「公共インフラ」として位置づけ直す動きである。今後は、MBCやkhbのような実践を横展開し、広域的なネットワークと制度的支援の両面から、災害時の情報補完体制を強化していくことが求められる。
放送政策の本質は、放送局の経営や運営に直接関与することではなく、放送基盤を支えることを通じて、地域住民の生活に資する多様な情報が安定して届く環境を維持することにある。その実現には、放送事業者と自治体の協働が欠かせない。人口減少が進むなかで、災害時に地域社会を支える情報基盤をいかに維持・発展させていくか。現場の課題意識を出発点にしたこの仕組みは、まさに人口減少社会における地域情報の再設計の方向性を示すものである。