第44回「介護現場の声を聴く!」 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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第44回「介護現場の声を聴く!」

March 1, 2012

第44回のインタビューでは、介護職の魅力をPRする目的で昨年11月に第1回が開催された「介護甲子園」で優勝した「社会福祉法人キングス・ガーデン東京 特別養護老人ホーム 練馬キングス・ガーデン」の理事兼施設長を務める中島真樹さん、ケアワーカー主任の関翼さん、ケアワーカーの嶋田篤志さん、「社団法人日本介護協会」理事長としてイベントを主催した左敬真さんに対し、練馬キングス・ガーデンで機械を使った入浴を廃止した理由や効果、ターミナルケアの在り方などを聴いた。

インタビューの概要

<インタビュイー>
<画面左から>
左敬真さん=社団法人「日本介護協会」理事長
中島真樹さん=社会福祉法人「キングス・ガーデン東京 特別養護老人ホーム 練馬キングス・ガーデン」理事兼施設長
嶋田篤志さん=社会福祉法人「キングス・ガーデン東京 特別養護老人ホーム 練馬キングス・ガーデン」ケアワーカー
関翼さん=社会福祉法人「キングス・ガーデン東京 特別養護老人ホーム 練馬キングス・ガーデン」ケアワーカー主任
<インタビュアー>
石川和男(東京財団上席研究員)
※このインタビューは2012年2月6日に収録されたものです。
http://www.ustream.tv/embed/recorded/20262253

要 旨

機械浴の廃止が好循環

第44回目のインタビューでは、中島さん、嶋田さん、関さんの働く特別養護老人ホーム(特養)が取り組んだ「機械浴」の廃止が話題となった。

機械浴とは、車椅子など体の不自由な高齢者に入浴して貰うため、機械を使うこと。中島さんと関さんによると、寝たまま入浴する風呂や椅子に座ったまま椅子が動いて入る風呂があるといい、要介護度の重い入居者が多い特養では機械浴が普通という。通常は車椅子から移乗し、洋服を脱いで貰った後、風呂の縁に高さを合わせる特有の椅子に座って貰い、体や頭を洗うとともに、足を上げて縁を超えれば風呂に入って貰える。

しかし、3人の働く特養では4~5年ぐらい前から機械浴の廃止にチャレンジし、昨年7月の施設リニューアルに際して機械浴を廃止した。前回のインタビューで話題となった「介護甲子園」でも施設独自の取り組みとして、機械浴の廃止をプレゼンテーションに取り上げた。


→第43回の内容はこちら

中島さんによると、施設で働く作業療法士の資格を持った機能訓練指導員が言い出したのが始まりだったとのこと。中島さんは「(機能訓練指導員が)情報を持っており、自分でも勉強してリーダーシップを取ってやってくれた」という。

さらに、中島さんは「元々、特養の機械浴は慌しい。利用者が風呂の前にズラッと並んでおり、『中介助』『外介助』という職員もパートが分かれており、ドンドンと『はい、次』『はい、次』という感じで脱いで貰う。風呂から部屋に帰るまでも違う人(=介護職員)がいて、3段階を経由して慌しい時間帯。『1分単位で何とか一人でも多くの人を時間内に(入浴させる意識)』となってしまう」「じっとしているだけで全部やって貰う。入るというよりも、(強制的に)入れられている感じになる。機械浴は限られた時間・設備で入って頂く」と述べ、「(流れ作業的な入浴に)前から疑問に思っていた。疑問に思って機械を一切使わない。人と人とのコミュニケーションや温もりを感じられる風呂をやりたい」と、廃止の理由を説明した。

食事・入浴・洗濯・お茶の間など10人程度の暮らしの場を一つのくくりと見做して使いやすく工夫する「ユニットケア」の概念も機械浴廃止に踏み切った理由のようだ。中島さんは「新型ユニットケアの特養は家庭サイズの風呂をユニット型に入れるのが主流。それを補足する形でフロアや施設ごとに機械浴を入れる所が多い。(ユニットケアで)家庭的な風呂に入って貰う。そこから学んだ。(3人の働く特養のような)古いタイプの特養が機械浴をなくして、全部個浴にするのは珍しい」と語った。

とはいえ、廃止までに時間が掛かったらしく、中島さんは「浴槽を貰って来て職員で練習したり、許して頂ける利用者に試験的に始めたりして、段々と3~4年掛けて今の形になった」と指摘。その上で、機械浴を廃止した効果として、「機械浴をやっていた時の(介護職の)意識、利用者の表情が良くない。他の施設の話を聞いて勉強しに行ったり、先進例の研修を受けたりして、ヒノキみたいな小さい浴槽を上手く活用すれば、どんなに重度な人でも技術をしっかり使えば安心して入って頂ける。職員も却って楽」と強調した。

これに対し、関さんも「(利用者の反応が)違う。『綺麗になった』『温泉みたいな所に来られて幸せ』という人もいるが、機械浴は風呂に入る感じじゃない。日本人は風呂好き。ベッドに寝たまま入る風呂じゃなくてシャワーが掛かる。いすに座ったまま縁を越えて入る機械なので、乗っている方からすると怖がる。自分達が(普段から)入って来た風呂に入ることで、安心してくれる」と応じた。

嶋田さん、関さんによると、湯船の温度も利用者の好みで変更しており、中島さんは「(個別浴は)ゆっくり入りたいという人は入って頂いても良い。湯船に入ってどれぐらいで出るか自分で決められる、出させるのではなく、自分で出たいといったら自分の力で出て頂く」と話した上で、「家庭浴槽になると(介護の作業は)大変。(利用者が)自分でやらなければいけないことはあるし、足を下に付けられる人は付いて頂いたり、(風呂の)縁で力を入れて踏ん張って頂いたりすることがある」と紹介してくれた。

しかし、こうした日常生活の積み重ねが日常生活動作(ADL)の維持・向上に繋がっているらしく、「利用者に主体的に生きて欲しい。どうしたいのか手伝うのが私達。(我々は)生活リハビリと言っている。生活の当たり前の動作で毎日やっていると、それがリハビリになって機能が維持されたり、向上したりする。できることは自分でやって頂くし、もしかしてできなかったことができようになるかもしれない。(機械浴の廃止は)本当に良かった」と強調した。

介護甲子園では利用者のニーズに応じて実施している外出や旅行もプレゼンテーションで取り上げており、この話もインタビューで話題に上った。

中島さんによると、旅行・外出は施設としてのイベントではなく、現場職員の発案で介護保険外のサービスとして実施している、中島さんは「現場発信というか、職員が利用者との関係の中で利用者の希望を聞いてアイデアを出して立案・企画して貰う。勤務表も工夫して、(訪問先を)下見したり、家族と話し合ったり、費用をどうしようか、安全性をどう保てるか(を議論する)」「企画が上がるけど、チーム部署で良く話し合って勤務が組めるのか、安全が保てるのか協議しなくてはならない」と話した。

このうち、利用者の女性高齢者と1泊2日の旅行に行った嶋田さんは「旅行で行った場所は下見するか、ネットや電話で(受け入れ態勢などを)確認した」「家族も最初は『久しぶりなんで会いたくない』と言ったので、(家族と)何度も話した。(家族に聞いて)おばあちゃんの生活暦を調べると、旅行が大好きだった。本人が行きたいといっているので、会えていない妹に会えたらいいなと(いう話になった)。墓参りも20年ぐらい行けていなかった」と振り返った。

関さんは男性利用者との交流を話題に出した。関さんによると、家を新築した直後に病気になり、特養に入所せざるを得なかった男性利用者と一緒に、家族が住む昔の家を訪ねたらしく、「作業療法士のお手伝いという形で奥さんや娘さんがいる家に行く。介護甲子園で言いたかった部分の一つとして、特養だからおしまいじゃなく、『住む場所が家から特養に変わっただけ』と思って欲しい。家族も特養に入るまで状況が悪くなる中で、色んな大変な思いでやっとの思いで入所している。家族は『見てくれるだけでも助かります』と言うが、こっちに気を使わないで欲しい」と応じた。

さらに、同様の企画を立案する職員は増えており、機械浴の廃止と重なって好循環も生まれているという。中島さんは「(特養に入ると)自分でしたいこととか、特養に入ったら何も言えなくなっちゃう。全部お世話になる。(今の利用者世代は)遠慮がちなので我慢する。実際に(要望を)言ってもできないので、ドンドンと閉じこもる悪循環になる」と指摘。

しかし、中島さんは「(利用者のニーズに応じた旅行・外出と)風呂の改革を同時進行的にやっている結果、「『是非(要望を)言って下さい、それをお手伝いする役割ですから』と少し方向を変える。しかも他人行儀ではなく、人生を賭けて心開いて向き合ったり、寄り添ったりすることで、段々と信頼関係ができて、今まで我慢していたことが(要望として)出て来た」「家族もできるだけ話すようにすると、『昔は旅行に行っていたんですよ』『昔の家に住んでいた家に連れて帰りたいんだけど、なかなか自分では連れて帰れない』という意見が出て来る」と話し、一連の取り組みを通じて利用者・家族との信頼関係が生まれるようになったと力説した。

その上で、「それを逃さず聞いて、『どうやったらできるんだろう?』と考える。旅行に行くのだったら車や電車に乗らなきゃならないが、『今の生活では難しいね。そのためにも訓練も兼ねて、生活リハビリの一環で風呂に入りましょう、トイレに座りましょうよ。ご飯を食べてみましょうよ』と(言える)。心が動けば体が動く。単に『健康のために食べて下さい』『清潔のために風呂に入って下さい』ではなく、ご自身が『食べたい』『風呂に入りたい』『旅行に行きたい』とか、心が動けば体が動いて来る。特養に住んでも我慢せず、自分の希望を言える好循環に結び付けていける。サービス外だけど、なくてはならない」と話した。


2~3年間で看取りを強化

その後、話題は終末期の看取り、ターミナルケア(終末期医療)に移った。

左さんは「(介護業界に参入する前に)特養を見て、『もし僕が介護を受けるならばNG。この業界を変えよう』という思いで業界に入った」と振り返りつつ、「介護している側と、外側から見ている人は全然違う。実際やっている人は『僕達に任せて(貰えれば)終の棲家じゃなく、第2のステージですよ』と発信したい。外側の人は『姥捨て山』のイメージを拭い切れていない。こういう情報(=機械浴の廃止など)を発信して貰いたい。僕達から発信していくのが責任」と発言。

さらに、中島さんは「(特養を)介護保険の制度上、自宅復帰の理念があり、終の棲家と言わないが、現実は終の棲家。私達も割り切っている」と話した上で、近年は看取り介護、ターミナルケアに力を入れていることを明らかにしてくれた。中島さんは「ターミナルケアができるまで最期は病院。私達はギリギリまでお手伝いさせて頂いた。しかし、最期の最期は付き添いできなかったので、何となく不全感があった。私達が見えないので、『辛い思いをされたのでは』『自分らしくいらなれなかったのでは』と悪い方に想像してしまう」と述べつつ、「3年ぐらい前からできるようになって来て、息を引き取る場面や葬儀までやらせて頂く。施設はキリスト教なので、外で(葬儀を)やる人は正面玄関で賛美歌でお祈りして見送る。まさしく旅立たれる感じで送り出す。そういった理念と実践が噛み合ったのがここ最近」と述べた。

これに対し、左さんは「(ターミナルケアは)家族から見ると必要。(家族だけで面倒を)見る(には)限界があるので、そのために僕達がいる」と語りつつ、「(社会として)死に向かい合っていない気がする。もっと(家族に)見せることは必要。言葉は知っているけど、(自分自身としても)イメージしているかと言うとしていない。情報が少ない」と指摘。

中島さんは「(施設は)都心にあり、駅から近い。練馬区は(特養入所)待機者が多いので、地域の人が優先的に入るので、(利用者は)近隣の方が多く、毎日のように来る家族も多いし、何かあったら飛んで来てくれる」と施設の特性に言及した上で、「そういう中で(家族と)関係を築いて、最期はどうするかを議論できる。3年前に始めた時は大変だったが、家族同士の口コミで安心して頂いたり、一人一人(でニーズ)は違うけど、『何となくこういう感じ』という所は出て来ている。家族としてもできることはやりましょうと(いう機運が生まれている)」と話した。実際、中島さんによると、家族とリスクを共有できる関係が形成されつつあるため、他界する1週間前、埼玉県秩父方面に旅行する時があったとのこと。

さらに、中島さんは「(元の)風呂場だったところを(改造して)『「祈りの部屋』と名付けた特別な居室を作った。1人で寝られるし、家族も一緒に泊まれる。家族だけで泊まることもできる。看取りに限定するわけじゃないけど、家族も一緒にケアして頂き、(家族も)チームの一員であることを示す部屋もできた」と強調。その上で、「(家族が)毎日来れば、食べられなくなって来る姿を見て頂ける。色んな人はいるので、(終末期の判断で)揺れる人は多い。私は『病院で手厚くしたい』という人もいるのは当然。それはそれで尊重する。『私達はこう思っている』と何度も話して、大体頷いている方が多くなって来た」と語った。

一方、関さんは「初めは職員が不安だったが、今は『やらなくていいのか』と思う。今になっては自然」「分からないと思っていたし、(当初の段階では)『もっと勉強しなきゃいけない。始めるのを後にしたらいいんじゃないか』と言っている人もいた。利用者は一回一回看取りを経験して命を使って私達にメッセージを残してくれたのが繋がっている」と語った。

これに対し、嶋田さんは「ターミナルケアが(絶対の)正解とは思わない、それが正解になるのはおかしい。(死生観は)人それぞれ違う。私達の施設としては、長年一緒に過ごして来たんで、できるだけ最期まで一緒にいたい。何が大切かと言うと、利用者と自分達、自分達とと家族の関係。関係が遠ければ遠いほど、訴訟とか良くない方向に行ってしまう。だからこそ関係を作りたい。義務的にやってしまうと、訳のわからない方向に行ってしまう」と応じた。

その上で、機械浴から個浴に変更した経緯に関しても、「どうしても機械浴がいいという人はそうしたらいい。『個浴に移れば何でもいいんでしょ』というわけではない。(利用者と)話したり、触れ合ったりする(本来の姿)から離れる。(形式だけじゃなく)裏(にあるプロセスや理由)の方が大事」と強調した。

中島さんも「今までも色んなチャレンジして失敗して来た。未だに乗り越えられないものがあるし、乗り越えても次に違うものがある。私達が何故(介護甲子園で)優勝できたのか自負心がないし、優勝できるとは思っていなかった。巡り会わせでたまたま」と振り返りつつ、「もっと誇りを持って仕事できるはずなのに、介護職が自分達でダメにしちゃって(可能性を)狭めている。言われたことをやるだけ、決められたことをやるだけで、人が足りない、時間が足りない、お金がもらえないという中で、自分達で(可能性の狭い部分に)落ちていった」と強調。さらに、「色んな改革でチャレンジしてきた中で、自分達でできたこともあるという誇りに繋がっている。介護職が失敗してもいいから恐れず、自分達で考えてやっていけばやりがいに繋がる」と訴えた。

さらに、「(ターミナルケアや風呂の改革など)全てが繋がっている。ターミナルケアが最期が良ければそれで良いのか。良い最期になって頂きたいから日頃が大事。(日頃から)自分らしい風呂。トイレも自分のできるだけ希望に沿って(という形で)全てが繋がっている、全部がボンと変わったわけじゃなく、少しずつ自分達の目指すところが見えて来た」と力説した。

このほか、4人が介護職を志した理由も話題となった。

2年前から施設長を務めている中島さんは福祉系大学を出た後、児童養護施設のワーカーとして就職。現在の特養には社会人3年目で相談員として転職し、15年経つという。

「自分はダメ人間。高校を卒業してフリーターだった」と振り返ったのは嶋田さん。親から「何か仕事しなさいよ、人が良さそうなだから介護職になれば?」と言われて、ヘルパー資格を取って面接を受けたとのこと。嶋田さんは「やってみたら難しい仕事(だけど)面白いなと思った」というが、その後は7施設を転々とした。キングスガーデンも2回辞めているらしく、嶋田さんは「逃げてばっかりだったけど、(最近は)自分自身として介護という仕事に向き合っている」と語った。

転職や退職を繰り返す理由としては、「『ここはダメだからもっと良い所がある』と思っていたが、結局は自分の問題。そう思うんだったら変えればいいじゃん。自分から逃げる」と述べた上で、現在の職場に関して「30歳になって、戻りたいと思えるし、仲間がいる。毎日支えられて生かされている」と述べた。

関さんは福祉系大学を卒業した後、人と関わる仕事にやりたいと思って介護業界に入った。今年で7年目を迎えた関さんは「デスクワークが向いていない。ずっと(今の施設で)働いている。大学の方で家の近くに良い職場があるから言ってみないと紹介された。辞めようと思えない。色々と学べる」と語った。

一方、左さんは大学を卒業した後、会社を立ち上げて介護の仕事を始めた。当時の思いについて、「設計士をやるつもりで大学に行って、これから高齢者が増えるというので、バリアフリーやリフォーム(の勉強)をやった。おじいちゃんはどんな人か特養を見に行って、それがきっかけになって業界に入った」と発言。その後、2級ヘルパーを取ったが、当初は5分程度でできるオムツ交換に30分掛けていたとのこと。左さんは「当時は大変だった。(本来ならば)5分ぐらいで終わるけど、2級ヘルパーの時は(オムツ交換の場面を)見たことがない。臭いから何かまで30分掛かった。おじいちゃんがくしゃみしたので、家族が風邪を引いちゃうと(心配した)」と述べつつ、「会社に帰ってスタッフに(ズボンの上から)オムツを履かせて練習した。5分でできるようになって、『上手くなったね』と言われて嬉しかった。コミュニケーションを取りながらやった」と話した。

最後に、介護甲子園に向けた展望や期待を質問すると、関さんは「凄く大変なことの方が多いけど、自分で変わって欲しいと思うので、熱い意気込みを持つ人は出て頑張って欲しい」、嶋田さんは「気持ちがないと続かない」と発言。中島さんが「結果ではなくプロセスを楽しんで頂きたい。是非チャレンジして頂きたい」と話すと、イベントを主催する左さんは「僕達が主役であり、介護の現場は介護職員が変えていく。そのために僕達もやっているので興味があったら考えるのではなく、参加して頂きたい」と呼び掛けた。

【文責: 三原岳 東京財団研究員兼政策プロデューサー】
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