朝日新聞編集委員
山脇岳志
今年になって、放送番組の「政治的公平」を定めた放送法4条をどうするかが大きな注目を集めた。安倍首相やその周辺が、放送法4条の撤廃を検討しているという報道が春先に相次いだためだ。
関係者によれば、今年3月、安倍首相と、日本民間放送連盟(民放連)会長に内定していた大久保好男・日本テレビ社長の食事会で、首相は放送法4条の撤廃を示唆したという。この経緯が報道されると、メディアのみならず識者などからも反対論が相次いだ。通信と放送の融合について検討していた政府の規制改革会議は、今年6月に首相に答申を提出したが、その際、放送法4条の撤廃は盛り込まなかった。いったん、この動きは「見送り」となったわけだが、今後もまた議論が浮上する可能性はあるだろう。
日本の放送法は、終戦後まもない1950年に制定された。その4条は、「政治的な公平」のほか「多様な視点の確保」などを求めている。
2016年、高市早苗総務相(当時)は、放送局が政治的な公平性を欠く報道を繰り返したと政府が判断した場合、放送法4条違反で電波停止を命じる可能性に言及、リベラル勢力からは大きな反発を呼び、議論を呼び起こした。国連の「表現の自由の促進」に関する特別報告者だったデービッド・ケイ氏(米カリフォルニア大教授)は、政府のメディア規制の根拠になりうるとして、4条の廃止を訴えた。
一方、毎日新聞などによれば、2004年に、自民党がメディアの「政治的公平」を定めた放送法(当時は3条)を改正する方向で検討していた。 [1]
自民党の見解などをアピールする専用チャンネルを設けたりすることが狙いだったという。法改正は結局実現しなかったものの、当時の自民党報道局長の熊代昭彦衆院議員は、産経新聞のインタビューで、テレビの政治的公平について「公平中立なふりをしているだけ」と厳しく批判、「いずれは地上波でも改正すべきと考えているが、CS放送とケーブルテレビに限って条項を削除する原案を書いており、秋の臨時国会に提出するつもりだ」と明かしている。 [2]
こうしてみると、放送法上の「政治的公平」は、かねてより、保守、リベラルの双方から批判的な議論が巻き起こされてきたことがわかる。
欧州の多くの国でも、放送業者に対して「政治的公平」を定める法律があるが、先進国で「公平原則」を課していないのは、米国である。
米国にも、かつては、地上波放送を対象とした「フェアネス・ドクトリン(公平原則)」と呼ばれる原則があった。米政府の独立行政委員会である米連邦通信委員会(Federal Communications Commission、以下FCC)が放送の公平性を保証するために1949年に制定し、のちにケーブルテレビ事業者の自主制作番組も対象となった。ケーブルテレビの普及やメディアの多様化なども背景に、共和党のレーガン政権時代の1987年に廃止された。
民主党側には、フェアネス・ドクトリンの再規定を求める動きもあったが、今にいたるまで復活はしていない。本コラムでは、フェアネス・ドクトリンの歴史を振り返りつつ、その廃止の影響、特にトークラジオの隆盛について、2回に分けて考察する。
フェアネス・ドクトリンの誕生
米国でラジオ放送が始まったのは1920年代である。当時の所管官庁は商務省(Department of Commerce)で、商務長官にはラジオ局の開局申請について電波の割り当てを行う権限はあったが、申請を拒否する権限はなかった。このため、都市部を中心にラジオ局が乱立し、電波の混信が発生する事態となった。
この事態を解決するため、連邦議会は、限りのある電波へのアクセスを管理し、公共の利益と一致するようにその分配を規制する1927年無線法(The Radio Act of 1927)を制定した。同時に、連邦無線委員会(The Federal Radio Commission、FRC)を設立し、免許申請の受付や付与を一元的に行わせることにした。
その後、米国の放送・通信の基本法ともいえる1934年通信法(The Communication Act of 1934)が成立すると、その目的を実施するための独立規制機関として、FRCを吸収する形で連邦通信委員会(FCC)が設立された。FCCの役割は、電波監理(放送免許の付与、没収、免許更新の審査、免許譲渡の認可、放送周波数の分配、割り当て)と、規則の制定・実施(適宜放送や通信に関する規則の新設・改正、異議申し立ての受理・裁定、紛争の調停・罰金等の制裁)など多岐にわたる。 [3]
1949年、権限行使の際には公共の利益を考慮するようにという連邦議会からの指示を受け、FCCが報告書「In the Matter of Editorializing by Broadcast Licensees 」の中で確立したのが、フェアネス・ドクトリンである。
フェアネス・ドクトリンの内容と派生した規則
フェアネス・ドクトリンには、2つの基本要件がある。まず、放送免許事業者は公共の重要性を持ち論議の的となっている問題の議論と考察のために放送時間の合理的な部分(reasonable portion)を割り当てなければならない。そして、その際には公平(fair)でなければならない。すなわち、放送事業者は論議の的となっている問題に関し相反する視点が表現されるよう、積極的に設備を提供しなければならない。
さらに、フェアネス・ドクトリンから派生した規則として、個人攻撃ルール(Personal Attack Rule)と政治的論説ルール(Political Editorial Rule)の2つがある。
個人攻撃ルールとは、公共の問題に関わる個人に対し個人的な攻撃が行われた場合、放送事業者は放送から1週間以内に攻撃された者に通知し、放送の複製を提供し、放送事業者が提供する設備を用いて応答する機会を与えなければならない、というものである。
政治的論説ルールとは、放送事業者が特定の政治候補者を支持した場合に、放送事業者は対立候補(またはその代理人)に対し、放送事業者が提供する設備を用いて応答する機会を与えなければならない、というものである。
こうして、放送事業者は、応答や反論を目的として放送時間を要求する者に対し時間を与えるのみならず、論議の的になっている問題に関する適切な反対意見は何なのか、その反対意見の提示に最適な人物は誰なのかついて決定しなければならなくなった。応答・反論のための時間がスポンサー提供番組の中で取れなければ、放送事業者が自費で番組を提供しなければならない。また、フェアネス・ドクトリンを遵守しなければ、免許没収に至ったり免許更新の審査で不利になることもあり得た。多くの放送事業者にとって、フェアネス・ドクトリン遵守が負担であったことは想像に難くない。
米国憲法修正第一条は、言論の自由の権利を定めている。修正第一条の柱となる考え方は「uninhibited marketplace of ideas(自由な意見交換の場)」 という言葉に象徴されるように、異なる見解を自由に表出できることに民主主義の基本があるというものである。そこでは規制機関による制限は最小限であることが望ましい。
放送事業者に枠をはめることは、この米国修正第一条に違反するとの見方は当初からあった。この点に関し、正面から向き合ったのが、1969年のRed Lion Broadcasting Co.対 FCCの判決である。ペンシルヴァニア州のRed Lion社のラジオ番組の中で個人攻撃されたジャーナリストが、反論するための放送時間をRed Lion社に要求して拒否され、フェアネス・ドクトリン違反として訴えた件である。連邦最高裁は訴えを認め、「電波の希少性」などを根拠に、フェアネス・ドクトリンの合憲性を支持した。 [4]
放送メディア環境の変化とフェアネス・ドクトリンの廃止
フェアネス・ドクトリンの廃止に関しては、1970年代から1980年代にかけて、連邦議会の委員会で活発な討議や公聴会が行われた。廃止賛成派は「電波の希少性」という考え方が時代遅れになっており、フェアネス・ドクトリンは言論の自由を侵害し、米国憲法修正第一条に抵触すると主張していた。放送事業者に公平性を求めるフェアネス・ドクトリンの存在により、新聞等の印刷メディアと放送メディアの言論の自由に対してダブルスタンダードが適用されていることも問題視された。
廃止反対派には、多くの企業や、リベラルの消費者団体、主要な報道機関、保守的な放送事業者などが含まれていた。公民権団体からモービルやゼネラル・モーターズなどの大企業まで、リベラルと保守が混在していたことは注目に値する。共通していたのは、自分たちはいつでも反論の機会を必要とする「少数派」になり得るという思いであり、フェアネス・ドクトリンの存在によって保護され、意見を述べる機会が保証されるという思いであった。
1980年代には、フェアネス・ドクトリンが創設された1949年に比べてラジオ局の数が約4倍、テレビ局の数が約20倍と大幅に増加し、ケーブルテレビや衛星放送の普及により放送メディア環境が大きく変化していた。
1981年、小さな政府と規制緩和を目指す共和党レーガン政権が誕生し、共和党が上院の多数を占める中、レーガン大統領はマーク・ファウラーをFCC委員長に任命した。放送通信分野を専門とする弁護士で、大統領選挙でレーガンのキャンペーンスタッフを務めていたファウラー委員長は、放送通信分野の規制緩和に強い意欲を見せ、フェアネス・ドクトリンの撤廃という目標を掲げていた。
ファウラー委員長の立場を著しく強化することになったのが、1984年のFCC 対 League of Women Votersの判決である。この判決の中で、連邦最高裁は、FCCが「フェアネス・ドクトリンが米国憲法修正第一条の目的を促進するよりもむしろ妨げている可能性が高いならば、それだけでフェアネス・ドクトリンを廃止する正当な理由となる」として廃止を提案していることに触れ、「もしフェアネス・ドクトリンが言論を促進するよりもむしろ萎縮させていることがFCCによって示されたならば、連邦最高裁はRed Lionの裁定の憲法的根拠の再検討を余儀なくされるだろう」と述べたのである。 [5]
この判決を受け、1985年、ファウラー委員長率いるFCCはフェアネス・ドクトリンの合憲性や放送事業者に与える影響などについて検討した報告書「フェアネス・レポート」を発行した。
合憲性については、裁判所の管轄であり、FCCは判断する立場にないことを明確にした上で、1969年のRed Lion判決における連邦最高裁の裁定は認めながらも、放送技術の発展に伴うマスコミュニケーションにおける言論環境の変化によって、フェアネス・ドクトリンの合憲性が損なわれている可能性があると指摘した。
また、放送事業者に与えた影響については、事例を検討した結果、フェアネス・ドクトリンは大幅に言論を萎縮させていると結論した。放送事業者は「訴訟費用や免許取消のリスクを背負うくらいなら、最初からその問題について取り上げない方が良い」という判断をしがちになる。結果として、フェアネス・ドクトリンは公共の電波における活発な議論を促進するどころかむしろ萎縮させ、公共の重要性を持つ問題の報道を阻害すると指摘した。
FCCはフェアネス・ドクトリンは公益に合致しないとの確信を述べたが、連邦議会がFCCにフェアネス・ドクトリンを廃止する権限を賦与したかどうかは簡単に決められる問題ではないとし、廃止に関して結論を出すのは時期尚早と判断した。 [6]
「フェアネス・レポート」の発行後、FCCは、フェアネス・ドクトリンの存在価値を否定しているにも関わらず、執行は従来通りに続けるという自己矛盾に陥った。この苦しい状況を脱する契機となったのが、1986年のTelecommunications Research & Action Ctr. 対 FCCと、1987年のMeredith Corp 対 FCCの判決である。
前者の判決では、1949年に行われた1934年通信法の修正は、フェアネス・ドクトリンを成文化したものではなく、FCCによる修正が可能だとした。これを受けて、連邦議会はFCCに対し、フェアネス・ドクトリンに代わるものを検討し、連邦議会に報告するよう指示した。
後者は、もともと1982年にSyracuse Peace Council 対 Meredith Corp(WTVH Syracuse)として始まったものである。Syracuse Peace Councilは、Meredith Corpが所有するテレビ局WTVH Syracuseが1982年にナインマイル原子力発電所2号機の建設を支持するシリーズ番組を放送した際に、視聴者に対し相反する観点を提示しなかったのはフェアネス・ドクトリン違反だと苦情を申し立てた。FCCはこの主張を認める裁定をしたが、これに対しMeredith Corpは、フェアネス・ドクトリンはそもそも憲法違反だと主張し、控訴した。
1987年1月、Meredith Corp 対 FCCにおいて、DC控訴裁判所はFCCの裁定を支持し、フェアネス・ドクトリンはもはや公益に合致しないという結論を提示した。しかし、合憲性について検討することはなく、フェアネス・ドクトリンについて裁定する権限はFCCが持つと明言し、憲法上の根拠に基づいて裁定すべきだとしてFCCに差し戻した。
これを受け、民主党は1987年6月に先手を打ってフェアネス・ドクトリンを成文法化しようとし、法案は賛成多数で可決されたが、レーガン大統領の拒否権行使により頓挫することとなった。
FCCは再検討の結果、1987年8月、デニス・パトリック委員長の下、WTVH Syracuseに対する制裁実施を拒否し、フェアネス・ドクトリンを廃止する決議をした。Red Lion以降の放送局の増加とケーブルテレビや衛星放送の発達により情報源が多様化した結果、「電波の希少性」の論拠はもはや有効ではないこと、フェアネス・ドクトリンが自由な論争を萎縮させていることを再確認するとともに、フェアネス・ドクトリンはどの問題に公共の重要性があり、その問題に関してどのような見解が報道されるに値するかについて政府の主観的な判断を要求するものであり、そのような政府の介入は米国憲法修正第一条に抵触すると裁定したのである。
この決議はフェアネス・ドクトリンから派生した個人的攻撃ルールと政治的論説ルールについては対象としておらず、この2つのルールに関しては、2000年にワシントンDC控訴裁判所命令によって廃止されることとなった。 [7]
フェアネス・ドクトリンの廃止は、放送業界、共和党の廃止賛成派には歓迎されたが、一方で、公民権団体、消費者団体、民主党やリベラル陣営を中心とした廃止反対派には、懸念が広がった。たとえば、消費者運動家のラルフ・ネーダー氏は、廃止によって、重要な問題が無視されたり、議論の一方のみの提示が増えたりすることや、少数派の観点が無視されがちになることについて懸念を表明していた。
その後も、研究者や議員の間では、フェアネス・ドクトリンの有効性、合憲性、復活の是非に関する議論が続き、復活させようとする立場(民主党)からも、復活を妨げようとする立場(共和党、リバタリアン)からも、多くの法案が提出されてきた。1991年、民主党は再度フェアネス・ドクトリン復活を図ったが、ブッシュ大統領(父)が拒否権発動の構えを見せたため断念した。2005年に民主党から、2007年に共和党から提出された法案も、不成立に終わっている。
民主党が上下院の多数を占めることとなった2009年には、公平さとバランスを欠いたラジオのトーク番組に関し、やはり「公平性」が必要だという民主党上院議員の発言をきっかけに、フェアネス・ドクトリンについての議論が再燃した。共和党はフェアネス・ドクトリン復活を妨げる立法を目指し、2009年と2011年に法案を提出した。
しかし、オバマ大統領は大統領選の時期にすでにフェアネス・ドクトリンの復活を支持しない立場を明確にしており、フェアネス・ドクトリンよりもメディア所有規制やネットワーク中立性、公共放送、メディアにおける少数株主持分比率の増加などの議論を重視していたため、フェアネス・ドクトリンが復活することはなかった。FCCは、既存の規則の見直しと不要な規則の削除を求めたオバマ大統領令に従い、2011年8月にフェアネス・ドクトリン関連を含む80件あまりの規則の削除を決定し、9月に連邦規則から正式に削除した。
(下)に続く(「トークラジオ化するケーブルテレビと政治的分極化」)
[1] 毎日新聞(2004年7月20日)「放送法 自民党、改正を検討」
[2] 産経新聞(2004年7月31日)「政治報道、テレビは公平?放送法見直し論浮上」
[3] FCCの機能や権限については、柴田厚、[シリーズ]国際比較研究:放送・通信分野の独立規制機関 第三回「アメリカFCC(連邦通信委員会)~インターネット時代の規制とは~」(『放送研究と調査』AUGUST 2010)で、わかりやすく整理されている。(https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2010_08/100802.pdf ), p.31
[4] Red Lion Broadcasting Co., Inc. v. FCC, 395 U.S. 367(1969)(https://supreme.justia.com/cases/federal/us/395/367/)
[5] FCC v. League of Women Voters of California(1984), 468 U.S. 364, No.82-912 (https://supreme.justia.com/cases/federal/us/468/364/), Footnote 12
[6] Kathreen Ann Ruane, “Fairness Doctrine: History and Constitutional Issues”, Congressional Research Service, July 13, 2011(https://fas.org/sgp/crs/misc/R40009.pdf), p.6
[7] “In the Matter of Repeal or Modification of the Personal Attack and Political Editorial Rules”, (MM Docket No. 83-484, Federal Communications Commission, 15 FCC Rcd 20697; 2000 FCC Lexis 5725, Release Number: FCC 00-386, October 26, 2000 Released; Adopted October 26, 2000)(https://pages.uoregon.edu/tgleason/j385/Personal_Attack.html)