「在職老齢年金」(年金カット制度)廃止批判を検証する

 「一億総活躍」「全世代型社会保障」の掛け声の下に、高齢者就業の促進策が政策論議の焦点となっている。その切り札とされている改革案は、いまのところ、繰下げ受給の年齢上限を70歳超に引き上げるというアイデアだ。現行制度では、年金受給を70歳まで繰下げると報酬比例部分の年金額が42%増額される。この「お得」な制度をより周知徹底するとともに、年齢上限を引き上げて高齢層の就業促進を目指すという改革案が浮上している。

 しかし、この案については、それだけでは効果が限定的であることが次第に理解されるようになってきた。最大のポイントは、60歳代後半の在職老齢年金(高在老)の仕組みが、繰下げ受給の選択を結果的に不利なものにしていることである。成城大学の田近栄治特任教授もこの点をごく最近、本研究所のコラム「高齢者の就労支援 問題だらけの在職老齢年金制度」で明確に指摘している。

 田近教授の解説でも明らかなように、繰下げ受給がその機能を完全に発揮するためは、(1)働かないまま年金受給までひたすら我慢する、あるいは、(2)働くとしても、高在老で年金が減額される水準以下に賃金を抑える、という高齢者の行動が前提となる。これは高在老適用者とのバランスを考慮した仕組みなのだが、せっかくの繰下げ受給の効果が削がれ、就業にブレーキがかかる。政府や自民党はこうした問題を理解した上で、繰下げ受給の拡充を提案しているのだろうか。

 年齢とは関係なく、フルタイムという形を含め多様な就業スタイルを高齢者が自由に選択できることを目指して、繰下げ受給の柔軟化を進めるのであれば、就業にブレーキをかけている高在老の廃止とセットで進めなければならない(60歳前半の在職老齢年金〔低在老〕は、支給開始年齢が65歳までに引き上げられていくので、25年には自然消滅する)。この小論では、高在老廃止に対する3つの批判を取り上げ、その妥当性について検討してみる。田近教授のコラムの「続編」として読んでいただければ幸いである。

 

批判1:「廃止しても就業促進効果なし」

 第1の批判は、高在老を廃止しても就業促進効果は期待できない、というものである。この批判の根拠の一つになっているのは、内閣府が昨年7月に公表した研究報告書「60代の労働供給はどのように決まるのか?」の試算結果である(図参照)。それによると、低在老の廃止はパートタイムを選ぶ確率を1%程度引き下げる一方、フルタイムは2%程度引き上げる。非就業を選ぶ確率の低下も考えれば、就業率は1%強高まる計算になる。これに対して、高在老の廃止の効果はいずれもゼロである。

 どうしてだろうか。この試算では、在老廃止後も賃金を元の水準にとどめたままなので、フルタイム就業の少ない60歳代後半では、「賃金+年金(2階部分)」が、減額が始まる46万円になかなか届かず、高在老廃止の就業促進効果が初めから出てこない構造になっている。在老の就業抑制効果―そして、その裏返しである、同制度廃止の就業促進効果―をより正確に試算するためには、従前賃金を得たまま働き続けようとした場合に、どの程度のブレーキが掛かるかを試算する必要がある。その点を考慮して筆者らが進めている試算では、高在老廃止は、全体として見ると、低在老廃止に比べてそれほど遜色のない効果をあげるという結果を暫定的に得ている。なお、在老の就業抑制効果は高賃金層ほど高めになるが、この点は後述する第3の批判にも関係する。

 

批判2:「財源をどう調達するか」

 第2の批判は、見直しには財源が必要だというものである。社会保障審議会年金部会(18年4月)に提出された資料によると、在老廃止による支給額を新たなに手当てするために、低在老は7,000億円、高在老は3,000億円、合計1兆円の財源調達が必要となる。このうち、低在老は25年には自然消滅するので、実質的なコストは全体の半分の5,000億円前後と見ておいてよいだろう。これは、年金給付総額が年額50兆円を優に超えるので、それほど大きな政策コストにならない。田近教授は、在老廃止を公的年金等控除の圧縮等とセットで進めるべきと主張している。在老廃止のための政策コストは、年金課税の見直しで得られる増税でかなり穴埋めできる規模だろう。

 なお、在老廃止のコストをマクロ経済スライドの終了時期を若干延長して吸収すべきだという主張もあるが、賛成できない。まず、マクロ経済スライドはこれまで2回しか発動されておらず、年金総額の調整手段としての実効性に十分信頼が置けない。逆に、マクロ経済スライドが完全に発動されると、低年金層の生活保障が脅かされる危険性がかなり高いことが知られている。その危険性が少しでも高まるような財源調達は避けるべきだ。

 在老廃止を始めとする就業促進策が奏功すれば、保険料収入や税収の増加による年金財政へのプラス効果、労働供給の引き上げによる経済全体の生産能力の増強効果も期待できる。就業促進によるマクロ的な効果で、十分すぎるほどのおつりがくる。もちろん、実際の効果には不透明な部分も大きいが、コストもそれほどかからないので、ダメ元でやってみる価値は十分ある。就業が促進できれば、マクロ経済スライドも早めに終了できる。

批判3:「結局、金持ち優遇策だ」

 第3に、在老廃止は結局のところ、金持ち優遇策ではないかという批判もある。一般受けしやすいのは、上の2つの批判よりこちらだろう。国会でも、野党が持ち出してきそうなネタである。報酬比例年金(2階部分)を10万円とすれば、在老廃止で年金減額が始まるのは月収が36万円に達してからである。月収36万円の人が金持ちかどうかは議論の分かれるところだが、実際には65歳を超えるとフルタイム就業者がかなり減るので、現役層と同じように働き続ける人にしかメリットが及ばないことは否定できない。

 しかし、目指すべき一億総活躍社会は、高齢者もその能力に応じて無理のない形で働ける社会のはずである。現行制度は、長い就業生活の中で高い能力を身につけた高齢者を、年金減額という仕組みで低賃金やパートタイム就業に追いやっている。もしそうなら、金持ちでなければ廃止のメリットが及ばないという批判は、逆立ちした議論のように思う。これからは、高齢就業者の姿も大きく変化する。60歳代後半も、若年層・中年層とは異なるスタイルでありこそすれ、バリバリ働く姿が普通になりそうだし、そうならないと高齢化の圧力に屈してしまう。金持ち優遇といった批判は、将来の変化を見据えていない。

 高い所得を得られた高齢者は、若年の勤労者と同じように、その所得に応じて税や社会保険料の負担、さらには社会保障給付の面で貢献してもらえばよい。特に、「2040年問題」の一つとしてしばしば言及されるように、保険料の拠出実績が乏しく、低年金に甘んじる高齢貧困層が今後厚みを増していくことが予想される。彼らの所得保障を社会全体で強化するためにも、社会の支え手を質量ともに拡充していく必要がある。そのための在老廃止だと考えてもよい。

 

 高齢者就業の促進策としては、公的年金の支給開始年齢の引き上げこそが「本丸」だ。それを排除した改革の効果は、はじめから限定的である。繰下げ受給の年齢上限の引き上げという提案には、どうしても「脱力感」が漂う。しかし、それで高齢者の意識や行動パターンが変化し、社会の「支え手」が少しでも増えるのであれば、わざわざ文句を言う筋合いのものでもない。ただし、その実現のためには在老の見直しが前提となる。「働いても年金は削りません」と政府が明言すれば、「一億総活躍」「全世代型社会保障」を目指そうという政府のメッセージも国民に直接伝わるのではないか。制度の簡素化にも貢献する。

小塩隆士

小塩 隆士

  • 一橋大学経済研究所教授