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緊急事態におけるアメリカ大統領権限:トランプ大統領による壁建設はなぜ可能なのか
写真提供:GettyImages

緊急事態におけるアメリカ大統領権限:トランプ大統領による壁建設はなぜ可能なのか

April 24, 2019

首都大学東京法学部教授

梅川健

2019年2月15日、ドナルド・トランプ大統領は国家緊急事態を宣言した 。これで、現在のアメリカで有効な緊急事態宣言の数は32個になった。複数の緊急事態宣言が併存するという状況は、一見して奇妙である。国家が作動するモードには、平時と戦時だけでなく、そのどちらでもないが国益が侵害され一刻を争う緊急事態がある。緊急事態宣言がそのモードを切り替えるスイッチであるとすれば、スイッチを入れるのは一度で十分なはずだ。 なぜ、アメリカでは複数の緊急事態宣言が併存するのか。大統領は緊急事態に何ができるのか。緊急事態における大統領の決定はどのように抑制されうるのか。本稿ではこれらの問いに答えていきたい。

アメリカにおける緊急事態法制の変遷

合衆国憲法は平時と戦時について明記しており、この二つは議会による宣戦布告によって切り替わるとされている。他方で、宣戦布告が間に合わないような危機にどのように対応するのかといった、緊急事態に対する記述はほぼない(例外的に、緊急時における人身保護令状の停止や、大統領による議会招集については定められている)。

そこで、議会は建国期から緊急時に大統領が行使できる権限を制定法の形で個別に定めてきた[2]20世紀初頭から中頃にかけては、大統領は布告によって緊急事態を宣言すると、既存の緊急事態に関するあらゆる権限を行使することが可能だった[3]。第二次世界大戦から冷戦期にかけて、緊急事態に対応するための権限を大統領に授権する法律の数は増え、1970年代には470を数えるほどになっていった[4]

しかしながら、1972年のウォーターゲイト事件を契機とする大統領への権限集中を見直す動きの中で、議会は緊急時の大統領権限にもメスを入れた。1976年国家緊急事態法の制定である。同法はまず、1976年当時に継続していた緊急事態を2年以内に終了させるものとした(それまで、一度宣言された緊急事態は大統領による終了の宣言がなければずっと継続した)。次に同法は、大統領に緊急事態を宣言する裁量を認めつつ、具体的にどの法律のどの権限を発動するかを宣言の中で明示しなければならないとした。同法以前には、緊急事態を宣言すればありとあらゆる緊急事態法の権限を行使できたが、これを制限したのである。また、国家緊急事態法は、緊急事態が基本的には1年で終了するものとした(ただし大統領は1年の延長を繰り返し宣言できる)。最後に、議会は6ヶ月毎に、存続する緊急事態を終了させるべきかについて投票を行わなければならないとした。この票決は両院共同決議(concurrent resolution)の形式をとり、大統領の同意を必要とせずに、上下両院の過半数の票によって緊急事態を終了させられるものであった[5]

最後の部分が特に重要で、国家緊急事態法では、議会は上下両院のそれぞれの過半数の同意によって、大統領の認定した緊急事態の終了が可能であった。このように、大統領による決定を議会が覆すことのできる規定を議会拒否権(legislative veto)といい、70年代に大統領権限を抑制する方法として広く用いられた(例えば1973年戦争権限法にも同様の規定がある)。しかしながら、1983年の連邦最高裁判所判決は、議会拒否権を違憲だと判断した[6]。これを受けて、大統領の同意を必要としない両院共同決議は、大統領署名を必要とする両院合同決議(joint resolution)へと書き換えられた。

両院合同決議の場合、通常の立法と同じ手続きなので、大統領には拒否権の行使が可能となる。議会には大統領拒否権を乗り越えることも可能だが、それには両院で3分の2の特別多数が必要となる。国家緊急事態法の場合も同様で、大統領の宣言した緊急事態を終了させるためには、大統領署名か、もしくは3分の2の特別多数の票が必要となった。国家緊急事態法は、議会拒否権という支柱を失い、緊急事態における大統領権限の抑制という役割を十分に果たせなくなった。

1976年国家緊急事態法が制定されてから59の緊急事態が宣言され、そのうち32が今日まで継続している。20192月のものを別にすると、緊急事態は平均して9.6年持続し、25の緊急事態は10年以上継続している。最長は1979年に宣言されたイランに対するもので、39年間継続している[7]

20192月現在、緊急事態における大統領権限について規定する連邦法は123にも及ぶ。内容は多岐にわたっており、軍事施設の建設、公有地の利用、公衆衛生・貿易・農業・輸送・電信の規制、さらには公務員への給与支払いスケジュールの調整なども大統領が行使可能な権限として見つかる[8]

1976年に制定された国家緊急事態法は、どのような場合に大統領が緊急事態を宣言できるかについて裁量を与えるとともに、どの権限を発動するかについても裁量を与えている。緊急事態の特性によって対応するのに必要十分な権限の発動を許しているわけではなく、大統領は事態の特性と無関係に見えるような権限の発動さえ可能となっている。議会拒否権を失った後の国家緊急事態法は、法律の定める緊急事態権限へのアクセスを容易にする経路として機能している。

トランプ大統領の緊急事態宣言

トランプ大統領は2019215日に緊急事態を宣言した。大統領就任後、継続している緊急事態の延長については行ってきたが、新たな緊急事態の宣言は初めてだった。トランプ大統領によれば、南部国境は「犯罪者、ギャング、麻薬の侵入地点」であり、南部国境を越えようとする「膨大な非合法移民(unlawful migration)は長く続く問題」である。このような状況は「国境の安全にとって危機であるばかりでなく、人道上の危機でもあり、国家安全保障の核心的利益を侵害しており、緊急事態を構成している」[9]

トランプ大統領はこのように緊急事態を認定した後に、緊急事態において発動可能となる二つの権限の行使を宣言する。一つは合衆国法典第1012302条に定める予備役を動員する権限[10]であり、もう一つは第102808条の定める軍事施設の建設を命じる権限[11]である。2808条は緊急事態に際して、「国防長官は他の法律の条項を参照することなしに、軍事施設の建設に着手してもよい」とするとともに、予算については既存の軍事予算の中から用いることができるとする。すなわち、壁建設を用途としない国防総省予算の流用が可能となる。

トランプ大統領が緊急事態を宣言して発動した権限は、緊急事態法制全体からすると小さなものであったと言える。それゆえ、今回の緊急事態宣言の特徴は、発動した権限の広範さにあるのではなく、議会との関係性にある。アメリカにおいて予算の決定は議会の専権事項であり、大統領は法案の形で送付される予算案に署名をすることしかできない。予算流用についても制限がかけられている。そのような中で、緊急事態を宣言することによって、軍事施設建設を用途とする予算を、議会が意図していない壁建設に流用することが可能になった。

トランプ政権は20192月の資料では総額で81億ドルを壁の建設に充てられるとしているが、緊急事態によって可能となる予算流用が賄うのは、そのうちの36億ドルである。2019年初頭の35日にわたる政府閉鎖の後、議会はトランプ大統領による壁建設予算の一部を認めており、これが13.7億ドルになる。残りの31億ドルについて、トランプ政権は緊急事態宣言とは無関係の、通常の法律の二つの規定の運用によって捻出しようとしている。まず、合衆国憲法第10284条の規定であり、これは他の省庁からの依頼があった場合に、麻薬密売ルートを遮断するためのフェンスと電灯設備の建設を米軍に認める規定で、これには麻薬対策予算の25億ドルが流用可能である。次に第319705条であり、これは財務省没収基金(Treasury Forfeiture Fund)からの6億ドルの供出である。これらはいずれも緊急事態を宣言することなく運用可能な資金である[12] 

トランプ大統領の緊急事態の宣言はどこが新しいのか

壁を建設するための予算流用を目的としたトランプによる緊急事態の宣言は、これまでの大統領による緊急事態の宣言とどのような違いがあるのだろうか。国境の壁を軍事施設だと見なせば、2001年から2013年にかけてトランプ大統領が行使したのと同様の権限によって18の建設プロジェクトが実行されている[13]。トランプ大統領は南部国境の状況を緊急事態だと認定することで緊急事態の敷居をさげたのではないかとも考えられるが、バラク・オバマ大統領は新型インフルエンザの大規模感染に対して緊急事態を宣言している[14]

トランプ大統領による緊急事態宣言は、やはり議会に認められなかった予算を無理矢理に捻出しようとしているところに特徴がある。選挙キャンペーン中から訴えていた壁の建設は、2018年中間選挙前の共和党が両院の多数派を占める議会によっても、下院多数派を民主党が奪還した議会にも十分には認められなかった。1976年国家緊急事態法が制定されてからこれまで、どの大統領も、議会が否決した特定の政策の資金捻出のために、緊急事態を宣言したことはなかったのであり、この点でトランプ大統領は従来の大統領の先例から一歩を踏み出したと言える。 

対抗する議会

トランプ大統領による緊急事態宣言に対して、民主党が多数を占める下院はすぐに反応し、226日に245182の賛成多数で国家緊急事態の定める合同決議を可決した[15]。賛成に回った共和党議員は13名だった。314日には共和党が多数を占める上院でも票決が行われ、5941の賛成多数で合同決議が可決された。上院では47名全ての民主党議員に加え、53名中12名の共和党議員が賛成に回った[16]

反対に回った上院議員たちが問題視したのは、やはり予算編成権限であった。合衆国憲法が議会に与えている権限を、大統領が緊急事態宣言によって簒奪しているという声が多く聞かれた。例えば、テネシー州選出共和党議員のラマー・アレグザンダーは、「これまで、議会が大統領の要求した予算を認めなかった場合に、大統領が緊急事態宣言によって資金を捻出しようとしたことはなかった」のであり、「大統領を議会が抑制するというのは、我々の自由にとって決定的に重要である」と述べている[17]

両院合同決議に対して大統領は拒否権の行使が可能であり、315日、トランプ大統領は政権就任から初めて拒否権を行使した。議会が大統領の拒否権を覆すためには両院で3分の2以上の票が必要だが、先の両院合同決議の票数からすると届きそうにない。国家緊急事態法は、議会に6ヶ月毎に緊急事態宣言を終了させるべきかの投票を行うように義務づけているため、今後も同様の投票と拒否権の行使が繰り返されるかもしれない。チャック・シューマー民主党上院院内総務は次の投票に向けて息巻いている[18] 

今後の行方

今後もトランプ大統領の緊急事態宣言に対し、議会がブレーキをかけることが予想される。他方で裁判所も重要な役割を果たしうる。

トランプ大統領による緊急事態宣言と壁建設プロジェクトに対しては、既にいくつかの訴訟が起こされている。カリフォルニア州のハビア・ベセラ州司法長官を中心とした16州による訴訟、国境地帯の土地所有者を原告とする差止訴訟などである。トランプ大統領は、緊急事態を宣言するというスピーチの中で、訴訟の可能性にも言及し、下級審では負けるだろうが最高裁では勝つだろうと自信をのぞかせている[19]。今後は、裁判所の判断も壁建設の進展に大きな影響を及ぼすことになるだろう。

 

 


[1] “national emergency”は、日本のメディアでは「国家非常事態」と訳されることが多いが、例えば“national emergency”において用いられる国家の権限は「国家緊急権」と呼ばれる。そこで本稿では「緊急事態」の語を用いる。

[2] 既存の法律でも緊急事態に対応できない場合には、大統領は憲法典に列挙されている明示的な権限を行使するため、ならびに憲法典に認められている職務を遂行するための黙示的権限があるのだと主張し、行動してきた。“National Emergency Powers,” CRS Report, 98-505, (2019). p.4参照 <https://fas.org/sgp/crs/natsec/98-505.pdf>.

[3] Ibid, 4;なお、「制限的非常事態」という概念も、フランクリン・D・ローズヴェルト政権に用いられている。奥広啓太「1941年兵役延長法の再検討 : 「非常時」における大統領権限に注目して」『アメリカ太平洋研究』7巻(2007年)、pp.109-126。p.117参照

[4] Bruce Ackerman, “The Emergency Constitution,” Faculty Scholarship Series. Paper 121 (2004), pp.1029-1091. p.1078参照

[5] Ibid., p.1080参照

[6] 議会拒否権については、梅川健『大統領が変えるアメリカの三権分立制』、第三章を参照。

[7] Brennan Center for Justice, “A Guide to Emergency Powers and Their Use,” (2019). <https://www.brennancenter.org/sites/default/files/legislation/Emergency%20Powers_Printv2.pdf>.

[8]7の資料では、緊急事態における大統領権限を定める123の全ての法律についてリスト化されている。

[9] Donald Trump, “Proclamation 9844 of February 15, 2019: Declaring a National Emergency Concerning the Southern Border of the United States,” Federal Register, February 20, 2019, Vol. 84, No. 34. p.4949参照

[10] 10 U.S.C. §12302.

[11] 10 U.S.C. §2808.

[12] White House, “The Funds Available to Address the National Emergency at Our Border,” February 26, 2019, <https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/funds-available-address-national-emergency-border/>.

[13] Ibid.

[14] オバマ大統領による緊急事態宣言は、患者の権利やプライヴァシーを守る連邦法の規定を一時的に適用除外にするために必要だったとされる。Jackie Calmes and Donald G. McNeil, "H1N1 Widespread in 46 States as Vaccines Lag," The New York Times, October 24, 2009.

[15] Emily Cochrane, “House Votes to Block Trump’s National Emergency Declaration About the Border,” The New York Times, February 26, 2019.

[16] Emily Cochrane and Glenn Thrush, “Senate Rejects Trump’s Border Emergency Declaration, Setting Up First Veto,” The New York Times, March 14, 2019.

[17] Ibid.

[18] Ibid.

[19] David A. Graham, “Trump’s Bizarre, Rambling Announcement of a National Emergency,” The Atlantic, February 15, 2019. <https://www.theatlantic.com/politics/archive/2019/02/trump-emergency-declaration/582904/>.

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