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Brexitカウントダウン(16)「合意なき離脱」の実像

鶴岡路人
主任研究員

ジョンソン(Boris Johnson)が2019年7月に英首相に就任したことを受け、Brexitは「合意なき離脱」に突き進む懸念が高まっている。保守党党首選においてジョンソンは、EUからの離脱は「やるか死ぬか(do or die)」だと述べ、EUとの合意の有無にかかわらず同年10月31日に離脱すると主張していた。首相就任後もこの方針を維持している。

そこで今回は、「合意なき離脱」に至った場合にどのような問題が発生するのかを中心に検証したい。もっとも、実際に「合意なき離脱」になるかは、率直にいってまだ分からない。さまざまな可能性が存在するからであり、ここではその予測を試みるよりは、問題となっている「合意なき離脱」自体の実像に迫ることを目指したい。 

「時間切れ」になるのか

まずはEUとの交渉に臨むジョンソン政権の方針を確認する必要があるが、これがほとんど不可能である。というのも、具体的な方針がほとんど示されていないからである。ジョンソン自身は、北アイルランド国境に関する安全策(バックストップ)を「非民主的(undemocratic)」と批判し、これを離脱協定から排除することがEUとの交渉開始の条件だと主張している。しかしEU側は離脱協定本体の再交渉を繰り返し否定している(ここまでの経緯については、「Brexitカウントダウン(11)首相交代で変わること・変わらないこと」2019年6月12日、および「Brexitカウントダウン(15)ジョンソン政権の多難な船出」2019年7月24日などを参照)。

ジョンソン政権発足後、EU・英国間ではさまざまな接触が行われているものの、例えば安全策にしても、ジョンソン政権はそれに原則論で反対するばかりで、具体的な提案はしていない。対案が(まだ)ないのである。この状況では、たとえ離脱協定の再交渉にEUが応じたとしても、まともな交渉になりようがない。

EUにとっては、現実を理解してない新政権が過去に否定された問題を持ち出しているような状況だが、英国内では、EU側が頑固すぎるとの批判が根強い。いずれにしても、交渉の前提条件の時点で相容れないために、双方が「先方には交渉の意思がない」という不満を募らせている構図である。まさにチキン・ゲームである。

英国もEUも「合意なき離脱」を避けたいという基本方針では一致している。しかし、両者の交渉が進展せず、離脱協定が英国議会で承認されない状況が続く以上、10月31日には「合意なき離脱」になってしまう。英国がこれに向かって突き進むのであれば、EUがそれを阻止することはできない。期日までに新たな合意の妥結と承認が時間的に不可能だとすれば、「合意なき離脱」を回避する唯一の方法は離脱期日の延期である。しかし、現行の期日を延ばすためには英国からの要請が不可欠であり、それをEU側が承認するとの手続きになる。EU側が離脱期日を勝手に延期することはできない[i]。ジョンソン政権が延期を求めない限り、延期はなされない。そのため、「合意なき離脱」に備えた準備をする以外にないというのが、EUの置かれた状況である。

他方で、英国内にも「合意なき離脱」を阻止する方法を模索する動きがある。野党労働党や自由民主党などは、夏休みが終わり9月に議会が再開され次第、内閣不信任案を提出する構えである。閣外協力の民主統一党(DUP)を含めた与党の下院での議席は、補欠選挙での敗北もあり、2019年8月の時点で野党を1議席上回るのみであり、保守党からの造反が出れば不信任案が可決される可能性が十分にある。

しかし、仮に不信任案が可決されたとしても、英国には、首相がすぐに辞任しなければならないとの法的規定は存在していない。慣習上は早期に辞任することが想定されるが、それに逆らって辞任を先延ばしし、総選挙を遅らせることも可能だと理解されている。その場合、そうした政治的膠着状態が続くなかで、10月31日の期限を迎えてしまうことがあり得る。そうした場合に「合意なき離脱」を阻止することは極めて困難であり、これが時間との闘いである所以であろう。「合意なき離脱」を支持する勢力は、まさに「時間切れ」を狙うのである。しかし、そこまでしてなし遂げる「合意なき離脱」は決して明るい未来ではない。 

「合意なき離脱」で何が起こるのか

「合意なき離脱」とは、端的にいえば、EU加盟国としての英国の地位が一夜にして完全に失われることであり、EU加盟に基づいて適用されてきた制度や枠組みが消滅することを意味する。関税や数量制限などが一切ない域内貿易も終了する。

これらの変化を和らげるために離脱協定に盛り込まれたのが、当初2020年末までとされた「移行期間(transition period)」だった。この期間は、加盟国としての投票権は失うものの、「ほぼEU加盟国」という状態が続き、この間にFTA(自由貿易協定)を含む、EUと英国との将来の関係に関する交渉を進める他、北アイルランド国境問題の解決を模索することが想定されていた。バックストップが実際に適用されるのを回避するためにも、移行期間は不可欠だった。

10月31日の英国時間23時(ブリュッセル時間11月1日の午前0時)を過ぎれば国境での通関手続きなどで物流は大混乱し、英国側では医薬品や生鮮食料品などの不足が懸念されている他、欧州全域にわたるサプライチェーンに依存している英国内の製造業では、工場の一時的な操業停止なども予想される。国境での混乱に関連しての不測の事態に対処するために、軍も待機態勢に入る計画である。政府は、医薬品や食料品を当面の分、買いだめておくようにとの勧告を行なっている。もっとも、前例のないことであり、実際にどのような混乱がどの程度発生するかは予測の域を出ない。

英国政府は、メイ(Theresa May)政権の時代から、「合意なき離脱」に備えた対処計画を分野ごとに策定してきた[ii]。しかし、それらはいずれも「合意なき離脱」による混乱や影響を回避するためのものではなく、混乱や影響の発生を想定したうえで、いかに対処するかというものだった。混乱や影響を予め防ぐことは不可能だと考えられてきたのだろう。大企業は多額の資金を投入して「合意なき離脱」への備えを進めているものの、そのような余力のない中小企業では対策が遅れている。そのため、政府の経済対策では、大きな影響を受ける中小企業への支援が喫緊の課題となる。加えて、「合意なき離脱」への対応のために、各省庁からはスタッフが大量動員されることになり、これによって、Brexit関連以外の業務が深刻な影響を受けるという問題も指摘されている[iii]

EUとの貿易を含め、国際貿易に関しては、「合意なき離脱」に備えての合意(貿易継続協定)の成立したイスラエルやスイス、ノルウェーなど一部諸国との関係を除き、全てWTO(世界貿易機関)に沿ったものとなる[iv]。そのため、「合意なき離脱」の否定的印象を避けたい一部の強硬離脱派は、「WTO条件(WTO terms)」での離脱と呼ぶ。EU市場ではEUの対外共通関税の対象となる他、これまでEUを通じてFTAの関係にあった日本などとの諸国との関係においても、WTO条件にいわば「逆戻り」することになる。なお、離脱協定に基づき移行期間に入る場合は、EUの締結したFTAは移行期間終了まで、英国にもEU加盟国に準じて適用され続ける想定だった。 

「合意なき離脱」の後で

「合意なき離脱」に関しては、直後に予想される混乱に加えて、GDP(国内総生産)成長率などマクロ経済への中・長期的影響が議論されることが多い。2024年までで300億ポンド(約4兆円)の債務拡大や、2021年末までで3.5%分のGDPの損失、中長期的な予測として数パーセントから15%以上の減少という見通しが、政府や各種研究機関によって示されている。具体的数値には大きな相違があるが、EU離脱、なかでも特に「合意なき離脱」は、英国経済にとって無視できない打撃になるとの評価がほとんどである。

しかし2016年の国民投票前にも、離脱の経済的コストはさまざまに示されていた。それでも過半数が離脱に投票したのであり、結局のところ、多くの国民の判断は、経済的利害に基づくものではなかった側面が強い。今回も、「何があろうとも(come what may)」10月31日に離脱するというジョンソンの言葉に示されるように、経済的損失の大きさに照らしての判断が目指されているのではない。各種の経済予測は、政治的議論の前に無力である。

さらにいえば、経済ショックのみであれば、よほどのことがない限りいずれ吸収可能である。「合意なき離脱」に至った場合に、直後の混乱や経済的損失よりも厄介なのは、将来のEUとの関係構築がさらに困難にならざるを得ないことである。というのも、「合意なき離脱」は、EU離脱プロセスの終着点では全くない。離脱後も、EUが英国にとって地理的にも経済的にも政治外交的にも最も緊密なパートナーである現実は変わらず、「喧嘩別れ」のままにするわけにはいかないのである。

新たな関係構築の交渉は全てこれからであり、しかもEUとのFTA締結は、強硬離脱派にとっても欠かせない目標である。経済規模からいっても、EU・英国FTAをより必要とするのはEUよりも英国側であろう。つまり、英国が「求める側(demandeur)」にならざるを得ず、有利な立場は望めない。EU側は、「合意なき離脱」後にFTA交渉を開始するにあたっては、EU市民の権利保護、390億ユーロ(約5兆円)といわれる離脱精算金の支払い、そして自由な北アイルランド国境の保証が必要であるとの考えをすでに示している。これらは、英国議会が繰り返し否決した離脱協定の中身そのものである(「Brexitカウントダウン(6)『主権を取り戻す』とは何だったのか」2019年4月5日を参照)。「合意なき離脱」では、結局何も解決せず、拒否したはずの離脱協定からも逃げられないのである。

さらに、英国の地位が「加盟国」から「第三国」に変化することで、EUとの協定交渉と批准手続きにも大きな変化が生じる。現行の離脱プロセスは、リスボン条約第50条に基づき進められており、これに基づく離脱協定は、加盟国の特定多数決で承認され、あとは欧州議会の批准のみで発効する。各国議会の批准は必要とされない。離脱をスムースに進めることが主旨だからである。

それに対して、第三国との協定にあたっては、欧州委員会の提案を受けての新たな交渉権限の付与が必要であり、EUの排他的権能を超える部分を含む協定は「混合協定(mixed agreement)」として、発効には全加盟国(しかも国によっては地方政府を含む)議会での批准が必要となる。この手続き規定しているのは、EU機能条約第218条である。

離脱協定に基づく離脱だったとしても、その後に締結されるEU・英国FTAはEUと第三国との協定になるわけだが、本来第50条に基づく離脱協定で処理されるはずだった内容まで通常の協定にまわされる場合、プロセスが煩雑化することに加え、各加盟国が、個別の問題を持ち出すなどの横槍を入れる機会が増すことになる。そしてこれらは全て、移行期間が設定されないなかでの交渉になるのであり、英国にとっての利点は皆無である。

「合意なき離脱」で追い込まれる英国

端的にいって英国は、加盟国であったときよりも弱い立場でそれらの交渉に臨まざるを得ない。これは第一義的にはEUに対する立場ということだが、そうした英国の「切羽詰まった(desperate)」状況は他国も観察しており、通商交渉で英国からより有利な条件を勝ち取る機会を虎視眈々と狙っているのである。米国、豪州、日本しかりである。この観点でも、「合意なき離脱」は英国にとって何とも無防備な選択なのである。

繰り返しになるが、ジョンソン政権が「合意なき離脱」を選ぶとすれば、それは経済的な損得勘定ではなく、「何があろうとも」離脱を成し遂げるのだという政治的決意によるものである。ジョンソン政権においてそこで比較考量されるのは、英国議会で繰り返し否決された離脱協定に基づく離脱ではなく、離脱のさらなる延期や離脱撤回となった際の「国内」政治的コストなのだろう。結局のところ、事の本質はEUとの対立ではなく、英国内の闘争という他ない。

 


[i] 離脱手続きを定めたEUのリスボン条約第50条は、離脱期日の延期について、「当該加盟国[離脱国]との合意のもと、欧州理事会で全会一致で決定」すると述べているのみだが、離脱国からの要請に基づき他の加盟国が承認するものと理解されており、実際、2019年3月および4月にはそのような手順で延期の決定がなされた。

[ii] 英政府による各種文書は、下記URLで閲覧可能。https://www.gov.uk/government/brexit (last accessed 7 August 2019).

[iii] これらの点については、例えば、Joe Owen, Maddy Thimont Jack and Jill Rutter, “Preparing Brexit: No Deal,” IfG Insight, Institute for Government, 29 July 2019, https://www.instituteforgovernment.org.uk/publications/preparing-brexit-no-deal (last accessed 7 August 2019)が参考になる。

[iv] 暫定的合意が成立した諸国のリストは、下記を参照。これら諸国との間ではEUとの間で発効していたFTAなどがほぼ同条件で英国にも適用されることになる。 https://www.gov.uk/guidance/signed-uk-trade-agreements-transitioned-from-the-eu#signed-trade-agreements (last accessed 7 August 2019). 日本との同種の交渉は頓挫し、相互承認協定のみが目指されているようである。

 

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鶴岡路人

鶴岡 路人

  • 主任研究員

研究分野・主な関心領域

  • 欧州政治
  • 国際安全保障
  • 米欧関係
  • 日欧関係

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