鶴岡路人
主任研究員
英国のメイ首相は、2019年6月7日、与党保守党の党首を辞任した。これにより後継の党首を選ぶ党首選が開始され、6月10日の立候補締め切りまでに10名が立候補を届け出た。各種調査で先頭を走るのはジョンソン前外相、それを、ハント外相、ゴーヴ環境相、ジャヴィド内相、ラーブ前EU離脱相、ハンコック保健相などが追う展開とされる。
今後、まず6月13日に国会議員(下院議員)による第1回投票があり、そこで17票(候補者自身の1票を含む)を獲得できなかった候補が脱落する。
6月18日からさらなる投票が行われ、第2回投票では33票(同)に満たない候補が脱落する。これでも3名以上残る場合は6月20日までの間に、上位2名が決まるまで、最下位が脱落する投票を続ける。その後、保守党党員約12万人による郵便投票が実施され、7月22日の週に当選者が発表される予定になっている。その後、首相に指名される段取りだが、保守党単独では過半数の議席を有していないため、従来通りのDUP(民主統一党:北アイルランドの地域政党)による閣外協力が必要になり、この調整に時間がかかる可能性もある。
メイ首相の辞任は、EU離脱を実現できなかったことによる引責であり、保守党の立場としては、離脱を実現することが後継首相に託された最大の任務となる。しかし、メイ首相にできなかったことが次期首相には可能であると信じる根拠はあるのだろうか。そこで今回は、Brexitに関して首相交代によって変わること・変わらないことを改めて整理することで、新たな首相が誰になったとしても直面する新政権の課題を展望することにしたい。
変わること
新首相の誕生、新政権の発足により、第1に雰囲気が変わる。政治が生き物であり、パーセプションが重要である以上、このことを過小評価してはならない。特に保守党員の投票により選ばれる党首の正当性は高く、保守党支持層の間では一定の盛り上がり効果がある。加えて、議員の間での士気と規律が上昇する効果も無視できない。というのも、メイ政権の末期は、閣僚・閣外相などの辞任が相次いだ他、閣議での議論内容のメディアへのリークも日常茶飯事だった。士気は下がり、規律が緩んでいたのである。ほとんど「学級崩壊」状態だったといわれる。議会の採決における造反へのハードルも、かつてこれほど下がったことはなかっただろう。こうした状態を解消することは、首相交代に期待される大きな役割の1つである。
同じ文脈で、リーダーシップのスタイルの変化を付け加えることも可能だろう。メイ首相は、有能な政治家ではあったものの、リーダーとしての調整や閣僚を含む自らの党の議員をまとめる力に欠けていたことが致命的だった。根回しや情に訴える部分が弱かったのだろう。政策が重視されるといわれる英国政治ではあるが、やはり人間関係も重要なのである。新首相にはそうした資質も期待される。
第2に、サブスタンスとしてより重要なことに、EUに対するアプローチが変化すると見込まれる。誰が党首・首相に選ばれるかにより程度は異なるが、全ての候補がEUとの離脱協定の再交渉に言及している。後述のとおり、EU側がこれに応じる可能性は低いものの、とりあえずの国内向けのポーズとしては、不可避な方針であろう。というのも、メイ政権の交渉した離脱協定は3度にわたり議会で否決されており、これをそのまま引き継いだのでは、状況を変える見通しを立てることができない。
それに関連して、第3に、「合意なき離脱」を辞さないとの姿勢が強調されるケースが増えるだろう。後継の最有力候補とされるジョンソン前外相を筆頭に、合意(EUとの離脱協定)にもとづく離脱が望ましいとしながらも、必要とあれば「合意なき離脱」の覚悟がなければいけないと訴えている。それがEUに対する圧力にもなるとの主張は、新首相の基本的方針になる可能性が高い。ただし、これについては、ジョンソンやラーブらの強硬離脱派と、より現実的なハントやゴーヴとの間に相違があり、党首戦の大きな争点になっている。議会は「合意なき離脱」に反対する姿勢を示しているが、そうした議会の意思を無視して政府が「合意なき離脱」に突き進むことが可能なのか。これを強行した場合には、憲政上の危機になるとの懸念も提起されており、深刻な局面を迎える。
変わらないこと
そうした変化が予想されつつも、やはり変わらないことも多い。その第1は、Brexitをめぐる構造的現実である。つまり、Brexitに関するどの選択肢も過半数の支持を得られないのである。これは議会下院のみの問題ではない。各種世論調査や2019年5月の欧州議会選挙の結果からは、国民自身が大きく割れていることが明らかである。「決められない議会」の背景には、「決められない国民」が存在するのである。欧州議会選挙では、「合意なき離脱」を求めるBrexit党と、再度の国民投票、さらには離脱撤回を求める自由民主党や緑の党がともに躍進したのである。この結果から、何らかの収斂を見出すことは不可能である。
Brexitに関しては大きく分けて以下の4つの選択肢が存在している。強硬な離脱から順に挙げれば、第1は「合意なき離脱」だが、これは経済的損害が大きすぎるために、議会においてもこれは繰り返し明確に否定されている。第2は、メイ政権の交渉した離脱協定に基づく離脱である。今後は、このカテゴリーに再交渉(の要求)が含まれることになるが、離脱協定の内容が大きく変化することは想定されない。第3は、関税同盟・単一市場への残留を柱とする、いわゆるソフト離脱である。経済的損失の多くを回避できるために、経済のロジックではこれを支持する声があり、労働党も党の方針として関税同盟を支持している。しかしこれは、EUにおいて「義務はそのままで投票権を失う」ようなものでもあり、政治的には困難が伴う。第4は、離脱撤回、すなわちEU残留である。これを支持する声は広がりつつあるともいわれるが、単独で過半数には届かない状況が続いている。
そうしたなかで、どれか1つを選択しなければならないのがBrexitの課題であり、メイ首相は志半ばで敗退したのである。残留を含め、いずれの選択肢にも長所と短所があり、議会と国民の過半数の支持を獲得する見通しは全くたっていない。この現実は首相が交代しても変わらない。英国が何も決定できない状態が続く以上、法的なデフォルト(初期設定・帰着点)が「合意なき離脱」である現実は変わらないが、それに反対するという議会の立場が不変で、EU側も離脱期日の延期を認める限りにおいて、政治的なデフォルトは、現状の膠着状態の継続である。
第2に、Brexitへの姿勢をめぐる保守党内の分裂状況も変わらない。メイ首相が対峙したのは、野党労働党以前に、身内の保守党だった。EUとの離脱協定をめぐる下院での採決にしても、二大政党制において野党が反対することは、ある意味折り込み済みだったと考えれば、メイ政権の行く手を阻んだのは、保守党の造反票だったというほかない。
造反勢力には2種類あり、北アイルランド国境に関するバックストップ(安全策)に反対し、「合意なき離脱」を求める強硬離脱派と、関税同盟や単一市場への参加を求めるソフト離脱派(および、さらには離脱撤回を求める残留派)が混在していた。前者にとっては、メイ政権の離脱協定は「ソフトすぎ」、後者にとっては「ハードすぎ」たのである。保守党内における対立は全く収束の見通しがない。これは、メイ首相が作り出した対立ではない。メイ首相はこの対立に押しつぶされたのである。新首相も全く同じ状況に立ち向かうことになる。
加えて第3に、新首相は、国民の支持という観点で危機的な状態の保守党を引き継ぐことになる。2019年5月の欧州議会選挙では、得票率が9.1%で、Brexit党、自由民主党、労働党、緑の党に次ぐ5位に沈んだ。欧州議会選挙と国政選挙とは異なるし、また、今回保守党はほとんど選挙キャンペーンを行わなかったことなどは割り引いて考える必要がある。しかし、Brexitに関する限り、これだけ党内が割れていたのでは、党として結束したキャンペーンはいずれにしても行いえなかっただろう。そうである以上、下院を解散して総選挙に持ち込むような決定は、新首相にとって極めて困難であろう。選挙を考えれば、Brexit党のファラージ党首よりも力強く明確なメッセージを出す必要がある。それが不可能なままであれば、次の総選挙は欧州議会選挙の二の舞になってしまう。
新政権へのEU側の視点
こうした状況の英国での首相交代をみるEU側の視線は、完全に冷めきっている。これ以上の混乱に巻き込まれるのは懲り懲りだということである。ただし、これは新しい状況ではなく、2019年3月と4月にそれぞれ、離脱期日延期を決定した際にはすでに顕在化していた(Brexitカウントダウン(5)、(7)を参照)。
誰が次期英首相になろうとも、EUの立場としていえることは、第1に、離脱協定本体の再交渉は行わないということである。交渉の余地があるのは、離脱協定とパッケージになっている政治宣言である。後者が再交渉可能である点については、これまでも確認されている。
第2に、それでも、新首相がいかなるスタンスでEUに接するかは、EU側の「心象」に大きく影響する。やはりお互い人間であり、政治家である以上、この点を無視すべきでもない。新首相がいかに微笑作戦をとったとしても、離脱協定本体の再交渉が実現するわけではないだろうが、「EUの側も何かで応じよう」と思わせられるか否かは、交渉の方向性を左右する可能性がある。
その観点では、ジョンソン候補が、EU離脱に伴う清算金の支払いを、EUとの将来の関係についての協定が締結されるまで延期するといった主張をしていることは、大きなマイナス材料である。実際、ジョンソン首相誕生に対するEU側の懸念は強まっている。党首選においては、EUとの対決姿勢を見せることが、英国民へのアピールにおいて有効である側面も否定できないが、これが行き過ぎた場合に、首相就任後のEUとの協議に悪影響が及びかねないとのジレンマが存在する。
いずれにしても、EU側が英国の新首相に何よりも求めるのは、国内をまとめ、EU側も合意可能な範囲内で、Brexitに関する最終的な決断を行うことである。これ以上の引き伸ばしは、EUにとってもコストが高くなる。他方で、国内(議会)で承認されない合意では意味がないことは、メイ政権の経験からEU側も学んだはずである。「ボールは英国側にあり、EUとしては英国が決断するのを待つしかない」との立場は、EUにとってはある意味で楽なものである。EUは何もする必要がないからである。しかし、「合意なき離脱」がEUにとっても避けるべきものだとすれば、そのためにEU側がどれだけ自ら身を切る用意があるかも問われる必要がある。これまで避けてきた問いかもしれないが、これ以上は逃げられないのではないか。
加えて、「合意なき離脱」の対極の可能性である離脱撤回に、EUとしていかに対処するのかの頭の準備も、本格的に進めなければならない。離脱撤回は、手続き論としては英国の一存で決められるものであり、EUの合意すら必要ないとされる。しかし、仮に英国が離脱撤回の決定をした場合、そのタイミングにもよるが、EUの次期トップ人事から、次の多年次財政枠組みや、防衛協力の推進など、英国がすでに距離を置いてきた事項に、いかに参画ないし復帰することになるのかなど、実務上の対処方法と政治的なスタンスの両面から検討しておく必要があるだろう(この困難さについては、Brexitカウントダウン(9)、(10) を参照)。
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