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【特集】2026年の課題と展望―外国人政策をめぐる議論の現在地:2025年をどう位置づけるか
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【特集】2026年の課題と展望―外国人政策をめぐる議論の現在地:2025年をどう位置づけるか

January 16, 2026

2025年は日本初の女性首相が誕生し、日本政治史の大きな転換点を迎えました。2026年の日本はどのような課題と向き合っていかなければならないのでしょうか。東京財団で昨年10月より新しい研究プロジェクトを開始した上席フェローが、各専門分野から「2026年の課題と展望」を論じます。

この記事のポイント
 ・議論の背景に受け入れ制度運用の長期的累積のひずみ
 ・1990年入管法改正から35年後の日本社会の変化
 ・感情論を超えた制度の再設計が2026年の課題                                                                                     

はじめに
1.2025年の外国人政策をめぐる主な動き
2.1990年以降の外国人受け入れの経緯
3.なぜ2025年に議論が集中したのか
4.排外的な感情が可視化した背景
5.終わりに

はじめに

2025年は、日本の外国人受け入れをめぐる議論が政治、行政、社会と複数の領域でこれまでにないほど可視化された1年となった。7月の参議院選挙では、外国人政策が主要な争点として取り上げられ、いわゆる「日本人ファースト」を掲げた政党の躍進は国内外で大きく報じられた。政府は、「外国人との秩序ある共生社会推進」を掲げ、外国人政策をめぐるさまざまな見直しを示した。特にこの1年は、従来のメディアによる報道が増えただけでなく、SNSを通じた議論の加速によって、個々の出来事への反応がこれまで以上の速度で広範に社会へ拡散される現象がみられた。

こうした2025年の変化は、突然生じたものではない。日本社会の中で長い時間をかけて蓄積されてきた小さな渦が少しずつ拡大し、重なり合いながら大きな渦へと形を変え始めているように見える。個別に見れば大小さまざまな渦にすぎないが、1990年代以降の制度運用、地域社会、政治・世論の動きといった渦が少しずつ拡大して、2025年に1つの局面として表出したと捉えることもできるだろう。

本稿ではこうした状況をめぐって、以下三点を整理する。第一に、2025年の日本で外国人政策をめぐって実際に何が起きたのかを確認する。第二に、それらの動きがなぜ同時多発的に、あたかも転換点のように受け止められているのか、その背景にある社会構造と制度運用の累積を振り返る。第三に、これらを踏まえたとき、2026年に向けて問われるべき課題とは何か、そしてどのような姿勢で議論を進める必要があるのかを考えてみたい。

1.2025年の外国人政策をめぐる主な動き

2025年は、外国人政策をめぐる制度運用の見直しや検討が、比較的短い期間に相次いで示された年であった。まず、実際に施行された措置として、外国運転免許証を日本の運転免許に切り替えるいわゆる外免切替の運用が101日から厳格化された。また在留資格「経営・管理」についても、1016日から発給要件が引き上げられた。これらはいずれも既存制度の運用を調整する措置として実施されている。

これに加えて、2025年後半には制度の見直しに関する検討が公の場で相次いで示された。8月には、法務大臣の勉強会において、外国人の受け入れ規模をどのように把握・管理するかという点が論点として取り上げられ、いわゆる総量規制の可能性についても検討が始まった。

外国人の永住許可や国籍取得をめぐる制度についても、複数の検討事項が明らかになった。政府・与党は、日本国籍取得に必要な居住期間を延長する方向で検討に入るとともに、永住許可要件に一定程度の日本語能力を追加する可能性について議論を進めている。 

また、外国人による不動産取得の実態を把握するため、不動産登記時の国籍届け出や、報告制度の見直しを含む施策が示された。さらに、2027年度から始まる「育成就労」については、受け入れ可能人数の上限案として123万人という具体的な数字が初めて提示された。これらの動きの多くは現時点では検討段階にとどまっているが、個別の制度変更や論点を並べるだけでは、なぜ2025年にこれほど多くの議論が同時に表面化したのかを十分に説明することはできない。次節では、こうした状況を理解する手がかりとして、1990年代以降、日本の外国人受け入れがどのような経緯をたどってきたのかを振り返る。

2.1990年以降の外国人受け入れの経緯

2025年に生じた一連の動きを理解するためには、日本がこの40年間でどのような経緯をたどってきたのかを簡単に振り返る必要がある。現在の状況は、単発の政策変更や偶発的な出来事だけで説明できるものではなく、1990年代以降に積み重なってきた制度運用の累積、地域社会での受け入れの進行、世論や情報環境の変化が重なった結果として位置づけることができる。

1990年に入管法改正が行われ、日本の外国人受け入れ制度は「専門的技術的分野の受け入れ」と「家族・日系人ルート」の二つを柱に拡張された。1993年には技能実習制度が始まり、人材育成を目的とする名目で、実質的には労働力需要に対応する仕組みが形成された。2000年前後にはIT分野での外国人技術者受け入れが本格化し、また2008年の「留学生30万人計画」は、教育と就労が密接に結びつく流れをさらに加速させた。これらは個別には異なる制度だが、社会の人手不足や産業構造の変化に呼応しながら制度が段階的に拡張されていった点が共通している。

2010年代には、この動きが一層明確になった。技能実習制度の監督体制が強化され、その一方で産業分野の広がりに対応する形で特定技能制度が創設された。制度の新設と運用調整が短い周期で繰り返され、政策、現場、行政の間で調整すべき領域が増えていった。受け入れ制度が拡大すれば外国人が日本に移動してくる経路も多層化し、運用の調整が必要となり、調整が行われると新たな課題が浮かび上がるという状態が繰り返されてきた。

地域社会でも同様に変化が進んでいた。人口減少が進む地方都市の製造業・介護・宿泊業など特定の産業における外国人労働力依存が高まった。一方で、都市圏と地方圏、自治体間での受け入れ体制や住民意識には差があり、全国的に同質な変化が進んだわけではない。

加えて、2010年代後半から2020年代にかけては、SNSの普及を背景に、情報環境が大きく変化した。特定の地域で起きた出来事や制度運用上の課題が瞬時に全国へ共有され、反応や評価が集積されるようになったことで、外国人をめぐる議論は速度が速く、同期しやすい環境へと移行していった。

このように、1990年から2025年までの間には、制度、地域社会、情報環境といった複数の領域で変化が蓄積してきた。次節では、これらの要因がなぜ2025年に集中的に表面化したのかを検討する。

3.なぜ2025年に議論が集中したのか

日本の外国人受け入れをめぐっては、1990年代以降、制度運用、地域社会、産業構造、世論といった複数の領域で変化が断続的に生じてきた。これらは長らく個別の現象として認識され、社会全体の方向性を左右するものとして捉えられることは少なかった。しかし2025年には、これまで別々に進行してきた要因が、同じ時間軸上で可視化され、外国人政策をめぐる議論が集中的に表面化する状況が生じている。

第一に、日本社会の基底にある人口動態と労働力構造の変化がある。少子高齢化と生産年齢人口の減少は、1990年代から一貫して続く長期的な構造変化であり、短期的な政策対応によって解消できる性質のものではない。製造業中心だった産業構造は、サービス業、ケア労働、情報関連分野へと重心を移し、地域間格差も拡大してきた。外国人労働力は、こうした構造変化の中で部分的に組み込まれてきたが、その位置づけや役割について、社会全体で十分な合意が形成されてきたとは言いがたい。

第二に、制度の拡張と社会の受容との間に生じてきた時間的なずれがある。日本の外国人受け入れ制度は、技能実習、留学、専門職、特定技能など、個別の政策課題に対応する形で段階的に拡張されてきた。在留資格の種類や移動経路は多層化した一方で、それらを支える教育機関、受け入れ企業、地域社会、行政の調整能力が同じ速度で整備されてきたわけではない。政策や制度が先行し、現場での運用や社会的理解が後追いとなる状況が積み重なり、その調整の遅れが各所で摩擦として現れてきたといえる。

第三に、情報環境の変化が、個別の事案を社会全体の問題として共有しやすくしている点も見逃せない。SNSの普及により、特定の地域や分野で生じた出来事が、短時間のうちに世界中へと伝播するようになった。その結果、従来であれば局所的な課題として処理されていた事象が、制度全体や社会の在り方と結びつけて語られることが増えている。

4.排外的な感情が可視化した背景

2025年に外国人をめぐる議論が政策論争としてだけでなく、強い感情を伴って広がった背景には、いくつかの社会的条件が重なっている。まず、異なる存在に対する防御反応は、程度の差こそあれ、あらゆる社会に内在するものである。日本社会では、異文化との共存よりも「郷に入れば郷に従え」という同調圧力が長く優位に働いてきた。これまでの外国籍住民は、同化するか、あるいは目立たない形で生活することで摩擦を最小化してきたが、近年は必ずしも同化を前提としない外国人の存在が可視化され、それがSNSを通じて広く共有されるようになった。この変化が、「なぜ同じ社会にいながら同じ振る舞いをしないのか」という違和感や反発を喚起している側面は否定できない。

そして、SNSを中心とする情報環境の変化が、感情の表出と共有を著しく容易にした点が挙げられる。匿名性の高いSNSは、個人が不満や違和感を表出するための敷居を大きく下げた。スマートフォンの普及により、日常の些細な出来事が写真や動画として共有され、「直接注意する」代わりに「ネット上で晒す」行為が常態化した結果、個々の小さな不満が蓄積され、その不満が相互に増幅される環境が形成された。また、情報収集の主軸が新聞やテレビからSNSや動画配信サービスへと移行する中で、利用者は自らの関心や感情に合致する情報に繰り返し接触し、それを「社会全体の声」と誤認しやすくなっている。

また、相対的剥奪感の拡大も要因の1つである。外国人が社会保障や制度の中で「優遇されている」とする言説が広がることで、「本来自分たちが得られるはずのものが奪われている」という感覚が生まれやすくなる。実際の制度の公平性や財政的影響とは別に、「外国人の方が得をしている」という印象が共有されることで、不満や不公平感が特定の集団へと向けられていく。外免切替制度や留学生支援をめぐる議論が象徴するように、感情的に理解しやすい比較が冷静な議論よりも先行して受け止められたといえる。

さらに、長期的な経済停滞と将来不安が続く中で、日本社会には「努力してきたにもかかわらず報われていない」という閉塞感が広がっている。一方で、都市部を中心に、豊かな消費行動を行う外国人の姿が目に入りやすくなり、それが「自分たちは我慢を強いられているのに、外から来た人は良い部分だけを享受している」という感情を刺激している。この構図は、実際の資源配分以上に、「象徴的な逆転」として受け止められやすい。

こうした感情の受け皿として機能したのが、「日本人ファースト」という分かりやすいスローガンだったと考えられる。善悪を単純化し、誰にでも理解しやすい言葉は、複雑な制度議論よりも強い訴求力を持つ。これは日本固有の現象ではなく、ドイツで不法移民の排除を主張するAfDAlternative für Deutschland:ドイツのための選択肢)などの政党への支持拡大に見られるように、経済的・社会的な不安と結びつきながら各国で観察されている現象でもある。排外的な感情が急速に増幅した背景には、単一の原因があるわけではない。異質性への防御反応、情報環境の変化、相対的剥奪感、そして長期的な閉塞感が重なり合うことで、これまで潜在化していた感情が、一気に表面化する条件が整ったと考えるべきだろう。 

5.終わりに

2025年に日本で生じた一連の動きは、偶然の出来事が重なった結果というよりも、長期にわたり蓄積されてきた制度運用と社会構造の変化が、同じ時点で可視化された局面として位置づけることができる。こうした状況をもって直ちに転換点と断定することには慎重であるべきだろう。社会の方向性は、後から振り返って初めて明確になることが多い。変化の只中にいる段階で結論を急ぐことは、かえって判断を誤らせる可能性がある。重要なのは、個々の出来事を点として評価するのではなく、それらがどのような構造的条件の下で同時に表出しているのかを、時間軸の中で捉えることである。

2026年に向けて問われるのは、外国人の受け入れを「拡大するか抑制するか」という二項対立ではない。どの制度を、どの目的のために、どの水準で運用し、誰が責任を持つのかという制度設計の問題である。感情に即応するのではなく、制度への信頼を支えるための適正な運用と説明可能性を、論点ごとに積み上げていく姿勢が求められている。

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