| ヤングリーダー奨学基金プログラムは、日本財団が1987年に将来の世界を担うリーダーの育成を目指して立ち上げ、1997年からは東京財団が運営を行っている、世界の大学の人文社会科学分野の大学院生を対象に奨学金を給付する奨学制度。日本を含む世界44か国の69大学・大学連合に各々100万米ドルの基金を寄贈し、17,000名を超える奨学生(Sylff「シルフ」フェロー)を輩出してきた。Sylffフェローは卒業後、外相や中央銀行総裁などを務めたり、学術研究、ビジネス、非営利セクターなど様々な分野の第一線で活躍している。 |
※ライプチヒ大学のSylffフェローについては「『音楽の都』で育つ民主化の指導者たち」をご覧ください。
「音楽の都」ライプチヒが、ベルリンの壁崩壊から「鉄のカーテン」壊滅、そして東西冷戦終結へ誘う市民運動の原点となったことは、あまり知られていない。ドイツ統一の引き金となった「月曜デモ」は、人々から「平和革命」と呼ばれている。
教会の平和の祈りが共産体制打倒へ
1982年から聖ニコライ教会では、毎週午後5時、「東西の軍拡競争に反対する平和の祈り」が捧げられていた。個人の自由を奪う共産主義体制下、宗教の自由だけは認められていたため、教会は唯一の「自由空間」として市民運動の拠点になっていた。
1989年9月4日、市民は「開かれた国を自由な国民とともに」とろうそくを片手にデモを行った。10月9日にはついに7万人に達し、「Wir sind das Volk!(われわれこそが国民だ)」と声をあげた。ソ連軍戦車は現れず、指揮者クルト・マズーアの呼びかけでデモは終了した。これが最大50万人に膨れ上がり、11月9日、ベルリンの壁は事実上、崩壊した。
円い角の建物にウクライナ国旗
ライプチヒ中心部に、かつて東ドイツの秘密警察(通称シュタージ)が拠点を置いた「旧国家保安省記念館」がある。建物は「円い角」を意味する「ルンデンエッケ」と呼ばれ、現在は市民団体によって公開されている。
1989年12月4日、市民たちはシュタージ支部を占拠し、機密文書の破棄を阻止して記録を守り抜いた。建物の窓には、再び力による主権侵害を試みるロシアと一線を画す意思を示すかのように、ウクライナ国旗が掲げられていた。
奇跡のライプチヒ平和革命
記念館のトビアス・ホリッツァー館長は、なぜ「平和革命」が流血に至らなかったのかという問いに「最後は奇跡だった」と答えた。ソ連でのペレストロイカ、東欧全体での体制の亀裂、そして10月9日に当局の対応能力を超える7万人の市民が平和的に集結したことが重なり、当局が引き下がったのだという。
8人に1人が密告する監視社会
シュタージは、人口約1600万人に対し、非公式協力者が200万人という、恐ろしい超密告社会を形成していた。都市部では5人に1人が監視者だった。
統一後、シュタージ文書を閲覧した市民たちは、親友や肉親が自分を密告していた事実を知り、顔を歪めた。なぜ多くの市民が密告者になったのか。それは「誰かより上にいる自分を感じられる」という秘めた支配欲をシュタージが徹底的に利用したからだといわれる。ドイツでは現在、これらの文書を公開し、民主主義を守るための歴史的教訓としている。(文責:岡部伸)
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【人材育成】「音楽の都」で育つ民主化の指導者たち——ライプチヒ大学Sylffフェロー <岡部伸の世界探訪ドイツ①>
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