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【人材育成】「遠くて近い日本」広がる日本語教育 ユーラシア遡る二民族<岡部伸の世界探訪ブルガリア⑥>
プロヴディフの学校に手作りで誕生した日本庭園「ありがとう」(岡部伸撮影、以下同)

【人材育成】「遠くて近い日本」広がる日本語教育 ユーラシア遡る二民族<岡部伸の世界探訪ブルガリア⑥>

October 14, 2026

ヤングリーダー奨学基金プログラムは、日本財団が1987年に将来の世界を担うリーダーの育成を目指して立ち上げ、1997年からは東京財団が運営を行っている、世界の大学の人文社会科学分野の大学院生を対象に奨学金を給付する奨学制度。日本を含む世界44か国の69大学・大学連合に各々100万米ドルの基金を寄贈し、17,000名を超える奨学生(Sylff「シルフ」フェロー)を輩出してきた。Sylffフェローは卒業後、外相や中央銀行総裁などを務めたり、学術研究、ビジネス、非営利セクターなど様々な分野の第一線で活躍している。

第二次世界大戦後、「ソ連共産主義の優等生」と呼ばれ、モスクワに忠実な国だったブルガリアで、社会主義時代から積み重ねられてきた日本との交流が実を結び、日本語や日本文化が深く根付いていることは、日本ではあまり知られていない。

社会主義時代、ロシア語は事実上の必修科目として全国で教えられた。それから半世紀余り。いまブルガリアでは、国家から強制されたロシア語とは対照的に、若者たちが自らの意思で日本語を選び始めている。

日本語学習者、人口比で欧州有数

第二次大戦後、社会主義体制となったブルガリアは、東側陣営にありながら日本との良好な関係を維持した。大きな転機となったのが、1970年の大阪万博だった。

来日して高度経済成長を遂げた日本の発展に強い感銘を受けた最高指導者、トドル・ジフコフ共産党書記長は、「日本に学べ」と号令をかけ、政府や経済界の有力者を相次いで来日させ、政治、経済、科学技術、文化など幅広い分野で日本との関係強化を図った。

駐日ブルガリア大使のマリエタ・アラバジエヴァ氏がアパグループ創業者の元谷外志雄氏に語ったところでは、ブルガリアは人口比でみると欧州でも日本語学習者の多い国だという。

ブルガリアの本格的な日本語教育は1968年、ソフィア大学で始まった。国際交流基金の調査などによると、現在では大学をはじめとする高等教育機関だけでなく、初等・中等教育や民間教育機関にも裾野が広がっている。2025年現在、日本語は6つの高等教育機関、11の初中等教育機関、さらに7つの民間教育機関で教えられている。

日本への関心は言葉だけではない。柔道、空手、剣道、合気道などの道場が各地にあり、「武士道」の精神を学ぼうとする活動もある。武道を愛するブルガリアの道場からは大相撲の琴欧洲、碧山も誕生した。茶道、生け花、俳句など日本の伝統文化を学ぶ人々がいる一方、若い世代にはアニメ、漫画、音楽などのポップカルチャーが日本への入口となっている。

日本は軍事力や経済力だけでは説明できない「ソフトパワー」を、遠く離れたバルカン半島で静かに蓄積してきたのである。

日本語教育が生む日本のソフトパワー

ソフィアから南東へ約150キロ。車で2時間ほどのブルガリア第2の都市プロヴディフを訪ねた。

約8000年の歴史を持つともいわれる欧州最古級の都市で、ローマ時代の円形劇場や遺跡が街中に残る。冷戦下の1972年5月には岡山市と姉妹都市となり、市内には日本との友好を象徴する桃太郎像もある。

ここで興味深い試みが始まっていた。

市内の公立初中等学校「聖クリメント・オフリドスキ」学校が2025年から日本語教育を導入したのである。1~5年生と8年生を対象に、日本語と日本文化を学ぶ選択授業を週1時限実施している。2025~26年度には約150人が学び、毎週土曜日には市内の子供たちを対象とした無料の日本語講座も開いている。

学校側が描いている将来像はさらに大胆だ。

「いずれは全児童・生徒に日本語を学ばせたい」

校庭に入って驚いた。鮮やかな赤い鳥居が立ち、その先に日本庭園が広がっている。「ありがとう」と名付けられた庭園だ。日本への感謝を込め、教師や学校関係者らが手作りで整備した。2025年4月には鷲見周久・駐ブルガリア日本大使も参加して桜が植えられ、地域住民にも開放されている。

なぜブルガリアの地方都市の公立学校が、日本語を学校の特色にしようと考えたのだろうか。

きっかけは一冊の本だった。

プロヴディフ大学のアタナス・ヴラディコフ准教授は、合気道を通じて日本に魅せられ、東京を訪問した経験を日本紀行『アリガトウ、東京―22世紀を生きる都市』(2024年)として出版した。その本を読んだ校長と学校の支援者が日本に関心を抱き、「日本語教育を学校の特色にしよう」と決断したのである。2025年に再度、訪日したヴラディコフ准教授は『千羽鶴―新幹線で旅した日本の印象』(2026年)を著すなど、ブルガリアにおける日本理解と日ブルガリア交流の促進に力を注いでいる。

日本語を担当するエレーナ・フィリポヴァ教師は東北大学に5年間留学した経験を持つ。

「日本では日本人のやさしさや勤勉さに魅了されました。将来は全校の子供たちに日本語を教えたい」

目を輝かせながら語る姿が印象的だった。日本への強い思いが伝わってきた。

「強制ロシア語」から「選ばれる日本語」

この学校の取り組みには、単なる外国語教育を超えた象徴的な意味がある。

社会主義時代のブルガリアでは、ロシア語が事実上の必修外国語として広く教えられた。国家の政治的選択によって子供たちが学ばされた言語だった。その経験もあり、現在も高齢世代を中心にロシア語を理解し、ロシアに文化的な親近感を抱く人は少なくない。

それに対して、現在広がっている日本語は、誰かに強制されたものではない。

学校が選び、教師が教えたいと願い、子供たちが興味を持って学んでいる。

「強制されたロシア語」から「憧れによって選ばれる日本語」へ―。

そこには、1989年の共産主義体制崩壊から欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)加盟へと進んだブルガリア社会の変化と同時に、日本に対する信頼や親近感が映し出されているように思えた。

学校側も日本語を単なるコミュニケーションの手段とは考えていない。日本文化を通じ、礼儀、規律、勤勉さ、他者への思いやりを子供たちに伝える教育として位置付けている。

一方で課題もある。現在、同校には日本人のネイティブ教師がおらず、日本語授業や会話練習を支援してくれる日本人を求めている。

かつて国際交流基金は1981年からブルガリアへの日本語専門家派遣を始め、2019年2月まで、日本語専門家1名と日本語指導助手1名を派遣し、ソフィア大学などの日本語教育を支えた。地方都市の初中等教育にまで芽を出した日本語教育をさらに育てるには、自然な発音や日常会話だけでなく、現在の日本社会そのものを子供たちに伝えられる人材が欠かせない。

草の根レベルでの海外での教育機会提供については、青年海外協力隊などの成功事例を踏まえて、新たな日本語教育の担い手として、シニア・ボランティアの活用も検討すべきである。退職後や定年後のシニア世代が、これまでの人生で培ってきた経験や語学力を活かしてプロヴディフの同校などでボランティアとして日本語ネイティブ教師を務める格好だ。ちなみにJICA(国際協力機構)では、シニア海外協力隊としてシニアの海外ボランティアを募集している。

日本語教育は、将来の知日家、親日家を育てる長期的な人的投資である。日本への好意が自発的に芽生えている今こそ、日本側もネイティブ教師の派遣などを通じて後押しすべきではないだろうか。

日露戦争の日本勝利を歓迎

それにしても、なぜブルガリア人はこれほど日本に好意を抱くのだろう。

その源流をたどると、日露戦争に行き着いた。フィンランドやトルコなどと同じだった。

『ブルガリア・日本交流史―バルカンのバラとサクラの巡り会い』(ヴェラ・ヴトヴァ・ステファノヴァ、エフゲニー・カンディラロフ著)によれば、1904~05年の日露戦争で日本がロシアを破ると、ブルガリアでは日本勝利を喜び、歓迎する声が上がった。

これは一見、不思議に映る。

ロシアは1877~78年の露土戦争を通じてブルガリアのオスマン帝国からの解放に大きな役割を果たした。スラブ系民族、東方正教会という宗教・文化的な結びつきも深い。それにもかかわらず、極東の小さな島国だった日本が巨大なロシア帝国を破ったことは、列強の狭間で生きてきたブルガリア人に強烈な印象を与えたのである。

日本への熱いまなざしには、単なる「異国趣味」では説明できない歴史的背景がある。

ユーラシアを遡れば見えてくる「近さ」

さらに時間を千年、二千年と巻き戻し、現在の国境を取り払ってユーラシア大陸全体を眺めると、日本とブルガリアの「遠くて近い」関係には、もう一つ興味深い視点が浮かび上がってくる。

東京からソフィアまでは約9000キロ。言葉も宗教も異なり、ユーラシア大陸の東西に遠く離れている。

しかし、ブルガリア国家の形成に重要な役割を果たした原ブルガリア人(ブルガール人)は、黒海北方から移動して7世紀後半にドナウ川を越え、681年ごろ第一次ブルガリア帝国を成立させた。その起源についてはテュルク系、イラン系など諸説があり、中央ユーラシアの遊牧騎馬民族との深い関係が指摘されている。

東海大学と同大学院に留学経験がある元JETROウィーン事務所(在ソフィア)のウラジミール・カネフ氏は、さらに大胆な見方を披露した。

「ブルガリア人と日本人は、遠い祖先をたどれば中央アジアでつながっている。だからブルガリア人は日本人に親しみを感じるのではないか」

かつては原ブルガリア人を「中央アジアのモンゴロイド系遊牧民」と説明する説もあった。しかし現在の遺伝学から、日本人と現代ブルガリア人を単純に「同じ民族的ルーツ」と結論づけることはできない。

現代ブルガリア人は遺伝的には主としてヨーロッパ系集団に位置し、原ブルガリア人もバルカンのスラブ系住民などとの長い混交を経て現在のブルガリア人を形成した。

一方、日本列島の人々も孤立して形成されたわけではない。近年のDNA研究では、縄文系の祖先に加え、北東アジアや東アジアから複数回にわたって渡来した人々が混ざり合い、現在の日本人が形成されたことが明らかになりつつある。

つまり、次のような壮大な人間移動の東西軸が浮かび上がる。

バルカン半島 ← 黒海北岸 ― 中央ユーラシア ― 東・北東アジア → 日本列島

日本人とブルガリア人が同じ民族だったということではない。むしろ重要なのは、二つの民族がともに、国境など存在しなかった時代から続くユーラシアの巨大な人口移動、文化交流、民族融合の歴史の中で形成されてきたことである。

「遠い祖先は同じ」というカネフ氏の言葉は科学的には慎重に扱わなければならない。しかし、ブルガリアと日本の間に横たわる中央ユーラシアを「隔てる空間」ではなく「人々をつないできた回廊」と見る発想には、両国の意外な近さを考えるヒントがある。

「バルカンの日本人」

そしてブルガリアで、もう一つ印象深い言葉を聞いた。

「われわれは『バルカンの日本人』です」

10世紀には欧州有数の大国となりながらビザンツ帝国に征服され、その後復興した国家も14世紀末から約500年間、オスマン帝国の支配下に置かれた。近代国家として再出発した後も列強の狭間で揺れ、第二次大戦後にはソ連の影響圏として共産主義国家に組み込まれた。

そうした歴史を持つブルガリア人から見れば、日本は同じユーラシアの周縁に位置しながら、近代に独立を守り、西欧列強に追いつき、日露戦争では大国ロシアを破り、敗戦後には再び経済大国へと復興した国だった。

あるブルガリア人は私にこう説明した。

「日本人は、ブルガリア人がなりたくてもなれなかった自分たちの姿なのです」

そこには羨望だけではなく、自分たちとどこか似たものを日本人に見いだそうとする感情があるのかもしれない。

だからこそ、日本語が学ばれ、武道が愛され、桜が植えられ、遠い日本への憧れが次の世代へと受け継がれている。

プロヴディフの学校で、日本語を口にする子供たちの姿を見ながら思った。

日本とブルガリアを結んでいるものは、政府間外交だけではない。日露戦争以来の歴史、日本の近代化への敬意、武道や文化への憧れ、そしてユーラシアを東西に往来した人々のはるかな記憶。その幾重もの糸が重なり、「遠くて近い日本」を形作っているのではないか。

かつてモスクワからロシア語を学ぶことを求められた国で、いま子供たちが自ら日本語を選んでいる。

赤い鳥居と若い桜に囲まれたプロヴディフの小さな学校は、日本が長い年月をかけて培ってきたソフトパワーが、ユーラシアの反対側で新しい世代に根を張り始めていることを静かに物語っていた。(文責:岡部伸)

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