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【人材育成】廃れる共産主義への郷愁―「空飛ぶ円盤」と消えたソ連兵 欧州統合の陰に残るロシアへの親近感<岡部伸の世界探訪ブルガリア⑤>
共産党ブズルジャ記念館 (岡部伸撮影)

【人材育成】廃れる共産主義への郷愁―「空飛ぶ円盤」と消えたソ連兵 欧州統合の陰に残るロシアへの親近感<岡部伸の世界探訪ブルガリア⑤>

October 7, 2026

ヤングリーダー奨学基金プログラムは、日本財団が1987年に将来の世界を担うリーダーの育成を目指して立ち上げ、1997年からは東京財団が運営を行っている、世界の大学の人文社会科学分野の大学院生を対象に奨学金を給付する奨学制度。日本を含む世界44か国の69大学・大学連合に各々100万米ドルの基金を寄贈し、17,000名を超える奨学生(Sylff「シルフ」フェロー)を輩出してきた。Sylffフェローは卒業後、外相や中央銀行総裁などを務めたり、学術研究、ビジネス、非営利セクターなど様々な分野の第一線で活躍している。

欧州統合が進むブルガリアで、共産主義の残滓(ざんし)は今も残っているのだろうか―。

その答えを探して、ブルガリア共産党が威信をかけてバルカン山脈の山頂に建設した旧共産党ホール「ブズルジャ記念館」とウクライナ侵攻後に撤去された首都ソフィアの「ソ連軍記念碑」を訪ねた。

欧州連合(EU)の東端、黒海西岸に位置するブルガリアは、東欧諸国の中でも歴史的にロシアへの親近感が強い国として知られる。

東方正教会やスラブ系言語という文化的なつながりに加え、1877~78年の露土戦争によって約500年に及ぶオスマン帝国の支配から解放された歴史的経緯があるからだ。

首都ソフィアの中心部、国会議事堂前には今もロシア皇帝アレクサンドル2世の騎馬像が堂々と立つ。「解放者」として顕彰するために建立されたものだ。

第二次世界大戦後、ブルガリアはソ連圏に組み込まれた。隣国ルーマニアや旧ユーゴスラビアがモスクワから一定の距離を置く「自主路線」を模索したのに対し、ブルガリアは「ソ連の最も忠実な同盟国」と呼ばれるほど緊密な関係を築いた。

しかし1989年、長期独裁体制を築いたトドル・ジフコフが失脚し、共産主義体制は崩壊した。その後のブルガリアは明確に西側へ舵を切る。2004年に北大西洋条約機構(NATO)、2007年にEUへ加盟し、2026年1月には単一通貨ユーロを導入した。欧州統合という点では、ブルガリアは旧ソ連圏から西欧世界へ大きく軸足を移したといえる。

それでも、人々の意識から半世紀近く続いた共産主義とロシアへの親近感が簡単に消えるわけではない。

「古い世代には社会主義時代の親露が残る」

「ロシアのウクライナ侵攻によって、ブルガリアでもロシア離れが広がった」

東海大学と同大学院への留学経験があり、元JETROウィーン事務所(在ソフィア)のウラジミール・カネフ氏はこう認めた。

しかし、続けてこう語った。

「基本的には欧州志向だが、シニア世代には社会主義時代からの親露感情が残っている」

EU加盟によって経済や生活環境が改善したことを評価する一方、「独仏など西欧の大国やブリュッセルのEU官僚に自分たちが動かされることへの不満もある」という。

さらに長引くウクライナ戦争とエネルギー価格の高騰を背景に、「対露制裁を緩和して、安価なロシア産エネルギーを確保した方がいい」という声も聞かれると指摘した。

2026年5月に首相に就任したルメン・ラデフ氏は、かねてウクライナへの軍事支援に慎重な姿勢を示してきた。

ブルガリアは国家としては西側に入った。しかし国民の心まで一様に「脱ロシア」したわけではない。その複雑な感情を象徴する場所を、この目で見たいと思った。

山頂に現れた「空飛ぶ円盤」

首都ソフィアから車を走らせること約3時間。ブルガリアを東西に貫くバルカン山脈の麓を進み、高速道路から一般道へ入る。次第に人家が少なくなり、山道を登っていくと、はるか前方の稜線に奇妙な物体が見えてきた。

巨大な円盤である。

その横には、天に向かって伸びる高さ約70メートルの塔。その上部には巨大な赤い星が残っている。

旧ブルガリア共産党ホール「ブズルジャ記念館」だ。

近づくにつれ、その異様な威容に圧倒された。緑に覆われた穏やかなバルカン山脈の山頂に、巨大なコンクリート製の「空飛ぶ円盤」が鎮座している。自然の風景とあまりにも対照的だった。

なぜ共産党は、これほど辺鄙な山頂に巨大建築を造ったのだろうか。

ブズルジャ峰はブルガリア近現代史にとって特別な意味を持つ。周辺はオスマン帝国からの解放をめぐる戦いの記憶と結びつき、1891年にはディミタル・ブラゴエフらがここに集まり、後のブルガリア共産党につながる社会主義政党を結成した。第二次世界大戦中には共産党系パルチザンの戦闘の舞台にもなった。

つまり民族解放、社会主義運動、反ファシズムという共産党が自らの正統性を訴えるために必要な「歴史」が、この山には重なっていたのである。

1974年に工事が始まり、7年以上の歳月をかけて1981年8月に完成した。建設には6,000人以上が携わったとされる。ブルガリア社会主義運動発祥の地に、共産党の権力と「永遠」を示す巨大な神殿を築いたのである。

わずか8年で廃墟となった「共産主義の聖地」

円盤状の本館内部には、マルクス、エンゲルス、レーニンをはじめ、ブルガリア共産党の歴史を描いた壮大なモザイクが飾られていた。天井には巨大な「鎌と槌」。壁には「万国の労働者よ、団結せよ!」のスローガンが掲げられ、労働者や農民、社会主義国家建設に参加する人々が英雄的に描かれていた。

共産主義時代、ここには全国から党員や労働者が集まった。成績優秀な児童や学生も訪れた祝祭が行われた。1981年から89年までのわずか8年間で200万人以上が訪れたという。国家が国民に共産主義の成功を見せる、いわば「共産主義の聖地」だった。

ところが、その「永遠」は8年で終わった。

1989年、東欧革命の波の中でジフコフ政権が崩壊すると、記念館は急速に役割を失った。管理する人もいなくなり、銅板をはじめとする金属資材は盗まれ、風雪による劣化が進んだ。現在は安全上、内部への立ち入りが禁止され、保存を目指す取り組みも進められている。

山頂に車を止め、正面から見上げた。

コンクリートはむき出しになり、かつて体制の力を誇示した巨大建築は、風の吹き抜ける山頂に取り残されている。

それでも赤い星を掲げた塔は立ち続けていた。

かつて「永遠」であるはずだった体制が崩壊し、その権力を誇示した建物だけが巨大な抜け殻となって残った。その姿ほど共産主義の栄光と挫折を雄弁に物語るものはない。

親露心理の「聖地」か独裁の「負の遺産」か

しかし、ブズルジャを単なる「共産主義の墓標」と片付けることもできない。

社会主義時代を実際に生きた高齢世代の一部には、「仕事が保障され、病院や年金など社会保障が安定していた」「将来への不安が今より少なかった」と当時を懐かしむ感情が残っている。

彼らにとってブズルジャは、若かった自分たちの記憶と重なる場所でもある。共産主義そのものへの支持というより、失われた「安定した時代」への郷愁がロシアへの親近感とも重なっているのだろう。

一方、1989年以降に生まれた若い世代は共産主義を実体験していない。彼らにとってロシアは「解放者」というより、ウクライナに侵攻した現在のロシアとして映る。

その世代間の断層を、さらに鮮明に示した場所が首都ソフィアにあった。

ウクライナ侵攻で姿を消した「解放者」

ソフィア中心部の公園「クニャジェスカ庭園」を訪れた。ここにはかつて巨大な「ソ連軍記念碑」がそびえていた。

1954年に建立され、第二次世界大戦末期の1944年にブルガリアへ進駐したソ連軍を「解放者」として称えるモニュメントだった。頂部には銃を掲げたソ連兵、その左右にはブルガリア人の男女像が配置されていた。

しかし、私が訪れた時、そのソ連兵の姿はなかった。

2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を受け、記念碑をめぐる論争が一気に激化した。ソフィア市議会は2023年3月に撤去・移設方針を決め、同年12月からソフィア州知事が解体に踏み切り、頂部のソ連兵士らのブロンズ像は撤去された。2026年現在も記念碑周辺はフェンスで囲われ、撤去された像などが保管されている。

長年、ブルガリア社会ではソ連軍をナチズムからの「解放者」と見る人々と、ソ連による支配と共産主義独裁をもたらした存在と見る人々が対立してきた。

その論争を決定的に動かしたのがウクライナ侵攻だった。

かつて「解放者」として首都中心部を見下ろしていたソ連兵が、ロシアの隣国侵攻を契機に台座から降ろされた。その光景は、ブルガリア社会で進む「脱ロシア」を象徴しているように思えた。

廃れていく共産主義への郷愁

ソフィア大学准教授で、日本研究者でもあるエフゲニー・カンディラロフ博士(ソフィア大学2003年Sylffフェロー)はこう語った。

「ブルガリアはロシアの影響力から離れようとしている。ソ連軍記念碑の撤去がそれを示している。若い世代は共産主義を知らないため、郷愁もない。世代交代が進むにつれて欧州への統合はさらに進むだろう」

バルカン山脈では、共産党が「永遠」を誇示するために造った巨大なブズルジャが廃墟となり、首都ソフィアでは「解放者」として讃えられたソ連兵が台座から姿を消した。

その一方で、高齢世代の心の中には、社会主義時代への郷愁とロシアへの親近感がなお残っている。

2004年のNATO加盟、2007年のEU加盟、そして2026年のユーロ導入―。国家としてのブルガリアが歩んできた方向は明確に「欧州」である。

だが、歴史は制度を変えただけでは消えない。

「空飛ぶ円盤」のようなブズルジャの廃墟とソ連兵を失ったソフィアの台座。その二つを歩いて感じたのは、ブルガリアがいま、ロシアと共産主義に結び付いた20世紀の記憶を少しずつ過去へ送りながら、新しい欧州国家として自らを位置づけ直しているということだった。

共産主義への郷愁も、ロシアへの親近感も、まだ消えてはいない。しかし、それを支える世代は確実に老いている。

ブルガリアの欧州統合とは、制度や通貨を欧州に合わせるだけではない。「解放者ロシア」と「共産主義」という長く国民を覆ってきた歴史の記憶と、どのように折り合いをつけるのか。その静かな世代交代の過程でもある。

バルカン山脈の山頂に残された赤い星と、ソフィアから姿を消したソ連兵は、その大きな転換を何より雄弁に物語っていた。(文責:岡部伸)

▼<岡部伸の世界探訪ブルガリア①、②、③、④>はこちら
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