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【特集】東日本大震災から15年―増加する外国人住民と分断を防ぐ災害対策へ
March 25, 2026
2011年3月11日に発生した東日本大震災から15年が経ちました。頻発する自然災害や加速する人口減少など、新しい課題が次々と押し寄せる中で、私たちは震災の経験から何を学び、これからの社会づくりにどう活かしていくべきなのでしょうか。当時の記憶が風化しつつある今だからこそ、当財団に集う幅広い分野の研究者の知見を通して、震災の教訓と15年間の変化を多角的に見つめ直します。
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この記事のポイント |
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1.はじめに―2011年と2026年で何が変わったのか |
1.はじめに―2011年と2026年で何が変わったのか
東日本大震災から15年が経過した。この間、日本では防災体制の見直しが進み、避難所運営や情報伝達、自治体間連携など、さまざまな改善が積み重ねられてきた。一方で、2011年当時と2026年現在では、災害対応を考える前提条件そのものが大きく変化している。
第一に、スマートフォンや生成AIを含むデジタル技術の進展によって、情報の取得・翻訳・拡散のあり方が大きく変わった。2011年当時は、テレビやラジオが災害情報の中心であり、翻訳アプリや自動翻訳も現在ほど実用的ではなかった。現在では、住民の多くがスマートフォンを持ち、翻訳機能や検索機能を日常的に使う環境が整っている。
第二に、この15年で在留外国人、とりわけ長期に日本で暮らす外国人住民が大きく増加した。在留外国人数は2011年12月の約204万人から2025年末には約413万人へと増え、外国人住民はすでに地域社会を構成する重要な一員となっている。この変化は、災害時の外国人住民への対応を「例外的な配慮」の問題として捉える発想の限界を示している。
第三に、日本社会全体としてみれば、2011年当時に比べて生活上の余裕が十分に回復したとは言いがたい。実質賃金の伸び悩みや物価上昇のなかで、日常生活に不安を抱える人も少なくない。こうした条件のもとでは、災害時の共同生活は以前にも増して摩擦を生みやすく、他者への不信や排除の感情も生じやすい。
だからこそ、防災はインフラ整備だけでなく、平時から分断を抑える社会的備えを含む必要がある。
なお、本稿では、法務省統計など制度・統計上の記述では「在留外国人」を用いる。他方、本稿が主として念頭に置くのは、旅行者や短期滞在者ではなく、日本に居住し、いずれかの在留資格のもとで地域社会に生活基盤を有する人びとであるため、本文では主として「外国人住民」という表現を用いる。
2.多言語化から情報のユニバーサルデザイン化へ
これまで外国人への対応として繰り返し重視されてきたのは、やさしい日本語や多言語対応の必要性であった。それ自体は今後も重要である。ただ、2011年当時と比べると、現在では翻訳アプリや即時翻訳、生成AIなどの発達によって、定型的な情報の翻訳や周知はかなりの程度までデジタル技術で即時補完できるようになってきている。だからこそ、これからの行政に求められるのは、多言語情報の量を増やすことだけではなく、住民にとって「届きやすい形」で情報を設計することである。
避難場所の案内、避難所の基本ルール、給水所や支援物資の情報、平時の周知文書などは、技術を生かしながら再設計しやすい領域である。ここで必要なのは、住民が必要な情報にたどり着き、次の行動につなげられるようにする情報のユニバーサルデザイン化の発想である。高齢者、障害者、日本語に不慣れな人、デジタル機器の操作に慣れていない人など、多様な住民が存在する以上、「一部の人に届けばよい」情報発信では不十分である。外国人住民への配慮は、そのまま日本人住民を含めた住民全体への情報のわかりやすさにもつながる。
多くの自治体のウェブサイトは、実務の観点からは合理的であっても、外国人住民の立場からは必要な情報にたどり着くまでに時間を要することがある。たとえば、重要な情報をPDFで掲載する、あるいは画像の中に文字情報を埋め込むといった発信方法は、自動翻訳や検索機能、音声読み上げ機能が十分に働きにくく、必要な情報への到達可能性を下げてしまうことがある。情報が公開されていても、必要な人が必要な時に取り出せなければ、防災情報としては十分に機能しているとは言いにくい。画像内に文字を埋め込まない、同じ内容をテキストでも掲載する、情報の導線を簡潔にする、見出しやキーワードを簡潔に統一するなどの情報設計を進めることで、限られた行政資源の中でも情報の到達可能性をさらに高めていくことが期待される。
また、災害時には、地理情報システムを利用した一斉通知の仕組みの活用もより重要になる。緊急地震速報や避難情報のように、地域内の端末へ同時に届く情報は、速さの面で大きな力を持つ。他方で、今後は単に一斉に知らせるだけでなく、「自分はどこへ避難すべきか」「次に何をすべきか」といった行動情報へとつなげる工夫も求められる。情報を出すこと自体ではなく、外国人を含めた住民全体への具体的な行動を支えることが、防災情報の目的だからである。
3.DX化しにくい領域―不安、不信、分断への対応
今後の災害対策で問われるのは、何がDX化でき、何が人の手で担うべき領域として残るのかを切り分けることである。定型的な翻訳や周知の一部は先端技術で補完しやすい一方、省人化しにくいのは、災害時に生じやすい不安、不信、摩擦、そして分断への対応である。
東日本大震災の際には、外国人をめぐる流言飛語が拡散した。コロナ禍の初期にも、誤情報や悪意のある情報がきわめて速い速度で広がった。危機時には、正しい情報が存在するだけでは十分ではない。情報が速く届き、信頼され、孤立した人にも届き、しかも正確に送受信されることが必要である。この四つの条件のどれかが欠ければ、誤解、流言、孤立が生じやすくなる。
災害は助け合いの契機として語られることが多いが、同時に人間の不安や排除の感情を表面化させることもある。東日本大震災では、避難所において乳幼児を連れた家族や障害のある人への対応をめぐって摩擦が生じたほか、動物とともに避難してきた人についても、「迷惑をかけるな」「出て行ってほしい」といった声が現実に生じた。非常時には、「多数の標準的な避難者像」から外れる人びとが、負担として知覚されやすい。これは、外国人住民の避難をめぐる問題にもつながる。言語や行動、生活様式が異なり、地域との接点が乏しい人びとは、非常時に「わかりにくい他者」として不安や疑念の対象になりやすい。
こうした分断を防ぐうえで重要なのは、人は極限状態では排除に傾きうるという現実を前提に、平時からその衝動を弱めるための信頼関係構築を進めておくことである。防災とは、物資や設備の備えだけでなく、社会的な信頼の備えでもある。
4.三者の役割
災害時に重要なのは、行政、幼少期から日本社会で暮らしてきた住民、そしてそれ以外の外国人住民という三者それぞれの役割である。
第一に、行政には、情報の発信者であるだけでなく、信頼できる情報の設計者としての役割が求められる。正確な公的情報を迅速に出すことに加え、デマや差別的言説が広がった際にはそれを打ち消し、外国人住民が平時から防災訓練や地域の説明会に参加しやすい条件を整えることが必要である。とりわけ重要なのは、外国人住民の防災意識や被災経験が、日本の自治体の想定ほど高くない可能性を前提に計画を立てることである。日本ほど自然災害が多く、防災訓練が生活のなかに組み込まれている社会は、世界的にみても決して一般的ではない。日本で生まれ育った人にとって自明な前提が、外国人住民には共有されていない可能性があることを踏まえ、平時から具体的な避難行動につながる情報を発信していく必要がある。
第二に、地域住民の役割である。もっとも、ここでいう「地域住民」は、国籍によって一律に区分できるものではない。日本国籍を有していても、日本語による情報取得に困難を抱えていたり、地域との接点が弱かったり、日本の防災文化に十分なじんでいなかったりする人びとは存在する。他方で、外国籍であっても、幼少期から日本社会で生活し、日本の学校教育や地域生活を通じて、防災に関する基本的な知識や避難行動の暗黙知をある程度共有している人びともいる。したがって、本稿がここで念頭に置くのは、国籍そのものではなく、日本の防災文化や避難所運営の前提を比較的よく共有している側の住民である。
幼少期から日本社会で育った人びとの多くは、様々な場面で防災訓練を繰り返し経験してきており、押さない、走らない、しゃべらない、列を乱さない、避難所では静かに待つ、配布物資は順番に受け取る、共同生活では他者への配慮が求められる、といった行動様式を、学校教育や地域生活を通じて自然と身につけている。こうした行動様式は、法律や規則として明文化されているものばかりではなく、「その場ではそう振る舞うのが当然である」という暗黙知のかたちで身体化されていることが多い。そのため、それを共有している側は、自分たちの行動様式が歴史的・社会的に形成されたものであり、誰にとっても自明なものではないという事実を見落としがちである。
しかし、こうした前提は、来日したばかりの外国人住民や、日本の学校教育や地域防災の経験を十分に持たない人びとには、当然には共有されていない。避難所での振る舞い、列の作り方、静粛の程度、物資の受け取り方、運営側との距離感など、災害時の共同生活における「当たり前」は、社会化の過程のなかで習得されるものであり、単に日本語が理解できるかどうかだけでは埋まらない差異を含んでいる。だからこそ、災害時の分断を防ぐために、比較的そうした前提を共有している側の住民に求められるのは、「なぜ日本のルールが守れないのか」と一方的に憤ったり、違いをただちに自分勝手な行動や規律違反とみなしたりすることではない。むしろ、自分たちの当たり前は、それを共有していない人びとにとっては教えられなければ伝わらないものであり、平時から言葉や関係を通じて共有されるべき対象なのだという前提に立つことである。
その意味で、地域住民の役割は、単に外国人住民を「受け入れる」ことにとどまらない。平時から地域の防災訓練、自治会活動、学校、職場、日常の近隣関係のなかで、日本の防災文化や地域生活に固有の前提を可視化し、それを共有していく媒介者としての役割がある。災害時に必要なのは、危機の場でいきなり相互理解を成立させることではなく、その前段階として、平時からの接点を通じて「何が当然視されているのか」を少しずつ共有しておくことである。こうした接点があるとき、外国人住民の側も地域のルールや期待を学びやすくなり、日本社会で育った側もまた、自らの当たり前が普遍的なものではないことに気づきやすくなる。結果として、災害時に違いがただちに不信や敵意へ転化することを防ぎやすくなる。
さらに、この役割は、誤情報や流言飛語への抵抗力という点でも重要である。災害時には、不安や資源不足、先の見えない状況のなかで、特定の集団に責任を転嫁するような言説が広がりやすい。外国人住民に関する流言飛語が繰り返し拡散される背景にも、「よく知らない相手」に対する不安や距離がある。これに対して、平時から顔の見える関係があり、相手の日常をある程度知っていれば、「あの人たちがそんなことをするだろうか」と一度立ち止まることができる。つまり、地域住民が日常的な接点のなかで他者を「具体的な誰か」として認識していること自体が、災害時のデマや偏見の拡散を抑える社会的基盤となるのである。以上の意味で、比較的日本の防災文化や地域生活の前提を共有している側の住民には、その前提を当然視して他者を裁くのではなく、それを可視化し、共有し、必要に応じて説明する役割が求められる。それは単なる寛容さの問題ではなく、災害時の分断を防ぎ、地域全体の防災力を高めるための実践的な課題である。
第三に、日本の防災文化や地域生活の前提を十分には共有していない外国人住民の役割である。
日本で生活する外国人住民が増えた現在、自らを一時的な滞在者ではなく、自然災害の多い国で暮らす地域社会の構成員として自覚することが求められる。行政情報に日頃から一定程度接続し、避難場所や避難経路を知ること、自治体の防災情報に触れること、可能な範囲で地域の防災訓練に参加することは、自らと家族の安全を守るうえで不可欠である。
旅行者ではなく、日本で継続的に生活する地域社会の住民だという自覚を持つことは、日本社会への同化を求めることではない。旅行者はあくまでも一時的な滞在者であり、災害時には自国の大使館や領事館が重要な救援窓口となる。他方、住民はその自治体に暮らす生活者であり、地域社会の構成員である。したがって、外国人住民が災害時にまず頼るべき公共的主体は大使館ではなく自治体である。非常時に行政の対応能力には限界がある以上、自らも基本的な知識を身につけ、地域とのつながりを意識的に持つことが、結果として孤立を防ぐことにつながる。
また、日常の情報やコミュニケーションをエスニックコミュニティだけに依存しすぎると、災害時に情報が閉じ、孤立する危険が高まる。同胞ネットワークは重要な支えであるが、それに加えて、地域住民、学校、職場、行政窓口などへの緩やかな接点を持っておくことが大切である。信頼されるキーパーソンを媒介にしつつ、複数の情報回路を持つことが、緊急時の孤立を防ぐ。
5.おわりに―分断を防ぐ備えへ
東日本大震災の教訓をこれからの災害に生かすとは、多言語化の必要性を繰り返すことだけではない。2011年と2026年では、情報環境も、地域社会の構成も、大きく変化している。翻訳アプリや生成AIなどの技術が進展した現在、定型的な情報の翻訳や周知の一部は、以前よりもはるかに効率化しやすくなった。だからこそ、これからの災害対策で問われるのは、多言語情報をどれだけ増やすかではなく、何を技術で補完し、何を人の手で支えなければならないのかを見極め、限られた人的資源を重点的に投入していくことである。本稿で述べてきたように、省人化しにくいのは、誤情報の選別、孤立の防止、相互不信の緩和、分断の抑制といった領域である。災害時に社会を揺るがすのは、地震や津波、豪雨といった自然現象そのものだけではない。不安の高まりのなかで誤情報や流言飛語が広がり、「わかりにくい他者」への疑念が強まり、平時には表面化しにくかった距離や偏見が一気に露わになるとき、被害はさらに深刻化する。防災とは、命を守る技術であると同時に、社会を壊さないための相互の信頼関係の構築でもある。
ただし、ここで外国人住民を一方的に「援助が必要な存在」としてのみ位置づけてしまうならば、地域社会における役割はきわめて限定的なものになってしまう。とりわけ外国人住民には生産年齢人口、いわゆる働き盛りに該当する人々が多く、支援を担う側にもなりうる存在である。人口減少と高齢化が進む地域では、災害時の見守り、避難誘導、物資運搬、地域の支え合いなどにおいて、外国人住民が重要な担い手となる可能性は小さくない。外国人を「守るべき対象」としてだけではなく、「地域を共に支える構成員」として位置づけることは、外国人住民自身にとっても、自らが社会に必要とされているという承認や自己実現につながる。他方、日本人住民にとっても、外国人住民を地域社会の重要な担い手として認識する契機となる。
増加する外国人と共に生きる時代の防災に必要なのは、情報をただ増やすことではない。正しい情報を信頼可能なかたちで循環させ、誰も孤立させず、不要な分断を生まない地域社会を平時からつくっておくことこそが、これからの災害への備えである。