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【論考】人口が減ることは不幸なのか  秋田で問い直した東京の「物差し」
画像提供:秋田朝日放送
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【論考】人口が減ることは不幸なのか  秋田で問い直した東京の「物差し」

November 5, 2026

元テレビ朝日 報道局プロデューサー 江野夏平

「人口」は幸福度を測る物差しではない
東京の物差し
「本当の豊かさ」とは何か
「地域に寄り添う」ということ
「人口減少」という現象の捉え方
何を残すのかを、誰が決めるのか
秋田から問い直す

「人口」は幸福度を測る物差しではない

秋田県の人口は、2050年には現在の約6割にまで減少すると推計されている。人口規模でいえば、明治初期の水準にまで戻ることになる。では、明治初期の秋田は、人口が少なかったから不幸な地域だったのだろうか。

もちろん、当時と現在では社会環境も生活水準も大きく異なり、単純に比較することはできない。しかし、人口が少ないという理由だけで、その時代の秋田を衰退した地域、不幸な社会だったと決めつけることもできないはずだ。

 人口減少によって地域経済は縮小する。働き手が不足し、学校の統廃合が進み、公共交通や医療、介護など、これまで当たり前に提供されてきたサービスの維持も難しくなる。住民の暮らしに不便が生じることもある。こうした問題は、すでに日本各地で起きている現実であり、対策が必要なことは言うまでもない。しかし、人口が減ることと、そこに暮らす人々が不幸になることは、決して同じではない。

10月18日、秋田で開催された「ジャーナリストカフェin秋田」に参加した。カナリア舎、秋田魁新報、秋田朝日放送が共同で主催し、「豊かさとは何か」をテーマに、ジャーナリストや地域の人々が意見を交わす集まりだった。

この議論を通じて、私は自分自身の研究の視点を見直すことになった。

私は東京財団で、人口減少社会における地域メディアの持続可能性を研究している。これまで全国各地の放送局や自治体を訪ね、その土地の歴史や文化、暮らしに触れながら、地域の実情や人々の考え方を理解するよう努めてきた。決して東京の価値観を一方的に当てはめて研究してきたつもりはない。

それでも、今回の秋田での議論を通じて、改めて気づかされたことがある。何度現地を訪れ、人々の話を聞いても、そこに暮らしていなければわからないことがある。長い年月をかけて育まれた土地への愛着や、人々が日々の暮らしの中で感じている豊かさは、外から訪れる者が簡単に理解できるものではない。地域の実情を知ることと、そこで暮らす人々の思いを理解することは、必ずしも同じではないのだ。

そして、もう一つ考えさせられたことがある。東京で暮らしながら地方の課題を研究していると、人口減少によって地域から何が失われるのかという問題に目が向きがちになる。しかし、秋田での議論を通じて、もう一つの大切な視点に気づかされた。それは、人口が減っても、地域が守り続けるべきものは何かという問いである。地域の持続可能性とは、単に人口や経済規模を維持することではない。何を残し、何を次の世代に引き継いでいくのか。秋田で交わされた議論は、私自身の研究の視点を改めて問い直す機会となった。

東京の物差し

秋田県は、全国でも人口減少が著しい地域の一つである。少子高齢化が進み、若い世代の県外流出も続いている。

人口動態や経済指標を見れば、課題は明白だ。人口減少に歯止めをかけるため、雇用を創出し、企業を誘致し、若者や子育て世代に選ばれる地域をつくる。そうした政策が必要であることに異論はない。しかし、人口が増えることを「是」、減ることを「非」とする考え方は正しいのだろうか。

地域の魅力を語るとき、経済成長率や所得水準、観光客数、移住者数など、数値化しやすい指標を重視する。都市部へのアクセス、商業施設の充実、利便性の高さなども評価の対象になる。もちろん、それらは生活の質を左右する重要な要素である。だが、地域に暮らす人々が感じている豊かさは、それだけで測れるものではない。

長年暮らしてきた土地への愛着。近所の人たちとの何げない会話。四季の移ろいを身近に感じる暮らし。地域に受け継がれてきた祭りや文化。困ったときに声を掛け合える人間関係。そうしたものは、経済統計には表れにくい。

東京では当たり前のサービスが、地方では十分に整っていないこともある。しかし、だからといって、そこに暮らす人々の生活が東京より貧しいとは言えない。裏を返せば、所得が高く、便利な生活を享受できる都市部の人々が、地方で暮らす人々よりも幸福であるとは限らないということでもある。私たちは、都市の利便性や経済的な豊かさを物差しに地方を評価し、足りないものばかりを探してはいないだろうか。

人口減少社会の研究は、本来、地域に暮らす人々が望む未来を実現するためにあるはずだ。だが、いつの間にか東京で考えた「あるべき地域社会」の姿を地方に当てはめてはいなかっただろうか。秋田を訪れ、そんな疑問が自分自身に向けられた。

「本当の豊かさ」とは何か

今回のジャーナリストカフェでは、開催にあたり、ジャーナリストの大越健介氏が「本当の豊かさとは何だろう」と問いかけていた。

大越氏は東日本大震災の被災地取材を振り返り、被災者を励ますつもりで訪れた自分が、逆に人々の優しさや温かさに勇気づけられた経験を紹介している。自らが傷つき、厳しい状況に置かれながらも、他者を気遣う人々の姿。そこに、金銭的な価値とは別の次元にある豊かさを感じたという。これは、秋田での開催に先立って寄せられたメッセージである。

被災地での経験と、人口減少が進む秋田の現状を同列に論じることはできない。しかし、経済的な条件や物質的な充足だけでは人間の豊かさを説明できないという問いは、人口減少社会を考えるうえでも重要な意味を持つ。

画像提供:秋田朝日放送

討論の中で、大越氏は「秋田独立」という言葉で、秋田の人々にエールを送った。少し強い表現だが、あえてそう表現したのだという。私には、中央への反発を促すのではなく、秋田が長い歴史の中で育んできた文化や風土、人々のつながりに誇りを持ち、自分たちの意思で未来を切り開いてほしい、そして共に切り開いていこうという呼びかけに聞こえた。

「秋田独立」という言葉には、地域の価値は、そこで暮らす人々自身が決めるものだという強いメッセージが込められていた。東京で定められた経済指標や政策目標だけで、秋田の未来を評価することはできない。その土地の豊かさを最もよく知っているのは、日々の暮らしを営み、歴史や文化を受け継いできた人々自身なのである。

一方で、地域の人間関係や文化が豊かだからといって、人口減少がもたらす困難を軽視することもできない。病院が遠くなり、通院の足がなくなる。近くの商店が閉まり、日常の買い物にも不自由する。学校がなくなり、子どもたちが長時間の通学を余儀なくされる。

だからこそ、人口減少を止めることだけを政策の目標にしてよいのか、改めて考える必要がある。人口を増やすことは、地域の人々が幸せに暮らすための手段の一つであって、目的そのものではないはずだ。

人口が減ることを前提としても、安心して暮らし続けられる地域をつくる。そこに住む人々が大切にしてきた文化や人間関係を守りながら、必要な医療や教育、交通などの生活基盤を維持する。そのために何を残し、何を変えるべきなのか。

その答えは、地域によって異なる。人口規模も産業構造も、歴史も文化も違う。それぞれの地域には、それぞれの豊かさがある。全国一律の指標で地域を評価し、同じ処方箋を当てはめることには限界がある。

 こうした考え方に通じるのが、国際教養大学の工藤尚悟准教授の発言だった。工藤准教授は、人口の数を追い求めるよりも、どのような質のまちをつくるかが大切だと語った。人口が増えたか減ったかという結果だけでなく、そこに暮らす人々がどのような生活を望み、どのような地域を次の世代に引き継ぎたいのか。地域の未来を考える際には、その問いが欠かせない。

「地域に寄り添う」ということ

人口減少社会における地域メディアの持続可能性を考えるうえで、各地の放送局や自治体への現地調査から見えてきた課題は少なくない。宮城、岩手、秋田、静岡、福岡、鹿児島、福島などで、放送局の経営者や現場の制作者、行政担当者への聞き取りを重ねる中で、人口減少や経営環境の悪化が地域メディアに及ぼす影響とともに、再編・統合や共同運用の必要性が浮かび上がってきた。

放送設備の更新には巨額の費用がかかり、技術者の確保も難しくなっている。経営体力が低下する中で、従来の放送体制を維持することは容易ではない。限られた経営資源を共同化し、効率化によって生まれた余力を地域の取材や情報発信に振り向けることは、地域メディアの機能を維持するための現実的な選択肢となる。

一方、現地調査で明らかになったのは、経営や制度の問題だけではない。地域の歴史や文化、その土地に根ざした人々の暮らしに触れることで、地域メディアが果たしてきた役割も見えてくる。地域によって事情は異なり、同じ制度や経営手法を導入しても、必ずしも同じ成果が得られるわけではない。

放送局という組織を維持することと、地域社会に必要な情報機能を守ることは、必ずしも同じではない。地域メディアの存続は、それ自体が目的なのではなく、そこに暮らす人々の生活や地域社会を支えるための手段として考える必要がある。

こうした現地調査では、地域の実情を理解するため、歴史や文化、住民の暮らしにも目を向けてきた。しかし、秋田での議論は、外部から地域を理解することの難しさを改めて浮き彫りにした。

地域の実情を把握するためには、現地を訪れ、関係者から直接話を聞くことが欠かせない。しかし、限られた期間の調査によって得られる情報と、そこで暮らす人々が長年の生活を通じて培ってきた実感との間には、埋めがたい隔たりがある。土地への愛着や、地域の歴史、文化、人々のつながりの中に見いだされる豊かさは、経済指標や人口統計だけでなく、短期間の現地調査によっても十分に捉えきれるものではない。

「人口減少」という現象の捉え方

人口減少をめぐる政策には、「歯止めをかける」「地方を再生する」といった言葉が頻繁に登場する。そこには、人口が減ることを好ましくない状態と捉え、人口が増えていた時代に近づけることを目標とする発想がある。しかし、日本全体の人口が減少する中で、すべての地域が人口増加を実現することは難しい。人口が減ることを前提に、地域の暮らしをどう支えるかという視点が、これまで以上に重要になる。

人口減少を食い止めるための政策が無意味だということではない。若い世代が働き、子どもを育て、住み続けたいと思える環境を整えることは必要だ。ただし、人口の増減という結果ばかりを追いかけると、そこで暮らす人々が何を望んでいるのかという、政策の本来の目的が後景に退いてしまう。

政策を考える側が注意しなければならないのは、地域の人々にとって何が幸せなのかを、外部から決めつけないことである。若者が都会へ出ることを、単純に地域の損失と捉えてよいのか。故郷に残ることだけが、地域を愛することなのか。

一方で、地元に暮らし続けたい若者が、仕事や教育の機会に恵まれず、やむを得ず故郷を離れるのであれば、それは解決すべき課題である。大切なのは、人口の増減そのものではなく、人々が自分の望む生き方を選択できる環境があるかどうかではないか。

人口が減っても、そこに住み続けたい人が安心して暮らせる。外に出たい人には、その選択肢がある。そして、故郷を離れた人も、地域とのつながりを持ち続けることができる。そうした社会のあり方を考えることこそ、人口減少時代の政策研究に求められているのではないだろうか。

何を残すのかを、誰が決めるのか

画像提供:秋田朝日放送

もちろん、人口減少に対応するためには、さまざまな分野で効率化や集約化が必要になる。行政サービス、公共交通、医療、教育、そして地域メディア。限られた人材や財源を有効に活用するため、従来の仕組みを見直すことは避けられない。ただし、効率化によって何が失われるのかを、十分に考える必要がある。

例えば、地域の学校は教育施設であると同時に、住民が集い、世代を超えて交流する場所でもある。地域の放送局も、単なる情報伝達装置ではない。地元の出来事を記録し、地域の文化を伝え、住民の声を社会に届ける役割を担っている。施設や組織を維持するための費用は計算できても、それが失われたときの地域社会への影響を、数字だけで評価することは難しい。

工藤教授が語った、地域の人々が集うことの意味も興味深かった。集落の行事や共同作業は、単に催しを開いたり、作業を終えたりするためだけのものではない。異なる世代の人々が顔を合わせ、互いの個性や得意なことを知り、地域の中で人間関係を育んでいく機会にもなる。そうした日々の交流の積み重ねが、地域の担い手を育て、次の世代へと共同体を引き継ぐ土台になっている。

この点で印象に残ったのが、パネリストとして登壇した秋田朝日放送の伊藤環希記者の発言だった。伊藤記者の言葉から伝わってきたのは、秋田で暮らす人々の役に立つ情報を、自ら取材し、届けたいという強い思いである。

その一例として語られたのが、秋田の山間部などに受け継がれてきたマタギの文化だった。かつては狩猟を生業としていた人々の暮らしも、時代とともに変化し、現在では別の仕事を持ちながら狩猟を続ける人も少なくない。しかし、マタギが長い年月をかけて培ってきた山の知識や技術、独自の文化や慣習は、秋田の歴史の一部であり、失われてよいものではない。

地域には、こうした伝統的な営みだけでなく、その土地に根付いた祭りや行事があり、それぞれに受け継がれてきた歴史や意味がある。伊藤氏が語っていたのは、地域の出来事をニュースとして伝えるだけでなく、そうした文化や人々の営みを映像として記録し、残していくことの大切さでもあった。

テレビ局が日々撮影する映像は、放送された時点で役割を終えるものではない。時間の経過とともに、その土地の暮らしや風習、社会の変化を伝える貴重な記録となる。とりわけ人口減少が進み、伝統行事の担い手や文化の継承者が少なくなっていく地域では、映像を蓄積し、後世に引き継ぐアーカイブとしての役割は一層重要になる。地域の歴史を記録し、未来に残すこともまた、地域に根ざしたテレビ局だからこそ担える大切な仕事なのである。

今回のジャーナリストカフェでは、オールドメディアの将来を問う厳しい質問も出た。大越氏が繰り返し語っていたのは、報道に対する信頼をいかに守るかということだったと私は受け止めた。現場に足を運び、できる限り多くの人から話を聞き、事実を確かめ、裏付けを重ねる。真実に近づくための地道な作業を怠らないことが、報道に携わる者たちの信頼性を支えている。

印象的だったのは、大越氏がインターネットやSNSを否定しなかったことである。情報を得る手段はいくつあってもよい。むしろ、島嶼部や山岳地帯など、地理的な条件によって得られる情報が限られてきた地域にとって、インターネットの普及は大きな意味を持つ。テレビや新聞だけでは得られなかった多様な情報に接することができ、遠く離れた地域や社会とのつながりも生まれる。情報へのアクセスという意味では、社会は確かに豊かになったのである。

一方で、ネット上ではアルゴリズムによって自分の関心に合う情報が優先的に届けられ、異なる意見や不都合な事実に触れる機会が失われかねない。大越氏は、そうした問題にも注意を促していた。

この議論を聞きながら、地域メディアの持続可能性について改めて考えさせられた。人口減少によって放送局の経営が厳しくなったとしても、地域の出来事を自ら取材し、検証し、住民に伝える機能まで失わせてよいわけではない。災害時に命を守る情報を届けることはもちろん、地域で起きている問題を掘り起こし、異なる立場の人々の声を伝えることにも、地域メディアの存在意義がある。

それは単に放送局という組織を存続させるという話ではない。テレビや新聞、インターネットなど、それぞれの特性を生かしながら、地域の人々が自分たちの暮らす社会について知り、考え、判断するための情報基盤をどう守るかという問題なのである。

だからといって、すべてを従来どおり残せるわけではない。重要なのは、何を残し、何を変えるのかという判断に、地域の人々自身がどれだけ関わることができるかである。

東京の研究者や政策立案者が、効率性や合理性を根拠に解決策を提示することはできる。しかし、それが地域の人々にとって望ましい未来なのかどうかを、外部の人間だけで決めることはできない。専門家の役割は、地域に正解を持ち込むことではなく、地域が自らの未来を選択するために必要な情報や選択肢を示すことではないか。

秋田から問い直す

地域の持続可能性を考えるうえでは、人口減少によって生じる課題を正確に把握すると同時に、その土地の歴史や文化、人々のつながりが持つ価値を理解することが欠かせない。人口や経済規模の大小だけでは測ることのできない豊かさを、いかに守り、未来につないでいくのか。秋田で交わされた議論は、人口減少社会における地域のあり方を考えるうえで、重要な問いを投げかけている。

  • 研究分野・主な関心領域
    • メディア論(映像表現論)
    • 放送法(危機管理)
    • 政策広報戦略
    • 社会実装プロセス

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