- Review
【論考】災害時に「届く」情報とは何か ―地域メディアと放送インフラの現実
December 24, 2025
元テレビ朝日 報道局プロデューサー 江野夏平
災害報道は、単なるニュースの一分野ではない。住民の行動判断を左右し、被害の拡大を防ぎ、ときに命を守るための社会インフラである。とりわけ人口減少と高齢化が進む地域社会においては、「どのメディアが、どのような形で、どこまで情報を届けられるのか」という問いそのものが、災害対応の成否を左右する。東京財団ではこれまで、地域メディアの持続可能性と、災害時における情報補完のあり方を一体の課題として捉え、放送局、自治体、制度設計の関係を継続的に調査・研究してきた。[1][2]
近年、災害情報をめぐる議論では、デジタル化やSNSの活用が前面に出がちである。しかし、その多くは「情報を受け取れること」を暗黙の前提としており、スマートフォンやネットサービスを十分に使いこなせない高齢者や、通信環境が脆弱な地域の存在が見落とされがちだ。災害情報が公共的な役割を持つためには、スピードや多様性以前に、「誰一人取り残さない」到達性が確保されていなければならない。
こうした問題意識を具体的に検討する対象として、静岡朝日テレビ(SATV)の取り組みを取り上げ、地域メディアが災害時に果たしうる役割と、その成立条件を考えていく。
SATVが展開してきたデータ放送「dボタン」[3]を活用した自治体広報・災害情報サービスは、この課題に対する一つの実践である。高齢世帯におけるテレビの普及率は依然として高く、日常的な接触時間も長い。dボタンは、新たな機器やアプリを必要とせず、リモコン操作だけで自治体が発信する避難情報や生活関連情報にアクセスできる点に特徴がある。この「使える人だけが使える仕組みではない」という設計思想は、災害情報に求められる公共性と強く重なっている。
この仕組みの有効性が、現実の災害対応の中で明確に示されたのが、2023年6月2日、台風第2号の影響による記録的豪雨である。この日は、台風に伴う暖湿流が梅雨前線を刺激し、静岡県内では線状降水帯が相次いで発生した。河川の急激な増水や土砂災害の危険性が高まり、各地で避難指示や高齢者等避難が発出されるなど、県内は極めて緊張度の高い状況に置かれた。
SATVはこの局面において、速報性と反復性を重視した報道体制を敷き、降雨状況、河川水位、被害状況、自治体の避難情報を継続的に伝えた。その際、単に情報を読み上げるのではなく、番組内で「dボタンを押せば、お住まいの市町の避難情報が確認できます」と明確に呼びかけ、視聴者をデータ放送へ誘導する運用が行われた。
dボタン画面では、SATVと連携する自治体が発信する避難所開設情報、避難指示の対象区域、注意喚起などが市町単位で整理され、視聴者は自らの居住地に即した情報へ迷うことなくアクセスすることができた。広域放送であるテレビは、本来、情報が一般化されやすいという制約を持つが、番組とデータ放送を組み合わせることで、「自分に関係する情報」へと具体化する導線が確保されたのである。
重要なのは、この対応が一過性の臨時措置ではなく、平時から運用されてきた「SATV自治体広報情報サービス」の延長線上で機能したという点だ。災害時に初めて提示される新しい仕組みは、住民にとって使いこなすことが難しい。日常的に自治体広報や生活情報をdボタンで確認できる環境が整えられていたからこそ、切迫した状況下でも迷わず活用されたと考えられる。
この豪雨対応を通じて、dボタンによる情報提供は、特に高齢者世帯において重要な役割を果たした。スマートフォンの緊急速報やSNSは即時性に優れる一方で、操作の難しさや通信障害といったリスクを伴う。これに対し、テレビとリモコンという慣れ親しんだインターフェースは、災害時にも安定して機能する。SATVの報道番組とdボタンの連動は、「情報の収集・発信」と「情報が届くこと」の間にある溝を埋めることができた成功例と位置づけることができる。
もっとも、この取り組みが順調に拡大し続けているわけではない。2024年度時点では県内15市町がこのサービスに参加していたが、2025年10月時点では加入自治体数は11にまで減少している。これはdボタンの有用性が否定された結果というよりも、自治体側の財政制約や人員不足、施策の優先順位の変化といった、人口減少社会に特有の構造的要因が重なった結果と捉えるべきだろう。成功事例であっても、それを支え続ける体力が地域から失われつつあるという現実が、ここには表れているように思う。
災害情報を論じる際、もう一つ避けて通れないのが、放送インフラそのものの問題である。災害情報は、都市部だけでなく、過疎地や遠隔地にまで届く必要がある。その前提となるのが基地局の存在だ。SATVは、親局を含め県内に58局、さらに伊豆大島に1局、合計59局の中継基地局を維持し、山間部や沿岸部、離島を含む広域をカバーしている。基地局がなければ放送は成立せず、dボタンを含むあらゆる情報提供も機能しない。災害情報の到達性と放送インフラの維持は、本来切り離して考えることのできない問題である。
静岡県は、南北に長く、地域ごとに自然環境や災害リスクが大きく異なる。駿河湾沿岸では津波リスクが指摘される一方、県西部や中部の山間地域では豪雨による土砂災害や河川氾濫の危険性が高い。こうした多様な条件を抱える地域全体に均質な情報を届けること自体が、地方局にとって大きな負担となる。
静岡県は地方圏の中では比較的産業基盤が厚く、浜松を中心とした製造業集積には、スズキ、ヤマハ発動機、ヤマハ、浜松ホトニクスといった世界的企業が存在する。人口減少が急激に進む東北地方などと比べれば、民放ローカル局として広告収入を確保しやすい条件にあると言えるだろう。それでもなお、中継基地局の維持や設備更新は重い負担であり、放送インフラを市場原理だけで支えることの限界は、静岡県においても顕在化している。
こうした厳しい環境下で地方局が放送を維持していくためには、地域に根ざした報道・情報番組を通じて編集価値を高めること、そして自治体との協働によって公共的役割を果たし続けることが不可欠である。自治体が持つ一次情報と、放送局が有する発信力を組み合わせることで、初めて住民にとって意味のある災害情報提供が可能になる。
南海トラフ巨大地震の被害想定においても、静岡県沿岸部の危険性は繰り返し指摘されてきた。こうした地域において、災害時に最後まで機能する情報インフラをどう維持するのかは、放送事業者だけの問題ではない。dボタンと番組の連動は、限られた放送基盤を住民のために最大限活用する一つの有効な方法であり、同時に、地方局と放送インフラを社会全体でどう支えるのかという課題を浮き彫りにしている。
災害情報を過疎地や遠隔地にまで確実に届けるという要請は、放送インフラの維持という現実的課題と表裏一体である。静岡の事例は、成功事例であると同時に、その成功の内側に、人口減少社会における災害情報インフラの脆弱さと限界が存在することを示している。この実践は、地域条件に比較的恵まれた場所においてさえ、災害情報と地域メディアの持続可能性が常に緊張関係にあることを明らかにしており、今後も継続的な検証が求められる。
[1] 江野夏平, 人口減少社会と放送制度の新展開 ―多様性を支える情報基盤の再構築に向けて―, https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4836, 2025年12月11日
[2] 江野夏平, 三本の矢で考えるメディア統合と災害情報の補完 ―人口減少社会における地域メディアの公共性再設計―, https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4822, 2025年11月17日
[3] 地上デジタル放送やBSデジタル放送で、リモコンの「dボタン」を押して見ることができる情報サービス。たとえば、SATVの放送区域内で、5チャンネルを選局し、テレビのリモコンのdボタンを押すと、「SATV自治体広報情報」あるいは「市の広報情報」が表示される。(参照元:静岡市役所 https://www.city.shizuoka.lg.jp/s8957/s007138.html?utm_source=chatgpt.com 12月22日閲覧)