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【論考】地域の日常を知らずして、有事には対応できない “南北600km”鹿児島県地図が物語るもの
画像提供:筆者撮影(南日本放送 中村耕治相談役)
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【論考】地域の日常を知らずして、有事には対応できない “南北600km”鹿児島県地図が物語るもの

February 19, 2026

元テレビ朝日 報道局プロデューサー 江野夏平
 

1月30日、鹿児島市の南日本放送(MBC)を訪れ、「MBC防災パートナーシップ会議」を傍聴した。会議には、鹿児島県内の自治体で災害対応を担う担当者が一堂に会し、実際の災害対応や事前準備、発災後の判断と課題について報告と意見交換が行われた。多くの放送事業者が先行事例として注目する「防災パートナーシップ」が、理念や制度にとどまらず、現場の実務としてどのように機能しているのかを確認することが、今回の訪問の目的である。

放送局と自治体は、ともに地域住民への情報発信を担う主体として、災害時の情報伝達において相互の連携が不可欠である。その連携は、発災時に即座に築けるものではなく、平時からの継続的な関係構築によって支えられている。日常的なやり取りを通じて形成された顔が見える関係があるからこそ、有事においても特別な調整を要することなく、情報共有が自然に行われる。

しかし、こうした関係構築のプロセスは、公表資料や制度設計の説明だけでは捉えにくい。この会議は、自治体側が自らの経験を言葉にし、他の自治体と共有することで、MBCと自治体、さらには自治体間の「協働」がどのように実務として成立しているのかを可視化する場であり、その現場感覚に直接触れる貴重な機会となった。 

会議に先立ち、MBCの中村耕治相談役から話を聞く機会を得た。昨年12月の調査研究時に続き、今回が二度目である。前日まで中村相談役は、屋久島環境文化財団の理事長を兼任する立場として、環境省との会議のため東京に滞在していたという。

屋久島環境文化財団は、「屋久島環境文化村構想」のもと、屋久島の豊かな自然環境を守りながら、自然と共生する地域づくりを進めてきた。環境保全や環境学習、文化の発信、地域交流などの取り組みを通じて、屋久島の自然と人の営みが共存する基盤を次世代に引き継ぐことを理念としている。その理念は、島の暮らしの中で育まれてきた歴史に根ざしたものと言える。

屋久島という島嶼地域は、世界的に評価される自然環境を有する一方で、台風や豪雨などの自然災害と常に隣り合わせにある。自然を制御するのではなく、その存在を前提に暮らしを組み立てていくという視点は、屋久島の文化や生活の根底にあり、自然環境と人の営みをどう共存させていくかという問いを、日常的に突きつけてきた。

こうした自然観や地域観は、防災という分野とも深く通底している。災害を例外的な出来事として切り離すのではなく、自然と共に生きる前提のもとで、日常の延長線上として備えを積み重ねていく。その姿勢は、MBCが地域と向き合い、防災に取り組んできた姿勢とも重なっている。平時から関係構築を重ね、顔が見える関係の中で情報を共有する。その積み重ねこそが、有事における円滑な情報共有と連携を支えているのである。 

中村相談役が繰り返し語ってきたのは、制度やマニュアルを整えることが大切なのではなく、その土地の日常を知り、住民との関係性を築くことこそが、災害対応の出発点になるという考え方である。地域ごとに異なる慣習や文化、生活の実態を理解せずして、住民が何を不安に感じ、何を必要としているのかは見えてこない。災害は突発的に発生するが、その影響は常に日常生活の延長線上に現れる。だからこそ、地域の日常を理解することなくして、有事に適切に対応することはできないという認識が、防災パートナーシップの根底にある。

私はこれまで、「平時」という言葉と「日常」という言葉を、ほとんど同じ意味で使ってきたように思う。しかし今回の中村相談役との面談を通じて、その二つの言葉のあいだには、微妙だが決定的な違いがあることを考えさせられた。

「平時」という言葉は、災害の有無によって区切られる、どこか制度的で抽象的な時間を指している。一方で「日常」という言葉の背景には、住民たちの生活の匂いがある。その土地の歴史や文化、近所付き合いや家族の営みといった具体的な暮らしの手触りが含まれているように感じる。「平時」という突き放した言い方ではなく、「日常」という言葉には、その土地で生きる人々の時間と関係性が折り重なっている。そのことに気づかされた。 

鹿児島県は、海・山・川の恵みに支えられた地域である一方、台風、豪雨、土砂災害、高潮など多様な自然災害のリスクを抱えている。とりわけ沿岸部や島嶼部では、雨量だけでなく満潮の時間帯が被害の規模を左右することも少なくない。自然と共に生きるということは、恵みと危うさの双方を引き受けることであり、その前提に立った防災のあり方が求められてきた。

こうした地域特性を踏まえ、南日本放送が自治体とともに構築してきたのが防災パートナーシップである。鹿児島県内の自治体と放送局が対等な立場で情報や経験を共有し、日常の中に防災力を積み重ねていくこの枠組みは、現在では県内全域に広がり、継続的な会議体として機能している。

もっとも、防災パートナーシップは立ち上げ当初から自治体の共感と支持を得て始まった取り組みではない。災害が発生した直後、自治体の防災担当者は極めて厳しい状況に置かれる。気象台から刻々と更新される情報を収集・分析しながら、避難情報を発信すべきか否か、その判断をいつ、どの段階で行うのかを決めなければならない。判断が遅れれば批判され、早過ぎれば過剰対応と受け止められる。結果論による評価から逃れることは難しい。

同時に、避難所の開設・運営、職員配置の調整、住民からの問い合わせ対応など、現場対応は途切れることがない。限られた人員の中で夜を徹して対応が続き、精神的にも体力的にも極限に追い込まれる。そこに報道機関からの取材問い合わせが重なることも少なくない。被害状況や避難判断の根拠、今後の見通しについて説明を求められ、その対応が新たな業務負担となることも少なくない。災害対応は、常に責任と批判を引き受ける業務でもある。

こうした自治体側の現実を理解したうえで、協働し、支え合う関係を築いてきた点に、防災パートナーシップの本質がある。取材する側とされる側という関係にとどまらず、判断を支える情報環境をともに整える。その積み重ねが、自治体と放送局の信頼関係を形づくってきた。 

「理念を形にするため、現場も経営も相当な覚悟を求められた」。そう振り返るのは、有馬正敏取締役(現・経営企画局長兼メディア戦略室長、番組審議会事務局長)である。有馬氏は、防災パートナーシップの立ち上げ期について、「理念は理解できても、それを実務として定着させるには高い壁があった。加えて、43市町村すべてとパートナーシップを結ぶという目標に対し、自治体側の理解をいかに得るかが最大の課題だった。取材が負担となっている現場の心理や、特定の放送局と連携することへの公平性といった自治体側の懸念をどう乗り越えるか。日々の業務のなかでその解を見出していく過程は、現場にとって非常に重い責任を伴うものだった」と語る。 

中村相談役の部屋には、実際の縮尺に基づいた鹿児島県の地図が掲げられている。本土部だけでなく、トカラ列島や奄美群島を含む島嶼部までを一望できるその地図は、鹿児島という地域の広がりと多様性を常に意識するための象徴でもある。直線距離にして南北約600キロ。実に東京から岡山に匹敵する距離である。

島ごと、集落ごとに文化や慣習は異なり、その違いは災害時の行動や判断にも影響する。画一的な対策ではなく、地域ごとの生活実態に即した対応が求められる所以である。

防災パートナーシップが築いてきたものは、制度や技術の蓄積にとどまらない。災害発生時と日常、過去と現在を重ね合わせながら、地域の生活を理解し、その理解を判断や行動に反映させていくという姿勢そのものである。それは、地域の変化に応じて更新され続ける実践であり、あらかじめ「これで終わり」という帰着点を想定しない制度的営みでもある。

中村相談役が語る「まだ行っていない集落が四つある。そこにも必ず行く」という言葉は、その象徴と言える。地域の暮らしを理解し尽くしたと考えるのではなく、常に未知の日常が残されているという認識を持ち続けること。その姿勢こそが、防災パートナーシップを現在進行形の取り組みとして支えている。 

ここで改めて触れておきたいのが、南日本放送の社内に共有されてきた行動指針である。MBCでは、ビジョンや戦略として「ありたい姿」を掲げるだけでなく、それを実行に移すための具体的な行動原理が、中村相談役自身の言葉として示され、今も社内に浸透している。その三か条は、「毎日が編成」「毎日地域に一歩でも近づく」「すべてはFace to faceから」というものである。

「毎日が編成」とは、半年に一度見直される番組編成を例に、環境や前提が急速に変化する時代においては、発想や姿勢もまた日々更新されなければ取り残される、という戒めを込めた言葉である。そして残る二つ、「毎日地域に一歩でも近づく」「すべてはFace to faceから」は、中村相談役のジャーナリストとしての矜持を端的に表した行動原理だと言える。

代理店任せにせず、その先にいるクライアントと向き合うこと。放送設備としての中継局を見るのではなく、県内八十八か所の中継局の先にいる一人ひとりの県民の暮らしに思いを致すこと。そうした姿勢を、中村相談役は繰り返し社員に求めてきた。かつては、県内八十八か所の中継局を実際に巡るスタンプラリーやツアーを社員向けに実施してはどうか、と真剣に語ったこともあったという。地理的にも条件の厳しい場所が多く、実現には至らなかったが、その発想自体が、地域を「知識」ではなく「体感」として捉えようとする姿勢を象徴している。

こうした行動指針が示しているのは、理念を掲げること自体ではなく、それを日々の現場でどう生きたものにするかという問いである。地域の日常に近づき、顔の見える関係を積み重ねることを厭わない姿勢があってこそ、防災という極限状況においても、判断を支える信頼と情報の回路が機能する。その意味で、防災パートナーシップは制度であると同時に、行動指針が長年にわたって現場で実践されてきた結果として立ち上がった営みでもある。

防災パートナーシップは、「これで十分だ」という終わりのある取り組みではない。地域の暮らしに向き合い続ける中で、問いそのものを更新し続ける実践である。そしてその営みは今もなお、鹿児島という広大で多様な地域の中で、確かに続いている。

  • 研究分野・主な関心領域
    • メディア論(映像表現論)
    • 放送法(危機管理)
    • 政策広報戦略
    • 社会実装プロセス

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