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英国のPAYE(Pay As You Earn)に学ぶ所得情報のデジタル化

January 20, 2017

昨年、日本銀行の研究員が税務データを使った国内総生産(GDP)の試算を公表して話題になった。現行のGDPは日本経済の実態(および異次元の金融緩和等、アベノミクスの効果)を過小評価しているのではないかというのが主な論点だ。そこでは生産=支出=分配、要するに生産されたものは支出され、だれかに分配されるという「三面等価の原則」を使い、分配側に着目してGDPを算出している。具体的に使われた税務データは「市町村税課税状況等の調」(総務省)と「民間給与実態統計」(国税庁)だ。このうち「市町村税課税状況等の調」は市町村が有する個人住民税の課税対象者(合わせて所得税を払っている、あるいは所得税は非課税でも個人住民税の納税義務のある者も含む)の所得情報を、「民間給与実態統計」は給与所得者(サラリーマン)の中での所得税の納税者および非納税者(個人住民税の非納税者も含む)の所得情報をそれぞれ与えている。

市町村が詳細な所得情報を持っているのは全ての給与所得者の「給与支払報告書」が居住する各市町村に提出されているからである。この給与支払報告書は所得税の源泉徴収から作成される。しかし、国は年末調整を行った者については500万円超の給与所得者など一部の所得情報(「給与所得の源泉徴収票」)しか保有していない。これは国の所得捕捉がもっぱら課税目的であるのに対して、市町村は課税に加えて、国民健康保険料(市町村国保)や保育料の減免、(消費税増税に伴う低所得層対策として講じられた)簡易な給付措置などの給付を担ってきたことがある。例えば給与収入が223万円以下であれば収入額、扶養家族の数に応じて国民健康保険料が2割から最大7割減額される。つまり、所得情報は課税のためだけにあるのではない。社会保険料などの算定や減免、給付にも活用される「公共財」なのである(表参照)。政府税制調査会の中間報告(平成28年11月14日)において配偶者控除等、所得控除の見直しに際して「社会保障制度における給付等に与える影響にも留意しなければならない」とするのも、これらの制度が「個人所得課税に係る所得情報を用いている」からに他ならない。

表:所得税または個人住民税の所得金額や税額を基準とする制度

所得税または個人住民税の所得金額や税額を基準とする制度、出所:政府税制調査会資料

出所:政府税制調査会資料

ただし、公共財としての所得情報の活用には幾つか不備がある。第1に「給与支払報告書」の提出が実際の支払いの翌年というタイミング上、市町村が把握するのは前年の所得となる。仮に今年、失業などで所得が低くなっても、それに応じて保険料の減免や給付措置が受けられるわけではない。タイムリーな所得情報が把握できていない。第2に低所得層への支援が彼等の所得にきめ細かく対応できているわけではない。前述の「簡易な給付措置」は世帯員全員が市町村民税非課税の世帯を対象とし、減免額(一人5千円)は非課税世帯の間で同じであった。その背景には非課税世帯=低所得層の所得情報に正確性を欠くところがあるからだろう。「クロヨン問題」として揶揄されるように給与所得者に比べ農家や自営業者の所得捕捉が不十分と言われてきた。低所得なのも本当に所得が低いのか、正しく所得を申告していないのか判然としないところがある。そもそも、国が源泉徴収を含めて所得情報を把握するのは課税が目的である。所得税の生じない低所得層の所得捕捉にあまり熱心でなかった面は否めない。しかし、所得再分配の機能は高所得者への課税だけではなく、低所得層への移転(給付)があって、はじめて完結する。なお、課税と給付の一体化が進んだニュージーランドでは税務署のスタッフの半数かそれ以上は給付事務に当たっているという。いずれにせよ再分配機能を強化して格差是正を進めるためにも、タイムリーかつ正確な低所得層の所得情報が必要だ。日銀のGDPの試算が税務データのマクロ的活用の試みであれば、低所得層の実態把握はそのミクロ的活用の充実といえる。

そこで参考になるのは英国の事例である。英国の所得税にはわが国の源泉徴収制度にあたるPAYE (Pay As You Earn)の仕組みがある(ただし、わが国と異なり、年末調整は必要ない)。2013年4月からは雇用主が従業員に給与を支払う度に源泉徴収額と合わせて給与(所得)情報をオンライン提出することを義務付けた。これを「リアルタイム情報システム」という(他方、わが国の源泉徴収制度では所得情報(給与支払報告書、源泉徴収票)の提出は一年分まとめて翌年の1月末となる)。提出義務は全従業員への支払いが、社会保険料(NIC)の最低所得にあたる週112ポンド以下でない限り生じる。その狙いは遅滞なく所得税を徴収することだけではない。英国では既存の税額控除・給付措置を統合した「ユニバーサルクレジット」という低所得層のための新たな給付制度が導入されている。その特徴は給付額に最新(1か月前)の所得を反映させることにある。給付の金額は世帯の所得を合算して算定される。リアルタイム情報システムはユニバーサルクレジット制度に対し、低所得層の所得情報をタイムリーに提供することを目的の一つに掲げている。課税だけではなく給付のための所得情報の収集であることが明確になっているのである。無論、わが国同様、自営業者の所得捕捉などには課題が残る。このためユニバーサルクレジットでは受給者が自営業者の場合、同業者の動向等から類推される労働時間(みなし労働時間)に最低賃金を掛けた金額を最低所得として給付額を算定している。最低所得以下に所得を申告しても給付を増やすことは出来ない仕組みだ。

リアルタイム情報システムは給与情報のオンライン提出等、ICTの活用を徹底することでタイムリーな所得情報の収集を可能にした。複数の雇用主からの所得や(ユニバーサルクレジットの給付単位である)世帯単位での所得の合算も容易かつ迅速に行われる。わが国では世帯所得をタイムリーに合算することが難しい。前述の通り、市町村が活用する世帯所得は前年所得の情報である。平成29年度税制改正では所得税の配偶者控除について配偶者(150万円)の他、納税者(1120万円超から減額)にも所得制限が設けられることになった。こうした所得制限が夫婦合算(合計)の所得にならないのは、給与所得者の夫が年末調整をする時期に共働きの妻の正確な所得情報がない(妻の雇用主から税務署に妻の所得情報(給与支払報告書、源泉徴収票)が提出されるとしても年末調整の後)こともある。このため夫婦合算所得で配偶者控除するならば年末調整では完結できず確定申告に拠らなければならない。他方、英国は更に「税のデジタル化」と称して、将来的には個々の納税者と課税当局がネット上で直接やり取りをし、簡単に確定申告ができるシステムの構築を計画している。これに関連して北欧諸国では課税当局が確定申告書類に所得や控除など必要情報を記入、ネット上で納税者がこれを確認して、(不足分を埋めるなどした上)提出する「記入済み申告制度」が行われてきた。わが国でも「金融税制・番号制度研究会」(座長:森信茂樹中央大学教授)がマイナンバー・カードの普及に合わせて「マイナポータル」を利用した同制度の導入を提言、政府税制調査会も個人・企業のICT化(インターネットの普及等)など「納税実務等を巡る近年の環境変化への対応」に向けた議論を始めている。電子申告の普及、申告書類の電子保存など納税環境(関係法令)の整備に留まらない税務行政全体のデジタル化に向けた改革があってよい。無論、初めからトップダウンで完璧なシステムを作ることには無理がある。リアルタイム情報システムは事前にパイロットプロジェクトを実施して、雇用主からのフィードバックを得ながらシステムの構築を進めていた。現場のニーズを組み上げるとともに、合意形成をする工夫といえよう。繰り返すが課税のみならず、タイムリーかつ正確な所得情報をもって低所得層に所得移転する仕組みの構築にも必要不可欠な「インフラ」なのである。


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