| ヤングリーダー奨学基金プログラムは、日本財団が1987年に将来の世界を担うリーダーの育成を目指して立ち上げ、1997年からは東京財団が運営を行っている、世界の大学の人文社会科学分野の大学院生を対象に奨学金を給付する奨学制度。日本を含む世界44か国の69大学・大学連合に各々100万米ドルの基金を寄贈し、17,000名を超える奨学生(Sylff「シルフ」フェロー)を輩出してきた。Sylffフェローは卒業後、外相や中央銀行総裁などを務めたり、学術研究、ビジネス、非営利セクターなど様々な分野の第一線で活躍している。 |
※ライプチヒ大学のSylffフェローについては「『音楽の都』で育つ民主化の指導者たち」をご覧ください。
ワイマール北西にあるブーヘンヴァルト強制収容所は、1945年4月11日に米軍によって解放された。ナチス時代、ここでは約5万5千人が命を落とした。
封印されたスターリンの「粛清」
だが、戦後この収容所はソ連に接収され、「特別収容所第2号」として再び使われた。反共産主義者や、単なる密告による疑念だけで拘束された市民が送り込まれ、約7千人が死亡した。
旧東ドイツはこの事実を徹底して封印し、ナチスの犯罪のみを強調した。これはスターリン体制下で行われた「大粛清」の延長線上にある統治手法であった。
カチンに通じる裁判なき予防拘禁
1940年にポーランドで起きたカチンの森事件(ソ連による約2万2000人の処刑)と同様、国家にとって潜在的な「敵」を、裁判を経ることなく排除する手法が戦後ドイツでも行われた。
ベルリン近郊のザクセンハウゼン強制収容所もまた、戦後ソ連によって「第七特設収容所」として再利用され、少なくとも1万2千人が命を落とした。特に1946年から47年にかけての「飢餓の冬」には死亡者が急増した。
二つの収容所の「二重の記憶」
1990年のドイツ統一後、生存者の証言や集団墓地の発掘によって、隠蔽されていたソ連の政治弾圧がようやく明るみに出始めた。ナチスの暴力が「見える死」であったのに対し、スターリン主義の抑圧は飢餓や沈黙の中での「見えにくい死」であった。
同じ場所で、異なる体制のもと繰り返された拘束と死。「二重の記憶」が刻まれたこれらの収容所は、法を排し人間の尊厳を踏みにじる一党独裁の危うさを、今も私たちに突きつけている。(文責:岡部伸)
▼<岡部伸の世界探訪ドイツ①~③>はこちら
【人材育成】「音楽の都」で育つ民主化の指導者たち——ライプチヒ大学Sylffフェロー <岡部伸の世界探訪ドイツ①>
【人材育成】冷戦終結導いた「月曜デモ」<岡部伸の世界探訪ドイツ②>
【人材育成】自由勝ち取った東独で反移民政党台頭<岡部伸の世界探訪ドイツ③>
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